第二十七話 私の欲しいものはここにありませんでした
「急ぎましょう!」
アンジェリーナは鞄に薬瓶をしまって走り出す。行き先は集合地点とした王城の脇にある広場。駆けつけるとそこには特務部隊と交戦する魔獣の姿があった。そして側では、多くの国民が何もできずにただ震えている。そばにいる男とアンジェリーナの視線が合うと、一瞬目を見開いた。黒髪に、紫水晶色の瞳。アンジェリーナが誰かわかったようで、いきなり立ち上がって大声で叫んだ。
「役立たずの魔除けの聖女がきたぞ!」
ざわりと場が揺れて、突き刺さるような視線とともに怨嗟の声が次々とあがる。
「いまさら来たってもう遅い、無能の役立たず!」
「出ていけ、きさまのような聖女はいらない!」
怒号がうねるように空気を揺らし、魔獣が一層殺気立つ。ああもう、魔獣を煽るんじゃないわよ!
「静かになさい、魔獣が興奮するでしょう!」
アンジェリーナは威嚇の怒声で魔獣を萎縮させ、ついでに気迫で人々を黙らせる。そして魔力を練り上げると狂ったように襲ってくる魔獣に一撃をくらわせた。
「切り裂け、蛇の尾をもつ風」
鞭のようにしなる風が、魔獣を切り刻む。返り血がアンジェリーナの体に降りかかってローブや服が派手に汚れた。一瞬にして場が静まり返る。
衝動に駆られて攻撃をぶち当てたから、なかなか凄惨な状況になってしまった。まあこの程度の残骸なら特務部隊の人は慣れてるだろうし平気でしょう。アンジェリーナは気にすることなく戦闘によって傷ついた隊員達の傷を次々に刻戻しの魔法で治した。
人々は呆然とした顔で彼女が怪我人を癒していく姿を見つめている。魔除けの聖女は戦闘だけでなく、治療までできるのか。ならばなぜ彼女を無能で役立たずと呼んだのだ?
「アンジェリーナ、こっちだ!」
「ルードさん!」
「また派手に汚したなー、清楚な雰囲気が台無しだぞ」
「はは、冗談でしょう。雰囲気で魔獣は倒せませんよ。それにこの程度の汚れならローブで速攻落ちますし」
アンジェリーナはフードをかぶって魔力をローブに流す。すると洗浄の魔法が働いて、瞬く間に全身から返り血の痕跡が消えた。フードを外せばウルツヤの肌には汚れひとつなく、輝くような黒髪が揺れる。圧力を感じるほど膨大な魔力を全身にまとわせ、魔力の残渣によって一際深みを増した神秘的な紫の瞳が陽光にきらめいた。
どこが醜くて不気味な魔女だ、人々はアンジェリーナの光り輝くような美しさに思わず息を呑んだ。
「転移の魔法陣を守ってくださってありがとうございます。怪我はありませんか?」
「問題ない、アンジェリーナが急いで来てくれたおかげだよ」
「よかった、なんとか間に合いそうですね」
「さあ乗って、一気に飛ばすよ!」
アンジェリーナは魔法陣に乗る手前で振り向いた。
累々と積み重なる遺骸の隙間で怯える人々に柔らかな笑みを浮かべる。
「だから言ったでしょう、魔除けの聖女が無能で役立たずでいられることは幸せなのだと」
魔除けの聖女が真価を発揮するとき、それは国が終わるときだから。
「待って、行かないでくれ!」
「あら、神官長ではないですか。お久しぶりです!」
煌びやかな神官服を乱して神官長が駆け寄ってくる。直接お会いするのはおばあさまが亡くなられたとき以来かしら。あの日はただ難しい顔をして、アンジェリーナには声も掛けず、目も合わせてくださらなかった。この方にとって苦楽をともにしたおばあさまだけが魔除けの聖女であって、アンジェリーナにそこまでの価値を見出せなかった。だからずっと無関心だったのだろう。
「今度こそ魔除けの聖女の貢献を正しく評価する。給与も払うし聖女筆頭として遇することを約束する。だから国を捨てるのだけは思い止まってくれ!」
ほんと、揃いも揃って好き勝手なことばかり。アンジェリーナは明るく笑ってこう言い返した。
「申し訳ありませんが筆頭の地位も、聖女の名誉も、破格の給与もいまさらいりません。おばあさまが亡くなられた今、この国に欲しいものなんてもう何も残っていないのです」
「それでもアンジェリーナは選ばれし者、セントレア王国聖女筆頭魔除けの聖女ではないか!」
だからなんだ、被せるようにしてぶった斬った。
「私、聖女になりたいなんて一度も言ってませんよ。黒髪に紫水晶色の瞳は魔除けの聖女だからと、赤子のときに問答無用で両親と引き離して無理やり連れてきたのは国と神殿の仕業ではないですか。おかげで私は生まれたときからずっと両親の顔を知りません」
「では両親に会わせてあげよう、きっと彼らも喜ぶに違いない」
「無能で役立たずだと言われている娘なのに? 彼らにすれば迷惑以外の何ものでもありませんよ」
そう答えると神官長は言葉に詰まった。ざわりと周囲の空気が揺れる。
知らなかったですって、だから何よ。知らなかったという理由ですべての罪が許されるわけじゃない。
「というわけで無能で役立たずはやめさせていただきます!」
ついでに魔除けの聖女もね。
アンジェリーナが背を向けて転移の魔法陣に飛び込むと、悲鳴のような誰かの声が響いた。
「ダメだ、皆の者、聖女アンジェリーナを止めるのだ!」
神官長の剣幕にただならぬものを感じていたが周囲の人間は混乱して身動きひとつできない。なんでこんなに神官長は必死に止めているのか。どういう意味だ、無能で役立たずをやめさせてもらうとは。
「ねぇ、お母さん。魔除けの聖女はほんとうに役立たずだったの?」
いつかのときと同じように男の子の声が響いた。けれど、邪気のない子供の問いに答える母親の声は聞こえなかった。でももういい、なんと答えようが今はもう興味はないから。
私が一番欲しいものは、この魔法陣の先に待っている。
暴れる神官長を兵士が抑えている間にルードさんが起動させるための魔力を流した。視界がブレて転移の魔法陣が発動する。一瞬の浮遊感のあと、地に足がついた。
目を開けると、そこはもうリゾルド=ロバルディア王国。行きは魔法陣を乗り継いできたけれど、帰りはセントレア王国に設置した転移の魔法陣で一直線。この転移の魔法陣は長距離用に開発した特別なもので通常より多く魔力を使う。けれど、そこは魔力だまりの上に国を建てた恩恵を存分に生かし、自動で大量の魔力を供給する機能を組み込んだそうだ。
「アンジュ、急いで。こっちだ!」
「お待たせしました!」
転移の魔法陣を降りると対魔獣特務部隊本部は目の前で、マルコさんが待っていてくれた。
「隊長の容態はいかがですか?」
「あまり良くない。隊長は元々毒に対する耐性があって、体力のある方だからここまで保った。あと二日遅ければ助からなかっただろうと言われている」
急ぎ足で階段をのぼり、廊下を走って。病室の扉をマルコさんが勢いよく開けた。
「解毒剤が到着しました!」
続いて部屋に飛び込んだアンジェリーナは息を呑んだ。視線の先には一回り小さくなったようなジルベルト隊長がいた。嘘でしょう、たった一週間でこんな痩せてしまうなんて……。
「呆けている場合ではない、解毒剤を早くこちらに!」
いつかのおじいちゃんに怒鳴られて我に返った。そうよ、解毒剤を渡さなければ。アンジェリーナは鞄から薬瓶を三本並べるようにして机の上に置いた。
「な、三本もあるのか!」
「いいえ、このうちの一本が解毒剤です」
「バカもの、遊んでいる場合ではないのだぞ!」
「少しお待ちください、見極めますから」
冷静に、冷静に。深く息を吐いてアンジェリーナはラベルの貼られていない薬瓶を一本ずつ手に取っていく。そして真ん中の薬瓶をおじいちゃんに手渡した。
「これです、お願いします」
「大丈夫なのか、間違っていましたではすまないぞ。今はギリギリ小康状態を保っているだけだ。薬の成分によっては一気に悪化する。それでも大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「根拠は?」
「調薬の聖女は薬を識別するためにほんの少しだけ食紅を混ぜて色を変えるのです。瓶の外側からでも薬の種類がわかるようにと。治療系には青、回復系には赤、そして解毒剤には」
「解毒剤は何色なのだ?」
「唯一、色をつけません。それは緊急事態のときに取り間違えないようにするためなのだそうです」
「……その目はそんなわずかな違いを見極めることができるのか」
並べてあっても言われなければわからないくらいのほんのわずかな色の違い。でもユリアンネの手伝いで何百という薬を見続けてきたアンジェリーナには色の識別がつく。
「これは治療系、こっちは回復系。そして今、手に持っているのが解毒剤です」
これが全部解毒剤だったら絶対にわからなかった。ユリアンネがどんな気持ちでこの三本を選んだのかわからないけれど、系統を変えてくれたことには感謝している。アンジェリーナは深々と頭を下げた。
「こんな私ですが、今だけでも信じていただけませんか?」
「覚悟はできているということだな」
「はい、命を賭けます」
疑われるのは、ずるくて嘘つきなアンジェリーナへの罰だ。こうして自分の命を掛けなければ信じてもらえない。だからこそ無条件でアンジェリーナを信じたジルベルト隊長との出会いは奇跡だった。
ただ一つもたらされた奇跡を失いたくない。アンジェリーナの顔を見つめていたおじいちゃんは天を仰いだ。
「そんな悲壮感ただよう顔をしなくてもよい。噂とは違って君が優秀だということは理解しておる」
「……」
「こんな若い娘にセントレア王国はずいぶんと重い業を背負わせたものだ。己が潔白を証明するために命を賭けさせるなど正気ではない」
おじいちゃんはアンジェリーナの肩をポンと叩いた。
「疑って悪かったな、さっそく解毒剤を飲ませよう」
椅子を引いてジルベルト隊長の隣に座るとアンジェリーナを手招きした。
「それでこの解毒剤はどのように使う?」
「経口摂取で、一回の服薬量は全量です」
「ふむ、むずかしいが……まあやってみよう」
そして隣にある椅子を目線で示した。
「解毒剤は私が飲ませる。そういう状況には慣れているからね。君はその椅子に座って、手でも握ってやるといい。ジルベルトならきっと喜ぶ」
ほんの少しだけ口角をあげて彼は視線をジルベルト隊長に向けた。アンジェリーナは隣に座ってジルベルト隊長の手に触れる。体内を蝕む毒と戦い続けているせいかあれほど逞しかった手が今は細く頼りない。そのことが苦しくて余計に胸を締めつける。祈るような気持ちで彼の手を額に当てて目を閉じた。隣でおじいちゃんが薬瓶の蓋を開ける音がする。
「……正解だ、この匂いは間違いなく解毒剤のもの」
なんだ、匂いでわかるのか。ならば彼に三本とも渡せばよかった。目を閉じたまま苦笑いを浮かべる。わずかな水の音がして少しずつ解毒剤がジルベルト隊長の口に注がれていくのがわかった。ちゃんと効くのかしら、早く目を覚まして。どのくらい時間が経っただろうか、隣でおじいちゃんがほっと息を吐いた。
「全量飲ませた。あとは運を天に任せるしかない」
「ありがとうございます」
「解毒剤は効果が現れるまで時間がかかる。部屋に戻って休むといい。目が覚めたら知らせよう」
「……もし許されるのなら、もう少しだけそばにいてもいいですか」
頭上でおじいちゃんがそっと息を吐き出す。
「王に経過を報告するから、戻ってくるまでの間だけだよ」
「感謝します」
アンジェリーナは目を閉じたままうなずいた。やがて静かに扉の閉まる音がする。解毒剤が効きはじめたのか、呼吸が落ち着いて頬にわずかばかり赤みがさした。
よかった、彼は救えるかもしれない。おばあさまも、ジルベルト隊長も。アンジェリーナがそばにいてほしいと願う人はみんないなくなる。
「……ごめんなさい。私がそばにいて欲しいと願ったばかりに」
震える声でつぶやくと首に下がった星水晶が力なく揺れる。握りしめた手も、石の感触も。肌に触れる冷ややかな温度が今はとても悲しい。
――――ごめんなさい、愛してしまって。
私が愛してしまったばかりに、彼は。
こんなにもすぐそばにいるのに返す答えはなかった。




