女性原理と男性原理の二人
――人間は自分の心を観て、他人の心を理解する。だから、自分にない心理は理解し難いし、それで誤解をしてしまう場合もある。
月城さんは協調にこそ価値があると考えるタイプで、だから争いごとには否定的。喧嘩するより、協力して何かをやった方がより有意義に決まっている。そんな風に思っている。ただだからこそ、相手もそうだろうと思ってしまう傾向があり、振り上げた拳を下ろしさえすれば、それに相手も応じてくれると考えがちだ。それは彼女の主義主張にも表れていて、だから彼女は平和主義者だったりもする。
「軍事を増強なんてとんでもない! 武器を収めて融和を訴えれば、きっと相手も応じてくれるはず」
そして彼女はそれを広く世間に訴えてもいたのだった。
「日本が経済的に成長できたのは、犯罪や詐欺が少なく、安心して取引ができる社会だったから。そのお陰でセキュリティにコストをかけずに済んだ。これは充分に合理的な考えであるはず。争い合うなんて馬鹿馬鹿しい。この世に武器なんて必要ないわ」
しかしだ。そんな彼女の主張を快く思わない連中もいた。彼女の家の近所に住んでいる勝木君もその一人で、彼はそれにこんな反論なんかをしていたりする。
「もし、武器を収めれば、隣の国の連中は勢いづいて襲って来るに決まっている!」
彼はこの世の中は競争で成り立っていると考えていて、もしも油断をしたりすれば、ただただ敗北が待っているだけだと思っていた。支配されるよりも支配する側に。それが彼の価値観だった。
もちろん、二人は相容れない。
月城さんは彼を特殊な人間だと思い、勝木君は彼女を外国の工作員ではないかと疑っていた。
我が国の軍事力を抑えれば、外国は軍事的に優位に立てる。それを狙っているのではないか、と考えていたのだ。しかもただ警戒をするだけではなく、彼はそれを仲間達にも言ってしまっていたのだった。
もっとも、そこに悪意はない。本当にこの社会の為になると思っていたのだ。
ただし、彼は少しはばかりその話をし過ぎてしまっていたかもしれない。その所為で、その話は彼の予想を超えて広がってしまっていたのだった。そして噂が広まれば、尾ひれがついたり様々に変形してしまったりもするもの。彼女はいつの間にか、一部の人間達の間で、近くのC国に協力的な人間だという事になっていた。
月城さんは、“どんな国とも協調した方が良い”と信じる平和主義者で、特に何処の国とか拘りがある訳ではなかったのだけど。
――そして、ある日、C国の若者がその噂を聞いて彼女を訪ねて来てしまったのだった。
「あなたの主張に感心しまして」
そうそのC国人は言った。
初めから月城さんはちょっとばかり胡散臭さを感じてはいたのだけど、頼って訪ねて来た人を無下に扱っては失礼に当たると思い、取り敢えずは話を聞いてみる事にした。
ただ、これが失敗だった。C国人は訊いてもいないのにつらつらと身の上話を始め、自分がどんなに可哀想なのかを強調した後で、「この国の人間に冷たくされてお金がないのです」と最終的にはお金を無心して来た。
どうしようかと彼女は悩んだのだけど、少しばかり怖かった事もあって、「一度切りですよ」と何度も断ったうえで、三万円ほど貸してしまった。もちろん、戻って来ることなど期待しておらず、これで彼と縁が切れればそれで良いと思っていたのだ。しかし、これがもっと大きな失敗だった。
「また、困ってしまいまして」
一か月経つと彼はまたやって来た。「申し訳ないのですが、またお金を貸してください」と。怖かったので、今度は5千円ほど貸してしまった。すると二週間後に三度彼はやって来た。いよいよ怖くなった彼女は、「お金は返さなくて結構ですから、もう来ないでください」と、彼に一万円ほど与えてしまった。がしかし、それでも彼はやって来た。完全にカモだと思われている。そう自覚した時には既に手遅れだった。どうやら彼はずっと彼女に纏わり続けるつもりのようだった。
……もちろんだけど、C国人全般がこのような人間なのではない。友好的な人間だってたくさんいるし真面目で誠実な人もいる。しかし、一部には質の悪い犯罪者や迷惑な人間が紛れ込んでいるのは事実で、だから当然だけど、もし仮に付き合うつもりなら、素性や性格をよく知ってからにした方が良い。
頻繁に金をせびって来るC国人の若者に、月城さんはすっかりと困ってしまっていた。だから思い切って警察に相談をしたのだけど、どうにも真っ当には相手をしてくれなかったのだった。どうやら男女間の痴情のもつれだと思われている。
彼女は憤慨したが、冷静になって考えてみれば、突然やって来た見も知らずの外国人にお金を貸す方がどうかしている。今更ながら、自分の間抜けさを呪った。普段から平和主義者を名乗っているから、断りづらかったという事もあったのだけど。
C国人の若者は、今では三日に一度は彼女を訪ねて来るようになっていた。彼女は居留守を使うのだけど、そうすると激しくドアを叩いたりもする。彼女は引っ越そうかと真剣に悩み始めたが、それでも追って来そうな気もした。
どうしよう?
彼女は真剣に悩んだ。
平和主義の彼女の仲間達を頼ろうかとも思ったけど、仲間達はこういった事には圧倒的に向いていない。下手すれば、仲間の誰かまで犠牲になってしまうかもしれない。しかし、もう諦めかけたその時、彼女にこんなメールが届いたのだった。それは近所に住む勝木君からだった。
『あなたの所に、頻繁にC国人が来ているという話を聞いたぞ。やっぱり、あなたは工作員なのではないか?』
要約するのなら、それはそんな内容だった。ただでさえ追い詰められているのにと、彼女はそれに苛立った。がしかし、思い詰めた彼女の脳裏にふとあるアイデアが浮かんで来たのだった。
勝木君が月城さんの家に行くと、C国人が激しく戸を叩いている最中だった。「本当だったか」と彼は呟くと、C国人の肩をむんずと掴む。
彼がここにやって来たのは、論敵の月城さんへ送ったメールの返信に『助けてください』と書かれていたからだった。彼はもちろん大いに驚き、その内容から彼女がどんな目に遭っているのかを知った。
「か弱い婦女子から、半ば脅すように金を奪っているだと?」
そんな発言も、人によっては女性蔑視だと怒るかもいるかもしれないが、もちろん彼に悪気は一切ない。相手がC国人であればもちろんだが、そうでなくても義憤に駆られて、彼女を助けに向かっただろう。
C国人は突然現れた勝木君に大いに慌てた。男がいるなんて聞いていない。そして彼が「何をやっている?」と、突き飛ばすと分が悪いと思ったのか、すごすごと逃げていった。仮に喧嘩になって警察沙汰にでもなったなら、既に十万以上も月城さんから金を奪っている自分が捕まるに決まっている。正当防衛だって成立するかもしれない。
C国人を追い払ったことを伝えると、月城さんは安心して家から出て来て勝木君にお礼を言った。
「すいません。ありがとうございます。平和主義だけでは、世の中は上手く回らない事を知りました」
しおらしい様子の彼女を見て、勝木君は少し照れる。攻撃されるのには慣れているが、このような態度に出られるとどうすれば良いのか分からない。
そして、だからなのか、彼女の言葉とは裏腹に「平和主義も良いものかもしれない」などと思っていたのだった。
素直に謝る彼女は美しかった。
女性原理や男性原理は、本来は相補的なものであって、決して反発し合うものではない。互いにメリットとデメリットがあるのだからそれは当然。この二つの間には、大きな壁が立ちはだかっているが、いつかは乗り越えられる時が来るかもしれない。
それを願っている。
やっぱり、このテーマはショートショートでやるには無理がありますね……