第五話 原因探索の魔法
「……何だか外が騒がしいわね」
私が一階の自室から外を見ると、遠くに見える屋敷の門付近に使用人達が集まっている。会話の内容は分からないが、時折、数人が言い争っているような大声が聞こえた。
私は部屋を掃除中のエルザに声を掛けた。
「エルザ。あれは何かしら? 使用人達と誰かがもめているようだけど……」
エルザは手を止めて私の車椅子の横に立つと、窓の外を見て目を凝らす。
「……ここからだと分かりませんね。確認してまいりますので、少々お待ちください」
エルザは私を残して部屋を出ると、玄関に向かう。私が窓の外に視線を向けていると、駆け足で門に向かうエルザが見えた。
エルザは門に到着すると、何人かの使用人と会話して状況を確認していた。そして、一旦使用人の輪の中央に移動して座り込んでいる男性と会話すると、すぐに踵を返して、全速力で部屋に戻ってきた。
「マッ、マリア様っ!! 大変ですっ!!」
「そんなに急いでどうしたの?」
「だっ、だっ、だっ、大魔法使い様がおいでですっ!!」
「えぇっ!?」
手紙を出したのは一昨日のことだ。今朝もリハビリ用の部屋に魔法陣を確認しに行ったが、返信は何も届いていなかった。つまり、何の連絡もなく、いきなりの訪問である。
「男性は『月十三・星十三』を名乗っておいででした! また、『虹の宝玉』と『星の輝石』のことを話していらっしゃいましたので、大魔法使い様で間違いありません! どういたしましょうか!?」
「どうもこうも、まずは部屋にお通ししないと! でも、まだ素性が良く分からないから、本館に入れる訳にはいかないわ。とりあえず、離れのリハビリ用の部屋にお通しして! 使用人にソファとテーブルを運び込むように依頼を! オリヴィエ先生には、侍従長から連絡させて!」
「かっ、かしこまりましたーっ!!」
エルザは普段出さないような素っ頓狂な声を出すと、全速力で部屋を飛び出していった。
私は興奮に頬を紅潮させながら、車椅子を必死に動かして本棚まで移動する。そして、本の裏側に隠している金庫の扉を開けて、大魔法使いに見せると約束していた『虹の宝玉』と『星の輝石』を取り出した。
──グラディス様、ありがとうございます。この二つの魔石、利用させていただきます。
私は一人で笑みを浮かべながら、じっと二つの魔石を見つめた。
◇ ◇ ◇
「本日は、エスカトール王国から遠路はるばるお越しいただき、誠にありがたく……」
「おい。そんな挨拶はどうでもいいから、『虹の宝玉』と『星の輝石』を見せてくれないか?」
大魔法使いは非常に無礼な人間だった。
私は挨拶を突然遮られて、言葉を詰まらせる。
「……それはもちろんですが、せめて、お名前だけでも教えていただけないでしょうか? もちろん、仮のお名前で結構です」
私が車椅子に座りながら、伯爵令嬢モードの作り笑顔で尋ねると、黒髪の若い男性はソファに座ったまま足を組んだ。
「まずは、お前が本当に『虹の宝玉』と『星の輝石』を持っているかを確かめてからだ。俺を騙していたのなら、早く言ってくれ。五分以内に見せられないのなら、すぐに帰る」
その傲慢な言葉に、私は笑顔のまま顔を引きつらせた。
──なに、コイツ……。エルザと同じぐらいの若さに見えるけど、本当に噂の大魔法使いなの? 大魔法使いじゃなかったら、タダじゃおかないから!!
私は心の中で悪態をつきながら、穏やかな笑みを浮かべる。同時に、止まらない怒りを鎮めるため、太腿の上で令嬢らしく組合せていた手を、力の限りギュッと握った。
「……分かりました。少々お待ちください」
私がオリヴィエに視線を向けると、オリヴィエも困っている様子だった。彼にとっても、この大魔法使いの態度は予想外だったのだろう。同じ帝国の魔導士なら叱咤していただろうと思うが、目の前の男性は他国の魔導士であるため、そうもいかない。
私は車椅子を移動させて、部屋の端にあるテーブルに近付くと、あらかじめ魔石を入れておいた小さな箱を手に取る。そして、その小箱を持って移動すると、大魔法使いが座るソファの前のテーブルに置いた。
すると、大魔法使いは先程までの無愛想な表情を消して満面の笑みを浮かべ、前のめりの姿勢で、小箱から二つの魔石を手に取った。
「おぉ、これが『虹の宝玉』と『星の輝石』か!」
大魔法使いは子供のように目をキラキラとさせながら、魔石のブローチを顔の前に掲げて、その中を懸命に凝視する。
「これは凄い……。この魔力は、古王国時代に込められたものじゃないか。……ん? これは普通の魔力じゃないな。古王国の魔力であることには変わりないが、魔力がどんどん溢れ出してきている……。どういう仕組みなんだ?」
「あの……」
「表面のこれは防御結界か? これを解除して加工するにはどうしたらいいんだ? ……俺の魔力を共鳴させればいけるか?」
「すみません。私の話を聞いていただけますでしょうか……」
「この星の粒は精霊の力の結晶みたいだな。でも、どうやって石の中に閉じ込めたんだ? 古王国の魔力の海に精霊の力を浮かべるなんて、すごい技術だ。当時はこんなことができたのか……」
「あのっ、少しだけでも私の話を……」
「凄すぎるな。この魔石、思った以上に古いものだ。千年以上前のものか? 魔道具に加工したら凄い代物になりそうだが、貴重すぎて加工は難しいかもしれない……」
…………。
…………。
…………。
私は静かに、車椅子を大魔法使いのソファの横まで移動させる。そして、大きく息を吸った。
「いい加減に、私の話を聞けぇーーっ!!」
私はキレた。伯爵令嬢の仮面を捨て去ると同時に、車椅子の肘掛けをバンッと勢いよく叩く。エルザとオリヴィエが、同時に額を押さえるのが見えた。
「…………」
無言のまま、唖然とする大魔法使いに、私はビシッと人差し指を向ける。
「そもそも、あなたは誰なのよ!? 平民なの!? 貴族なの!? あなたは噂の大魔法使いなのかもしれないけど、失礼すぎるわよ!! ここに来たのなら、せめて名前ぐらい名乗りなさい!!」
「……相変わらず、貴族の令嬢は騒がしいな」
私は車椅子から必死に手を伸ばして、胸倉を掴む代わりに、大魔法使いの腕を手前に強く引っ張った。すると、エルザが慌てて、私を止めに来る。しかし、私は鼻息荒く男性に食って掛かった。
「私は約束を守ったでしょ!? 魔石をあなたに見せた。あなたも、その魔石を『虹の宝玉』と『星の輝石』だと確認したみたいじゃない。だったら今度は、私の質問に答えなさいよ!!」
エルザは、オロオロと私の周りを動き回る。一方、オリヴィエは額に手を当てたまま、首を振って軽く溜息を吐いた。
すると、大魔法使いは諦めたように、魔石を一旦テーブルの上の小箱に戻す。
「俺が本名を明かさないことは知っていると思うが、……そうだな、『アディ』ということにしておこう。俺のことは『アディ』と呼べ。俺はエスカトール王国の平民だが、国際魔導士ネットワークのメンバーだ。そこそこの地位はある。……これで満足か?」
私はアディを睨むように見ながら、掴んでいた彼の腕を放す。
「……それで、『虹の宝玉』と『星の輝石』のことを知っているということは、私の依頼文も読んでくださったのかしら?」
私は言葉遣いを伯爵令嬢らしいものに戻した。
「あぁ。俺は届いた手紙は全部読んでいる」
「え? そうなのですか? 全部は読まないものと……」
「意外だったか? 何通か読んだところで、『虹の宝玉』と『星の輝石』と書かれた変な封書を見つけたから、すぐに中身を確認して、ここに来たんだ」
「……では、私の両足のことも?」
私は作り笑顔を浮かべて、アディに尋ねた。
「まぁ、読むには読んだが……。俺は医者じゃない。そもそも、どうして俺に治療を頼んできたんだ?」
私がその言葉を受けてオリヴィエに視線を向けると、オリヴィエは困った表情で近付いてきた。そして、アディにその理由を説明する。
「初めまして。私は帝室魔導評議会のオリヴィエと申します。評議会のメンバーから『月十三・星十三』の魔導士……アディ様が、歩行困難だった多くの人々の症状を改善させたと聞きまして、マリア様を通じて、今回の依頼をさせていただきました」
「あぁ、なるほどな……。そんな噂が流れているのか」
アディはソファに座ったまま、高慢な雰囲気で再び足を組む。
「オリヴィエと言ったな。その噂は本当ではあるが、同時に事実ではない」
「……どういうことでしょうか?」
「俺が魔法で分かるのは、その病状や症状を引き起こしている原因だけだ。その原因を取り除けば、当然、病気は治癒し、症状は軽快する」
「……原因が分かるですと?」
オリヴィエは小声でそう呟くと、顎に手を当てる。
「そのような奇跡の魔法、帝国では聞いたことがありませんな……。エスカトール王国の魔導士の知り合いも、そんな魔法の話は一言も……、いや、そういえば古王国時代の文献に……」
その瞬間、オリヴィエが目を見開いてアディを見つめた。
「まさか、あなたは……」
すると、アディがオリヴィエをじっと睨む。
「オリヴィエと言ったな。ちょっと部屋を出ろ。……話がある」
その言い方に、私はカチンときた。車椅子の肘掛けをバンッと叩く。私の口調は、再び粗雑なものに変わった。
「あなたね! オリヴィエ先生は帝国でも上位の魔導士なのよ! 魔導士の中の貴方の実力や評価は知らないけど、年長者にもうちょっと敬意を払ったらどうなの!?」
私が車椅子に座りながらアディをキッと睨むと、オリヴィエが私に近付いてきた。
「マリア様。お気になさらずとも大丈夫です。問題ございませんので」
「だって! コイツ!……いえ、アディの言い方には我慢なりません! たとえ、私がこれから頭を深く下げて治療を依頼するにしても、私は絶対にオリヴィエ先生への無礼を許しません! 身分以前の問題です!」
私の言葉に、アディはフッとした笑みを浮かべる。
「さっきから、なかなか骨のあるご令嬢だな。……だが、俺はオリヴィエに用があるんだ。お前じゃない」
アディはソファから立ち上がって部屋の出口に向かう途中、オリヴィエに目配せする。すると、オリヴィエは私に一礼して、その後に続くように部屋を出ていった。
「……急になんなの。それにオリヴィエ先生も、どうしてアイツの言うことなんか聞くのかしら……」
私がエルザの方に車椅子を向けてそう話すと、エルザは困ったように苦笑する。そして、「魔導士同士の関係は良く分かりませんね」と、眉尻を下げながら小声で言った。
しばらくして、二人が部屋に戻ってきた。
「待たせたな。オリヴィエと話して、お前の事情は分かった。お前を診てやろう」
その尊大な言葉に私は再びアディを睨んだ。すると、アディの後方で、オリヴィエが懸命に片手を使って、気持ちを押さえるように促すジェスチャーをする。「アディに逆らってはならない」ということなのだろう。
「……ありがとうございます。よろしくお願いいたします……」
私は顔を背けたまま、口を尖らせてアディに診察をお願いする。すると、アディは私の車椅子の前に座り込んで、スカートを一気に捲り上げた。
「……ぁ、ぇっ?」
私がスカートを捲られたまま、変な声を漏らして絶句していると、エルザがアディに慌てて近付いて、その手をスカートから引き離した。
「あなたっ!! マリア様に、なんてことをするんですかっ!!」
「……だって、捲らなきゃ診れないだろ?」
「マリア様っ!! 私、この人を思い切り殴ってもいいですか!? 平民ですよね!? 無礼が過ぎます!!」
エルザは顔を真っ赤にしたまま、私に叫ぶようにして許しを請う。しかし、ここでアディを殴ってしまったら、もう私の足を診てもらうことは叶わないだろう。
「エルザ……。ごめんなさい。私はエルザとまーったく同じ気持ちなんだけど、オリヴィエ先生の顔を立てると思って、どうか今は怒りを鎮めてちょうだい」
私は両手を握りしめながら、自分自身も必死に怒りを鎮める。その様子を見ていたエルザは、主人よりも先に怒りを爆発させてしまったことを恥じ、顔を真っ赤にしたまま、壁際まで後ずさりした。
「アディ。そのまま続けてください。……ただ、スカートは、私が自分で捲ります」
私はスカートを持つと、膝頭が見えるところまでスカートを捲り上げた。
すると、アディは私の膝の部分に両手をかざした。
「ラヴァエル!」
アディが魔法を詠唱した瞬間、私の両足に未知の魔力が流れ込んだ。
──えっ? うそでしょ……? 両足に魔力が入ったのが分かる。いつもは両足に何も感じないのに、今は足全体に感覚がある……。
アディの魔法は本物だった。足をめぐる魔力が、私が数か月前に失った神経の感覚を蘇らせた。
その魔力は足先と太腿の間を往復するように動くと、膝頭から再びアディの手に吸い込まれるようにして戻っていった。その瞬間、私の両足が死んだように感覚を失う。
アディが車椅子の前で立ち上がるのに合わせて、私はスカートを元に戻した。そして、怖いものを見るように、アディを上目遣いに見上げた。
「あの……、何か分かりましたか?」
私は弱々しい声で、アディに尋ねた。
「あぁ、もちろんだ。俺の魔法は失敗することが無いからな」
私はその言葉を聞いて、車椅子に前のめりになる。そして、必死な形相をアディに向けた。
「私の両足が動かない原因は何なのでしょうか!? この両足は治せるのでしょうか!?」
すると、アディは苦笑しながら私を見た。
「先程とは随分と態度が違うな。礼儀正しい貴族のお嬢様」
その言葉に、私は唇を噛む。自分の中で怒りの感情が一気に高まるのを感じたが、なんとかそれを押さえ込んだ。エルザを見ると、私と同様に、握りしめた手を震わせながら懸命に我慢していた。
私は車椅子に座ったまま、可能な限りアディに頭を下げた。
「……今までの無礼、誠に申し訳ございませんでした。実際に貴方の魔力を両足に感じて、確かにそれが本物だと分かりました。どうか私を助けてください。お願いします」
私がアディに必死に懇願すると、アディはしばらく無言になる。そして、深く頭を下げたままの私を無視してソファに向かうと、ドカッとソファに腰掛けた。
私が頭を下げたままじっと耐えていると、アディが後方から私に話掛けてきた。
「……今のお前の両足は、お前のものじゃない。それが足が動かない原因だ」
「えっ?」
その言葉に、私が顔を上げて車椅子を回転させると、アディは説明を続けた。
「その両足、魔法で作り上げているだろう? 実体がない。自分の足はどうした?」
私はアディから視線を外して俯くと、事故当時のことを話す。
「手紙には書いていなかったかもしれませんが、おっしゃる通り、私の両足は再建魔法によって蘇らせたものです。元の両足は石像に潰されて、見るも無残な姿になってしまいました……」
すると、アディが私の話を受けて、フッと笑みを浮かべた。
「やはりな。簡単に言うと、今のお前の両足には命がないんだ。たとえ血液が流れていたとしても、その足は肉体ではなく、魔力の結晶だ。だから、肉体としての命令を受け取ることができないでいる」
私は車椅子を動かして、アディが座るソファに近寄った。
「あのっ!! それは、どうやったら治せるのでしょうか!?」
私が興奮しながらアディに質問すると、アディは手の平をこちらに向けて制止するような仕草をした。
「残念だが、俺が分かるのはここまでだ。治療方法は分からない。……そもそも、また動くようにできるものかも分からない」
私は興奮して胸の前に上げていた手を、太腿の上に静かに下ろす。
「……やはり、そうなのですね……」
私は太腿の上に下ろした手をギュっと握りしめる。大魔法使いによる治療は見込めそうにない。そろそろ潮時だろう。
私はアディに深く頭を下げた。
「……遠路はるばる、ありがとうございました。足が動かない原因が分かって、心がスッキリとしました。どうかお帰りは気を付けて……」
私がそこまで言うと、アディが何かを思い付いたように、突然ソファから立ち上がった。そして、私の下に近付いてくる。
「お前、俺の実験に付き合う気はあるか?」
「え?」
私が呆気に取られていると、私の後方からオリヴィエがアディに話し掛けた。
「アディ様。せめて、どのような実験をなさるのか、マリア様にご説明いただけないでしょうか? 今の話だけでは、マリア様は何も決断することはできませぬ」
すると、アディが軽く笑うようにオリヴィエに言葉を返した。
「なに、簡単なことだ。お嬢様の両足に、神経の命令を魔力に変換する魔石を埋め込んでみたい。両足がほぼ魔力で出来ている人間なんて、魔法が使える貴族階級ぐらいしかいないからな。なかなか面白い研究材料だ」
オリヴィエは表情を固めたまま反応しない。私とエルザも返す言葉が見つからなかった。その雰囲気を感じ取ったアディが説明を付け加える。
「大丈夫だ。魔石を埋め込んで死んだ者はいない。……ただ、どんな副作用が出るかが分からないのと、理由は不明だが、暴走した魔石が突然爆発する事故が考えられる。今のところ、その事故が三例ほどあった。その者達は魔石を埋め込んでいた部分を失ったが、今も生きているぞ」
アディの発言に、その場の全員が言葉を失った。大魔法使いが人体実験をすることは分かっていたが、初めて聞く実際の事故の話に、私は息を呑む。
「俺の研究テーマの一つが『魔導肢体』なんだ。そのために、足が不自由な者たちに魔石を埋め込んで、その副作用の研究している。どうだ? 参加するか?」
オリヴィエとエルザが私に視線を向けた。
私は難しい選択を迫られた──。