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第二話 悲劇的な事故を乗り越えて

 私は本を読むのが好きだ。魔法・政治経済・歴史・心理学・料理など、ありとあらゆる分野の本を読み、その知識の海に身を置くことで、この上ない幸せを感じる。


 ……あれは、婚約破棄される約一か月前のことだった。


 私はいつも通り、貴族学園の昼休みを知らせるチャイムの音と共に、教室を飛び出すようにして図書室に向かった。


「こんにちは。何か面白い本はあるかしら?」


 私は図書室に入って早々、馴染(なじ)みの司書にお薦めの本を尋ねる。すると、彼女は私の質問を予想していたかのように、入荷したばかりの新刊を受付台に置いた。


「新しく出た歴史書ですが、きっとマリア様のお気に召すと思いますよ」


 私は目の前に出された新刊を手に取る。私が本を持ちながら笑みを浮かべていると、司書は説明を付け加えた。


「ただ、この歴史書に書かれているのは、数百年前の旧帝国建国以降の出来事だけです。禁書に属する記載は省略されていますから、その点はご了承ください」


 私はそれを聞いて、軽く溜息を()く。


「まぁ、帝国の歴史家が書いている書物ですし、仕方がないと思います。変な事を書けば、皇帝陛下に対する反逆罪で処刑されてしまいますからね……。どこかに旧帝国建国以前の書物があれば、是非読んでみたいものです」


 私が司書の言葉に諦めるように苦笑していると、司書は声を(ひそ)めるようにして、学園に伝わる噂話を教えてくれた。


「あくまでも噂ですが、旧校舎の古い書庫に、今では忘れられた古王国時代の神話を集めた書物があるそうですよ。私は書庫を探したことはありませんが、もしそんな数千年前の歴史的な本が実在していたら、この歴史書よりも、ずっと興味深い内容だと思います」


 その話は、私の持ち前の好奇心を強く刺激した。


 ──私が知らない遠い昔の話なんて素敵! 是非読んでみたい!


 私はどちらかと言えば、すぐに行動に移すタイプだ。私は居ても立っても居られず、噂話を聞いたその日の放課後に、侍女のエルザと共に旧校舎に向かった。


 旧校舎は授業では使用されていないが、学生が入れないわけではない。許可を受けた者の学生証をかざせば、扉の防御魔法が解除されるようになっている。私は適当な理由を作り上げて教師に頼み込み、旧校舎に入る許可を得た。



 ギィィ~……。



 私が旧校舎の入口の扉を開けると、目の前には(ほこり)っぽく薄暗い廊下が真っすぐに伸びている。


「旧校舎に来たのは初めてだけど、こんな風になってるのね……」


 私達が歩く幅の広い廊下の左右には、旧帝国時代の巨大な英雄像が等間隔でいくつも並んでいた。それらの像は大理石を彫って作られており、私の背の高さを優に超えている。しかし、どこか雑然とした雰囲気を感じた。


 私がその理由を知るために石像の背後に目を向けると、何が入っているかも分からない多数の箱がうず高く積み上げられていた。荷物が石像と壁の隙間に押し込むように置かれている場所もあり、ひどい所では、石像を傾けて、それらの箱が落ちてこないように支えとしている場所すらあった。


「……ねぇ、エルザ。帝国の英雄像をこんな風に使うなんて、とてもバチ当たりだと思わない?」


 私が廊下を歩きながら、右後方を振り向いてエルザに話し掛けた瞬間だった。


「マリア様っ!! 左側の石像がっ!!」


 私はエルザの叫びを聞いて、左方向に目を向ける。すると、ゆっくりと石像が倒れてくるのが見えた。


「……えっ!?」


 私は咄嗟(とっさ)に後ずさりして、倒れてくる石像を避けようとしたが、靴のヒールが引っ掛かり、尻もちをつくように後方に転んでしまった。

 

「マリア様っ!!」

 

 私は自分の上に倒れてくる石像をじっと見上げる。


 ──ダメ、動けない。死んじゃう……。


 何の役にも立たないと思いながらも、石像を避けるように両手を顔の前にかざして、目を(そむ)ける。魔力で物を動かす移動魔法を授業で習ってはいたが、とてもそれを詠唱するだけの時間は無かった。


 私が全てを諦めかけた時、エルザが石像に攻撃魔法を撃つのが見えた。二つの小さな火球が石像に飛んでいく。


「……っ! 壊れないっ!!」


 詠唱不足で放たれたエルザの攻撃魔法では、石像を破壊することはできなかった。石像は攻撃魔法を受けて、少しだけ回転して倒れる方向を変えると、盾のオブジェを下にして一気に床に向かって倒れてきた。


 そして、私の顔面の数十センチ前を、英雄像が風切り音を立てて(かす)めていく。


「ぁぅっっ!!!!」


 石像の盾のオブジェは、私の両足を勢いよく潰した。私は足全体に走る激しい痛みの中で、(ひざ)を含む両足の骨が粉々に砕け散ったのを感じた。


「ぁっ、ぁっ……、っ……」


 両足の激しい痛みは、徐々に業火で焼かれるような痛みに変化していく。どうやら人間は、目の前に本物の生命の危機が迫っている時には、悲鳴が出ないようだ。私は喉を何かで押さえつけられているかように、声を出すことができない。


 私は大きく目を見開いてエルザの方に視線を向けると、とにかく必死に口を開いた。


「ぁっ、ぁぅっ……。エッ……エルザッ!! お願いっ!! 今すぐ誰かを呼んできてっ!!」


 私が声を絞り出すように叫ぶと、エルザは顔を真っ青にしたまま、全速力で帝国貴族学園の衛兵詰め所に助けを呼びに向かった。


 エルザが懸命に走る後姿をしばらく見た後、私は両足を潰している目の前の石像に視線を戻す。すると、盾のオブジェの下に、真っ赤な血だまりがゆっくりと広がってくるのが見えた。


 ──このままだと死んじゃう。足の血を止めないとマズい。


 私は大腿(だいたい)動脈から流れ出る血を止めるため、まず太腿(ふともも)に止血魔法を施した。そして、必死に移動魔法を唱えて石像を(わず)かに持ち上げると、自分の足の横にずらして落とす。すると、石像が落ちる際の振動と共に、私の足先に残っていた血がドバっと流れ出るのが見えた。


 私は両手で恐る恐る、真っ赤な血に染まったスカートを(めく)っていった。


 …………。


 …………。


 …………。


 ひどい……。ぐちゃぐちゃ……。形が……、私の足の形が……。


 私は激しい痛みよりも、自分の両足が原形をとどめていないことにショックを受けた。足先はあり得ない方向を向き、(すね)は蛙が踏みつぶされたように全体がひしゃげている。皮膚から飛び出た筋肉は完全に機能を失い、どんなに足先に力を入れても、それが動くことはなかった。


 ──ヤダ……、こんなのヤダ……!


 私は号泣して涙を流しながら、知り得る限りの再建魔法を自分の足に掛け続けた。魔力が尽きて意識が朦朧(もうろう)とする中、とにかく自分の足の形を戻すために魔法を詠唱し続ける。


 しばらくして、エルザと学園の衛兵、そして、教師達が私の下にやってきた。そして、皆が、私の足の状況を見て絶句する。


「これは……。なんてことだ……」

 

 その場の全員で、私の足に治癒魔法と再建魔法を掛け続けた。


 しかし、魔法は神の力ではない。魔法で出来ることには限界がある。


 足の外見を元通りに戻すことにはほぼ成功したが、私がどんなに力を入れようとも、足はピクリとも動かなかった。しかも、足に触れられても何の感覚もない。まるで、人間の肉でできた義足がついているかのようだった。


 現在の魔法の力では、私の足の機能を回復させることはできなかったのだ。


 その後、私の歩行機能の回復を目的に、名医と呼ばれる医師の外科手術を受けたが、私の両足は機能を失ったまま回復することはなかった。


 そして、約一週間の治療の後、医師と治癒専門の魔導士から最終宣告を受ける。


「このまま一生、マリア様の両足に歩行機能が戻ることはございません」


 その日、私は一晩中、自室で泣き続けた……。


    ◇ ◇ ◇


「ねぇ、エルザ。どこかに面白そうな本はないかしら?」


 グラディスによる婚約破棄から約半年後、私は車椅子生活にもすっかり慣れてきた。


「マリア様。今日はオリヴィエ先生とのリハビリですよ。オリヴィエ先生の魔法訓練は厳しいんですから、読書よりも、魔法の訓練にしっかりと集中してくださいね」


 私と共に旧校舎に同行していたエルザは、変に事故の責任を感じている。一時、伯爵家の侍従会で、エルザの注意義務違反を追及して厳罰を求める声も出たが、私が父親に直訴してその声を一蹴した。


 それを知ってか知らずか、エルザは私を見捨てないでいてくれた。「そんなに責任を感じなくていいのに」と思う反面、唯一の味方とも言える彼女が、私から離れないでいてくれることがとても嬉しかった。


「オリヴィエ先生が来るまでは、読書をしていてもいいでしょ?」


「……もう、仕方ありませんね。少しだけですよ」


 私がオリヴィエの到着まで、車椅子に乗った状態で読書をしていると、扉がコンコンとノックされた。


「マリア様。オリヴィエ先生がいらっしゃいました」


 エルザの案内で、年老いた男性が部屋に入って来る。


「マリア様。ご機嫌はいかがですかな?」


 オリヴィエは、テオドール伯爵家専属の上級魔導士だ。その技量は帝国でも十本の指に入ると言われ、帝室の魔導評議会の議員にも就任している。


 そんな彼は、私の祖父の代からテオドール家に仕えており、テオドール一族の魔法指導に関する全責任を負っていた。私も幼少期から指導を受けていて、オリヴィエとは親族のような関係であるため、あまり(かしこ)まることなく気さくに話ができた。


 私はエルザに本を手渡すと、車椅子に座ったまま両手でスカートを少し持ち上げて、オリヴィエに挨拶を返す。


「本日はご足労、ありがとうございます。運動不足でちょっと太ったみたいですが、元気にしております」


「そうですか、そうですか」


 オリヴィエはニコニコとしながら、自分の長い顎鬚(あごひげ)をさすった。好々爺(こうこうや)とは、まさに彼のことだ。


「それでは早速、リハビリを始めますかな」


 私のリハビリは、運動を主体とした通常のものとは異なり、オリヴィエが考え出した特殊な魔法訓練だ。具体的には、移動魔法を使って自分の身体を支えながら、疑似的に両足を動かす。つまり、見た目に通常歩行しているように見せかけるものだ。


 しかし、身体を支えながら両足を同時に制御し、魔力を常時注入するのはとても難しい。私のような普通の貴族には、そんな上級魔導士しか操れないような魔法を行使するのは至難の業だった。


「それでは、いつも通り、この絨毯(じゅうたん)の上で訓練いたしましょう。エルザが靴を脱がせた後、私がマリア様を絨毯の上に移動させますから、楽にしていてください」


 私のリハビリには、屋敷の離れにある特別な部屋を使用する。殆どの床面にフカフカの絨毯(じゅうたん)が敷き詰められており、私が魔法に失敗して倒れ込んでも怪我をすることはない。


 エルザが手際よく私の足から靴を脱がせると、オリヴィエは手に持っている魔法の杖を軽く振る。すると、私の身体がフワっと宙に浮き、ゆっくりと絨毯の上に移動していった。


「……移動魔法を掛けられるのは、何度経験しても慣れないものですね。魔力酔いしそうです……」


 私は絨毯の上に移動させられた後、その場にちょこんと座ったままオリヴィエに感想を述べる。すると、オリヴィエは軽く(うなず)いた。


「そうですね。移動魔法は、動かす対象がモノだから良いのです。理論的には、魔力のベールで、そのモノを包み込んで持ち上げているに過ぎません。ですから、モノが重いほど魔力が必要になります。移動対象の周囲を強力な魔力が包み込みますから、人間の場合、マリア様のように魔力に酔ってしまうのです」


 その説明を聞いて、私はオリヴィエをジト目で見る。


「……あの~、遠回しに、私がとても重いとおっしゃってます?」


「おっほっほ」


 ムッとしている私を見ながら、オリヴィエは高らかに笑った。エルザも部屋の端でクスクスと笑っている。


「それでは、リハビリを始めましょう。日々、魔法の練習はしていらっしゃいますかな?」


 オリヴィエの問い掛けに、私はコクリと頷く。


「はい、もちろんです。……ただ、私の技術では移動魔法が持続しません。身体を支えることができるのは、せいぜい十秒程度です。お手洗いなど、座面を移動する程度のことには困らないのですが、長時間起立が必要な湯浴(ゆあ)みの時には、エルザの介助が必要です」


 私がエルザに視線を向けると、エルザが「お気になさらず」と言いたげにニコッと笑った。


「いやいや、それで十分ですぞ。もしマリア様が魔法を使えない平民でしたら、もっとお困りのはずです。そもそも普通の平民は、止血魔法・治癒魔法・再建魔法が使えませんから、石像に両足を潰された時点で、その日のうちに失血死していたことでしょう」


 その言葉に、私は思わず(うつむ)いて絨毯を見る。


「そうですね……。私は魔法が使える帝国貴族で幸運だったと思います。それに、こうしてオリヴィエ先生にリハビリ指導して頂いたり、エルザから助けてもらえていることに、心から感謝しています。……両足を動かす魔法をうまく使えるようになったら、必ず皆に恩返ししますね」


 私はそう言いながら、オリヴィエとエルザに笑みを向けた。


「マリア様は本当に前向きですな。事故以前よりも、ずっと魅力的に見えますぞ。昔のマリア様はどこか他人行儀で、知らず知らずのうちに『伯爵令嬢』という仮面を(かぶ)っているように見えました。しかし、今はとても愛らしいです。どうか、いつまでも、今の心を忘れないようにしてください」


 オリヴィエの言葉に、私は顔を真っ赤にした。「愛らしい」などと言われたのは初めてだ。元婚約者だったグラディスにも言われたことがない。私は慌ててオリヴィエから視線を外す。


「でっ……では、魔法の練習、始めますね!」


 私は心の動揺を必死に隠しながら、魔法による歩行訓練を開始した。


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