第七話 私が自分の足で歩きたい理由
「……っ、はぁ、はぁ……。今日も、失敗なの?」
あまりの激痛に、私は震える手で車椅子の肘掛けを握りながら、アディに問い掛けた。
「残念だが失敗だ。だが、どうして魔石が同調しないのかが分からない……。理論は完璧なはずなんだが……」
実験開始から三カ月が経過し、今日で合計二十回目の『実験』に失敗した。アディは顎に手を当てながら、私に視線を向ける。
「両足の殆どが魔力で出来ている場合は、今までの理論ではダメなのか? 今の俺の理論が、元の肉体が存在していることを前提にしていると考えれば説明がつくが……」
アディはまるで確認するように、私の前で所見を述べる。
「もしかすると、どんな魔石を使っても、お前の足を動かすことはできないのかもしれない……」
アディはそう言うと、じっと私を見つめる。
「これからも過度な激痛が続くだけの実験になる可能性が高い。加えて、これ以上の痛みはお前の精神に悪影響がある。……それでも、このまま実験を続けるのか?」
私は冷や汗を流しながら、「当然よ」と頷く。すると、アディが眉を顰め、不思議そうな表情で私を見た。
「……そこまでして歩きたい理由はなんだ? 普通の人間なら、最初の数回で諦めているぞ」
私は荒い呼吸を落ち着かせながら、車椅子にもたれるようにして、姿勢を元に戻した。そして、太腿の痛みに耐えながら、ゆっくりと口を開く。
「……公爵夫人になれなかった私は、少なくとも立派な伯爵令嬢でいたいのよ」
そう言って強がる私を、アディはじっと見つめる。私は少し深呼吸をして、話を続けた。
「私達貴族は、貴方達のような領民からの税と農作物によって生かされている。だから、私達は領民に心から感謝すると共に、貴族の義務として、領民が安心して生活できるように様々な責任を負わなきゃいけない。治安維持や軍事、経済を安定的に回すこと、最低限の生活に必要な支援をすること……」
アディは顎に手を当てたまま、私の話をじっと聞く。
「だけど、私は足が動かなくなってから、貴族としての全ての役割を失った。義務を果たせなくなった……。今の私は、領民が収めた貴重な農作物を摂取して排泄するだけの『豚』なのよ。私は、家畜以下の役立たずの『豚』……」
私はそう言いながら、視線を下げて自嘲した。
「……あれは、私が婚約破棄されてから数カ月が経った頃だったわ。屋敷の廊下でエルザが用事から戻ってくるのを待っていた時、遠くで話す侍女達の噂話が聞こえてしまったの。……テオドール伯爵領の領民は、私のことを『車椅子の白豚マリア』と呼んでいるんですって。うまく表現してると思わない? 私、秘かに笑っちゃった」
すると、エルザが私に悲痛な表情を向けるのが分かった。
「でもね、私はそんな風にバカにされていても、再び歩けるようになって、伯爵令嬢として領民に恩返ししたい。役に立たない私を、今も貴重な税と農産物で生かしてくれている領民のために働きたい。私は領地を自分の足で回って、改善すべき点を改善できるようになりたい」
それを聞いたアディが、目を細めてフッと軽く笑う。私は顔を上げて、アディを見た。
「バカ令嬢の理想の話だと思うなら、それで結構よ。だけど、その夢を思えば、こんな痛みなんか、まだまだ耐えられる。できることは全部やって欲しい。足が動くようになったら、私は約束を守る。『虹の宝玉』と『星の輝石』が国宝級であろうと、あなたに必ず譲る」
アディは私をじっと見つめると、ゆっくりと口を開いた。
「バカ令嬢などとは思ってない。正直なところ、王国も帝国も、貴族令嬢はどうしようなく低能で品の無い人間ばかりだと思っていたが、お前みたいな立派な貴族令嬢もいるんだと感心していただけだ」
私は太腿をさすりながら、まだ収まらない痛みに顔を顰めながら、アディに笑みを見せる。
「……大魔法使いに、少しは認めてもらえたのかしら?」
アディは笑みを浮かべるだけで私の問い掛けには答えなかった。そして、ソファに掛けてあった上着を手に持つ。
「じゃあ、また二日後に来るからな」
「ちょっと待って」
私はアディを睨むように見ながら、呼び止める。
「なんだ?」
「……たまには、一緒に食事でもどう?」
アディが意外なものを見るように、目を丸くして私を見る。私は、そんなアディに笑みを向けた。
「贅沢三昧の貴族料理が嫌いなら、無理にとは言わないけれど、お礼をさせて欲しいの。貴方にはとても頑張ってもらってる。だけど、私は一切の報酬を支払っていない。確かに成功報酬としての魔石はあるけれど、私は今までの貴方の仕事を認めていないわけじゃないの。だから、一緒に食事はいかがかしら?」
私の提案にアディは思案する素振りを見せると、しばらくしてニヤッと笑みを浮かべた。
「お前は本当に変わっているな。伯爵令嬢が平民と一緒に食事をしてもいいのか?」
私は軽く首を傾げる。
「逆に、どうして一緒に食事をしてはダメなの?」
「……もしかしたら俺は、お前の食事に毒を入れて殺害し、『虹の宝玉』と『星の輝石』を奪い取って逃げるかもしれないぞ? 血の契約は、契約者が生きている間だけ有効なものだからな」
私はアディの言葉を一笑に付した。
「有り得ないわね。もし本当にその気があったのなら、貴方は私の体内に入る魔石に、いくらでも仕掛けを施すことができたでしょ? それをしていないんだから、あなたが食事に毒を入れることはないわ」
私の答えを聞いて、アディが大きな声で笑った。
「面白いお嬢様だな。ぜひ食事をご馳走になるとしよう。帝国貴族がどんな食事をしているのか、正直なところ、興味もあるしな」
私はエルザに目配せで食事の準備を依頼すると、アディにソファに座って待つように伝えた。
◇ ◇ ◇
その後、アディが「実験」でテオドール伯爵家を訪問するたび、私達は一緒に食事を摂るようになった。最初はぎこちなかった食事の席も、回数を重ねるたびに和やかな雰囲気になっていく。
数か月が経ち、私やエルザがアディの無礼な振る舞いに慣れて、砕けた言葉で冗談を言い合える仲になった頃、アディは少しだけ自分の素性について教えてくれた。
アディは、大魔法使いとしては珍しく、国際魔導士ネットワーク以外にはどこの組織にも所属していないそうだ。単独で行動し、住居も森の中にあるという。そして、テオドール家に来る時は、オリヴィエから聞いていた通り、身元を隠すために転移門を使うらしい。最初の訪問時に、テオドール家の近くの森に、自分だけが使える転移門を設置したという事だった。
私は食後の紅茶を一口飲むと、カップをソーサーに戻して、アディに視線を向ける。
「アディって、意外と気さくでお喋りさんだったのね。私、アディは本当に性格が悪い生意気な平民だと思ってた」
私がニヤッとしながらアディをイタズラっぽく茶化すと、アディは驚くように目を少し見開いて、頬を赤くしながら私から視線を外す。
「……まぁ、俺に対するお前の印象は正しいと思う。俺は貴族が嫌いなんだ。それに、自分の性格が悪いのを自覚している。俺は自分のことを、我儘なやつだと思う。だから……」
アディはじっと私の瞳を見つめて、間を置く。
「……俺のことを好きになるんじゃないぞ」
その言葉を聞いて、私は「ぷっ」と吹き出すようにして大笑いした。
口元を押さえて懸命に笑い声を堪えるが、どうしても漏れ出てしまう。しかも、笑いを我慢するとお腹が痛くなり、片手で口元を押さえながら、お腹も押さえた。
視線をエルザに向けると、エルザも壁の方を向いて、私達に顔を見せないように必死に笑いを堪えていた。
「ちょっと、アディ! そんなに笑わせないでよ! ふふっ、お腹痛いっ! アディって無愛想なくせに、面白い冗談も言えるのね! ふふふっ」
すると、アディは不満そうに口を尖らせた。
「……そんなに面白かったか?」
「冗談だったら、凄くくだらなくて面白いし、本気だったら、自意識過剰なアディらしいなぁと思って。……ふふふっ!」
私はお腹を押さえて、必死に笑いを堪えながら、アディの問いに答える。そして、しばらく笑い続けた後、気持ちが落ち着いたところで、涙目のまま再度アディに声を掛けた。
「まぁ、あなたは顔が整っているし、黒髪もとても印象的だと思う。相手が平民の娘なら、引く手あまたなんじゃないかしら? 私も平民だったら、あなたみたいな男性に騙されて、惹かれていたかも? ……ふふふっ」
すると、アディは視線を逸らしたまま、頬を真っ赤にする。私は、そんなアディをじっと見つめた。
「平民はいいなぁ……。平民の男女は、直接、好きな人に思いを伝えられるんでしょ? 『あなたが好きだ』って。貴族の私にはそういうことは考えられないし、そもそも私が婚約相手に好意を抱くことは無かったな……」
私はそこまで話すと、手元の紅茶のカップに視線を移す。
「……まぁ、私みたいなお荷物、自分から『好き』って相手に伝えることができても仕方がないけどね……。たとえ平民になったとしても、歩けない私と一緒になってくれる人なんていない……」
私が寂し気な表情のまま無言でいると、アディが私に視線を向けて話し掛けてきた。
「……そんなことはないと思うぞ」
「え?」
「確かに、歩けない人間は、平民の間では労働力としての価値は低い。だが、俺のように魔法使いになれば、使うのは主に頭脳と魔力だ。歩ける歩けないは関係ない。……だから、足が動かなくても、魔法使いを目指せ。まだ人生を諦めるな」
私はアディの言葉に驚いて、少し目を見開く。
「そうね……。貴族としての価値が無くなった私には、そういう生き方もあるのかもしれない」
私は満面の笑みをアディに向けた。
「ありがとう、アディ。あなたって、意外と優しい人だったのね。見直しちゃった」
私の言葉を受けて、アディは恥ずかし気に頬を赤くする。そして、私を横目でチラッと見た。そんなアディに、私は笑みを向ける。
「……あと三ヵ月経っても両足が動かなかったら、私、平民になろうかな。お父様も反対しないだろうし」
冗談とも本気とも取れる私の言葉に、アディとエルザの二人が言葉を失った。
そんな二人を余所に、私は上機嫌に笑みを浮かべながら、アディをじっと見つめる。
「ねぇねぇ、もし私が平民になったら、私をアディの弟子、兼、お嫁さんにしてくれる? 両足は動かないけど、後方から大魔法使いアディのサポートをしたいと思うの。魔法の勉強も頑張るから、色々と教えてくれると嬉しいな」
その瞬間、部屋の空気が凍り付いた。しばらくして、アディがなんとか言葉を絞り出した。
「……おい、本気か?」
アディがたじろぐようにしていると、エルザが大きな足音を鳴らしながら、私に近付いてきた。
「マリア様っ!! 冗談が過ぎますよっ!! 私が一生ついていると申し上げたではないですかっ!! 平民になるなんて大反対ですっ!! 伯爵様は絶対にお許しになりませんっ!!」
顔を真っ赤にしながら迫るエルザを、私は両手で押さえるようなジェスチャーをして止める。
「あはは、ごめんごめん。……でもね、多分、お父様は反対しないわよ。もちろん、私のことを心配して下さってるとは思うけれども、テオドール伯爵家の子供は私だけじゃない。異母兄弟を含めて、テオドール家の子供は五人もいるんだから」
私は片手の指を全部開いて、五人の子供達を示す。
「エルザも知っての通り、当主候補者以外の子供達は、他の貴族に嫁いだり養子になって家を出ていくでしょ? だから、正直なところ、お父様にとって売れ残りの私は悩みの種だと思うの」
「そんなことは……」
エルザが悔し気な表情を浮かべた。おそらく、エルザは私が話した事に反論できないのだろう。
「もちろん、お父様は、私が平民に身分を落とすことに懸念を持つとは思うけれど、それが私の意志なら反対しないと思う。貴族の社交界において、私がこのまま婚姻を結ぶこともなく、テオドール家に居すわる方がずっと惨めな話だから……」
私は近くに来ていたエルザの手を握った。
「エルザ。いつも言ってるけど、私が平民になったら、あなたは自由になって。そして、幸せな家庭を持って」
私はエルザの手を持ったまま、ニヤッとした笑みをアディに向ける。
「まぁ、そもそもアディが受け入れてくれない限り、私がお嫁に行くことはないわ。私はそんなに自信過剰じゃないし。……足が動かなくて、仕事が何もできない我儘貴族令嬢なんて、平民の中ではきっと評価が低いでしょうから」
すると、アディが真剣な表情で私を見た。
「……悪いが、俺から見たお前の評価は決して低くない」
アディは、真っ赤な顔を片手で隠すようにして椅子から立ち上がると、ソファに掛けてあった上着を片手に持つ。
「今日もご馳走になったな。俺はこの時間がとても好きだ。……三日後に、俺が持っている中で最高級の魔石を加工して持ってくるから、期待して待っていろ」
アディはそう言い残すと、慌てるようにして部屋を出て行った。
「……マリア様。アディは本気にしているようですよ? どうなさるんですか?」
私はエルザの手を握ったまま、しばらくの間、閉められたばかりの扉を見つめていた──。