第六話 歩けるようになるための決断
「……分かりました。『実験』に参加します」
「マリア様っ!! 爆発事故が起きたらどうするんですか!? そんな危険な実験に参加するなんて、伯爵様がお許しになりませんっ!!」
叫ぶようにして私を止めるエルザに視線を向けて、私はニコッと微笑んだ。
「うん。分かってる。……だから、お父様には内緒ね?」
私は唇に人差し指を当てて、可愛くウィンクをする。そして、そのまま固まるエルザを余所に、今度はオリヴィエに視線を移した。
「オリヴィエ先生も、絶対にお父様に言わないで下さい。もともと先生がこの話を持ってきたんですから、私の決断を尊重してくださいね」
オリヴィエは諦めたように笑みを浮かべると、無言のまま頷いた。
すると、私の横で話を聞いていたアディが軽く笑う。
「お前は相当なジャジャ馬お嬢様のようだな。貴族は礼儀に厳しく育てられると聞いているが、本当なのか? 誰彼構わず、そんな風に我儘を通していたら、婚約相手のお貴族様にも愛想を尽かされてしまうぞ?」
アディが発したその嫌味に、エルザが眉間に皺を寄せて、一歩前に出ようとする。私はそれを片手で制した。
「……そうよ。あなたの言う通り、私は公爵家の令息から婚約破棄された。つまり、我儘で役立たずの私は、愛想を尽かされたのよ」
私は両手を太腿の上に置くと、言葉遣いを崩してアディの問いに答える。その理由に気付いたアディが大きく目を見開いた。
「一応、これでも昔は、伯爵令嬢らしい振る舞いをしてたのよ? 私には分不相応な『公爵夫人』になるために、一生懸命頑張ってた。……でも、この足のせいで、婚約破棄されて、友人達から見捨てられて……。私はもう、昔とは同じ気持ちではいられなくなったの」
私は言葉を詰まらせているアディを見て、にこやかに微笑む。
「あれ? もしかして、自分の言ったことに良心の呵責を覚えているの? ……ふふっ、大丈夫よ。私は今の方が幸せだもの。もう公爵夫人にはならないから気が楽だし、本当の自分を出せる。面倒な事柄から自由になった私は、全てを自分一人で決めることができるの」
私は真剣な表情でアディをじっと見つめると、少し間を置いて口を開いた。
「……だから、私はあなたの『実験』に参加する」
アディは一瞬だけ軽く笑みを浮かべる。そして、『虹の宝玉』と『星の輝石』を手に持って、ソファから立ち上がった。
「……なるほどな。お偉い貴族の事情はよく分からないが、俺にとってはどうでもいいことだ。二日後、俺の工房にある実験用の魔石を加工して、ここに持ってくる。それまでは大人しくしていろ。親に心配を掛けるんじゃないぞ」
アディが私の車椅子のすぐそばを通って、部屋の出口に向かおうとした時、私はアディの腕をガシッと掴んだ。そして、視線を合わせずに話す。
「……あなた、どうして『虹の宝玉』と『星の輝石』を持っていくの? 今すぐ、テーブルの上に戻しなさい」
その言葉に、アディは今までのどこか冷めた表情を消して、慌てて私に話し掛けた。
「おい! 『虹の宝玉』と『星の輝石』を俺にくれるんじゃないのか!? 俺はお前の両足が動かない理由を、ちゃんと魔法で解明したぞ!」
「何を言っているの。私は『見せる』と手紙に書いたはずよ。あげるなんて、一言も書いていないし、言ってない」
目を丸くするアディに、私はニヤリとしつつ、説明を付け加えた。
「ちなみに、その『虹の宝玉』と『星の輝石』には、私の血を付けて所有契約をしてあるわ。アディは大魔法使いだから知っていると思うけど、たとえあなたが『虹の宝玉』と『星の輝石』を盗むように持ち帰っても、血の契約によって、その魔石は自動的に私の手元に戻ってくる」
アディは大きく溜息を吐くと、ソファに戻って、『虹の宝玉』と『星の輝石』をテーブルの上にある小箱に戻した。
「……実験の成功、つまり、お前が歩けるようになった時の報酬は、この『虹の宝玉』と『星の輝石』だ。約束しろ。いいな?」
「もちろん、いいわ。『虹の宝玉』と『星の輝石』は元婚約者からのもらい物だもの。別に思い入れはない。……じゃあ、今後は私とあなたの関係は対等ね? これからはずっと、面倒な敬語は無しよ」
私の言葉に、アディはフッと軽く笑みを浮かべると、何も言わずに部屋の出口に向かう。そして、部屋の扉のノブを掴むと、何かを思い出したように、私の方を振り向いた。
「そういえば、お前は魔石の価値を全く分かっていないようだから、魔石を研究する魔導士として言っておく」
アディは私をじっと見つめる。
「『虹の宝玉』と『星の輝石』は国宝級の魔石だ。俺が調べた限り、その魔石は帝室が所有していたはずだが、歴代の皇帝に無能なヤツがいたようだ。何かのタイミングで、公爵家に下賜されたらしい」
そして、アディはそのまま呆れたような表情でニヤッと笑う。
「ついでに言うと、お前に『虹の宝玉』と『星の輝石』を譲ったヤツはもっと無能だ。国宝級の魔石を、結婚もしていない伯爵令嬢にプレゼントするとは。……まぁ、そのおかげで、他国の俺が『虹の宝玉』と『星の輝石』を手に入れられるのだから、そいつには感謝しないとな」
アディはそう言い残すと、扉を開けて部屋を出て行った。
「……オリヴィエ先生、これって、そんなに凄い魔石なんですか?」
私の言葉に、オリヴィエは困ったように笑みを浮かべるだけだった。
◇ ◇ ◇
「……っ!! ぁっ!! ぃゃっ、痛いっ!! 痛いっ!!」
「上半身を動かすなっ!! 我慢しろっ!! おい、そこの侍女!! こいつの身体を押さえろっ!!」
私の両足の太腿に、淡く光る二本の魔石が少しずつ吸い込まれていく。しかし同時に、私の太腿を物凄い激痛が襲った。例えるなら、刃先がこぼれた質の悪い包丁で、太腿を抉られるような痛みだ。
「マリア様っ!! 大丈夫ですかっ!?」
「……痛いっ!! ……ごめんっ、エルザっ!! 私の真横に来てっ!!」
エルザが私の真横に来ると、私は両腕をエルザの腰のあたりに回して、力の限りギュッと抱き締めた。自分の頭を、エルザのお腹のあたりに必死に当てる。
「マッ、マリア様っ!?」
「ごめんっ!! でも、一人じゃ耐えられないのっ!! お願いだから、このままっ!!」
私のお願いに、エルザも私の頭に手を回してギュッと抱きしめてくれた。
そして、約十分ほど激痛に耐えた後、やっと魔石が全て、私の両太腿に吸い込まれた。すると、跪いて魔石に魔力を注いでいたアディが、私の前に立ち上がる。
「どうだ。足は動くか?」
私は足に力を入れてみる。しかし、ピクリとも動かない。そもそも魔石を入れる前と後で、何も感覚が変わらない。魔石が入り込んだ太腿に、激痛の余韻が残っているだけだ。
私は痛みで荒くした息を隠すことなく、アディの質問に答える。
「はぁ、はぁ。……動かない」
「……そうか」
すると、アディは私の前に再度跪いて、別の魔法の詠唱を始めた。その瞬間、私の太腿から二本の魔石が一気に抜ける。
「あぁぁぅっ!!!!」
気絶しそうな程の激痛が、再び私の両足を襲った。抜け落ちた魔石が床に転がる音が部屋に響く中、私は車椅子の肘掛けを懸命に握って震えながら、俯いたまま、その激痛に耐える。私の額に噴き出していた汗が、ポタポタと太腿と床に落ちた。
「あなたっ!! もう少しマリア様のことを気遣って優しく対応できないのですかっ!? マリア様が身分差を気にするお方だったら、あなたは既に牢獄行きですよっ!!」
エルザがアディに叫びながら食って掛かる。しかし、アディはそんなことは気にしない様子で、床に落ちた二本の魔石を拾いながらエルザに答えた。
「仕方ないだろ。ゆっくり魔石を抜くと、今の痛みが長時間続くんだ。……これでも考えている方だぞ」
私は痛みに耐えるために車椅子の肘掛けをギュッと握ったまま、横目でエルザを見る。
「……エルザ、いいのよ。ありがとう」
私の言葉に、エルザは軽くお辞儀をして壁際に下がっていく。私は次にアディに視線を向けた。
「アディ……。確認だけど、今回の実験は『失敗』なのよね?」
私の問い掛けにアディはコクリと頷く。
「魔石がお前の両足と同調できなかったようだ。いわゆる、拒絶反応というやつだ」
「そう……。それで、魔石に改良を施した次の『実験』はしてもらえるの?」
私は冷や汗を流しながら、アディに問い掛ける。
「そうだな……。だが、俺は今まで多くの人間に実験をしてきたが、これほどの拒絶反応を見たのは初めてだ。ここから先の魔石の改良は、試行錯誤になる」
アディは、今までに見せたことがない真剣な表情を私に向けた。
「俺は面倒な言い回しはしない。率直に言おう」
私はまだ痛みの残る太腿に手を乗せながら、アディを上目遣いで見る。
「もし、これから先も『実験』を希望するなら、その実験の回数は数十回に及ぶ。……つまり、今の激痛をあと数十回、耐える覚悟はあるか?」
私は息を整えながら、無言で考える。しかし、すぐに答えは出た。
私はアディに向けて懸命に笑顔を作ると、口元を綻ばせた。
「当たり前よ。これからの長い人生に比べたら、『たかが数十回の激痛』が何だというの。私は毎日でも構わない。すぐに改良した魔石を用意してきてちょうだい」
私の言葉にアディがフッと笑みを見せる。そして、踵を返すと、部屋の出口に向かっていった。
「さすがの俺でも、魔石の改良を毎日行うのは重労働だ。とりあえず、また二日後に来るから、それまでは美味しいデザートを食べて、後に残る痛みを忘れる訓練でもしていろ」
アディはそう言い残すと、扉をパタンと閉めて部屋を出ていく。
その瞬間、私は全身から力が抜け、崩れるようにして車椅子から床に転げ落ちた。必死に手で衝撃を和らげたが、それでも私の全身を激痛が襲う。
エルザが急いで私の下に駆け寄ってきた。
「マリア様っ!! もうお止め下さいっ!! 私、見ていられませんっ!!」
エルザは号泣しながら私の身体を床の上に起こすと、私を必死に説得する。
「マリア様をお守りできなかったのは、私のせいですっ!! 私がマリア様の代わりに石像の下敷きになるべきでした!! 本当に申し訳ございませんっ!!」
「エルザ……」
「私が一生マリア様の側におりますから、どうか……どうかもう、足の回復はお諦めくださいっ!! 私がマリア様の足になりますっ!!」
隣で身体を支えてくれているエルザの肩に、私は優しく手を乗せた。
「エルザ。そんなことを言わないで。エルザは何も悪くない。もしエルザが石像の下敷きになっていたら、私は心から後悔してたと思う。だから、私が犠牲になれて良かった。エルザが無事で本当に良かった」
エルザは泣きながら首を左右に振った。私は、エルザの肩から腕をさするようにする。
「私のことを心配してくれて、ありがとう。……だけど、エルザの人生まで縛り付けて台無しにすることなんて私には耐えられない。だから、回復するチャンスがあるなら、それを逃したくない」
「マリア様。ですが……」
「……悔しいけど、彼の魔法は本物よ。前回、原因を探る魔法をかけられた時に分かったの。彼は間違いなく『大魔法使い』だった。だから、もう少しだけ、私の我儘を許してくれる?」
エルザは無言のまま少し間を置いて、仕方がないといった様子でコクリと頷いた。そして、私の脇の下に手を回して、車椅子に持ち上げてくれる。しかし、私を車椅子を座らせた後、エルザは私の前に立ったまま、子供のように止め処なく涙を流した。
そんなエルザに対し、私は優しく微笑んで口を開く。
「エルザ。あのね、物凄い痛みに耐えてたら、お腹がすいちゃった。ちょっと早いんだけど、食事の用意をしてくれるかしら?」
「かっ……かしこまり……ました……」
エルザが声を詰まらせながら、私のお願いに答える。私はそれを見て、言葉を続けた。
「そうそう、食事は二人分用意するように厨房に伝えて」
「……マリア様?」
「今日はエルザと一緒に食事がしたいの。私、今日は話し相手が欲しい。これは主人からの命令よ」
私がエルザを見てニコッと笑うと、エルザも涙を拭いながら笑みを見せた。
「はいっ! かしこまりましたっ!」
エルザは元気よくそう答えると、駆けるようにして部屋を飛び出していった。