第十八話 それでは聖女の国の闇を明らかにしましょう
包み隠さず正直に答えると場が一気に殺気立った。うわー、セントレア王国の二人に殺気がザクザク突き刺さっているよ。はっは、さぞかし痛いだろう。純真な乙女心を傷つけた罪の重さを思い知るがいい!
「それにしてもなぜアンジェリーナが有責なのです?」
「誰もが納得するからですよ。悪役というか、国にとって私はそういう役割なんでしょうね。おかげで婚約破棄された責任まで負わされて罰金刑を課せられるところでした」
「そんな、無茶苦茶じゃないか」
「おわかりいただけましたか。だから私は国を捨てたのです」
誰もが息を呑んだ。魔除けの聖女を取り巻く闇の深さにようやく気がついたらしい。
「ちなみに私の次の婚約者候補は誰ですか。たぶんご存知でしょう?」
「ふん、フラヴィオーノ・エレメ卿だと聞いている」
「ああ、八十歳にして妾が五人いるという。では私は六人目の妾ということですか!」
いやもうほんとセントレア王国捨てて正解だったわ。怒りを抑えたせいでアンジェリーナの声が震える。無能で役立たずな聖女という評価は十分に浸透していたから、妾で十分だと判断されたのだろう。
謁見室の空気がざわりと揺れた。セントレア王国は聖女を庇護する気がないとしか思えない。するとべアズリース伯爵子息は、なぜか上から目線で胸を張った。
「まあ、おまえがどうしてももう一度私の婚約者にしてくれと望むのなら考えてもいいが!」
「お断りします。あなたには癒しと回復の聖女ヘレナ様がいるでしょう」
どんな思考回路をしてるのか。ほんと腹立つなー。ヘレナの名を聞くとべアズリース伯爵子息はなぜか急に顔色を悪くする。なんだ、もしかして彼女とケンカでもしたのか?
そういえばと、同じように顔色の悪いグイド神官に視線を向けた。
「私の言葉を否定できるならどうぞ。不本意であっても立場上は私の上司です。言い訳くらいあるでしょう?」
一時的に声を奪われていたグイドだったが、アンジェリーナの言葉によってようやく魔法が解かれた。
「さて、事実はどうであったか。証言してもらおう」
「聖女アンジェリーナは虚言癖があるのです。我々に、貴国を欺くような意図はなく」
王は彼に冷ややかな視線を向ける。先ほどから国を擁護するため聖女アンジェリーナを貶めることしか言わない。この男が上司とは、つくづく恵まれていないというか。
「グイド神官」
話をさえぎったアンジェリーナはどこまでも冷淡だった。グイドは舌打ちしたい気持ちを無理やり呑み込む。この心の奥底まで見通すような瞳が気に入らないのだ。隠しておきたい欲望まで見透かされてしまいそうで。
「聖女という呼称は伊達や酔狂で与えられたものではありません。あなたは私を通じて神に自分の言葉が真実であると明言することになるのですよ。よもやお忘れではありませんよね?」
「っ、そんなことわかっている!」
アンジェリーナごときが、生意気に。グイドだって神官としての立場と意地がある。勇気を奮い起こした彼は何度も反論を試みた。だが、口を開こうとしても言葉がうまく出てこない。
こんなこと、いまだかつてなかったことだ。
「さあ、神に誓って。神の僕として、私の言葉を嘘であるというのならば誓えるでしょう」
アンジェリーナは容赦なくグイドを追いつめる。聖女は力の強さが神に愛された証とされていた。もしアンジェリーナの能力が神官長のいうように歴代最高であるというなら、おそらくこの娘は……。そう思うとグイドは何も言い返せなくなってしまう。
「反論はないようだな」
「いいえ、繰り返しになりますが我が国に貴国を謀る意図は決して!」
否定はできないが、肯定もできない。だからグイドはこう返すのが精一杯だった。
……命が惜しくないのかな、この人達。
アンジェリーナは相変わらず自分を無能で役立たずだと罵倒するグレアム・べアズリース伯爵子息と、精一杯言葉を選んでセントレア王国を擁護しているグイド神官を冷めた瞳で見つめている。セントレア王の言葉を借りるなら彼らは捨て駒だ、万が一拘束されても助ける気などさらさらない。そしてジルベルトはアンジェリーナの紫水晶のような瞳から目が離せなくなっていた。
こんなにまで濃く深い色をしていただろうか。
光と影が絡まり合う神秘的な深紫。誰よりも彼女を見ていたつもりで、まったく気がついていなかった。淡く優しいフィラニウムのような少女は、紫水晶のように誇り高い女性だったとは。
不当に貶められた矜持を取り戻したまで。
アンジェリーナの言葉の意味があのときはわからなかったけれど、今なら理解できる。彼女はどんな苦境にも折れることなく、誰よりも勇敢に戦って己が信念を貫いた。そして裏切られた痛みを知るからこそ、自分の全てをかけて期待に応えようとする。そんなアンジェリーナは基本したたかで朗らかだけれど、折れてしまいそうな危うさも持ち合わせていた。なぜ不安定なのだろう、ずっと思ってきたけれどその理由がようやくわかった気がする。
――――私を無能だとか、役立たずとは思わないのですか?
彼女を守ってくれる人がいなかったからだ。一見すると彼女の行動が自暴自棄になっているように見えるのもそのため。アンジェリーナは自分を理解してもらうことを諦めているのだ。
ジルベルトは彼女への焦がれるようなこの気持ちが何なのかをすでに自覚していた。そして自覚したからこそ、絶望する。私は彼女に何と答えた?
「のうのうと幸せを享受する一方で命を落とす兵士達がいることを、彼女は何とも思わないのだろうか」
――――私は与えられた義務を果たさない人間は嫌いだ。
魔除けの聖女を取り巻く闇があることを知りもしないで一方的に彼女を悪と決めつけた。こんな私が彼女に寄り添うなんて笑わせる。彼女が自分を頼りにしないのはあたりまえじゃないか。そう思ったジルベルトは恥じたようにアンジェリーナの手を離そうとした、そのときだ。
離れていくジルベルトの手を追うように、アンジェリーナの手が捕まえた。
「逃げないでください」
「アンジュ?」
「切り札として私の存在を渇望したあなたには真実を知る義務があります。魔除けの聖女とは本当に役立たずだったのか。魔除けの力をもつ者として、最前線に立つあなたに真実を見極めてほしいのです」
ジルベルトはハッとしたように目を見開いた。なぜこんな言葉を、彼女は。
「あなたにだけは役立たずだと思われたくありません」
射抜くような視線の強さに赤く染まった瞳の色を思い出す。短い時間のことで次に振り向いたときにはもう紫色に戻っていたけれど……思えばあのときからだ、深淵を映したような紫の瞳に燃え盛る炎のような赤が混じるようになったのは。深さを増した瞳の奥に吸い込まれそうになって、ジルベルトは目を伏せた。
彼女は、どんどん美しくなっていく。
艶のある黒髪も、薄く朱に染まる滑らかな肌も。矜持とともに失ったものを取り戻したアンジェリーナはますます輝きを増していた。ジルベルトの存在を明示するように銀の石が彼女の首元でキラキラと揺れる。この銀を研ぎ澄まされた剣のようでジルベルトの色だと彼女は言った。
私のことを忘れてと言いながら彼女は最後まで外さなかったのだな。
うらんで、憎んで尽きることのない怒りを抱いたまま……なのに私のことは忘れてと。矛盾する言葉は、まるでアンジェリーナの存在をジルベルトの心に刻み込もうとしているみたいだ。いまさら忘れてといわれても、彼女のことを忘れられるだろうか。
ジルベルトは深く息を吐いた。間違いなく無理だ。このまま手放したら必ず後悔する。ならば答えはひとつしかない。真剣な表情でジルベルトは彼女の手を握り返した。
「承知した」
あなたが、それを望むのなら。
アンジェリーナは満足したように微笑んで前を向いた。一部始終を黙って見届けていた王は軽く口角をあげる。
――――これは、これは。ずいぶんと面白いことになった。
アンジェリーナを支えながら、ジルベルトはグイド神官と視線を合わせる。
「セントレア王国の使者にたずねたいことがある」
「なんなりと」
「今一度確認したい。先ほどから聖女アンジェリーナのことを無能で役立たず、虚言癖があると証言しているようだが相違ないか?」
「そうです、そのとおりです!」
「それならなぜわざわざ連れ戻しにきた?」
グイド神官は想定していたようで、澱みなく答えた。
「先ほども申しましたが聖女に逃げられては神殿の立場がありません。連れ戻して相応の罰を与えるためです」
「セントレア王国は別名、聖女の国と呼ばれている。有名なところでは結界の聖女であるリオノーラ王妃、戦闘の聖女、癒しと回復の聖女と。彼女達の他にも有能で役に立つ聖女が百人以上も神殿には揃っていると聞いた。それだけ数が揃っているのなら、魔物の襲撃ぐらい彼女達から聖女の力を借り受ければいいだろう。現に周辺国には結界の聖女がいるから魔のつくものは寄りつかないのだと説明していたはずだ」
「そ、それはそうですが、それとこれとは別の話です。アンジェリーナはいまだにセントレア王国の聖女なのです」
「ではこうしよう。彼女はリゾルド=ロバルディア王国に派遣したということにすればいい。しかも、終身だ」
審議の場が、ざわりと揺れる。王は黙って成り行きを見守るだけで特に咎めもしない。グイド神官は焦っていた。なんだかおかしな展開になっているぞ!
「なにを言い出すのですか、困りますよ!」
「なぜだ、無能で役立たずで虚言癖のある聖女なのだろう。それを我々が引き受けるというのだ」
「ですから、それでは困るのです!」
「なぜ困るのだ。まさか今までのうのうと彼女の魔除けの力に頼っておきながらあえて無能で役立たずと貶めていたということはないだろう。聖女が派遣要請に応じたというのなら神殿の面目が立つし、我が国は貴重な戦力が手に入る。お互い利益しかない」
「え、貴重な戦力?」
「魔力だまりから死霊化した竜が湧いて出てな。アンジェリーナは光槍で邪竜を撃ち落とし、武器や武具に補助魔法を付与して我々の攻撃力をあげてくれたのだ。そのうえ、聖化の効果を付与して私の剣を一時的にだが聖剣にしてくれた」
「は、聖剣⁉︎」
「うふふふふふ、お役に立てたようで幸いです」
なんでそこまではっちゃけたんだ。咎めるような顔をしたグイド神官にアンジェリーナはにっこりと笑った。あらあら、遠慮と手加減はしない主義だと教えてませんでしたっけ?
「しかもアンジェリーナは竜殺しによる破滅の呪いを弾いて浄化してくれた。おかげで私は竜殺しの栄誉だけを手にすることができたのだ。感謝しかないよ」
「光栄なことですわ」
「ちなみに多くの兵士がその光景を目にしている。ここにいる貴族の中にも実際に目にした者がいるだろう。だから嘘偽りではないことはいくらでも証明できる」
複雑な表情をした何人かがうなずいた。なるほど、実際にアンジェリーナの魔法を目にした人ほどこの場で静かにしていたのね。ジルベルト隊長は完全に青ざめたグイド神官に視線を戻した。
「対魔戦では強力な攻撃魔法が行使できて、補助魔法によって戦力の底上げができ、聖水なしに傷ついた兵士を治療する魔法を施すことができる。それにたぶん……セントレア王国に魔除けの結界を張っていたのも君だな」
「よくわかりましたね!」
「魔法の傾向が似ている。確実ではなくてもある程度なら何ができるかくらいは推測できるものだ」
すごいなー、系統が違ってもそこまで読めてしまうものなのか。うっかりでも彼の前で魔法を使わないようにして正解だったな。
「ちなみに魔力だまりを消すことはできるか?」
「できないです。それから魔獣の大移動を止めることもできません。それができるのは名に神がつく方だけですね」
魔力だまりは神の管轄する領域。歴代の魔除けの聖女が魔力だまりに手を出さなかったのもそれが理由だ。
「はっ、やはり偉そうなことを言うが役立たずじゃないか。肝心な魔力だまりが消せないなんてな!」
鼻で笑ったべアズリース伯爵子息にアンジェリーナは冷ややかな視線を向ける。
「では、べアズリース伯爵子息がやってください。私を役立たずと断ずるのならできるでしょう?」
「できるわけがないじゃないか、私は聖女ではない!」
「常々思っていたのですが、自分はできないくせに私を無能で役立たずと評価することはできるのですね」
べアズリース伯爵子息は言葉に詰まった。アンジェリーナはグイド神官に視線を向ける。
「ではグイド神官がやってみせてください。あなたは神官ですもの、魔を滅するくらい余裕でできますよね」
「できるわけがないだろう!」
「別に魔力だまりを消せと言っているのではありません。魔を弾き、退けるのは他国なら神官の専売特許ですよ」
魔を滅するくらいのことが神官なのにできないのか。誰もが怪訝そうに首をかしげた。他国では常識でもセントレア王国ではそうじゃない。アンジェリーナはひっそりと口角をあげる。
「そうですよね、あなた達にはできないですよね」
含みを持たせたアンジェリーナの口ぶりに、グイド神官はあわてて大声を出した。
「待て、それ以上言えば自分の命が危ないのだぞ⁉︎」
「聖女として国と守秘契約を結んだわけではないのに?」
「あ、それは……」
「他の聖女から聞きましたけれど、その契約書にサインすると自分の能力と国の定めた秘匿事項を他国の人間に話そうとしただけで血を吐いて死ぬらしいですね。ずいぶんと一方的で鬼畜な契約だなぁと思いました」
セントレア王国は聖女を血の契約で国に縛りつけている。だからどれだけアンジェリーナを傷つけても国を裏切ることはないと思い込んでいた。
血を吐いて死ぬなんて、まるで禁呪とされる奴隷契約のようだ。リゾルド=ロバルディア王国側の人間は誰もが不快という表情を浮かべている。
「恨むのなら、ご自身の管理能力の低さを恨んでください」
グイド神官は優秀という評判だったけれど、私とは相性が悪すぎたみたいね。
「セントレア王国の聖女の能力は千差万別。その能力は多岐にわたり、膨大な魔力を糧として奇跡を起こす方もいれば、ささやかな祝福のみしか与えることができない方もおります。ですが彼女達に唯一、共通することがあるのです」
アンジェリーナは低く笑った。ああもう本当に、笑いが止まらないわ。
「私と彼女達を明確に線引きする資質。それは彼女達の能力が人間にしか効かないということです」
アンジェリーナを対魔特化とするなら、彼女達は対人特化だ。だからセントレア王国で、彼女達は有能で役に立っていた……平和なときは、だけれど。
「常々、私は魔除けの聖女が役立たずであることは幸せなことなのだと説いてきました。それを負け惜しみと聞き流してきたのはあなた達です」
幸せをあたりまえと思って蔑ろにするから、すべてを失うのよ。
「国を人の悪意から守る結界も、戦闘の聖女が操る魔法や武具に付与された魔法も、魔法薬や癒しと回復の魔法も。単独で魔を弾き、退けるにはいろいろ足りていないのです」
「足りないもの……たとえば傷を浄化する聖水や、アンジェリーナが武具に付与したような特殊な補助魔法が必要ということか」
「そうなります」
「かつて敵国が攻めてきたときはリオノーラ王妃の強固な結界のおかげで侵略をまぬがれたと聞いているが、それはあくまでも人間に対するものだから」
「魔獣や魔物に悪意はありませんからね」
人を襲うけれど、彼らに悪意はないのよ。あるのは餌となる魔力に対する純粋な欲求のみ。そこを見誤ったのね。
「君のほかに魔除けの力を持つ聖女はいるのか?」
「いません。対魔特化は私だけです。だから魔除けの聖女には、魔を弾き、退けるために必要とされる能力のすべてが与えられている。ですよね、グイド神官?」
この場において無言とは肯定だ。ちなみに神官達も同様、人に効果を及ぼす聖水や護符を作ることはできても対魔戦で有効な浄化の魔法は使えない。混沌と混乱の渦に否応もなく呑み込まれていくセントレア王国の状況を想像したとき誰もが青ざめた。
このままいくとセントレア王国は確実に滅ぶのでは?
「聖女筆頭の地位がなぜできたのか、ご理解いただけますよね」
グイド神官は沈黙したままだ。魔除けの聖女が筆頭に選ばれた理由。それは魔除けの聖女が保つ安寧の上に、他の聖女達が活躍できる環境が成り立っているからだった。
「魔を弾き、魔を退ける能力の全てを与えられた魔除けの聖女。セントレア王国が無能で役立たずと断じたならば私の存在は不要と判断し、国を捨てたまで。それを誰が咎められるというのでしょう」
国には彼らが愛した聖女達が残されている。それなのになぜ私を裏切り者と責めるのか意味がわからないわ。
「セントレア王国に戻る気はありませんよ。なにせ無能で役立たずですから!」
アンジェリーナの価値は、必要とする人だけがわかっていればいい。そっと見上げればジルベルト隊長と視線が合った。混迷を極めているだろう、故郷のセントレア王国を思い浮かべてもアンジェリーナの心はまったく痛まない。
怒りを通り越すと無関心になる。
とうに見限っていたのだと、アンジェリーナはこの期に及んでようやく気がついた。