第十七話 二年前、要請を断ったのは誰だったのでしょうか
対魔特化――――肉体、魔力、そして魔法。
魔除けの聖女が与えられたものはすべて、魔を弾き、退けるためにある。対魔戦のためだけに紡がれた特別な魔法を扱い、燃料となる魔力もまた特殊なものだ。
「つまり私の魔法は、人間には効かないのです」
だからアンジェリーナは魔獣や魔物のいないセントレア王国では無能で役立たずなのだ。
「一種の特異体質のようなものか」
「セントレア王国は聖女の国とも呼ばれています。彼女達の能力は千差万別です。私のように特定の対象に効果を発揮する魔法と魔力を持つ聖女が生まれたとしても不思議ではないでしょう」
先ほどのおじいちゃんが、キラキラした眼差しでうんうんとうなずいている。きっと医学の観点からいかようにでも補足してくださるに違いない。いやー、良い人そうでよかった。
「だが先ほど兵士の腕を治していた。あれは?」
「私が扱う魔法は対魔戦のために紡がれたもの。魔に侵食され、赤紫色に変色している傷は範疇に含まれるようです」
魔獣や魔物の攻撃によって深く傷ついた場合、傷口は赤紫色に変色する。魔に侵食された傷ならアンジェリーナでも治すことができるのだ。
「だから日常生活で負った傷を治療する魔法とは違うということか。では攻撃魔法も人に効かないのか?」
「そうなりますね」
ジルベルト隊長は少し考え込んでから、大きくうなずいた。
「わかった、では私に攻撃を当ててみてくれ」
「ええっ、いやです」
「問題ない。万が一、怪我をしても文句は言わないから」
いやいや無理ですよ、相手は恩人かつ上司です。おまけに王の御前ですよ。ここで遠慮なくぶちかませば、間違いなく不敬まっしぐ……まさかそれが目的か⁉︎
「おおおねがいです、いいいのちだけは!」
「だからどうしてそういう物騒な勘違いをする。あれほどの威力を持つ攻撃魔法が人間に効かないというのが本当か、試したいだけだ」
「ですが、それはさすがに……」
「たしかに目で見たほうがわかりやすいこともある。許可しよう」
「いやいや、せっかく許可いただきましたが確実に発動しませんよ?」
「それを確かめたいのだ。大丈夫、たとえ当たってもジルベルトであれば万が一もあるまい」
国王様が鷹揚にうなずいて、驚くほどあっさり許可が出ました。リゾルド=ロバルディア王国の重鎮の皆様も瞳を輝かせて興味津々というご様子で。そうですか、あのあたりに群れる高位貴族は三度の飯より魔法が好きな戦闘狂の集合体ということですか。
「……だめか?」
ああ、もうそんな顔をして。そういう顔に弱いとわかってやっているのなら確信犯だ。
「わかりましたよ……その代わり、絶対に笑わないでくださいね!」
「もちろんだ、約束する」
詠唱までした魔法が不発に終わるのはめちゃくちゃカッコ悪いのだ。しかもこの流れは本気でやらないと怒られるやつ。アンジェリーナは深々と息を吐いた。
しょうがない、やるか。ジルベルト隊長と距離をとって、彼は万が一のために防御の魔法を自身にかけて。フェレス副隊長の監視の元でアンジェリーナは魔法を発動する。
「燃えろ、燃えろ。惑う魂は灰となれ」
本気でやった。当然だけど、不発。
謁見室に何とも言えない微妙な沈黙が落ちる。だからイヤだったのよー、わかりやすく人前で失敗するのは。そして安定して空気が読めない男がひとり、アンジェリーナを指さして大笑いしていた。
「あははは、なんてザマだ。本気で放った魔法が不発だなんて無様なことこのうえないな。この無能、セントレア王国の恥さらしが!」
アンジェリーナはぐっと奥歯を噛み締める。腹立つなぁ、最初から発動しないって言ったのに!
「笑うな。恥さらしはあなただ、グレアム・べアズリース伯爵子息」
「なっ!」
アンジェリーナを隠すようにフェレス副隊長が立ちふさがる。あまりにも冷ややかな眼差しに、一瞬たじろいだ表情を浮かべた。そしてジルベルト隊長も同じような顔をして彼の隣に並んだ。
「人に効かないことを証明するために魔法を使ってもらったのだ。それを笑うとは頭が沸いているんじゃないか」
「た、他国の使者に対して無礼だぞ!」
「無礼なのはきさまだ。彼女の体内では正常に魔力が動き、淀みなく魔法は構築されて発動寸前でキャンセルされている。つまり相手が魔のつくものなら、確実に魔法は発動して燃えつきていた。人か、魔か。両者の線引きは神のみぞ知る領域でのことなのだろう」
そこまでわかるものなんだ。すごいなー、魔法を読む力があるといろいろ便利そう。
「人を傷つけることなく、魔だけを排除する。これこそ魔除けの力が神の恩恵だという証だ。それがどれだけ稀有で貴重なのか、セントレア王国の人間は理解できないらしい」
「本当ですよね、どれほど大規模な攻撃魔法を行使しても彼女は人を傷つけることがないなんて、奇跡に近いのに」
いや、理解している人間もいる。ただ押さえつけられて、声が出せないというだけだ。グイド神官は先ほどからずっとアンジェリーナに向かって叫び続けているけれど、何を叫んでいるのか。聖女のくせに、国を裏切り滅ぼす魔女と。ほんと、なにもわかっていない。
先に裏切ったのは、セントレア王国だというのに。
「さて、魔除けの聖女アンジェリーナ。あらためて聞かせてもらいたい。そこまでの力を持ちながら、なぜ二年前の要請を断った。あなたにとって無能で役立たずの汚名を返上する貴重な機会であったはずだ。それに我々もあなたと共闘すれば犠牲は最小限で済んだかもしれん」
リゾルド=ロバルディア王国側にとって国王様の疑問はもっともだ。両者には利益しかないもの。でもね、唯一、それを損だと思う国があることを忘れてはいけない。
当時の悲しみを思い出したのか、人々の表情も険しいものに変わる。さて、反撃開始だ。セントレア王国が私の能力に甘えてさんざん好き勝手してきたツケを払うときがきた。
その先を言うな、絶対に言うな。アンジェリーナの笑顔に不穏なものを感じたようでグイド神官は青ざめる。アンジェリーナは嘲笑った。いまさらかばう義理もないのだから正直に答えるに決まっているじゃないの。
「知らされていませんでした」
「……は、知らなかっただと?」
「はい。二年前のときも、今回も。リゾルド=ロバルディア王国から魔除けの聖女として派遣要請があったことなど欠片も聞かされておりません!」
グイド神官はがっくりと肩を落とした。だがアンジェリーナがせっかく真実を明かしたのに、リゾルド=ロバルディア王国側の人々はそれをすんなり受け入れるわけにはいかなかったらしい。
「バカな、そんなことをして国に何の得がある!」
激昂するのは、きっとご家族を亡くされた方々なのかな。それもそうか、いまさら知りませんでしたなんて言われたらセントレア王国を信じて戦った人々が浮かばれないもの。
「きさまは二年前、ただただ婚約者と離れたくないために要請を断ったのだろう⁉︎」
「それをいまさら誤魔化そうとは、恥を知れ!」
まあ、普通はそう思いますよね。ただ正直なところ私だって不本意だ。まさかアレが断る理由にされていたとは。考えただけでも心が折れそうになる。この際だから徹底的に否定させてもらおうと、遠慮がちにアンジェリーナは眉目秀麗なだけの婚約者を指した。
「大変お恥ずかしい話なのですが、その婚約者とはあそこにいるグレアム・べアズリース伯爵子息のことなのです」
「え?」
「婚約者とはいっても、国に縛りつけるという目的で結ばれた形だけのものなのです。ですから彼は私とは目を合わせないし、会話もしないですし、彼が私を無視するのは日常でした。それだけでなく無能や役立たずといった暴言を吐き、こちらの予定も体調も確認することなく突然押しかけてきては気の済むまで説教するのですよ。さて、これのどこに私が惚れこむ要素がありますか?」
おまえ、婚約者に何してるんだよ。驚愕したような視線が彼に集中した。注目されているのがうれしいのだろうか……追い詰められているはずなのに、ふんぞりかえって偉そうだ。
「……それでも婚約を続けていたのか。趣味が悪いにも程が」
「いいえ、私の名誉のために断固否定します。私だってアレが婚約者だなんて不本意極まりないのです!」
国王様が残念そうな顔をするが、アンジェリーナは顔色を悪くして全力で首を振った。あんな傲慢で空気の読めない男が好きというのはヘレナくらいのものでしょう。
「身分はあちらのほうが圧倒的に上なので逆らえなかったのですよ!」
「まあ、そうだろうな。婚約者でありながら人前であれだけ派手にこき下ろしていたのだ。むしろ無理やり言うことを聞くように力づくで脅されていたというほうが納得いく」
「ですよねー」
ご理解いただけたようでなによりです。ほっと胸をなでおろすアンジェリーナの隣で、フェレス副隊長とジルベルト隊長がそっと視線を交わし、不穏な微笑みを浮かべている。
「アレが婚約者ですか。良い機会ですから、やってしまいましょう」
「そうだな、証拠さえ残さなければやれる」
どういうわけか、やるが殺るに聞こえる。そこまでは望んでいないが、やるなら止めないよ。そして相変わらず空気が読めないべアズリース伯爵子息は、バカにしたようにアンジェリーナを鼻で笑った。
「見えすいた嘘をつくな。二年前、おまえがどうしても婚約してほしいと言うから仕方なく婚約してやったのだ」
「だからそれは妄想です。二年前からずっとヘレナに騙されているのですよ!」
「バカが、あの清らかで純粋なヘレナが嘘をつくわけがない!」
「よく思い出してください。二年前の婚約は王命で無理やりじゃないですか。何度も言っていますが、しがない平民風情に貴族との婚約がゴリ押しできるわけがないでしょう。もしゴリ押しが通用するならば平民と貴族の夫婦がわんさかいるはずです。どうです、あなたの周囲にどなたかいますか?」
「それはいないが……だがおまえが私を好きだとたしかに聞いた」
「又聞きではなく直接私の口から聞きました? 絶対言っていないという自信はあるのですけれど?」
アンジェリーナは頭を抱えた。ここまで言っても理解できないなんてあり得る?
ああもうほんと、どんな脳の作りをしているのかしら。するとフェレス副隊長が薄らと笑った。
「割って見てみます?」
「お願いですから思考を勝手に読まないでください!」
「あなたが顔に出やすいだけですよ」
フェレス副隊長はさらっと流したけれど、まさか本当に心を読む魔法なんてないよね⁉︎
「だ、だが聖女なら婚約くらいゴリ押しできるのではないのか?」
「まだ言いますか。何度も言うように、無能で役立たずの聖女が国にゴリ押しできるわけないでしょう!」
べアズリース伯爵子息はどうしても自分のことを好きだということにしたいらしい。アンジェリーナは深々と息を吐いた。よし、こうなったら徹底的に潰すか。
「この際ですから、はっきりと申し上げます。べアズリース伯爵子息のことが大嫌いです。傲慢で、空気を読まないところは論外ですし、自分はモテると勘違いしているところは気持ち悪くて吐き気がします。俺は美しいとか素で言えるなんて、どれだけ自分が大好きなんですかねー。正直なところ視界に入るだけで不快です」
アンジェリーナは容赦なく切って捨てた。ここまで言えばさすがに理解できるでしょう。それからなぜか顔色を真っ青にして筆記する文官に念を送った。文官が筆記するのは証言を文字に起こして記録に残すためだと聞いていたからだ。
ここ、とっても大事なところだから一字一句もらさず書き留めて。
言葉はなくとも、とてつもない圧を感じたらしい。彼は涙目になってコクコクとうなずいた。よし、思いは通じたはずだ。証拠となる文書は永年残すと聞いたから審議の場で盛大に振られたグレアムの黒歴史は議事録に刻まれる。しかも公正性を保つために閲覧制限なしの誰でも見放題、と。
あはは、ざまぁ……っと言葉が乱れた。
私のおかげでリゾルド=ロバルディア王国の歴史と国民の記憶に刻まれるのだ、むしろ感謝してほしい。
「二年前、婚約のことなんて何も知らされていない状況で私の前に現れて、婚約を断固認めないとか、絶対拒否するとか言い張ったことをもうお忘れですか。あのときは突然現れて意味不明なことをわめくものだから頭おかしい人だと思いましたよ」
せっかくなのでもう少し煽っておく。案の定、食いついた。
「頭がおかしいのはおまえだ。二年もの時間がありながら、私のために女を磨く努力せず、陰気でかわいげのない性格もそのまま。こんな欠陥品と婚約を結ばされたこっちが貧乏くじではないか。王命だろうが、こっちこそいい迷惑だ」
「ちょ、ちょっと待て!」
怒りに震える男性の声にさえぎられた。おや、さっき私を怒鳴りつけた方ではないですか。
「婚約を二年前に王命で無理やりとはどういうことだ⁉︎」
いやほんと助かるわー、良いところに食いついてくれた!
残念ですがいまさら焦ったような顔をしても無駄ですよ、べアズリース伯爵子息。しつこいくらいに二年前を連呼すれば、絶対誰かが違和感に気がつくと思っていたのです。
「言葉のとおりです。私達の婚約は、二年前に国主導で結ばれた政略でした」
「婚約したのは二年前のいつだ?」
「春の花が咲くころだったと思います」
謁見室は水を打ったように静まり返った。なるほど、派遣要請があったのもちょうどそのころか。アンジェリーナは皮肉げに口元を歪める。
「二年前も、今回も。セントレア王国は魔除けの聖女を派遣する気なんてさらさらなかったのですよ。私に要請がきていることを教えなかったのは無断で要請を受ける事態を避けたかったからでしょう。なにしろ現在進行形で逃亡中ですからね、歴代の魔除けの聖女の気の強さと思い切りの良さは折り紙つきなんです」
「……」
「二年前、もし私が派遣要請を受けていれば喜んで参戦しましたよ。ふざけた婚約も回避できるし好都合です」
「ふざけた婚約だと……おまえに言われたくない!」
「事実でしょう。それとも異論があるなら聞きますよ、元婚約者様?」
「元婚約者?」
「ええ、先日彼の申し出により無事婚約は私有責で破棄されています。国にすれば体裁を整えるためだけの婚約ですから、目的が達成されたのであっさり婚約破棄の申請を受理したようです」
フェレス副隊長が呆然とした顔で呟いた。
「では、あなたが婚約者のために要請を断ったというのは」
「セントレア王国がついた大嘘です。国は最初から私に責任を押しつけるつもりだったのですよ」