1話 プレリュード
「魔王様、今この時をもって我々は貴方の配下を辞めさせて頂きます」
「は?なんじゃと?」
そう言ってのけたのは、魔王軍四天王の竜人リゾルトであった。
対するは、物々しい玉座には不釣り合いな程の紫色の長髪に、赤黒い角を持つ少女の見た目をした魔王アリアがいた。
「先代が崩御されてから10年、暴虐の限りを尽くしてきた貴女に魔王の座はふさわしくありません。ここで退場して頂きます!」
アリアは先代魔王の一人娘である。
先代魔王アインツィアスは10年前に人類の勇者によって滅ぼされ、その後の魔王をアリアが継承することとなった。
しかし、魔王を継承したアリアは魔王軍を恐怖で支配しようとした。逆らうもの、不興を買ったものは容赦なく殺し、気まぐれに無理難題を配下に下す。
諌めるものも例外なく消していったため、その愚行を正すものは減り、彼女の暴虐は止まることはなかった。
「ほう……何を言い出すかと思えば、妾を討ち取るとな?フフッ、面白いことをぬかしおる」
アリアはいつものように目の前の無礼者を排除しようと闇魔法を発動しようとするが……
「?魔法が……もしや封じられておるのか?」
ならばと傍らに置いてあった愛用の大鎌で屠ろうと考え持ち上げようとしたが。
「お、重い……いや、力が出ん」
いつもなら、強大な闇魔法で蹂躙し、数多の命を刈り取ってきた大鎌で切り裂くことも容易いが、何故かこの時アリアは力を発揮できないでいた。
「お忘れですか、魔王様。魔王の力は配下の数が増えることによって強化されていたということを」
魔王が魔王足り得るのは、ひとえに魔水晶と呼ばれる神器のおかげであった。所有者に付き従うものが多ければ多い程、いかに凡庸な魔族であったとしても絶大な力を得る。
先代アインツィアスも例外ではなく凡庸、ともすればそれ以下の下級魔族であったが彼は圧倒的なカリスマで魔王軍の支持を得ていた。
娘も同様に凡庸以下であったが、彼女は恐怖による圧政を選んだ。
年若き彼女は親の威光と受け継いだ魔水晶の力以外を持っていなかったため、それを振るう他なかったのだ。
そんな彼女が力を振るえないとすれば、原因は一つしかない。
「っ!まさか!」
アリアは玉座に置いていた魔水晶で配下の数を確認する。
[配下数:1]
残酷にも、そう表示されていた。
「配下数が1……じゃと……」
「ええ、この時の為に一年前から準備をしていました。といっても今の魔王様を慕う奴らはほとんどいなかったので、根回しも楽でしたがね」
そう言ってリゾルトは嘲笑する
「きっ、貴様ァァ!!」
アリアは小さな体で怒りのままリゾルトに向かう。
「ふん!」
ドコォ
「がふっ!」
リゾルトの拳がアリアの腹に突き刺さり、その場に崩れ落ちる。
「ふぐぅ、うぅっ……」
アリアは久しく感じていなかった痛みに体をうずくめ、涙を流す。
「貴方が今まで配下にしてきたことに比べれば、大したこと無いでしょう」
リゾルトはあまりに情けない魔王の姿にあきれはてる。
「見た目に違わず、精神まで幼子のようではありませんか。先代様の娘とはとても思えませんね」
この時リゾルトの中に魔王アリアへの畏怖も尊敬も微塵たりともなかった。
「ゆ、許さんぞ、リゾルト、うぅっ」
「許しを乞うのは貴方の方ですっ!」
ドスッ
「ごふぅ、う……お、おぇぇぇ」
二度目になる腹部への鈍痛にアリアは耐えきれず、血と胃液を嘔吐する。
「はぁ……このようなものに我々の同胞たちは殺されていったのですか……これでは、彼らも浮かばれませんね」
リゾルトはさらに追撃しようとアリアに近づく。
「はぁはぁ、っ!まっ待て、わ、妾が悪かった、許せ!」
この期に及んで上から目線のアリアに対し、リゾルトの怒りがここで限界に達した。
「っ!もう口を開かなくて結構です!!」
リゾルトはそう告げると同時にアリアを玉座に蹴り込む。
バキャッーードンッ!!
力を失ったアリアでは防ぐこともできるわけもなく、骨は折れ、背中強打する。
「カッ……ハッ…………ハッ……ヒュー」
肺を押し潰され、もはや満足に息も出来ない。
痛みと息苦しさでパニックになる。
このまま死ぬのだろうかと、思考の鈍った頭は残酷な正答を吐き出す……
リゾルトはアリアに近づき、腹を踏みつける。
「ぐぼぉっ!がはっ!」
激痛がする。
「い……嫌……じゃ……死に…………ない」
「安心なさって下さい、すぐには殺しません……」
もう、どのくらい殴られただろうか?
何度も気絶しそうになり、その度に痛みで無理やり覚醒させられる。
既に遅い後悔、怒りなどとうの昔に消えた。絶望だけが心を蝕み尽くそうとしたとき……
「ーーーアリア様、只今戻りました」
薄暗い玉座の間に扉から明かりが差し込む。
遠い昔に聞いた覚えのある声、だが誰のものかは思い出せない。
「だ……れ……?」
ーーーーーー
四天王が一人、鬼人レイズは剣士である。
彼は魔王アリアより、「おぬし一人で勇者と戦ってこい」と単騎での勇者との戦闘を命じられていた。
彼も例に漏れずアリアの魔王継承後に彼女を諌め、沙汰を下されたものの一人である。
アリアとしては勝利の見込みのない戦いで、一人の魔族の命運を尽きさせようとしたのだろう。
配下は基本的には命令に逆らえない。
逆らおうとした場合、魔水晶がそれを検知し、主人に知らせるからだ。
アリアが知れば反逆の温床は自らの手で潰すであろう。
しかしレイズはその抜け道を偶然にも知ってしまった。
「別に、期限は指定されていない」
それを知ったレイズは死に物狂いで鍛えた。先代を只の一人で滅ぼした化物を倒すには力を付けるしかなかった。
そして10年が経過し、いざ勇者に挑もうとし、あることに気づく……気づいてしまう。
「そういえば、倒してこいとは……勝利しろとは言われてないな……」
レイズは魔族であることを隠し、勇者に一度だけ立合いをしてほしいと頼み、それを以て命令の遂行となった。
「10年ぶりか……」
そんな経緯がありつつも、レイズは10年ぶりに魔王軍へ帰還することとなったのである。
ーーーーーー
「レイズ!貴方生きていたのですか!」
「ああ、リゾルトか、久しいな。ところでアリア様……は…………?」
「レ……イズ……」
玉座には見るも無惨な少女の姿があり、それが自分の敬愛する魔王アリアと気づいた瞬間。
「リゾルトォォ!!!」
誰の目にも見えない速さで、リゾルトに肉薄し殴り飛ばす。
ドコォォォォォン!!
剣を抜けば確実に殺せた。
だが、長年の修行で加速された思考は、刃がリゾルトに届くよりも先に、万が一にも自分の誤解である可能性があると判断した。
「ガッ……」
「アリア様、遅くなり申し訳ございません」
「レ……イズ」
「もう大丈夫です。今は喋らないで下さい」
思いもしなかった味方にアリアは更に涙を流す。
自分が死地に送ったはずの彼が……
後悔が洪水のように押し寄せる。
「こちらをお飲みください。人族が作ったエリクサーですが、効果は私の体で検証済みです」
「う、ん……んぐ……」
エリクサーを飲んだアリアはたちまち外傷が癒える。
「少し安静になさって下さい。その間にあちらを片付けてきます」
「う、あ」
傷は癒えたが、直ぐには喋れない。
アリア黙って見守る他、選択肢はなかった。
「腐っても元戦友だ、遺言くらいは聞いてやろう」
剣を抜く
次は確実に
目の前の敵を
殺せるように
「ごほっ、まっ、待ちなさい!理由を話します!」
リゾルトは内心驚愕していた。
かつては四天王として切磋琢磨を続けていた仲であったが、久しぶりに再開したレイズと自分の実力には彼我の差があったからだ。
「……」
「我々魔王軍は10年間、魔王様の暴虐に耐えてきたのです!貴方自信もその仕打ちを受けたのでわかるかと思いますが、逆らう者、諌める者全て!彼女によって殺された!もう魔王軍には彼女に付き従おうと考えているものは一人もいません。そちらの魔水晶を見なさい」
レイズは目線を魔水晶に向ける。
[配下数:1]
「彼女の配下はもういません!貴方が最後の一人なのです!」
「そうか……」
10年もあったのに自分がいた頃と変わらない、むしろ悪化している状況。
アリア様には終ぞ、良き理解者は現れなかったらしい。
剣を振るう
ガキィン!!
「……チッ」
「なっ!?」
「おいおい、危ねぇナァ!」
「全くですわ!今の話聞いてましたの?」
リゾルトを斬るつもりで振るった刃が止められる。
「お前らも久しいな、ジタ、ドルチェ。それで……お前らも敵か?」
凶刃を防いだのは、残りの四天王二人、狼人ジタと翼人ドルチェだった。
「俺らっつーか、お前だけまだ敵なんだよ!」
「そうですわ、貴方何を頑固になってますの?早くこちら側につきなさい!」
そうか、魔水晶に表示されているとおり、既に魔王軍の全員がそちら側という訳か……
レイズは優先順位を考える。
一番はもちろん、敬愛するアリア様だ。
二番目は……こいつらか?
いや、そう考えようとしたが、アリア様を害した者に最早何の感情もない。
思考は更に加速する。
アリア様を守るために必要なことは?
考える。
一番の脅威は魔王軍ではない。勇者“一行”だ。
勇者パーティーが相手になった場合、アリア様を守りながらの戦闘は“難しい”。
だが、今の魔王軍であれば、放置しても然程の脅威ではない。
ならば方針はひとつだ。
「……一旦話し合いに応じよう」
「おお、そうですか!」
リゾルトは歓喜する。
レイズが話し合いに応じた時点でこちらの勝利は揺るぎないと考えたからだ。
「その前にアリア様と話させてもらう」
「ああ、好きにするといい」
再びレイズはアリアの元へと寄り添う。
「アリア様、少しだけお話を聞いて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ……」
アリアの気だるい体にレイズの優しい声色が響く。
少しの不安と安堵で、今日何度目になるかわからない涙が伝う。
レイズはアリアが落ち着くまで少し待ってから話し始めた。
「アリア様、魔水晶をリゾルトに渡して下さい」
「えっ…………」
魔水晶を他者に譲渡する。それは言うまでもなく魔王の座を明け渡すということだ。
何故?
アリアは困惑する。先程まで心強い味方だと思っていたが、心変わりしたのだろうか。
わからない、わからない!
「あうっ、はっ!……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
アリアは再び息の仕方を忘れ過呼吸になる。
「アリア様、落ち着いて下さい!裏切った訳ではありません!」
アリアはすがるように魔水晶を見やる。
[配下数:1]
先程と変わらない表示。皮肉にも、配下の全員が裏切った証明と同時に目の前のレイズが裏切ってないことの証明ともなる。
「はぁ、はぁ……っ、すまぬ……」
「いいえ、アリア様が謝る必要は何もございません」
普段より虚勢を張って自分の弱さを隠していたアリアの心は既に満身創痍であった。
「残念ながら、彼らの決意は硬いようです。ですので魔王の座は諦め、我々二人でどこか遠くに逃げましょう。」
果たして魔王でなくなった自分に価値はあるのだろうか?いや、配下がいなくなった時点でどちらにせよ価値はない。
アリアはそんな感情に支配され、胸が苦しくなる。
「もう、よい。魔王でない妾に価値はない。このまま生きていても仕方ないのじゃ……」
諦める。痛いのは嫌だ、死ぬのは怖い。
だが、それ以上にもう抗えない、何も出来ない。
魔王でない自分をレイズが失望するくらいなら、せめて魔王のまま散ろう。
心身ともに疲れはてたアリアにはその選択が一番楽だった。
「アリア様」
優しく抱きしめられる。
「今までよく頑張りました」
言葉が体に溶け込んでくる。
「魔王でなくなったからといって、私の中でアリア様の価値が下がることはありません」
今まで欲して止まなかったものを彼がくれる。
思えば彼は自分のことを一度も“魔王”と呼ばなかった。幼少の頃から変わらず“アリア”とお父様と同じで、ずっと“私”だけを見ていてくれていた。
「魔王じゃなくなったら、もう、気を張る必要もありません。やりたいことをやりましょう」
やりたいこと……
魔王となって好き放題してきたはずなのに、威厳を守るため、体裁を繕うため、本当にやりたいことなんて、出来てなかったのだとようやく気づく。
「よ、よいのか?」
「はい」
「……お菓子もっと食べたいのじゃ」
「もちろん用意します」
「ほっ、ほんとは可愛いぬいぐるみとか欲しい!」
「ええ、一緒にお店を見てまわりましょう。お気に召すものがあれば買って差し上げます」
「お友達もつくって、一緒に遊びたい!」
「アリア様ならすぐにできます」
「あ、あと……本当はお父様が死んで寂しくて……夜寝るときも、いつも嫌なことしか考えられなくて……だから……だから、これからはレイズに……一緒に寝て欲しいっ!」
「お安いご用です」
魔王になってから、ずっと心の奥底に溜め込んできたものが溢れだす。
もう、胸は苦しくなかった。
「妾は……“私”は魔王を辞める!」
「ええ、お疲れ様でした」
アリアは魔水晶の所有権を放棄し、完全に繋がりを断つ。
それと同時に魔王にふさわしいようにと演じていた自分の鎖も取り払らわれる。
魔水晶は光を失い、次の所有者が現れるまで眠りについた。
「待たせたな、リゾルト」
「いえ、問題ありません」
アリアとの話しを終えたレイズはリゾルト達へ向き直る。
「聞いてたと思うが、アリア様は魔王の座を放棄なされた。魔水晶はくれてやる。だから見逃せ」
魔水晶をリゾルトへと放り投げる。
「確かに、ではジタ、ドルチェ、先の話し合い通り、私が魔水晶を使用します」
「ああ、問題ねぇ」
「もちろんですわ」
リゾルトは四天王の二人に許可をとり、魔水晶を使用する。
「おお!これが魔水晶の力!」
魔水晶は再び輝きを取り戻し、リゾルトに力を与える。
[配下数:105032]
魔水晶はレイズとアリアを除いた配下の数を示していた。
「素晴らしい、感謝しますよレイズ!」
「いや、礼には及ばん。では息災でなリゾルト、それにジタとドルチェも」
新たな魔王の誕生を見届け、レイズとアリアはその場所を後にしようとして……
ビュンッ、ドガァン!!
二人の目の前を衝撃波が通り過ぎる
「……何のつもりだ、リゾルト」
衝撃波の発生元はリゾルトによるものだった。
「何のつもりはこちらの台詞です。これは魔王を辞めたからで済む問題ではありません。元魔王様にはけじめをつけて頂かないと、配下達の怒りは収まらないでしょう!」
リゾルトはアリアを睨み付ける。
「ひぅっ!」
「けじめだと?これは交渉だ。わからなかったなら言ってやるよ。魔水晶をくれてやるから、俺達に関わるな!」
レイズは剣を抜く
「くくっ、魔水晶を渡す前であれば、それは交渉になり得たでしょうね。ですが、貴方は魔王の力を得た今の私の敵ではない!」
圧倒的な魔王の力でリゾルトはレイズに飛びかかる。同時にレイズも駆け出す。
二つの閃光は交差し……
ザシュッーーボトン
両腕が地面に落とされるーーー
竜のウロコが纏った腕が……
「ぐがぁ!ば、バカなぁぁぁ!!」
対するレイズは無傷であった。
「何故ッ!魔王の力を得た私に!!」
理解不能。
この場の誰もが魔王の勝利は揺るぎないと思っていた。
ただ一人を除いて。
「10年前だから忘れたのかリゾルト、俺がどうして帰って来たか、“何を”成してきたのかを」
「なっなにを……っ!まっまさか!勇者の……討伐っ!」
「ああ、殺してはないがな。一対一の立合いで“勝利”してきた」
先代……いや、今となっては先々代の魔王アインツィアスが勇者と戦ったときには、敗北を喫している。それも手も足も出ないほどの蹂躙であった。
さらに付け加えるのであれば、10年前、勇者は齢僅か10であり、そこから10年ともあれば人族にとっては肉体、精神ともに成熟するのに十分な年月である。
それを彼は、レイズは僅差であるが上回っていたのである。
たとえ勝利の必要がなかった命令とはいえ、無様を晒すまいと……それはひとえに彼の忠誠は誰の予想よりも遥かに高かったほかならない。
「わかっただろう?退け、そして金輪際関わるな。長く魔王を続けたいのであればな」
「くっ…………承知した……」
交渉は交わされた。
「それでは、アリア様行きましょうか」
「う、うん……レイズってこんなに強かったんだね……」
「はい、アリア様のおかげです!」
「うぅ、ごめんなさい……」
アリアは罪悪感を抱えながら、レイズはそんなことを全く気にすることなく、今度こそ二人は魔王城を後にした。
ひとまずはアリアへの危機去ることとなり、命の危険のない穏やかな日常を得た。
ただし、アリアの心に負った傷は深い。それを理解していたレイズはどれだけの時間を掛けようとも彼女の心を癒すと誓ったのであった。