第二十話 これが国と神殿と聖女が好き勝手した結果です
戦闘の聖女、多種多様な魔法を操る夢幻の聖女、癒しと回復の聖女。彼女達がそれぞれに割り当てられた宝具を使えば、ほぼ被害は出ないはずだった。それが存外に被害が拡大したので、アンジェリーナは何をやってるのかといぶかしく思っていたところだ。
「三種の宝具とは何か?」
「対人特化の聖女が対魔戦のために魔除けの聖女の力を借り受ける目的で作られた三つの魔道具です。神殿の宝物庫に保管されているのですが、この魔道具はいつでも使えるように魔除けの聖女が整備をしています」
「そんなことまで……!」
「新たな魔道具を作りだすのはさすがに才能の有無がありますが、破損した部位の整備くらいなら我々でもできますからね」
というか、おばあさまに整備する技術も仕込まれた。実際、はぐれた魔獣を狩るときなんかは保守点検も兼ねて使ったこともあったからね。分解して元に戻さないという厄介な性癖をもつ宝具の聖女がいるから人には頼めないのよ。
「ちなみにそれはどんなものだ?」
「聖騎士の剣、聖者の杖、女王の聖杯と呼ばれています」
アンジェリーナはローブを脱いで背の紋様を国王様が見やすいようにと掲げた。魔除けを象徴する三種の宝具をそのまま聖女の紋様としたのだ。
「聖騎士の剣はわかりやすく聖剣ですね。魔獣や魔物を討伐する際に必要な攻撃系と防御系の補助魔法が常時発動するようにできています。聖者の杖は近距離および遠距離攻撃のダメージ増加と能力増幅、効率強化。防御力をあげ、軍を支援するような魔法に適しています。それから女王の聖杯には浄化、回復、毒無効、魔法抵抗向上の効果が付与されています。聖杯に水を溜めておけば聖水の代わりになり、経口摂取することで治療を目的とした魔法薬に近い役割を果たします」
リゾルド=ロバルディア王国側の人間は誰もが呆然となった。なんてことだ、その宝具さえあれば魔除けの聖女はいらないじゃないか。
「たしかに、それがあれば一気に討伐の効率があがるな」
ジルベルト隊長の呟きにフェレス副隊長がハッと顔をあげた。そしてアンジェリーナと視線を合わせる。
「アンジェリーナ、あなた治療用の水が入った樽に何かしたでしょう!」
「と、いいますと?」
「おかしいと思っていたのですよ、魔獣や魔物の爪や牙でついた傷なのに変色していないのです。それこそ水で洗い流しただけで傷口がきれいになる。今思い出すとあれだけ激しい戦闘だったのにほとんど聖水を使っていませんでした」
っと、思わぬところから鋭い指摘が入った。この状況でバレるのは面倒とすかさず視線をそらす。ところがそらした視線の先には呆れたような顔のジルベルト隊長がいた。しまった、逃げ道がない。
「で、何をした?」
「治療用の水を溜める樽に毒無効と浄化の効果を付与しておきました。これなら樽の水で洗い流すだけで傷口が浄化されますので聖水を使わなくて済みます」
「つまり樽を一時的にだが聖杯にしたということか」
「あなたって人は……深く考えもせず対魔戦の常識を変えてしまったようですね」
ジルベルト隊長は天を仰ぎ、フェレス副隊長は頭を抱える。
「では我々の体が軽いと感じたことや攻撃の威力が上がったと感じたのも水のせいだと?」
「……」
「アンジュ、正直に白状しなさい」
「はい、時間稼ぎをしていただきたくて兵士の戦闘力を底上げしておきました」
「どうやって?」
「数週間かけて少しずつですが食事に効果を付与したのです。具体的には毒や火炎に対する耐久力向上、対魔戦の近接攻撃や遠距離攻撃のダメージ増加、能力増幅などなど。個々の特性に合わせて、魔除けの力を皆さんの体に馴染ませました」
「は⁉︎」
「断りもなく勝手にやってすみません!」
誰もが呆気にとられたような顔をした。助けてもらったはずなのに、素直に喜ぶことができないのはなぜだろう。何やってるんだよ。アンジェリーナは人々の呆れたような視線に耐えきれず、ついに横を向いた。
「宝具は万が一魔除けの聖女が戦線を離脱しても、もちこたえることができるようにという目的で作られたものです。だから聖女本人が不在でも魔除けの力が充填されていれば使えます。ただ樽も宝具も溜めた魔力が空になってしまえば、ただの道具に戻ってしまいますけれど」
「なるほど、魔除けの聖女がいなくても魔除けの力を使うことができるのは便利だな」
「余談ですが魔除けの聖女は宝物庫にしまった三種の宝具について毎月報告する義務があるのですよ。情報は神官から神官長を経由して王に届けられます。それは有事の際に使用を許可する権限が神官長とセントレア王国の王族に与えられているからなのです」
それだけでなく代替わりの際には必ず報告書に管理している場所と番号を付記することになっていた。おばあさまの提出した報告書にも書かれていたから、もちろん彼らも知っているはずだ。アンジェリーナは手帳を取り出して場所と番号を伝える。するとわかりやすくグイド神官が青ざめた。
え、ちょっと何よそれ。やっちまいましたという顔は。
「私が出国する直前に魔力をフル充填して使えることを確認しています。それで首尾はどうでした?」
「……」
「グイド神官?」
「魔獣が襲ってきたために、武器を探して神殿の宝物庫を解放したのです。そのときに宝具の聖女が」
「宝具の聖女バルバラ様がどうしたのです?」
どうしよう、嫌な予感しかしない。
「宝具の聖女がその区画にある魔道具にいたく興味を持って……」
「いたく興味を持って?」
「分解しました」
「やっぱり!」
あんの破壊の聖女バラバラがっ、よりにもよって大事なときにやりやがったわね!
「何やってるのですか、あなた達は!」
本気で怒鳴ったらビリビリと空気が震えた。あらいけない、つい対魔戦で使う威嚇の怒声というスキルを使ってしまった。魔獣どころか強面の男性陣ですら怯えさせてしまったわ、オホホホ。
「宝具の聖女がこれと同じものを複製できるというので王が許可したのだ!」
「分解して図面を引いて複製したのですか。それで作ったとしても使えました?」
「使えなかった。だが、元からあったものをもう一度組み直してみたがやっぱり使えなかったのだ。だから宝具の聖女が元々壊れていたのだろうと」
「違いますよ、あの子は都合が悪くなると全部壊れていたことにするのです。よく考えてみてください。聖女が魔除けの聖女の力を借り受けるために作られた魔道具ですよ。魔除けの聖女の特殊な魔力が肝になるのは当然じゃないですか!」
つまり動力となる魔力は魔除けの聖女のものでないとダメということだ。するとジルベルト隊長がハッと視線をあげた。
「第六の門に設置された転移の魔道具、あれも魔除けの聖女専用ということか!」
「そうです。使ってみたらいち早く裂け目まで到達させるためのものでした。あの魔道具にはこの背に描かれたものと同じ紋様があるので、そこから魔力を充填するのですよ。もちろん、三種の宝具にも同じ紋様が刻まれています」
「紋様があったということは、つまり……」
「かつて魔除けの聖女がセントレア王国から派遣されて、魔獣や魔物を駆逐するお手伝いをしていたという動かぬ証拠ですね」
今ならわかる。今代のセントレア王は魔のつくものを過度に恐れていたのだ。だから魔獣の大移動に巻き込まれることを嫌がって要請を断った。国を統べる王としてはそういう判断もあるのかもしれないが、その代わりにセントレア王国は魔のつくものと共存するという新たな選択肢を失った。
失敗するかもしれない、それでも踏みだす勇気を持つことは本当に難しい。でも一歩踏み出してみれば違う未来があった。アンジェリーナがそうだったように。
だがもう遅い、セントレア王国の未来は定まってしまった。
「あの転移の魔道具もそうですが、三種の宝具も古い時代のものだけに燃費が悪いのですよ。歴代最多の魔力量をもつとされる私でさえ、結界を張り続けながらすべての魔道具を一度に満たすことはできません。なので代々の魔除けの聖女は結界に差し障りのない範囲で少しずつ己が魔力を充填し、宝具を次代に引き継いでいったのです。今回のような有事が起きたときのために、何百年も長い時間をかけて」
全てはセントレア王国を魔のつくものから守るため。先代のおばあさまも体調を崩すまでは、あの魔道具に魔力を充填していた。アンジェリーナのために、その先に繋がるだろう未来のために。
「あなた達は、そんな彼女達の遺志をすべて無駄にしたのです。知りもしないくせに余計なことばかりして、すべてを台無しにした。民にはどう釈明するつもりですか。まさかこの期に及んで魔除けの聖女が壊したなんていう宝具の聖女の嘘を信じたわけではないですよね」
「……」
信じたんかい! アンジェリーナは天を仰いだ。国も神殿も聖女も好き勝手しやがって。
「たしかに三種の宝具がなければあれだけ被害が拡大したのも納得です。それで聖騎士の剣を持たない戦闘の聖女はどうなりましたか?」
「毒と魔に侵されて深く傷つき、回復することもできなくて寝たきりだ」
「聖者の杖を持たない夢幻の聖女は?」
「蹂躙される兵士達の姿に精神が耐えきれなくて引きこもりに……」
「あの人、見た目頑丈そうだけれど意外と繊細だからね。それで回復の聖女は?」
するとグイド神官が黙り込む。その代わり、べアズリース伯爵子息が視線をさまよわせながら呟いた。
「ヘレナは魔法が使えなくなって聖女を辞めた」
「……なんですって?」
「魔力補給薬の過剰摂取。さらには深刻な魔力の枯渇により器がヒビ割れたそうだ」
アンジェリーナは息を呑んだ。状況は簡単に想像できる。魔獣に襲われた兵士や市民を治療し続けて魔力が足りなくなった。だから忠告したのに。過剰な魔法の使用は報いとなっていつか自分に返ってくると。
癒しと回復の聖女ヘレナは神殿の威光を知らしめる看板のようなもの。看板のひとつを失ったことで、神殿が被る損害は計り知れない。べアズリース伯爵子息は虚ろな瞳で、拳を握りしめた。
「きさまが無責任にもいなくなるから、そのせいで罪もないのにヘレナは」
「べアズリース伯爵子息、もうやめませんか。あなたはすでに私だけが悪いのではないことを理解しているはずです」
凪いだ声でアンジェリーナは台詞をさえぎった。紫水晶のような瞳を向け、彼と視線を合わせる。うつむいたべアズリース伯爵子息は唇を噛んだ。救えなかったという深い悔恨。彼は間違いなくヘレナを愛している。いや、そうであってほしいとアンジェリーナは願っていた。
ほんのわずかヘレナへの同情と、主に自分の精神的な安寧のために!
「私は自分の選択を一片も悔いていませんよ。だって無能で役立たずという評価に、無責任で自分勝手という新たな悪評が追加されるだけですから」
元々底辺なのにこれ以上落ちようもない。アンジェリーナは皮肉げな顔で笑った。
「私を免罪符にして人々が救われる時代は終わりました。魔除けの聖女がいなくなったことで、ようやくセントレア王国の人々は気がついたことでしょう。私を無能な役立たずにしたことでさまざまな罪が横行し、矛盾が許されてきたのだという現実を思い知ったはずです」
それでもずっと命がけで守ってきたのに。アンジェリーナの視線が険しくなる。
「魔獣がどれほど危険な生き物か知らないセントレア王国の人々には想像もつかないでしょうね。群れにたったひとりで立ち向かわなくてはならない聖女の孤独を。自分が死ねば国が蹂躙される、絶対に死ねないという重圧を。腕がちぎれかけ、毒に侵されて、それでも一撃喰らわせるために魔力を必死にかき集めるときの惨めさを、あなた達は何一つ知らない」
孤独、重圧、惨め。血を吐くような言葉はリゾルド=ロバルディア王国の人々の胸に深く響いた。ジルベルトはアンジェリーナの肩をそっと引き寄せる。自分には仲間がいた。でも彼女は頼る相手がいない中、こんなにも小さな体で一国の安寧を背負っていたのか。
「罪はないですって、バカ言わないでよ。魔除けの聖女が血を垂れ流しながら守ってきた平和のうえに安穏と居座って、悪意ある噂をばら撒いて。国民が一丸となって虐げてきたくせにそれでも罪がないなんて笑わせる」
次第に荒れていく言葉遣いを誰も咎めなかった。無能で役立たずと嘲笑されながらも裏で彼女は実直に務めを果たしていたのだ。彼女が怒るのももっともだ。それにしても彼女に戦わせておきながら兵士は何をやっているんだ。国を外敵から守る存在が兵士だろうに。それこそ役立たずにも程がある。
アンジェリーナは暗い眼差しをグイド神官とべアズリース伯爵子息に向けた。
「刻戻しの魔法で傷は癒えても、傷を負って死にかけたときの恐怖はなかなか消えてくれないのよ。前回、自分を殺そうとした種と同じ魔獣に出くわしたときは逃げ出したいほどに怖かった。恐怖で体は震えて、涙が止まらないときもあったわ。それでも生き残るためには恐怖に立ち向かうしかなかったの。誰の助けも借りることもできずに、たったひとりで」
リゾルド=ロバルディア王国側の人間は何度もうなずいた。荒れた言葉には魔獣と戦い続けてきた者だけがわかる真実があったからだ。彼女も我々と同じ、聖女でありながら戦士でもあった。強敵に立ち向かい傷つきながらも勇敢に戦い抜いてきた勇者だ。
「それをよくも無能で役立たずと言えたものね!」
アンジェリーナの手の力がほんの少しだけ強くなる。
誰にも頼れないからこそ研ぎ澄まされたアンジェリーナの強さ。今ならわかる、ジルベルトは彼女の強さの裏にある脆さに惹かれたのだ。ギリギリまで張った弓の弦のように、いつか途切れてしまいそうで。彼は労わるような眼差しでアンジェリーナの瞳の奥をのぞき込んだ。
大丈夫、わずかに微笑んでからアンジェリーナは再び前を向いた。
「魔除けの聖女は無能で役立たずのままでもいいと思っていました。それで無駄な血が流れずに済むのなら。ですが魔除けの聖女を踏み台にして、悪の温床とすることまで許したわけではありません」
ふざけるな。冤罪によって裁かれると知ったときの失望は今でも忘れられない。
「勘違いしないでください。セントレア王国は魔のつくものによって滅びたのではありません。魔除けの聖女を悪者にすることで隠していたさまざまな問題が露呈して、内側から腐り落ちたのです」
だってそうでしょう、すでに悪役は退場しているのだから。
落ち着かせるように、深く息を吐いて。アンジェリーナはあきらめたような顔で笑った。
「それにもし私がいたとしても、遅かれ早かれセントレア王国は滅んだと思いますよ」
「どういうことだ?」
「強すぎる聖女の力には神から制約が課せられていることがあるのです。魔除けの聖女もそうで、力を余すところなく使うためには、ある条件を満たさなくてはなりません」
「条件?」
「魔とつくものから大切なものを守護するために戦うことです。裏を返せば、守りたいと思わなければ魔除けの聖女は全力を発揮することができません」
誰かの息を呑む音がした。それでは、もしかして。
「さて、皆様。真実を知ったうえでお聞きします。これでも私がセントレア王国を守りたいと考えると思いますか?」
――――こんな国、滅びてしまえばいい。
アンジェリーナがそう思いはじめたときから、ゆるやかにセントレア王国は滅亡への道を歩んでいたのだ。
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