第二十一話 私は大切なものを守るために戦います
魔除けの聖女は、自身にとって大切なものを守護するために魔と戦う。
「そのことをセントレア王はご存知なのか?」
「はい、魔除けの聖女が作る報告書には必ず付記することになっております」
少なくともおばあさまの提出した報告書には書いてあった。国王様は額に手を当てる。
「知っててその待遇か。破滅願望があるとしか思えないな」
「あら、ずいぶんとあっさり私の言葉を信じてくださるのですね」
「セントレア王国の現状を鑑みれば国の答弁よりも信用できる」
まあそうよねー。自分のところは大丈夫とか言っていたのに蓋を開けてみたらダメだった。国民も兵も逃げ出して国の威信も積み上げた実績もなかったことになっている。その状況下で信用しろというのは無理よ。
「参考までに聞きたいのだが、全力が出せない弊害というのはどんなものがあるのか?」
「わかりやすく今までできていたことができなくなります。具体的には結界の範囲が狭くなり、魔のつくものが湧きやすく、寄りつきやすくなるとかですね」
「そういうときはどう対処していたのだ?」
「結界については、国によって適用範囲が定められていたので魔力を大量に注ぎ込み無理やり範囲を広げていました。魔獣や魔物は適宜排除していましたね。彼らの気配は人のものとは違い独特なので、監視していなくてもなんとなく湧いたなーとかわかるものなので」
「なんとなくでもわかるのか?」
「わかりますよ、……たとえばこんなふうに」
アンジェリーナは振り向きもせず、魔の巣窟から生まれたばかりの魔獣に雷を落とした。しかも無詠唱で。そのあとに続けて生まれようとした魔物も魔獣に落とされた雷の電流に感電して体半分を残し、魔の巣窟にズブズブと沈んでいく。誰もが信じられないものを見た顔で言葉を失った。
リゾルド=ロバルディア王国の魔法師や魔法剣士は一般的に火水風土の四属性のうちどれかを使う。それ以外の属性を操る魔法師は存在しなかった。それが光槍に雷まで……もはや次元が違う。
その裏でアンジェリーナは、無表情のままドカドカと雷を落としつつ、魔の巣窟の主が何してくれてんだゴルァという怒りの圧をぶつけてくるのを軽く受け流していた。
アハハ、いつも元気だなー!
ちょうどいいところに実験体があるのだもの。使えるモノは魔獣だろうが魔物だろうが魔力だまりだろうが使うに決まっているでしょう。それがお仕事なんだから!
そっちこそどさくさ紛れに不死竜ぶつけてきやが……いらして、お調子に乗っておられるのではなくて? 覚えてろよー、絶対言いつけてや……もれなく上司にお伝えしますからね!
気安さから言葉が乱れそうになるのを、ちょいちょい修正して打ち返していたら黙った。こっちは万年誰彼かまわず垂れ流される誹謗中傷不平不満を受け流しつつ適宜適切に反撃してきたのよ、鍛え方が違うわ!
「……アンジェリーナ?」
「っと、すみません。一瞬、気を取られてました」
おちゃめな魔の巣窟の主に。心の中で付け加えて周囲を見回したアンジェリーナはにっこりと笑った。そして心配そうに顔をのぞき込んだフェレス副隊長と、握った手を離さないジルベルト隊長に軽く微笑んだ。顔を上げると国王様と視線が交わる。
「国によって決められていたという魔除けの結界の適用範囲はどこまでか?」
「近隣各国申し合わせによる魔獣対応区域までですね」
「なんだと、国土だけでなく街道や山岳部を含めた隣接する土地をか⁉︎」
「はいそうです。実は十年ほど前に先代がお忍びでリゾルド=ロバルディア王国を訪問していたのですが、セントレア王から出国の許可を得たあとに、後付けで出された条件のひとつがそれだったのですよ」
国境の先にある魔獣対応区域まで結界を拡張させよ。
魔獣対応区域とは国境線とは別に隣国との境にある共有地のことを指す。主に山岳地帯や森林、両国をつなぐ街道などが該当するのだが、埋もれるように小さな魔力だまりのようなものがあってそこから湧いた魔獣は国同士が取り決めを行い、交代で駆除することになっていた。セントレア王国は三年に一度の割合で当たっていたが、他国のように軍による大規模な駆除は実施されたことがなかった。
「いつのころからかはっきりとはわかりませんが、歴代の王の指示で魔除けの聖女が狩ってましたからね。セントレア王国は兵士ですら魔獣を見たことがありません」
「なんと、愚かな……」
「先代の魔力量もけっこう多いほうだったのですが、当時は先代の体調や私の年齢を考慮して国境線ギリギリまで先代に結界を張ってもらい、寄ってくる魔獣なんかは二人で手分けして狩っていたのです。ところが条件を満たさなければ出国許可を取り消すと脅かされたので、先代に代わって私が仕方なく張ったのが始まりでした」
「それでできたのか?」
「ギリギリでしたが。先代は人生ではじめての国外旅行をとても楽しみにしていたのです。結界ごときのために、いまさら取りやめにするというのは、いくらなんでもかわいそうじゃないですか」
その代わり、おみやげをたくさん買ってきてくれたのです。そう答えてはしゃいだ顔は若い娘らしく華やかなものだった。やがてその華やいだ表情がわずかに曇る。
「当初は先代が戻るまでの短い期間だけの約束でした。だから先代は無理をしてまで短期間で国を往復したのです。セントレア王国に戻ってきたときは疲弊しきっていました。結局はそのまま寝ついて、さらに心労も重なったせいで数ヶ月後には亡くなっています。私にとってはたったひとり、身内と呼ぶことのできる人だったのに」
前を向いたまま、アンジェリーナは瞳を揺らす。悔しかった。意図的でなかったとしてもセントレア王が先代の命を奪ったのだ。国王様は深く息を吐いた。
「それがどうして今まで結界を張り続けることになったのだ?」
「約束どおり、先代が戻ったと同時に結界を縮小しようとしました。すると時を同じくしてセントレア王から通知が届いたのです。玉璽の押された正式なものでした。魔除けの結界の適用範囲を拡大するという趣旨で、これまでどおり魔除けの結界を魔獣対応区域まで張るようにという王命でした」
「なぜそんな真似を」
「惜しくなったのでしょう。できるのならばやらせればいい。それにセントレア王国には結界の聖女がいます。セントレア王国を中心とした魔獣対応区域に魔獣が湧きにくいのは彼女の結界のおかげだと説明すれば周辺国に恩が売れると考えたようです」
結果、さまざまな恩恵が各国からセントレア王国にもたらされた。国は潤い豊かになって、ますます周辺国から感謝される。魔除けの聖女さえ我慢すれば、すべてがうまく回るのだ。
自国の利益のために嘘をつき、約束を反故にする。婚約を盾にして要請を断ったのとやり口が同じだ。
リゾルド=ロバルディア王国の人間は誰もがそう思った。アンジェリーナの拳に力がこもる。その手にフェレス副隊長の手が軽く添えられた。拳を包む柔らかい治癒の光。血の跡があるということは、いつのまにか食い込んだ爪が手のひらの皮を傷つけていたらしい。
「大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございます」
労わるような眼差しに励まされて、アンジェリーナは再び前を向いた。
「届いた通知には、王からの手紙が添えられていました。そこには普段役立たずなのだから結界くらいは国の役に立つように、と書かれていたのです。先代は……おばあさまは泣きました。私のせいでアンジェリーナがこんなつらい思いをすることになって、ごめんなさいと」
亡くなった原因にはこのときの心労もあったのでしょう。アンジェリーナは絞り出すような声で答えた。絶対零度の視線がセントレア王国の二人に突き刺さる。
「通知はどうした?」
「神官長に提出するように言われて出してからそのままです。手紙だけはこうして手元に残してありますが内容的には証拠と呼ぶには弱いかと」
「わかりやすい証拠隠滅か」
神官長も同罪なのだということがこれで判明した。手紙をポケットから取り出したアンジェリーナはジルベルト隊長に手渡す。内容にざっと目を通して彼は眉根を寄せた。
「たしかに仕事をしない魔除けの聖女を諌めているようにも読める。これだけでは物的証拠にならない」
侍従から手紙を受け取った王もうなずく。でも問題は王命を受けたことではなかった。
「おばあさまが亡くなってからでしょうか。私の魔除けの力に異変を感じ始めたのです。心に穴が空いたようになって、そこから魔力がこぼれていくような感覚があって。気がついたら今までのように無作為で効力を発揮することができなくなっていました」
グイド神官が顔色を悪くした。驚くでしょうね、本来なら魔除けの聖女の力は勝手に仕事をしてくれる。それが意図的でなければ仕事をしてくれなくなったのだから。
「もちろん無意識の領域でも魔除けの力は効力を発揮してくれましたが、今までどおりにいかないところもあって。それが結界の拡張と、魔のつくものを弾き、退ける強度でした」
大事な仕事だとは理解している、でもやりたくない。その気持ちが現れたのだろうなー。アンジェリーナは苦笑いを浮かべた。
「そのせいかセントレア王から文書でお叱りを受けることもありました。無能、役立たずと。それもあって罰金刑の話が出たのかもしれませんね」
「大量に魔力を注ぎ込んで、弊害はなかったのか?」
「ありますよ、もちろん。まずは見た目でしょうか。ジルベルト隊長やフェレス副隊長は出国したばかりのころに会ってますよね。見た目の違いに何か気がつきません?」
フェレス副隊長はじっと見つめていた視線を逸らす。
「そういえば髪や肌の艶が違うような気がします。失礼とは思いましたが出会ったときは枯れたようで、潤いがなくカサついていました。顔色が悪くて、寝不足なのか目の下にクマもあってつらそうでした」
「そうですそうです、目の下にもでっかいクマが居座っていましたよね」
「それが今では光り輝いて、まるで女神が降り立ったようです」
「……ありがとうございます?」
そこまでの賛辞は求めてない。そしてほんのり頬が赤いのはなんでだろう。しかも周囲が驚愕しているのはなぜなんだ。首をかしげたアンジェリーナの顔をジルベルト隊長はのぞき込んだ。
「瞳の色が濃くなった。淡く優しいフィラニウムの色から、深く濃い紫水晶のような色に変わっている」
「え、そうなのですか?」
「もしかすると魔除けの聖女は魔力の変化が瞳に出やすい質なのかもしれない」
ジルベルト隊長はそれ以上何も言わなかった。アンジェリーナは魔力の変化が瞳に出やすい。だとすれば血のように赤い瞳の色もたぶんそうだ。でもそれ以上言わないということは、魔獣のような瞳のことは秘密にしてくれるということらしい。いいのかしら、責任者である彼にはきっとすべてを報告する義務があるはずなのに。
でもその気遣いが、今のアンジェリーナにはとてもうれしい。
「話を戻しますね。魔力の消費が肉体に負荷をかけるとまず容姿に反動として跳ね返ります。魔力が宿るとされる髪や肌が枯れたように荒れて、顔色も悪くなる。やがて負荷が蓄積すると吐き気やめまいにより日常生活に支障をきたすようになり、最悪の場合、死に至る。これは一般的な魔法師や魔法剣士にも言えることでしょう」
「では以前、アンジェリーナが言っていたセントレア王国で不気味とか気味が悪いと言われていたというのは」
「単なる魔力の使いすぎです。もともと魔力量が多い体質ですから体調を崩すまでには至りませんでしたが、もっと魔力量の少ない魔除けの聖女だったら同じ要求を維持するには寿命を削るしかありませんね。足りない魔力を生命力で贖うしかありません」
魔除けの聖女の心身を損ねるような行為だ。そこまでセントレア王が愚かではないと信じたい。
王とて、はじめは無理と承知のうえで結界の拡張を申しつけたのだろう。直前になり、やはり心変わりをして国内に留めるつもりで無茶を言った。ところがアンジェリーナにはそれができてしまった。王は驚いただろう。過去最高の魔力量と能力をもつアンジェリーナならば今までの常識を超えてなんでもできる。それと同時に欲が芽生えた。
アンジェリーナに命じれば、なんでも願いを叶えてくれる。
だからセントレア王は何をしても許されると思い込んだ。責任の一端は言いなりになってきた魔除けの聖女にもあるのではないか。そんな一部の人々の微妙な空気の変化を敏感に察したアンジェリーナは、すっと手をあげた。深く濃い澄んだ紫の瞳が、ひたと玉座を見据える。
「ひとつ、よろしいでしょうか?」
「もちろん、あなたにも言い分はあるだろう」
さすが、賢王様。周囲の空気に流されないところはさすがだ。
「とある兵士が切れ味のよい剣を手に入れました。ですが切れ味が良すぎて剣は持ち主の手を傷つけてしまったのです。さて、皆様はそれを剣のせいだと武器を咎めますか?」
「……」
「責められるべきは兵士の技量の未熟さでしょう、それと同じです」
魔除けの聖女もまた切れ味が良く、使いどころの難しい剣だ。それをうまく使いこなすかは王の技量によって決まる。それを剣のせいにするなんてねー、むしろ自分が無能で役立たずと証明するようなものよ。アンジェリーナは皮肉げに口元を歪める。
「私にできたことが、次代の魔除けの聖女にもできるとは限りません。ですが、このままでは次代の魔除けの聖女が私のせいでセントレア王国に無能で役立たずの烙印を押されてしまうかもしれない。そして国の無理な願いを叶えるために彼女達が寿命を削るような未来を私は容認できませんでした」
無能で役立たずでいるのはもう限界だ、そうアンジェリーナは判断した。
「ですがセントレア王国にいる限り、魔除けの力の有用性を証明できません。ですから国を出たのです」
「もっと血が流れず、穏便に済ませるような手はなかったと?」
「それについては私も不思議に思っているのですよ」
アンジェリーナは首をかしげる。
「無能で役立たずと呼ばれる聖女がひとりいなくなったくらいで国がどうこうなるなんて普通思わないですよね」
誰もが言葉につまった。そうなのだ、たったひとり失われたくらいで国が滅びるようなことがあってはならない。そうならないように為政者は手を尽くすのだから。
「聖女だろうと人間です。ずっと昔、愛する男性とともに国を出ようとして無理やり連れ戻された魔除けの聖女がいました。彼女は幽閉されたあと、三ヶ月後に命の火が消えるように亡くなったと言い伝えられています」
「そんなことが……」
「当時何があったのかはわかりませんが、連れ戻されたら私も同じように拘束されるでしょう。魔道具や魔法薬で逆らうことができないように思考をコントロールされるかもしれません。そして魔除けの力だけを搾取されるような存在になり下がったとしたら……正常な判断ができない状態で魔除けの力を正しく行使できるとは到底思えないのです」
アンジェリーナには間違いなく国は滅ぶという自信があった。
「魔除けの力に人間は干渉してはならない。だから魔除けの力も人には影響を与えないのです。この黒い髪と紫の瞳のように、何人たりとも染めることができないからこそ魔除けの聖女になれる」
「それなら、君は」
「ごめんなさい、嘘をついていました」
痛みをこらえるようにジルベルト隊長とフェレス副隊長の表情がゆがむ。今この瞬間も味方であろうとする優しい人達を私は騙してしまった。
「色変え魔法薬ではなく、本当はこれが元からの色なのです」
だからジルベルト隊長に今のままが好きと言われて、泣きそうになるくらいうれしかった。そのままの私でもいいと許されたような気がしたから。うつむいたアンジェリーナの首元で優しい色をした銀のネックレスが揺れる。
そしてこの銀色になら、染まってもかまわないと思うくらいに幸せだった。




