第五話 ボクは夢の中に戻れない。
何だか…身体が温かい。ポカポカする。
お湯の中にでも入れられているのだろうか。
目を開けようとすると、目隠しが施されていて何処か分からないようにされている。取ろうと手を動かそうとしたが、後ろ手に拘束されているようだ。
また…ボクは夢の中に戻れないのだ。イルヴァスがボクが起きるのを待っているはずなのに。
「前から…エーファ様の子だって分かっていたなら、何でもっと早く連れて来なかったの!!可哀想に…結構酷い事されてた跡がある…。とっとと放置してた責任とって、あんたの嫁さんにしちゃいなよ?」
女性の声で、誰かに向けて怒り散らしているのが聞こえる。
「最近、奴隷の中に男の格好した頭の弱い女がいるって。食べ物で釣れば簡単に遊べる。って噂になってたんだよ…。聞けば聞くほど…名無しの特徴しか出てこないから…。屋敷の中探してたら、折檻部屋の近くで倒れてたんだ。」
エルヴァスさんの声だ。
そう。ボクは、お腹が空いていた。一日二回出される劣悪な食事を…僅かばかり食べても、満たされなかった。
奴隷故、お金は与え貰えず…何も持っていない。お金が無いなら…自分の身体でしか稼ぐ術がない。
でも、お腹が空いていた。お金より食べ物だった。
ある時、屋敷の使用人の男が…ボクに食べ物を差し出して来た。ボクが食べ終わるのを見計らい、それは売り物だと言い…金銭を要求された。ボクがお金は持っていないと言うと…売り物を盗まれたと騒ぐと脅された。ボクは涙を堪えながら、その男のおもちゃにされた。その日から、屋敷内の様々な男達に食べ物と引き換えにおもちゃにされた。
色んな事を男達にはされたが、ボクが生きていくには食べ物が必要だった。
だから、色鮮やかな夢の中では、心が安らいだ。辛い現実から逃げられたからだ。それに…夢の中のボクは、イルヴァス達から必要とされている。それがボクの心の拠り所でもあった。
「こんな痩せちゃって…。髪だって…バサバサじゃない…。爪もボロボロだし…。エルヴァス?当分この子についててやりなよ?」
「そういえばさ?何で母さんが…名無しの身体洗ってあげてるんだよ!!メイドのユリミちゃんはどこ行った?」
「未来のあんたの嫁になる子がさ?どんな子か見てみたかったし、本当にエーファ様の子かも確認したかったからね?でも、間違いなく…この子はエーファ様の娘だ。良かったねぇ…エルヴァス?ああ、ユリミならあんたの部屋掃除させに行かせたよ?だって、この子はあんたと一緒に寝起きするようになるんだ。汚い部屋はちょっとね?」
夢の中の勇者のイルヴァス、現実世界の騎士のエルヴァス。どちらも母親との親子関係は良好だ。名前も似ている。二人ともボクには勿体無いくらいの、良い男だ。今ボクにどちらか決めろと言われても、決められない。決める資格なんてボクにはないから。
「あら?起きてたのかしら?ゴメンねぇ?治療する時に、あなたが暴れると困るから…拘束させて貰ったの。目隠ししたのもそれよ?」
ボクは寝てるふりをしてるつもりだった。そして、この場をやり過ごそうと思っていた。だけど、少し動いてしまったみたいだ。
「価値のない奴隷のボクなんかの為に…本当に申し訳ないっす…。」
「エルヴァス?何で…この子、男言葉なの?!」
何故かエルヴァスのお母さんの声が…怖く聞こえた。
「名無しは、男の世界で生きてきたんだろ?女だと、バレないように工夫してさ?そうだろ?なぁ?」
「誰も、ボクの身体ばかり求めて…助けてくれないから。ボクは…外見も話し方も男になるしか無かった。」
――ジャボンッ…
「あとは…俺が、名無しの面倒見るから。母さん、手当してくれてありがとう。」
「あなた?これからは人前で話す時、男言葉辞めなさい?それに…この目隠し取らないとね?」
目の前が急に明るくなった。辺りを見渡すと、広い浴場だった。そこの浴槽の中で…エルヴァスのお母さん一人で、ボクの身体の手当をしてくれていたようだ。
「ボクの為に…エルヴァスのお母様…申し訳ないです…。」
「ほらぁ!!ボクって言っちゃダメよー?」
つい口から出てきてしまう男言葉。
「ごめんなさい!!ボク…直しますから!!」
「あははははっ!!エルヴァスは苦労しそうね?じゃあ、この子渡すわよ?」
謝りながらも、無意識のうちにボクと言っていた。いつもの色鮮やかな夢の中では、絶対言わないのに。
エルヴァスのお母さんには、私を長い時間浴槽の中で抱き支えて頂いていた。今度は、エルヴァスがボクの身体を預かって…。
「よぉ、名無し!俺がお前の身体触ってるからって、暴れんなよ?浴槽の中で溺れんぞ?」
「あとは、若い二人…?エルヴァスはもうオジさんで若くないけど、ごゆっくりねー?」
そう言って、エルヴァスのお母さんは浴槽から上がると、振り返ることもせずそのまま浴場を後にした。
――ギュッ…
――グッ…
「ほんと…お前、骨だな。服着て十歳男子って言われたら、信じるわ。」
エルヴァスはボクの身体を抱き支えながら、腕を掴んでみたり…身体を指で押してみたりしてきている。
――ぎゅるるるるっ…ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅるっ…
「ねぇ…エルヴァスさん?ボク、食べ物…欲しいっす…。」
大きくお腹の虫が鳴いた。お腹が空きすぎて限界だ。
「だからなー?お前、俺の母さんと約束しただろ?今、俺と二人きりだからって、気を抜くんじゃねぇぞ??」
「ダメ…?」
「じゃあ、男言葉を五回言う毎にお前を好きにしていいってのはどうだ?そうすりゃ、言う気失せるだろ?」
食べ物欲しさに男達に身体を好きにさせていたボクだ。食べ物の場合は即だったが、五回も猶予があるなんて優しすぎる。
「はい。それでお願いします。ボク、頑張るっす!!」
「お前…わざとか?!でも、一回は一回だからな?んで?腹が減ってるんだったよな?おーい!!ユリミちゃーん!!」
もう、ボクと言うのは生活の一部だから、直ぐにと言われると難しい。先程話に出てきたメイドさんの名前を…エルヴァスさんは呼んだ。広い浴場だ、部屋の片付けをしに行ったメイドさんに声が届くはずがない。
「はーい!!言われた物お持ちしましたぁ!!ふぅーん。この子が、エーファ様の子なんですね…?」
何故か、ユリミさんが現れた。一体…どういう仕組みなんだろう?と一瞬思った。だが、先程エルヴァスのお母さんが出て行ったのを思い出し、近くで待機するように言われたのだろう。
そして、ユリミさんの手には、果物が入ったカゴが握られていた。
「名無し?紹介するよ。俺の専属メイドのユリミちゃんだ。可愛いのに何でもこなす凄い女性だ。歳も近いし、仲良くしてやってくれよ?」
「初めまして?名無しさん。宜しくね…?」
エルヴァスさんの専属メイドと聞いてピンときた。さっきから物凄い殺気を感じているのは…このユリミさんからなのだろう。
「あの…ボク、今のところ…エルヴァスさんには興味無いので、無駄な心配しなくて平気っすよ?食べ物は滅茶苦茶興味あるっす!!」
ボクの視線はユリミさんの持つカゴの中の果物に釘付けだった。それが分かったからか、ユリミさんの物凄い殺気が消えた。
それにしても、エルヴァスさんに専属メイドが居たことにもビックリした。この世界では… 夜伽もするのが専属メイドの役割でもあるからだ。
だから、もし恋人候補が出来てしまえば、専属メイドの面目は丸潰れになってしまう。
「なんだ…。名無しさんが私の位置奪いに来たかと思ったから…。仲良くしようねー?て言うか!!エルヴァスさん!!名無しさんに…これ食べさせてあげて下さい!!手、使えないですよね??」
そう…ボクはまだ後ろ手に拘束されてる。何らかの意味があっての拘束なのだろう。でも…早くこの手で目の前にある果物を貰いたい気持ちで一杯だった。