第九話 私はずるくて嘘つきなのです
「アンジュ、これを運んでおくれ」
「はーい!」
アンジェリーナはできたての料理が乗った皿を受け取ってカウンターまで運ぶ。
「アロさん、ルードさん、お待たせしました。注文の日替わり定食です!」
「ありがとう、今日も美味しそうだ!」
「よかったです、いっぱい食べてくださいね!」
もうすぐ私がこの国に来て三週間が経とうとしている。
窓の外は、おだやかな陽射しの降り注ぐ平和そのものだ。ほのぼのとした空気に似つかわしくない魔を生む巣窟は健在だけれど、魔獣や魔物は驚くほどその数を減らしていた。
「今日もゼロか」
たぶん私のせいだろうなー。そこにいるだけで能力が勝手に仕事をしてくれる。力が拮抗しているから魔力だまりは消えないけれど、そこから魔物は生まれない。
アンジェリーナがウロチョロする気配は感じるようで、魔の巣窟の主がジャマだうっとうしい消え失せろという怒りのオーラをビシビシぶち当ててくる。
あはは、腹立つだろうなー。宿敵、邪魔者、目の上のたんこぶ。我々はそういう間柄だから。最初は驚いたけれど慣れた今は蚊に刺されたくらいの軽い気持ちで受け流している。
とはいえ意図せずジルベルト隊長に語った他国の事例と同じ状態になってしまった。さすがにゼロはないとあわてた彼は北方の島国から情報を取り寄せて、不可解な現状とよく似た事例ということで取り急ぎ王に報告したそうだ。
結果、魔獣の大移動は一ヶ月以内に起きる可能性が高いとして情報が修正され、他国にも通知が出された。現在は急ピッチで住人の移動や武器や食料の備蓄が進められている。
隊長から感謝の言葉とともに、おばあさまの知恵袋をもっと詳しく教えて欲しいと乞われたので、時間の許す限り熱く語り尽くした。おかげで今や彼は立派な知恵袋信者です。天国のおばあさまもさぞかし鼻が高いことでしょう。
「アンジュ、私にも日替わりをくれ」
「私にも同じものを」
「ジルベルト隊長に、フェレス副隊長も。珍しくお二人がそろっていますね!」
厨房に日替わり定食を二つオーダーしながら、アンジェリーナは目を丸くする。隊長と副隊長なのだから常に一緒に行動するものなのかと思っていたけれどそうでもないらしい。鍛錬、討伐、会議にと別行動をとりながらそれぞれ忙しく働いている。ちなみに隊長はジルベルト様ひとりだけれど、副隊長クラスはほかに何人かいる。フェレス様は副隊長の筆頭格なのだとか。
「緊急の召集ですか? 最近、特にお忙しそうですものね」
「ああ、懲りもせずセントレア王国から応援要請があってな。魔獣の大移動があるから受けることはないが、形ばかりでも議会が招集された。そこで当時の状況を証言するように頼まれたんだ」
セントレア王国に兵士を派遣するかどうかの賛否を問う議会。
私を失ったセントレア王国は想像以上に荒れているらしい。
建国以来、はじめてとなる魔獣による襲撃。セントレア王国内は未知の脅威に混乱と混迷を極めているそうだ。兵士は魔獣や魔物と死にものぐるいで戦っているそうだが、怪我をしても癒しと回復が追いつかないために呆気なく戦意喪失。国民は早々に国を見限り、続々と脱出しているとか。聖女も元から戦力外の能力しか持たないものや、あまりの過酷さに脱落者が出て、ほとんどが使いものにならず、神殿と王は権威が地に落ちた状態らしい。
心が痛まないのかって……痛むくらいなら最初から逃げていませんよ!
「それで審議の結果は?」
「満場一致の否決だ。応援は出さない」
「我が国の要請を断っておきながら厚顔無恥というか。なりふり構っていられなくなったのでしょう」
ジルベルト隊長は不快そうに眉を寄せ、フェレス副隊長は苦笑いを浮かべた。
でしょうね、まず時期が悪い。魔獣の大移動対策で手一杯だ。それにリゾルド=ロバルディア王国にすれば要請を二度も断っておいて、自分の国を助けてくれというのは虫が良すぎる。各国だって、今までさんざん対策が不十分だと忠告していたのに、セントレア王国は聖女の力に頼って忠告を受け流していたのだから。
それをいまさら助けてくれとはふざけるなとばかりに各国の対応も冷ややかなものらしい。形ばかりの見舞いのお手紙を出して、逃げ延びてきたセントレア国民を仕方ないので保護しているだけだとか。
リゾルド=ロバルディア王国でも見かけたな。着の身着のままで逃げ出してきたような国民に、手当てを十分に受けられず傷だらけだという兵士の姿を。すると苦い顔をしたジルベルト隊長がつぶやいた。
「……我が国に魔除けの聖女を呼ばなかったのは正解だったな」
彼の顔に失望の色がありありと浮かんでいる。どの国の認識でも、最後まで魔除けの聖女は義務を果たさなかったことになっているのだろう。表情を読ませないようにアンジェリーナは視線を下げた。
そうよ、そう思われるように立ち回った。だから決してこの話の流れは悪いことではない。自分がいなくなったあとの影響を考えて、他に選択肢はないかと悩んで、それでも選んだ道だ。後悔はしていない。だが目ざとい隊長はどこか浮かない顔をしたアンジェリーナに気がついた。
「すまない。君のことを言ったわけではない」
「大丈夫、わかっていますよ。そのとおりだと思ったまでです」
魔除けの聖女は役立たずのままでいいと思っていた。でも覚悟していたつもりなのに、ほんの少しだけ胸が痛む。過去の自分が否定されるのはつらい。表に出ていないだけで、できることはやってきたと思うから余計にだ。
できればジルベルト隊長には、そう思われたくなかったな。
彼の前では役に立つ自分でいたいのに。アンジェリーナは深く息を吐いた。でもこれ以上は、秘密に。これは一時的な感傷のようなもので、きっと時間が経てば忘れる類のものだから。ぼんやりと浮かびかけている感情に蓋をしてアンジェリーナはからかうようにニヤリと笑った。
「私を宿舎の従業員に推薦してよかったでしょう?」
「ああ。働き者だし、掃除も洗濯も食事の準備も手際がいいと料理長や寮母のエルダさんが褒めていたよ。特にジャガイモを剥くスキルは神技だそうだ」
「それは光栄ですね!」
「アンジュはどんなに忙しいときでも最善を尽くそうとする。良い心がけだ」
褒め言葉だとアンジェリーナの口元がゆるむ。ほめられるのは、うれしい。
わかりやすく輝いたアンジェリーナの表情にジルベルトは目を細めた。表情が読めないところはあるけれど、こういうときの表情はわかりやすくて素直にかわいい。頭に手を伸ばしかけたところで厨房からアンジェリーナを呼ぶ声がした。はーいと返事をしてアンジェリーナは皿を受け取る。
「お待たせしました、先に日替わり定食が一皿です。次のお皿もすぐにできますよ!」
「隊長、先にどうぞ」
「では席を探しておく」
ジルベルト隊長が皿を持ってその場を離れた。するとフェレス副隊長が近寄ってきて、そっとアンジェリーナの耳元に唇を寄せる。
「本当に無理をしていませんか?」
「もしかして元気がないように見えました?」
「ええ、どこか不安そうにしています」
この人は感情の機微に聡いから、隠していても大抵の場合は気づかれてしまう。きっと根は優しい人なのだ、鬼畜だけど。でもやっぱりこれ以上は言えない。だからアンジェリーナは今一番聞きたいことだけを口にする。
「魔獣の大移動が起きたとき、副隊長はどう行動されるのですか?」
「魔の巣窟の前で指揮をとります。今回はきっと総力戦になるでしょうから、役職についているものはほとんどが前線に配置される予定です」
フェレス副隊長は強い眼差しでうなずいた。魔獣の大移動がはじまる予兆は、たぶん私が一番真っ先に気がつくだろう。だからこそ事前に彼らがどう動くのかが知りたかった。
「……では、隊長は?」
アンジェリーナはジルベルト隊長の背中にそっと視線を向けた。広い背中、どんなに強い魔獣と対峙するときもその背中が崩れることはなかった。兵士から旗頭のように絶対的な信頼を寄せられていることはアンジェリーナも気がついている。フェレス副隊長は痛みをこらえるように、視線を同じ背中へと向けた。
「誰よりもこの国のために戦う立場にある隊長は間違いなく最前線です」
死に一番近い場所。最前線はそういう場所だとアンジェリーナは知っている。しかも今回は国が滅ぶほどの規模だ。誰よりも勇敢に戦って、きっと死ぬ気なのだろう。
――――そうはさせない。アンジェリーナは強い眼差しで彼の背中を追った。
「アンジュ。あなたは今、何を考えていますか?」
ハッとして横を向くとそこには探るようなフェレス副隊長がいた。おっと、いけない。
「なんということはありません、ただ私には何もできないのだなと思って」
しいていうのなら、彼と一緒に戦うことはできないのだなと。一度くらいは共に戦ってみたかった。するとフェレス副隊長は視線をゆるめてアンジェリーナの頭をなでた。
「あなたは優しい子ですね。誰もが他人のことよりも自分を必死で守ろうとするときに、あなたは誰かの痛みに寄り添おうとする。自分に何かできることがないか考えることは優しさ以外の何物でもありません」
「……」
「できることはありますよ。魔獣の大移動がはじまったら避難所に逃げてください。全部で三箇所ありますから、必ずそこに逃げるのです。そしてもし、緊急避難の放送が流れたら、脱出用の地下通路を使って他国の指定された施設に逃げてください。避難民は他国が無条件で保護してくれることになっているのです」
「どういう状況になったら、緊急避難の放送が流れるのです?」
「そのときになればわかりますよ」
フェレス副隊長はあいまいに笑って誤魔化した。だけどアンジェリーナにはわかる。緊急避難の放送が流れたそのときには、副隊長やアンジェリーナの知る兵士が皆力尽きたときだ。もちろん、ジルベルト隊長も。抗戦不能と判断されたときに、民は国を捨てる。
「あなたが無傷で逃げ延びること。それを隊長は望んでいます。そして……もちろん私も。あなたを守るために命をかけるなら本望です」
アンジェリーナの手にそっと触れる彼の瞳の奥に嘘はなかった。アンジェリーナの手に熱が伝わって心を揺らす。
申し訳なくて、全てを話してしまいそうだ。
らしくないとアンジェリーナは瞳を伏せる。ごめんなさい、私はあなた達を利用した。でも彼らは命をかけてまで、ずるくて嘘つきなアンジェリーナを救おうとしてくれる。アンジェリーナを信じて生かそうとする彼らの態度に義務以上の優しさを感じて、うれしくて幸せで……。
一瞬でも己が命を捧げてもいいと思ってしまった。
おかしいな、こんな情にもろい人間ではないはずなのに。アンジェリーナはひっそりと苦笑いを浮かべる。いつのまにか、ずいぶんと絆されていたらしい。
「重い話になってすみません。おや、日替わりができあがったようですね」
添えられた手の温もりが離れて皿に伸びる。アンジェリーナはほんの少しだけその温かい手に触れた。
「いろいろと、ありがとうございます」
こんな言葉しか返せない。なのにフェレス副隊長は幸せそうに笑った。
「あなたからのお礼の言葉はどんな褒賞よりも価値がある。光栄なことです」
かすかに指先を握り返して、彼は皿を受け取ると背を向けた。大丈夫だよ、きっと守ってみせる。そのためにはもっと情報を集めないと。
そして次の日、買い出しのついでに情報を集めようと町に出た。
「アンジュ、こっちだ」
差し出された手の先にはジルベルト隊長がいる。
「外出しても大丈夫なのですか?」
「国に戻ってきてから休まず働いていたので、このあたりで休ませておこうという計らいだな。今日一日は自由に過ごしていいとのことだった」
「それなら部屋でゆっくりされたほうがいいのではありません?」
「正直なところ、外出したほうが気が紛れる」
まあ、そうかもね。特務部隊が常駐する施設は魔の巣窟を中心として、ぐるりと囲むように建てられている。つまり宿舎の窓からも巣窟の様子は見えるわけで。たとえ部屋でじっとしていたとしても結局は魔獣の大移動のことを考えてしまうから休んだ気がしないのだろう。
「アンジュは買い出し以外で、どこにも行ったことがないだろう。ついでに行きたい場所があれば連れて行こうと思ってな」
「ありがとうございます!」
「この勇壮で壮大な景色も、魔獣の大移動で壊れたら見れなくなってしまうかもしれない」
思い出を探るようにジルベルト隊長の視線は遠いところを見ていた。前回の魔獣の大移動で傷ついた箇所はずいぶん修復されたそうだ。けれど見えない部分にひび割れなどの影響はまだ残っているらしい。魔獣の体当たりを食らったら、もろいところから壁が崩れてしまうかもしれない。もったいないな、そう思うと名残惜しくてアンジェリーナは中庭から砦をぐるりと見渡した。
「そういえば、あの門だけは鉄扉で閉ざされていないのですね」
蔦の陰に隠されたような第六の門があった。他の門と比べても幅広く、しかも頑丈な石を使って組まれているようだ。古びてはいるけれどしっかりとしていて、たぶん城壁や砦と同じ時代に同じ石を使って造られたもの。他の門は新しい石で補強がされているようなのに、あれだけは修繕も手付かずのような?
「私が知る限り、あの門を魔獣や魔物が使ったのを見たことはない。ただこの門は絶対に閉じるなと厳しく戒められている。だからあえて鉄扉をつけていないそうだ。修復が済んでいないのは、他の門の修理を優先した結果だな」
「閉じるな、ですか?」
「ああ、この門を閉じると国が滅ぶとまで言われている」
「そこまで……なんででしょう?」
「歴史家によると、おそらくこの門は通路の先にある遺跡の一部ではないかとのことだった。何か重要な儀式の折に使われたのだろうと」
だから閉じてはいけないと。国が滅ぶとまで言われて閉じる人はいないだろう。それにしても面白い、アンジェリーナは口角を上げた。
「その遺跡、見ることはできません?」
「もしかして興味があるのか?」
「はい、遺跡なんて夢とロマンしかないですよね!」
アンジェリーナは瞳を輝かせる。おそらくはそこにあるはずだ……魔除けの聖女にとって秘策となる何かが。するとジルベルト隊長は苦笑いを浮かべた。
「変わっているな」
「それよく言われます。で、ダメですか?」
「朽ちているところもあるので一般人は立ち入り禁止なのだが、アンジュは微妙に関係者だからな」
「そうです、そうです」
「見せてあげてもいいが、崩れやすい箇所があるから勝手な行動は慎むように」
「ありがとうございます!」
「……見せなければ見せないで勝手に一人で乗り込みそうだからな」
よくわかっていらっしゃる。浮かれた足取りでついていくと、二股に分かれた木の隙間に隠すようにして魔道具が設置されているのに気がついた。見た目からして転移の魔道具かな、しかも骨董品級の見たことがない型のものだ。
「これって魔道具を使うということは遠いのですか?」
「いや、徒歩でも三十分くらいか。本当かどうかわからないが、この魔道具は通路ができたのと同時期に設置されたものだと言われている。だが古すぎて壊れているのか、我々では起動できなかった」
魔道具の魔力を流す部位に見慣れた紋様が描かれているのを見て、アンジェリーナは口角を上げた。間違いない、たぶん私は使える。
おとなしくジルベルト隊長の背後についていくと、たしかに三十分ほどで頂上に到着したようで視界が開けた。吹きすさぶ風の音が絶え間なく響いていた。アンジェリーナの黒髪が風に煽られて勢いよく舞った。
「ここが遺跡――――通称魔獣の墓場と呼ばれる場所だ」