第四話 「月十三・星十三」の魔導士への手紙
「手紙かぁ……」
私は自室のテーブルに頬杖を突いただらしない姿勢で、ハァッと大きな溜息を吐いた。
先程聞いたオリヴィエの話によれば、大魔法使いに直接連絡を取ることはできないそうだ。
大魔法使いは、転移門を使って諸国間を瞬間移動している。魔導士ネットワークには所属する国を明かしてはいるものの、居住場所の詳細は隠しているということだった。確かに大魔法使いが住んでいる場所を明かしてしまうと、多くの人々が治療を求めて押しかけるのが想像できた。
『そのため、大魔法使いの治療を受けるには、まずは魔導士ネットワークを使った手紙で、自分の素性と病状を伝えなくてはなりません』
また、オリヴィエによると、手紙を送る際の注意事項もあるらしい。
オリヴィエの知人の魔導士が言うには、大魔法使いの下には大量の治療依頼が届くため、送った手紙を必ず読んでもらえるとは限らないそうだ。手紙を読んでもらうためには、手紙に工夫を凝らして、他の手紙よりも目立つようにしなければならない。
『ちなみに、大魔法使いのお名前は何というのですか?』
私が大魔法使いの名前を尋ねると、オリヴィエは眉尻を下げて、困った表情を浮かべた。
『大魔法使いは、本当の名前を明かさないのです。常に偽名を使っております。そのため、手紙の中で相手に呼び掛けたい時は、『大魔法使い様』とお書きください』
これもどうやら、大魔法使いの下に直接押しかけてくる人々を避けるためだそうだ。世の中、名前から正体がバレてしまうことは十分に考えられる。そのため、大魔法使いの事情を慮れば、仕方がないと割り切るしかなかった。
私はテーブルに頬杖を突きながら、二度目の大きな溜息を吐く。
「……大魔法使いに私の足を診てもらうまでの道のりは、とても険しそうね……」
私はオリヴィエの説明を何度か反芻した後、車椅子に座る姿勢を正して、胸の前で腕を組んだ。
──大魔法使いに手紙を読んでもらうには、どういう工夫をしたらいいのかな……。
私は、忙しなく部屋の掃除をしているエルザに視線を向ける。
「ねぇ、エルザ。掃除はもういいから、ちょっとこっちに来て、私と一緒に手紙のことを考えてくれない?」
エルザはベッドのシーツを新しいものに取り替えながら、困った表情を私に向けた。
「マリア様。そういう訳には……」
エルザがやんわりと私の要求を断るが、私は諦めない。私は仕事中のエルザの近くに車椅子を移動させると、ベッドの上にいるエルザのメイド服の裾を引っ張った。
「お願いっ! 私にはエルザしか相談できる人がいないの! 掃除が中途半端になっちゃうのが気になるのかもしれないけど、ベッドのシーツとタオルが交換されていれば、私はそれで十分だから」
私の我儘に、エルザは軽く溜息を吐く。そして、シーツを交換する手を止めてベッドから下りると、ベッドの前に立ち、私に向かって深く一礼した。
「かしこまりました。マリア様」
エルザは再びベッドの上に戻って、手際よく私のベッドのシーツを取り替える。それを見届けた私は、エルザに謝罪するように手を合わせた。
「ごめん、エルザ。お茶を二人分、用意してくれる? お茶菓子は、エルザの食べたいお菓子でいいから」
エルザは私の言葉に、ニコッと笑みを浮かべる。そして、急いで給湯室に向かい、紅茶カップ二客とガラス製のポット・沸騰したお湯・お茶菓子を持って戻ってきた。
エルザは、いつも通り、慣れた手付きで紅茶ポットの準備を終えると、私の前にある紅茶カップに熱い紅茶を注ぐ。その瞬間、ほんのりと漂っていた紅茶の香りを上書きするように、フレーバーな香りが周辺を満たした。
「相変わらず、良い香りね~。エルザは本当にお茶を淹れるのが上手」
「恐れ入ります」
エルザは照れながら紅茶を淹れ終えると、テーブルを挟んで、私の正面に座った。
「それじゃ、今から戦略会議を始めるわね」
私は移動魔法を使って、本棚からメモ代わりの紙を手元に移動させる。そして、テーブルに置かれていたペンを手に取った。
「エルザは、どういう封書をもらったら開封したくなる?」
私の質問にエルザは人差し指を顎に当てる。
「そうですね……。『給金』と書かれた封筒は、すぐに開封して中身を確認したくなりますね」
「……それ、手紙じゃないでしょ?」
私が軽く笑うようにして指摘すると、エルザは顔を赤くした。そして、照れ隠しをするように、すぐに次の「開封したくなる封書の候補」を出す。
「あとは、両親からの手紙でしょうか。私はずっとここに住んでいて、両親と顔を合わせることができないので、二人の様子がいつも気になるんです」
エルザは紅茶カップをじっと見つめながら、俯き加減で話した。私はそれを聞いて、少し胸が痛くなった。
「エルザ。私のお世話ばかりさせてて、本当にごめんね……。もし都合がつけば、今度、里帰りしてくるといいよ。私はこれでも、一週間ぐらいなら一人で生活できるから」
すると、エルザが目を見開いて、胸の前で両手を左右にブンブンと振った。
「もっ……申し訳ありません! そういうつもりでお話した訳じゃないです! どうか気になさらないで下さい!」
慌てるエルザを見て、私は優しく微笑む。
「いいのよ。私はエルザには幸せになって欲しいと思ってるの。歳もそんなに離れていないから、本当はもっと気さくに話して欲しいんだけど、立場上、そういう訳にもいかないのかな? 私は、エルザのことをずっと、『頼りになるお姉さん』だと思ってるよ」
「マリア様……」
「なんなら、良い男性を見つけたら、結婚してもいいわよ。私、エルザの結婚式に出席するね! ……あ、私は婚約破棄された縁起の悪い車椅子令嬢だけど、参列してもいい?」
私の言葉に、エルザはこれ以上ないぐらい顔を真っ赤にする。
「も~っ! 一体何の話ですか! 私には、そんな人はいませんっ! 今は手紙の話じゃなかったんですかっ!?」
エルザはそう言いながら、照れを隠すように両手で顔を覆った。その仕草がとても女の子っぽくて、可愛らしい。
「ごめん、ごめん。じゃあ、本題に戻るね」
私はペンをテーブルの上に置くと、再び胸の前で腕を組む。
「エルザの『相手の気持ちに訴える』っていうアイディアは凄く良いんだけど、大魔法使いはどこの誰かも分からない人だから、両親とか、人情に訴えるのは難しいかな」
「そうですよね……」
私達二人は、しばらくの間、「う~ん、う~ん」と唸りながら考える。しばらくして、私は一つの案をひらめいた。
「ねぇ、エルザ。色で攻めてみるのはどうかしら。手紙を真っ赤な封筒で出したら、大魔法使いに読んでもらえると思わない?」
私がエルザにそれを提案すると、エルザが小さく手を上げた。
「はい! エルザさん!」
「個人的な意見で恐縮なのですが、そんな気味の悪い手紙をもらったら、私は怖くて開けられません……。そのまま焼却処分にします」
…………。
…………。
「……そうね」
私は即座にエルザの意見に同意した。目立てば良いというものではない。悪目立ちすれば、中身を読まれずに廃棄されてしまう。
私が「う~ん、う~ん」とさらに唸っていると、エルザが再び手を上げる。
「はい! エルザさん!」
「オリヴィエ先生によると、大魔法使い様は相当な変わり者で、研究熱心とのことですよね?」
「うん、そうらしいわね」
「でしたら、大魔法使い様が興味を持つような貴重な素材や魔石など、希少品の存在が封筒を見ただけで分かるように工夫してはいかがでしょうか? 『テオドール伯爵家に来れば、その実物を見ることができますよ』と」
…………。
…………。
……なるほど。
「エルザ、天才! それだ!」
私はエルザがどんどん提示してくるアイディアに感心する。エルザは普段無口だが、私よりもずっと賢いのかもしれない。逆に、私は勢いは良いものの、頭の固い令嬢なのだと秘かに落ち込んだ。
「マリア様。何か、世にも珍しい魔道具などをお持ちではないでしょうか?」
私は頬に人差し指を当てて考える。
「そういえば……」
以前、グラディスと婚約した際、公爵家から相当な価値のある対の大きなブローチをプレゼントされたはずだ。使われている石が、魔力を封じ込めた特殊な魔石で、殆ど手に入らない珍しいものだと聞いたことがある。
「グラディス様からプレゼントされたものなんだけど、『虹の宝玉』と『星の輝石』という魔石のブローチがあるわ。見た目がとっても綺麗なの。虹の宝玉は靄のようなものが七色に色を変えながらゆらめいていて、星の輝石は、吸い込まれそうな漆黒の闇に、小さなキラキラした粒があるの」
私はブローチのデザインを思い出しながら、エルザに説明する。
「それなら、大魔法使いの気を引くことができるかしら?」
私の話を聞いて、エルザが言葉を失った。
「……あの、マリア様。最終的に、それらの貴重なブローチを手放す必要があるかもしれないのですが、よろしいのでしょうか?」
エルザが恐る恐る私に尋ねる。
「え? 別にいいわよ。どうして、そんなことを聞くの?」
私がきょとんとした表情で軽く答えると、エルザは額を押さえて首を軽く振った。
「……マリア様は、本当に変わったお方ですね。私でしたら、元婚約者からのプレゼントとはいえ、将来の公爵様から頂いたものを他人に譲ることは考えられないのですが……」
エルザの言葉に、私は首を傾げた。
「そう? 婚約破棄されたんだから、もう要らないかなって思ったんだけど。別に思い入れとかないし……。私って非常識かな?」
すると、エルザはプッと噴き出すようにして、頬を赤くしながらクスクスと笑い始めた。とてもおかしいようで、しばらくお腹を押さえて笑い続けている。
「……ふふっ、申し訳ありません。さすがマリア様です。その前向きさと純粋さ、本当に感服いたしました。今となっては、赤の他人からもらった縁起の悪い物は、厄払いのためにさっさと処分してしまうのが良いですね」
「……いや、そこまでは言ってないけどね」
私がエルザの言い方に苦笑すると、エルザはさらに涙を流して笑った。
とりあえず、大魔法使いを釣る『エサ』は決まった。私は文面の作成に取り掛かる。
私は自分の素性を簡単にまとめると、両足の状態、その状態に至った事故の経緯、動かない両足を治療して欲しい旨を書いていく。もちろん、帝国のテオドール伯爵家の長女であることは明かしたが、報酬面で変な期待を持たれないように、私の相続権は既に失われていることも記載した。
手紙を封筒に入れると、宛名を書く面の端に、「テオドール家には『虹の宝玉』と『星の輝石』という希少な魔石があります。こちらまで来ていただけるのでしたら、ご覧いただくことができます」と大きな字で書いた。
「これで、よし。……読んでもらえるといいな」
私は、ビンから赤いシーリング用の封蝋を取り出す。
そして、蝋の芯に火をつけると、手紙の封の部分に溶けた蝋をポタポタと垂らした。次に、蝋が固まらないうちに、伯爵家の紋章の入った印璽をギュッと押す。
これで、信書の完成だ。
「エルザ。オリヴィエ先生は明日は来る予定かしら?」
「はい。明日もリハビリがありますので、オリヴィエ先生はお越しになります」
「そう。じゃあ、その時にオリヴィエ先生に手紙の送付をお願いしましょう」
私は手紙をテーブルの上に置くと、少しでも大魔法使いに読んでもらえるように、自分のお気に入りの香水を手紙に噴霧した。
◇ ◇ ◇
「オリヴィエ先生。手紙の宛名は、なんて書けば良いのでしょうか?」
私の質問に、オリヴィエが顎髭をさすりながら答える。
「魔導評議会のメンバーに確認したのですが、大魔法使いを示す番号は『月十三・星十三』だそうです。ですから、宛名としてその魔導士番号を書いておけば、送付に問題はありません」
「『月十三・星十三』ですか……。そこに何か意味はあるのでしょうか?」
エルザも同様の疑問を持ったようで、壁際の侍女が控える場所から、オリヴィエに視線を向けた。
「意味はございません。魔導士が正体を隠すための記号のようなものです。先日も申し上げました通り、魔導士が本名を明かすと様々な依頼が殺到いたします。しかし、同時に、殺される危険もあるのです。そのため、普段は正体を隠しております。私のように、公の地位に就いている者だけが、身元を明かしております」
「なるほど……」
私は封書の宛名として、『月十三・星十三』と書く。
「マリア様。それでは、手紙を送付いたしますので、少々お時間を頂けますかな?」
「え?」
私がオリヴィエの言葉に驚いていると、オリヴィエは手紙を絨毯の上に置いて、その手に魔法の杖を持った。そして、杖の先を手紙に向けると、魔法を詠唱する。
「リーゼ・シトルフェン」
その瞬間、手紙の下に輝く魔法陣が現れる。魔法陣がゆっくりと回転し始めると、手紙は光りながら、回転する魔法陣に吸い込まれるように消えた。
「……すごい。私、魔法で手紙を送るところを初めて見ました」
エルザも両手を口元に当てて、目を見開いて驚いている。
「おや、そうでしたか。確かに、この魔法は魔導士間の手紙のやりとりでしか使いませんから、見たことがある人間は限られるかもしれませんな」
オリヴィエは、いつもの気の良さそうな優しい笑顔を私に向けた。
「ちなみに、このままだと返事が私の下に届いてしまいますので、マリア様のリハビリ用の部屋に戻ってくるようにしておきましょう」
オリヴィエは、部屋の端にあるテーブルに向けて、魔法の杖を軽く振る。すると、小さなゆっくりと回転する魔法陣が現れた。その魔法陣は、消えることなく淡い光を放っている。
「あとは、ここに返事が来ることを祈るだけです」
私は車椅子を移動させて、淡く光る魔法陣の近くに寄ると、胸の前で祈るように手を組んだ。
「どうか、大魔法使い様から返事が届きますように!」
小さな子供がプレゼントをお願いするような私の祈りを聞いて、オリヴィエがさらに笑みを深めた。