嵐の到来2 ※他者目線
魔除けの聖女の手当てが支給されていないだと?
考えもしなかったことだけに神官長だけでなく、グイドも言葉を失った。
神殿で聖女の任命を受けた女性には国から手当てが支給される。最低限の衣食住は神殿が保証するけれど、個人的な買い物がしたいときや家族に仕送りをするときは個人の資産から行うことが義務づけられている。この手当ては怪我などで聖女の活動が難しくなったときの補償でもあるのだから彼女達にとってとても大切なものだった。その重要な手当てが支給がされていないとは。
なぜそんなことを聞くのか、意味がわからない。ようやく自分達の関与が疑われているということに気がついて、あわてた二人は激しい口調で否定する。
「手当てのことなんて知りません、神に誓ってもいい!」
「神殿が流用したとでもいうつもりか⁉︎ まさか、そんなことがあるわけないじゃないか!」
「いいえ、念のための確認です。我々の調査でも神殿にお金が流れたという痕跡はありませんでした」
単純に気がついていなかっただけか。それはそれで責任重大だがと、ライモンド監査官は頭を抱える。トーニオ監査官は冷ややかな表情で手元の書類をめくった。
「支給担当者が聖女アンジェリーナの手当てを着服していたのです。支給されるはずの手当ては五年以上前から全く支払われておりませんでした」
「そ、そんな前から……」
「先代の魔除けの聖女がいたころは聖女アンジェリーナにもきちんと支払われています。ですが聖女アンジェリーナの代になって無能で怠惰だという悪い評判が立つようになったころから徐々に金額を減らしていったそうです。最初は単なる嫌がらせのつもりだったそうですが、やがてバレないからと味をしめたようですね。最終的には聖女アンジェリーナに支給する手続きそのものをやめています」
書類上は支払ったことにして、きちんと年度末には収支報告書まであげていたという。裏の帳簿が巧妙に隠されていたそうで、今回監査が入ってようやく判明したそうだ。
「なぜそんなことを」
「彼の理屈では聖女アンジェリーナが無能で役立たずなのが悪いそうですよ?」
聖女アンジェリーナは無能で役立たずなのでしょう?
仕事をしない人間に手当てを支払う必要なんてないじゃないですか。
担当者は悪びれることもなくそう繰り返していたという。そして同じ部署の人間も諌めるどころか見て見ぬふりをしていたのだ。巷で流れる無能で役立たずという悪い評判が罪を助長したわけだ。
「だ、だが聖女アンジェリーナには通常の聖女よりも多く手当てが支給されていたはずだ。わざわざ予算を組んでまで支給している。そこまでして、なぜ高額の手当てが支給されているのか理由を担当者が知らされていないわけがない!」
監査官は魔除けの聖女を取り巻く不可解な状況が理解できてしまった。なるほど、聖女アンジェリーナの悪い噂を放置する代わりに聖女アンジェリーナには手当てという名の高額な賠償金を支払うことで国と神殿の間で調整がついていた。たとえ世間の風当たりが強くても高額の手当てさえ与えておけば金欲しさにアンジェリーナは我慢できるとそう考えたのだろう。
ではなぜ支給担当者はこんなことをした。その理由についてライモンド監査官の回答は神官長が全く想定していないものだった。
「知らなかったそうです」
「……は、今なんと」
「ご存知ないと思いますが、前任の担当者が急に辞めたのですよ。そのせいで引継ぎが不十分だった。ですから後任の担当者は聖女アンジェリーナの高額な手当てが補償だと知らずに着服した」
「だ、だが手当ての着服そのものが犯罪行為だ、知らなかったとしても許されるわけがない。国の監督不足が招いたことだ!」
「そうですね。ですが彼はこうも言っていましたよ。聖女アンジェリーナの手当ての支給が止まれば神殿から連絡が来るはずだ。ところが問い合わせの一本もこなかった。つまり神殿もまた手当てが不要と判断しているのだと、そう思ったそうです」
神官長とグイドは沈黙した。聖女としての活動を支援するのは神殿の仕事だ。その神殿が放置していたとすれば、聖女を誰が守るのだろう。
「誰も彼も、聖女アンジェリーナに対する意識が薄すぎる。たった一人しかいない魔除けの聖女をどうしてここまで蔑ろにできたのか、調べれば調べるほど理解に苦しみます」
「ですが、手当てのことは聖女アンジェリーナから相談を受けたことがありませんでした!」
「ではお聞きしますが、相談を受けたとしてグイド神官は適切に対応できたという自信はありますか?」
「どういうことですか?」
「被害者である聖女アンジェリーナに責任を転嫁するような対応をしないという保証はあったかということです」
グイドは言葉につまる。たしかに、話を聞くまでは国の支給担当者が着服しているなんて思いもしなかった。だからグイドは間違いなく調べもせずにアンジェリーナを突き放しただろう。嘘までついて金が欲しいなんて強欲だと。
だから聖女のくせに魔女なんて不名誉なあだ名をつけられるんだ、と。
「おわかりですね。聖女アンジェリーナは相談しなかったのではなく相談できなかったのです」
グイドの顔色がますます悪くなったのを確認して、ライモンド監査官は重い口を開いた。
「我々は公平な立場で調査を行い、王に報告する義務があります。本日確認した神殿での聖女アンジェリーナの扱いを包み隠さず報告することになるでしょう」
終わった、崩れ落ちるようにグイドは膝をついた。降格で済めばマシ、場合によっては神官を解任されるかもしれない。神官としての生き方しか知らないグイドが、この先平穏無事に生きていけるのだろうか。公明正大な神官として不適格だったという負の評価を背負って……。
「報告したうえで、さらに我々は聖女アンジェリーナの捜索範囲を国外に広げることを進言するでしょう。容姿の特徴を明らかにしたうえで、他国に捜査の協力を依頼するのです」
「そんな!」
グイドが大きな声を出したのは保身のためではなかった。聖女アンジェリーナは自分の能力を正確に把握している。自分が国外に出たらこの国にどんな災いがもたらされるかを承知しているはずだ。
彼女は聖女だ、聖女が国を捨てるとは思えない。
だがグイドを見つめるライモンド監査官は訝しげに眉根を寄せて、トーニオ監査官はしらけた顔でため息をついた。心底面倒だという顔でトーニオ監査官は口を開く。
「どこまでもおめでたい人だ、あなたは」
「は⁉︎」
「聖女アンジェリーナの取り巻く環境を知ったうえで、まだ国内に彼女がいると思うのはあなたぐらいですよ。なるほど、夢みがちで他人に共感する力が乏しい。人を肩書きでしか見ないから聖女らしくないアンジェリーナ嬢を虐げたのですね」
「虐げたわけではない、そんなつもりはなかった!」
「あなたにそんなつもりはなくても関係ないのです。大事なのは聖女アンジェリーナがどう思ったかなのですよ。そうですよね、神官長。あなたなら我々の意見に異論はないはずだ」
神官長は暗い眼差しで、どこか遠い場所を見つめている。
「グイド神官、自分の身に置き換えてみなさい。聖女というのは肩書きだけで、民から無能で役立たずと蔑まれ、予定表に合わせるよう必死に働いても努力を認めてもらえず、挙げ句の果てに手当てすら出なくなった。その状況でもまだ聖女としてこの国のために尽くそうと思うか?」
「……」
「聖女アンジェリーナは自分の類まれなる能力と有用性を十分に理解している。そんな彼女にとって魔除けの聖女という肩書きは呪縛でしかない。そんな肩書きがなくても彼女は十分に生きていけるだけのスキルを身につけている。セントレア王国が彼女にこだわる理由はあっても、彼女がこの国にこだわる理由はないのだ」
だから逃げられないよう監視しておけと言ったのに。
見限られないように高額の手当てを支給せよと言ったのに。
「頼んだよと、言われていたのに……」
あきらめたような視線の先には、もしかするとおばあさまの顔が浮かんでいるのかもしれない。国ぐるみで一人の少女をいじめ抜いた、その結果がこれだ。沈黙を破るように神官長の執務室の扉が勢いよく開いた。
「神官長、神殿の前に多数の信者が詰めかけています。魔除けの聖女アンジェリーナを出せと、武器を持って鉄扉を打ち壊す勢いです!」
「時間がありませんな。早急に全てを公表すべきでしょう。魔除けの聖女が行方不明になっているという事実と、魔除けの聖女の役目についての真実を。そして民の力を借りてでも国内外をしらみつぶしに探す。それは神殿の、神官長の役目です」
「王や重鎮は理解してくださるでしょうか」
「必ず説得します……時間はかかるでしょうが」
常識を覆すことになるのだから当然だろう。でもそうでなければ国の存続が危うい。不吉な言葉を残して二人の監査官は裏口からひっそりと逃げるように帰って行った。
「私も覚悟をしなければ」
真実を知れば誰もが怒り狂うだろう。信者を騙すような人間を誰が神官長と認めるか。聖女アンジェリーナの価値を落とす。彼女を国外に出さないためには最善の策と思っていたのに。さすがおばあさまの薫陶を受けただけある。行動力が桁違いだった。
「だがきっと捕まえてみせる」
象徴である黒い髪と紫水晶色の瞳は、どんな魔法を使っても色変えができない特別な色なのだ。
調薬の聖女が作った最高級魔法薬でも色を変えられないのだから、アンジェリーナはそのままの容姿で無防備にうろついているはず。
この国が滅ぶのが早いか、それとも我々が聖女アンジェリーナを捕まえるか。
ここから先は時間との勝負だ。