最終話 真実は…
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それから私たちは中庭の隅に設置されたガゼボまで移動をし、ロラン様が腰掛けたことを確認してから、私とメアリーは向かいの席にそれぞれゆっくりと腰掛けた。
メアリーの表情は暗く俯いている。
「先日あなたがたの屋敷に訪問した際に、男爵夫妻に協力をいただくよう要請した。……と言うのも、メアリー嬢が『魅惑の香水』の所持、及び作製の疑惑があったからだ。だが確実な証拠も無いのにこちらから捜索はできないので、あくまでも保護者であるアンリ男爵のご判断に委ねる形になったが」
「魅惑の香水……ですか?」
「ああ。それは特にあなたと私に効くように調合されていた。あなたがロバーツ卿に想いを寄せていると、錯覚させるように」
私がロバーツ卿に、想いを寄せているように……。
確かにメアリーは、最近趣味で調香を行っているようだけれど、それはそこまで大それたものでは無かったはず。
そもそも魅惑の香水とは、どういう物なのかしら。
「私はそんなことはしていません!」
「魅惑の香水自体に今のところ違法性は無いが、近頃それを利用して他人の記憶を操作しようとする輩が多数出没しているらしい。どうも一般的に入手できる材料で調香が可能らしいな。君はそのレシピノートを買ったのだろう」
メアリーは虚を突かれるというような表情をし項垂れたけれど、寸秒後に勢いよく顔を上げて私を強く睨んだ。
「……なんでいつもお姉様ばかり! 第一私の方が美しいし、教養もあるしロラン様に相応しいわ!」
思ってもみない言葉に息を呑んだ。
メアリーの主張は純粋に彼女自身を過大評価していると思ったし、何よりもこの場でこのようなことを言葉にするのは場違いで聞くに耐えなかった。
だから普段だったら自分の立場を弁えて控えるのだけれど、一言言わないと気が済まないという気持ちが怒涛の如く込み上げてくる。
「あなたのその主張は、言いがかりも良いところだわ。第一、自分勝手にロラン様を巻き込んでおいて、ロラン様に謝罪の一つもないの? ……頭を冷やして、自分自身の犯した過ちと向き合うといいわ。反省なさい」
メアリーは身体を縮こませて、それ以上は何も言わなかった。
「……香水を使用すること自体は違法では無いので実刑は免れるだろうが、それでも謹慎処分は覚悟をしておいた方がいい」
ロラン様が向けた視線の先の出入り口付近には、襟の詰めた制服に身を包んだ二人の男性が立っていた。
ロラン様が小さく頷くとすぐさま動き、メアリーを二人がかりで取り囲むと両腕を抱え込んで連行してしまった。
あまりの出来事に、口元を両手で押さえて見守ることしかできなかったわ……。
「ロラン様……」
「あなたに事前に事情を伝えることができず、申し訳なかった」
「……いいえ、こちらこそ妹がとんだご迷惑をおかけして……」
ロラン様は首を小さく横に振ると、私に自身の上着をそっと羽織らせてくれた。
それから二人でガゼボ内のベンチに腰掛けて、ロラン様がこれまでの経緯を話し始める。
まず、メアリーの香水の香りが染み込んだ私の筆跡と酷似していた例の手紙は、メアリーが私の筆跡と真似るようにと代筆業者に頼んだ物らしい。
その手紙はメアリーが我が家の使用人に金銭を渡して侯爵家に届けさせたらしいのだ。
また、便箋には「ロラン様と私にだけ効く香水」が振りかけてあったとのことだった。
「それは、どのような効果の香水だったのでしょうか」
訊いてはみたものの、おおよそ予測はついていた。恐らくは……。
「香水には記憶を塗り替える効果があったそうだ。あなたには『自分がロバーツ卿と逢瀬を重ねている』ように錯覚させ、私には『あなたが私を裏切っている』と思い込ませる効果があったそうだ」
「やはり、そうだったのですね……」
けれど何故メアリーは、そのようなことをしてしまったのだろう。そんなことをしても、メアリーにとって良いことなど無いのに……。
「恐らくあなたの妹君は、あなたが私と婚約を破棄した後、アンリ家は面目を保つために自分自身が代わりに私に嫁ぐことを提案すると踏んでいたのだろう。そして実際にそのような前例は過去に何件かあるようだ」
「確かに……」
それはできれば、あまり推測したくないことだった。メアリーからは良くは思われていないと思っていたけれど、ここまでとは……。
「香水を使用したこと自体は違法では無いのだが、最近王都では同様の事例が多数起きていて、近々取り締まることが本決まりになりそうなのだ。現在妹君にはレシピノートの購入経路や香水の製造方法等を法官に伝えるように、協力を願い出ているところだ」
「そうだったのですね……」
「ああ。悪いようにはならないように最大限配慮はさせてもらったつもりだ。妹君も時間はかかると思うが、取り調べが終わり次第解放されるだろう」
それを聞いて安心したけれど、色々と配慮をしていただいたことに対して、申し訳がないという思いが込み上げてくる。
そして沸々と本音が込み上げてくる。
「私は、婚約を『はき」したくはありません。……けれど、この婚約自体は取り消した方が良いと思うのです……」
「……それは、どういうことだ」
ロラン様は、虚を突かれたような表情をしている。
「何しろ、メアリーが大変ご迷惑をおかけしましたから。身内の私はロラン様の妻には相応しくないと思うのです。勿論、慰謝料やその他の経費等は全てお支払い致します。お金だけの問題ではないとは思いますが……」
婚約者の実家のいざこざでこの婚約をなかったことにすること自体が、ロラン様の経歴に傷をつけてしまうかもしれない。
それならば一刻も早く手続きをして、せめて傷の浅いうちに婚約を解消しなければ。
ただ、お金は私自身は持ち合わせていないので、申し訳ないけれどお父様に借りて、一生かけて返していこう。
そうなると手に職をつけなければならないわ。女性の私でも、なんとか雇ってもらえるところがあれば良いのだけれど……。
そう思って立ち上がり、深く一礼をしてからこの場を立ち去ろうとしたら、不意に手首をロラン様に掴まれた。
「……先程、あなたは何と言ったか」
「……慰謝料は支払いますと」
「違う、その前だ」
「その前ですか?」
寸秒考えた後、あることに思い至った。
「婚約はきはしたくないけれど、婚約は取り消した方が良い、と言う言葉でしょうか」
「ああ、そうだ。その言葉だ」
「それが何か……」
「意味が通らないのだ。何しろ、婚約を破棄することと解消することは、ほぼ同意語だからだ」
婚約はきが……、婚約を解消するという意味だった……、ということかしら……。
「そ、そうだったのですね……」
思わず膝をその場についてしまった。酷い脱力感も襲ってくる。
あの時私はロラン様に、婚約を解消するって言われたのね……。今更ながら心が切り裂かれるように酷く痛んだ。
「大丈夫か?」
「……はい」
ロラン様は私の手を取って、優しい手つきで立たせてくれた。
「実は私は、ずっと婚約はきの意味が分からずにいました」
「それは……、言葉通りに受け取って良いのだろうか」
「はい。……ロラン様に婚約はきを告げられた時から、何故かその言葉の意味に至ることができずにいたのです」
ロラン様は目を見開いて、しばらく口元に手を当てて何かを思案してから小さく頷いた。
「……推測に過ぎないが、香水の効果が中和、もしくは軽減されて意識操作がうまく作用しなくなり、代わりに『はき』の意味が分からないようになっていたのかもしれないな」
「そんなことがあるのでしょうか。それに何故そのようなことが……」
起こったのかと言おうとした瞬間、ロラン様の瞳と視線が合った。そうだわ……もしかしたら……。
「サシェの香りが、中和してくれたのかもしれないですね」
「サシェか。確かに考えられなくもないな」
胸に熱いものが、込み上げてくるように感じた。
「ロラン様に贈っていただいたサシェが、きっと私にとって聞きたくない言葉から私を守ってくれていたのですね……」
目の奥がじんわりと熱くなってきた。
「私が贈ったサシェを、常に身につけてくれていたのだな」
その穏やかな笑顔を見たら胸が締め付けられて、何故か涙が止まらなくなる。
「私は、あなたと婚約を破棄したくはない。あの時、香水の効果があったとはいえ、あのような言葉をあなたに言ってしまったことをずっと後悔していた。改めて謝罪をしたい」
言葉の意味がわかった今となっては、確かに心が引き裂かれるような感覚もある。
けれど、ロラン様の真摯な想いが傷ついた心を癒してくれるように感じた。
「私と結婚して欲しい」
「私で……よろしいのですか……」
「ああ、あなたが良いんだ。自分の意思を強く持ち、貫くことのできるあなたが」
ロラン様は、そっと私の涙をその指で拭ってくれた。
そして私たちはしばらく、お互いを穏やかな表情で見つめ合っていたのだった。
──ロラン様に贈っていただいた、サシェの香りに包まれながら。
(了)
今作をお読みいただき、ありがとうございました。少しでもお楽しみいただけましたら幸いです!
また、次話から後日談となりますので(マリアが結婚した後のお話です)お読みいただけると幸いです。
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