第九話 隣国からのお迎え
驚いたことに、父親の説得には全く苦労しなかった。
「お父様は私とアディの結婚に反対しない」とエルザに話してはいたものの、正直なところ、私が隣国の平民と婚姻を結ぶことには好い顔をされないと思っていた。
しかし、蓋を開けてみれば、父親からの反対や苦言は一切なかった。
「マリア。歩けるようになって良かったな……。本当に良かった……」
父親は執務机に肘をついて両手を祈るように組むと、私の両足が回復したことに涙を流して喜ぶ。私はそんな優しい父親に感謝しながら、涙目で笑みを向けた。
「お父様。ありがとうございます。これも、大魔法使いアディのお陰です」
私の言葉に、父親は俯くようにして、組んだ両手に額を押し当てる。
「そうだな……。『アディ』には感謝しても感謝しきれないな……」
父親はそう言って顔を上げると、指先で涙を拭った。そして、真っ直ぐに私の瞳を見つめた。
「……マリア。これから大変になるが、覚悟はできているな?」
父親のその言葉に、私は表情を引き締めた。
「はい、もちろんです。私は平民になっても、どんな苦難にも立ち向かって見せます。ただ、出産などで、この家に里帰りすることはあると思います。その際は、私はエスカトール王国の平民として、テオドール家の限られた場所だけを出入りします。テオドール家の貴族の皆様にはご迷惑をお掛けいたしますが、どうかご容赦くださいますようお願いいたします」
私は貴族の作法に則って、父親に向かって深く頭を下げた。
「……マリアは本当に良くできた娘だな。外に出すのがもったいない。……まぁ、そもそも、テオドール家に里帰りできるかは分からぬがな」
父親は眉尻を下げて、少し困ったように笑みを浮かべる。
「……何も知らないとは幸せなことだ」
父親の言葉は嫌味のようにも聞こえたが、その表情に一切の悪意は見えなかった。私が眉間に皺を寄せて首を傾げていると、父親はすぐに話題を切り替えた。
「ところで、その……、マリアの出立の際には、『アディ』がマリアを直々に迎えにくるとオリヴィエから聞いたのだが、正しいか?」
「はい」
「いつ頃の話だ?」
「……先週アディから届いた手紙によると、確か、『シュタールの月十三日に、テオドール伯爵家に迎えに行く』と書いてあったように記憶しております。……今日から数えて、ちょうど一か月後ですね」
私がそう答えると、父親が顔を青くして椅子から一気に立ち上がった。
「なにっ!? たったの一ヵ月だと!? ……そうか!! 一ヵ月後に皇帝陛下との会談が予定されているから、それに合わせて来訪されるおつもりか!?」
「……皇帝陛下?」
私がきょとんとした表情で頭に疑問符を浮かべていると、父親は部屋から飛び出すように出て行った。
──お父様は何を慌てているのかな? お父様が皇帝陛下に謁見する予定とかち合ってしまったのなら、私からアディに日程の変更をお願いするのに。
私は一人、誰もいない父親の執務室で首を傾げた。
◇ ◇ ◇
父親への報告から一ヵ月後、ついにアディが私を迎えに来る日がやってきた。
私は伯爵令嬢らしい豪華な貴族のドレスを着て、屋敷の玄関先に立つ。
──これから平民になるのに、本当にこんな格好でいいのかな……。なんだか逆に、アディにバカにされそう……。
私は平民に下るため、侍女達に平民らしい服装の準備をお願いしたのだが、侍従長の命令で却下されたらしい。私自身も侍従長に直訴したが、「テオドール伯のご命令です」と言われ、頑なに拒否された。
また、玄関先には、屋敷の全ての使用人が集められ、遠くに見える屋敷の門まで道の左右に整列させられている。その数は優に百名を超えており、料理人まで整列に参加させられていた。まるで、貴族同士の輿入れのようだ。
──アディが驚いて帰っちゃったらどうしよう……。私、また婚約破棄されちゃうよ……。
私が玄関先で頭を抱えていると、後方から声を掛けられた。
「マリアさん、御機嫌よう」
私が後ろを振り向くと、そこには、かつて親しくしていた上級貴族の令嬢達五人が煌びやかなドレスを纏って立っていた。
「両足の全快、おめでとうございます」
令嬢達の中で最上位の公爵令嬢、クリスティーネが私に祝いの言葉を述べた。
クリスティーネはグラディスの従妹にあたる上級貴族で、イシュトヴァーン公爵家と肩を並べるハインツ公爵家の令嬢である。
帝国貴族学園に通っていた当時、クリスティーネは私をよく昼食に誘ってきた。私が将来、公爵家の一員になることを見越しての牽制ではあったが、一応、表向きは比較的仲良くしていた令嬢だ。
「ありがとうございます。クリスティーネ様」
私はかつての親し気な言葉遣いはせず、格上の公爵令嬢に対するように、丁寧に言葉を返す。すると、クリスティーネは私を見下すような視線を向けた。
「まさか、マリアさんが歩けるようになるなんて思っていませんでした。でも、せっかく足が動くようになったのに、学園に復学せずにエスカトール王国の平民になってしまうなんて、正気なのですか?」
私はそんなクリスティーネに、形ばかりの笑みを向ける。
「はい。もちろん正気です。実は、私の婚姻相手は、私の両足を治療して下さった方なんです。命の恩人と言っても過言ではありません。しかも、私のことを大切に想ってくださっているようで、そうであれば、私も生涯を捧げようと決意いたしました」
すると、クリスティーネは私の言葉を鼻で笑った。私は「かつて友人であっても、ここまで変わってしまうのか」と寂しい思いになる。
「へぇー、そういうものですか。まぁ、独り身は寂しいでしょうから良かったですわね」
クリスティーネは口元を扇子で隠しながら、後方にいる他の令嬢達に視線を向けた。
「皆さん、聞かれましたか? 今日はマリアさんの門出をお祝いして差し上げましょう。もう二度と、帝国貴族の社交界でマリアさんと言葉を交わすことはなさそうです。それに、マリアさんの綺麗なドレス姿も、今日で見納めですよ」
クリスティーネの言葉に、他の令嬢達がクスクスと笑う。皆が「お幸せに」という気持ちが入っていない言葉を口にするが、その言葉が耳に入るたびにアディがバカにされているような気がして、私の心は刺されるように痛んだ。
そう、「この人達」は、今日から平民になる私をバカにするために集まったのだ。
私は負け犬。足が動かない時は、婚約破棄された惨めな伯爵令嬢として。そして、今回は、平民に下る哀れな伯爵令嬢として……。
私は、お腹の前で組んだ手を握りしめて、怒りを必死に我慢しながら、じっと令嬢達を見つめる。すると、クリスティーネが何かを思い付いたように、私に声を掛けてきた。
「そうだ! 今度、エスカトール王国に旅行に行った時に、マリアさんにガイドをお願いしようかしら? 保養地の綺麗な別荘には飽きてしまいまして」
クリスティーネはニヤッと笑みを浮かべて上目遣いに私を見た。
「その頃には、マリアさんは色々と平民の知識をお持ちでしょう? 平民の街の面白い話を聞かせてくださる? 元伯爵家のマリアさんが、どんな薄汚い生活をしているのか、どこまで落ちぶれるのか、とっても気になりますの」
クリスティーネの言葉に、令嬢達が再びクスクスと笑った。
「あっ、でも、お手洗いや湯浴みが無い生活でしょうから、マリアさんのお身体は臭くなっているかしら? そうすると、私はとてもご一緒できないかもしれないですわね」
次に、クリスティーネは、私の後方に控えるエルザにも見下すような視線を向けた。
「そこの侍女もマリアさんに一緒に付いていくと聞きましたが、平民の狭い家に三人も住めますの? 侍女は床の上や馬小屋にでも寝るのかしら? ……あぁ、そうだ。平民の家は寒いでしょうから、その身体で、主人を温める役目をするのも良いかもしれませんよ」
エルザが歯軋りしながら、必死に怒りを我慢しているのが分かった。しかし、侍女の立場では、上級貴族に逆らうことはできない。
私はゆっくりと息を吸って気持ちを落ち着かせると、クリスティーネに深く頭を下げる。
「エスカトール王国に来られた折には、どうか私までお声がけください。臭わないように身綺麗にした上で、誠心誠意、クリスティーネ様の応対をさせていただきます」
私の言葉に、クリスティーネは満足した様子で他の令嬢の下に戻っていった。
エルザが後方から私に近付くと、声を震わせながら、小声で話し掛けてきた。
「マリア様……。こんなことになってしまったのは、私のせいです。あの時、マリア様の両足が不自由にならなければ……。本当に申し訳ございません……、私……、私っ……!」
私は、涙を浮かべるエルザの肩に手を回す。
「いいのよ。エルザは何も悪くない。私が人を見る目が無かったの。もし私の両足が不自由になっていなかったら、私は向こう側のイヤな人間になっていたかもしれない……。だから、こうして、最後に『あの人達』との縁を切ることができて、本当に良かったと思ってる」
私がエルザに小声でそう囁くと、エルザはポロポロと涙を零した。
「さぁ、もうすぐアディが到着するわよ。エルザも同行するんだから、もっとちゃんとして!」
「はいっ! 申し訳ありません!」
エルザが気を取り直したのを確認して、私は再び庭園の向こう側にある門に視線を向けた。
すると、遠くの方から、多くの馬車が近付いてくる音が聞こえる。兵士達が行進しているような足音も聞こえた。
その音が段々と大きくなってきた。馬車の音だけで考えても、その数は一台だけとは思えない。おそらく十台以上、人間の総数は数百人規模だろう。
「そういえば、お父様が、『今日はエスカトール王国の王太子と皇帝陛下の会談がある』とおっしゃっていたわね……。その行列かしら? でも、テオドール家の屋敷って、陛下の皇城に至る街道沿いにはなかったと思うけど……」
行列の先頭が門の前を通り過ぎて数分後、豪奢な装飾が施された純白の馬車が見えたところで、その進みが一斉に停止した。
私が目を凝らしてその様子を見ていると、いつの間にか父親が、門の先にいる馬車の前に跪いているのが見える。
──あれ? うちの前で馬車が止まったけど、何か不具合かな? それに、お父様はどうして、馬車の前で跪いているのかしら?
私が首を傾げていると、馬車の扉が開く。そして、王族のマントを優雅になびかせながら、一人の男性が下りてきた。
「……あれって、今日、皇帝陛下と会談する予定のエスカトール王国の王太子じゃない?」
私が目を丸くして驚いている間にも、王太子は私にどんどんと近付いてくる。そして、お辞儀をするテオドール伯爵家の使用人の間を通り抜け、私の前に跪いた。
私はその状況に固まって、言葉を失った。何度か目をこすった後、なんとか言葉を絞り出す。
「あっ……あの、どうされたんですか? ここは皇城ではなく、ただの貧相な伯爵家の屋敷ですけれども……。場所をお間違えではないでしょうか?」
すると、王太子は跪いたまま、私を見上げて手を差し出した。そして、爽やかに微笑みながら、私に話し掛ける。
「マリア、待たせたな。約束通り、迎えに来たぞ」
「……えっ?」
王太子の髪の色が金髪であったため、私は最初全く気が付かなかったが、顔つきと声、そして、話し方が「アディ」だ。
「えぇっ!? その声、アディ!? 髪の毛が金髪で爽やかな雰囲気だけど、本当にあの憎たらしくて性格が悪いアディなの!?」
すると、王太子は眉尻を下げて、困ったように笑みを浮かべた。
「言い方がひどいな。こっちが、俺の本当の姿なんだぞ」
王太子は私の目の前に立ち上がると、胸に手を当てて軽く一礼した。
「今までマリアを騙していて、すまなかった。私の本当の名は、アウグスト・ロートリンゲン・エスカトール。魔石と魔法の研究をするかたわら、エスカトール王国の王太子をしている」
アディは一人称を「俺」から「私」に変えて正体を明かすと、再び私に手を差し伸べた。
「私の妻となり、将来の王妃として、私の国民の幸せのために君の力を貸して欲しい」
私は呆然として、無言のままアディの顔を見つめる。すると、後方にいるエルザが私の背中をトントンと軽く叩いてきた。そして、私の耳元で囁く。
「……マリア様。呆然とされるお気持ちはとても良く分かりますが、王太子殿下……、アディの言葉にお答えください。アディがマリア様に手を差し伸べたまま、ずっと回答をお待ちです」(小声)
私はハッと正気を取り戻すと、アディの手を取った。
「はっ……はい! 不肖の身ではございますが、喜んでお受けいたします!」
すると、父親が私の隣に跪く。そして、恭しく頭を下げた。
「アウグスト王太子殿下。改めまして、私はマリアの父、テオドール伯爵家当主オットーでございます。帝国と肩を並べる大王国の王太子殿下に、私の娘が嫁ぐことを大変光栄に存じます。マリアは大変なお転婆娘ではございますが、どうか末永く、よろしくお願いいたします」
その言葉に、アディはニヤリと笑みを浮かべた。
「あぁ、分かっている。それも含めて好きになったんだ。全く問題ない。そんなに畏まらず、楽にしてくれ。マリアも、いつもの粗雑な言葉遣いでいいぞ? 敬語は無しだろ?」
アディの言葉に、私は顔を真っ赤にして俯いた。人前で「好き」などと言われたのは初めてだ。しかも、今まで隣国の王太子に粗雑な言葉遣いをしていたことを思い出すと、顔から火が出る思いだった。
隣でゆっくりと立ち上がる父親と一瞬目が合うが、すぐに視線を外す。
私があまりの恥ずかしさに、その場に無言で俯いたままでいると、後方から声を掛けられた。
「マリア様。最初のお二人の雰囲気からは、考えられない結果でしたな。まさかアウグスト王太子殿下と結婚されるとは。あれは犬猿の仲ではなく、運命の出会いだったのですなぁ」
私が後ろを振り向くと、オリヴィエが気の良さそうな満面の笑みを浮かべて立っていた。
「オリヴィエ先生! オリヴィエ先生はアディの正体を知っていたんですか!?」
オリヴィエはコクリと頷く。
「はい。アウグスト王太子殿下にお会いした初日に気が付きました。アウグスト王太子殿下の魔法は、エスカトールの王族しか使えない古王国時代の魔法なのです。ですから、すぐに分かりました」
その言葉にアディも頷く。
「だから、初めてここに来た日、オリヴィエを外に呼び出して口止めをしたんだ。……とはいえ、テオドール家に頻繁に出入りするようになってからは、テオドール伯へ私の正体を伝えることは許可した。不審人物ではないことを伝えないと、マリアを溺愛しているテオドール伯の怒りを買ってしまうからな」
私が父親に視線を向けると、父親は苦笑いしていた。
「お父様っ!! 知っていたから、アディとの結婚を反対しなかったんですね!! お父様の事情は分からなくはないですが、みんな、ひどいですっ!! 私は本気で、平民の妻になるつもりだったんですよ!! 本をいっぱい読んで勉強したのに!!」
私が頬をプーっと膨らませると、皆が吹き出すように笑った。アディは、そんな私の手を取る。
「マリア。平民である『アディ』を選んでくれたこと、王太子ではない私を好きになってくれたこと、本当に嬉しかった。ありがとう」
その言葉に、私が再び顔を真っ赤にしていると、アディは私の手を軽く引っ張る。
「悪いが、今から、君の国の皇帝陛下と会談があるんだ。スケジュールが詰まっているから、すぐに移動しなくてはならないんだが、一緒に来ないか?」
「えっ!?」
「将来の王妃として、マリアを皇帝陛下に紹介したいと思っていてね」
「…………」
「君はいずれ、諸国の元首との晩餐会に『賓客』として参加することになる。今から勉強を始めた方がいい」
「…………」
頭が真っ白になっている私を見て、父親がアディに近付いて進言する。
「……王太子殿下。大変申し訳ありませんが、今日のところは許してあげてもらえませんか? マリアはとんでもない度胸を持ってはおりますが、このままだと倒れてしまいそうです」
すると、アディはフッと軽く笑う。
「そうだな。……しかし、あんなに強気なマリアでも、相手が皇帝だとこんな風になってしまうのか」
アディは、固まったままの私を下から見上げる。
「……マリア。私と一緒に来るのが嫌になってしまったか?」
その言葉に私は正気を取り戻すと、首をブンブンと左右に振った。
「そっ……そんな訳ないでしょ! ワクワクしてるだけよっ!! あ~、本当に楽しみ! 王族って、どんな生活をしてるのかしら?」
私が以前の粗雑な言葉遣いでアディの問い掛けに答えると、アディは軽く笑った。
「いつものマリアに戻ったな。俺はそっちの方が好きだ」
アディも言葉遣いを崩す。
「では、行こうか。マリア」
私がアディに手を引かれながら、使用人の間を通って門に向かって進んでいくと、側方から鋭い視線が投げ掛けられているのを感じた。
「……アディ。ちょっと待ってくれる?」
「ん? どうした?」
「えっと……、今日、見送りに来てくれた『貴族令嬢の皆様』にご挨拶をしないといけないの。『平民になる』って伝えちゃったから、訂正しないといけなくて」
私の言い方に、アディは華々しいドレスで着飾った貴族令嬢達に目を向ける。
「……なるほどな。王国も帝国も、基本的に貴族令嬢のレベルの低さは変わらないな」
アディはそう言うと、私の手を放した。
私はゆっくりとクリスティーネ達に近付いていく。そして、お腹に両手を当てて、深く頭を下げた。
「クリスティーネ様。本日は、私の出立にわざわざお立合いいただき、誠にありがとうございました」
私がお辞儀をしてお礼を述べても、貴族令嬢達からの反応はない。むしろ、私をさらに鋭い視線で睨みつけてきた。きっと、王族になる私を妬んでいるのだろう。
私はクリスティーネを見て、少し困った表情を浮かべる。
「……えっと、クリスティーネ様。どうやら、私、平民じゃなくて王族になるみたいです。ですから、平民のお話はできそうにありません。申し訳ありません」
クリスティーネは相変わらず反応がない。怒りで頬が少し赤くなっているように見える。小声でかろうじて、「あなたっ……」と悔し気に言うのが聞こえた。
「エスカトール王国にお越しの際は、ぜひ王宮にお立ち寄りください。クリスティーネ様にガイドを手配し、誠心誠意、もてなすように努力いたします」
私は最後に、貴族令嬢達全員に順番に視線を向けた。
「クリスティーネ様がおっしゃった通り、私が帝国貴族の社交界に戻ることはありません。ですが……」
私はニコッと笑みを浮かべる。
「いつか、外交の晩餐会の場でお会いしましょう。皆さんと『ご挨拶』できることを、心から楽しみにしています」
私はそう言うと、スカートの両端を少しだけ持ち上げて、貴族令嬢風の挨拶をする。そして、アディの下に戻っていった。すると、アディは少し呆れたように私に声を掛けてきた。
「マリア。お前は、王族が格下の者に『挨拶をする』と言った時の意味を知らないのか?」
私は質問には答えず、アディにエスコートされたまま、しばらく無言で門に向かって歩く。そして、貴族令嬢達から十分に距離を取ったことを確認すると、アディにその意味を答えた。
「……『私の前に跪き、頭を垂れて服従せよ』でしょ?」
アディは、私の答えに軽く笑みを浮かべた。
「なんだ、知っていたのか」
「……アディが来る前に彼女達から散々イジメられたから、少しだけ仕返しをしたの。私の大切なエルザがイジメられたから、私はあの人達を許せなかった」
私はそう言いながら俯き加減になると、その歩みを遅くする。私はまだアディと正式に結婚もしていないのに、随分と身の程知らずな行動をしてしまったことに気付いた。
「……ごめんね、アディ。私、心が弱いから、アディの地位を利用しちゃった。……私のことを嫌いになったら、そう言ってくれていいからね。婚約破棄されることには慣れているから」
すると、アディは私の頭を軽く撫でる。
「問題ない。きっと、そんなことだろうと思っていたさ。俺だって、平民の魔導士として活動している時には何度もイジメを受けた。そんな時、俺は黙っていない。ましてやマリアは、エルザのために怒ったんだ。あんな仕返しでは足りないぐらいだ」
アディは私を見て笑みを浮かべながら、軽くウィンクをする。
「『使えるものは、王でも使え』。これが、我が王家に伝わる家訓だ」
私はアディの笑みに救われる思いがした。
「アディ、ありがとう。……でも私、アディの地位を利用しなくてもいいように必死に頑張って、立派な王妃になるね! 自分の足で立って、歩いて、多くの声に耳を傾けて、エスカトール王国の国民に好かれるように!」
私がそう言うと、アディは眉尻を下げて困った表情を浮かべた。
「おいおい。その心意気はいいが、最後に俺を退位させて、『マリア女王』にならないでくれよ?」
アディの冗談に、私はクスクスと笑う。
「ふふっ、なるほど。それもいいわね」
アディはそんな私の腰に手を回して、私を引き寄せながら一緒に笑った。私もアディの腰に手を回しながら、少し上方のアディの顔を見つめる。
そして、私達の顔が徐々に近付いていく……。
「……オホン! あの~、マリア様。それから、アディ様。イチャイチャはそれぐらいにしていただけませんか?」
後方のエルザが、やや呆れ気味の声で私達に話し掛けた。
「目の前をご覧ください……。王太子殿下の従者の皆様が、顔を青くしてお待ちですよ。『このままでは皇帝陛下との会談に遅れてしまう』と言いたげです。そろそろ急いで頂きませんと……」
エルザのその言葉に、私達二人は顔を見合わせて同時に叫んだ。
「「幸せすぎて、皇帝陛下との会談のことをすっかり忘れてた!!」」
王太子と伯爵令嬢らしからぬ叫び声に、エルザは眉尻を下げて優しく微笑んだ。
◇ ◇ ◇
こうして、マリアはエスカトール王国に王太子妃として嫁ぎ、後年、国王アウグスト(アディ)と共にその手腕を振るった。帝国出身の王妃でありながら、エスカトール王国で残した功績は大きく、王国が帝国を超える大国になるための基礎を築いた。
「車椅子の白豚マリア」
それはかつて、マリアが足を動かせずに屋敷に籠っていた時、領民が、姿を見たこともない伯爵令嬢のマリアをバカにする時の呼び名だった。
しかし、今は違う。彼女は自分の願いを実現した。
マリアは領民に恩返しをするために、テオドール伯爵家の長女としても領内の各地を訪問した。民衆の声に耳を傾け、父親のオットーに進言を行って、多くの改革を断行していった。
そして同時に、国王アウグストによる魔法研究の助力を得ながら、かつての自分と同じような不自由な身体を持つ人々に、国王や領主から手を差し伸べるための仕組みを作り上げていった。
「車椅子の聖女マリア様」
後にそう呼ばれることになるマリアの功績は、エスカトール王国とテオドール伯爵領で長く語り継がれた──。
【おわり】
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
後半部分の文字数が多くなってしまい、申し訳ありません!
当初はこの物語を短編として書くつもりでしたが、随分と長文になってしまいました……。
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