第5話 婚約破棄って…
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そしてパーティー当日。
ナイズリー侯爵家のお屋敷の前で馬車を降り玄関ホールに入ると、侯爵家の侍従が私たちを速やかに舞踏会場へと案内してくれた。
会場内にはいくつものシャンデリアがキラキラと輝き、至る所に深紅の薔薇が飾られていて見ているだけで心が躍るようだった。
ただ、一昨年と比べたらお客様の数が、かなり少ないように感じる。
前回は、周辺の諸貴族や領内の要人の方々も招かれていたけれど、今日は王宮の法官や文官の方々が大半を占めているようね。
それに私の両親の様子が先日から普段とは違って、何だか気を落としているように感じるのも気がかりだった。
「まあ、素敵!」
「……メアリーは初めてだったな」
「はい。一昨年は体調が優れなくて参加をすることができなかったので、今日をとても楽しみにしていたの」
両サイドを三つ編みにしハーフアップにした髪型と、隙のないメイクを施し桃色のドレスを身につけたメアリーは、まるで自分が今日のパーティーの主役とでも言いたげなほど存在感が強かった。
一方、私はロラン様に贈っていただいた藍色のドレスを身につけ、プラチナブロンドの髪を高い位置で結い上げている。
メアリーと比べたら目立たないと思うのだけれど、なぜか会場に入るなり刺すような視線を感じたのよね。
振り返った特には誰も私の方を見ていなかったけれど、あの視線は何だったのかしら。
それは思い過ごしだろうと思い、ロラン様とロラン様のご両親に挨拶をするために会場内の奥へと移動した。
「本日は、ご招待をいただきましてありがとうございます」
「マリアさん、今日はお越しいただきありがとう。ええ、楽しんでくださいね」
「ありがとうございます」
ロラン様のお母様である侯爵夫人は、ゆったりとした灰色のドレスに身を包み、扇子で淑やかに口元を隠している。
とても穏やかな方で、予てより時折お茶に誘っていただくのだけれど、その優しい時間が心地よくて好きだった。
「ロラン様、本日はご招待をいただきましてありがとうございます」
「ああ。……やはり、そのドレスはあなたにとても似合うな」
「ありがとうございます。けれどそれは、ロラン様の見立てが良いからですわ」
今日身につけているアフタヌーンドレスは、先々月に王都内屈指の服飾店で特別に仕立てていただいたドレスだった。
月に一度の食事の後に、結婚後に必要だろうと衣服をいくつか仕立てていただいたのだ。その中の一つを今日のパーティーに着ていくことはロラン様からの提案だった。
……婚礼衣装も一緒に注文してくださっていて、それは来月には仕上がる予定なのだけれど……。
「素敵な贈り物をいただきまして、ありがとうございます」
「いや、それは当然なことなので気にしないで欲しい。……それよりも、マリア嬢」
「はい」
「これから、あなたにとっては決して良くないことが起きるだろうが、心配しないで欲しい。万全の体制を取っているので外部には漏れないようにしていると言うことも、記憶していて欲しい」
「あの、それは……」
「ナイズリー卿、本日はご招待をいただきましてありがとうございます」
どういうことかと訊こうかとしたら、燕尾服を着た招待客がロラン様に声をかけたので、それは叶わなかった。
なので私も、招待客の方々に挨拶をして回ることにし、次々と声をかけて回った。
それが三十分ほど続き、流石に疲労も溜まったので会場のボーイにシャンパングラスを受け取ると、隅に設けられた長椅子に座ってそれを口にする。
普段はあまりお酒は飲まないけれど、パーティーでのお酒は特別なもののように感じるからか、格別ね。
「すみません、隣の席に失礼してもよろしいでしょうか」
「はい、勿論構いません」
声を掛けた方は燕尾服を身につけた、緑色の頭髪の大柄な男性だった。
おおよそ三十代後半から四十代程のご年齢の方のように見える。
「ありがとうございます。……もしかしてあなたは、マリア・アンリさんでしょうか。先程挨拶に回られていらしたので」
「ええ、その通りですが……」
「やはり、思っていたとおりお美しい方だ」
社交辞令なのでしょうけれど、このパーティーの主催者の嫡男の婚約者に面と向かってこのようなことを言うのは、周囲に誤解を招いてしまうかもしれないわ。
ただ、変に取り繕ってもかえって良くないわね。
「ありがとうございます。何とか相応しい装いを整えることができたと安堵しています。ところで、あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「失礼致しました。私はユリアン・ロバーツです。ロバーツ子爵家の爵位を継いでいますが、今は王宮の侍従をしています」
「まあ、侍従の方なのですね」
日々王宮で忙しく働いていらっしゃるからか隙のない方だけれど、どこか人好きのする話しやすい雰囲気を感じられる。
「ところで」
「はい」
「……あのような熱烈な恋文は、妻が亡くなってから初めていただきました。実際にお会いできて光栄です。あなたの妹君がナイズリー卿の婚約者に代わってしまうとも書かれていましたが、お辛くないですか? 私でよろしければ相談に乗りますが」
熱烈な……恋文……? メアリーがロラン様の婚約者に代わる……。
ロバーツ卿が何を言っているのかは分からなかったけれど、途端に先日ロラン様に見せていただいた例の便箋が脳裏に過った。
そうだわ、あの便箋には『親愛なるユリアン様』と書かれていた────!
「まあ、お姉様!」
ロバーツ卿の正体について思い当たった瞬間、前方からメアリーと……ロラン様がこちらに向かって歩いて来た。
「ロラン様という婚約者がありながら、他の殿方と親しくするなんて、どういうことなのかしら?」
「私はただここで休憩していただけで、ロバーツ卿とは今初めてお会いしたばかりよ」
「まあ、本当にそうなのかしら?」
メアリーは何故か人聞の悪いことを言ってくるけれど、私には全くやましいところなど無いので取り見出す必要などないのだ。
それなのに何故か、先程から冷や汗が止まらない。メアリーが漂わせる柑橘系の強い匂いが、どんどん私を蝕ばんでいくように感じる。
居所が悪くなり顔を伏せようとしたけれど、ロラン様の強い瞳が視界に入って、思わず動くことができなかった。
ロラン様も私がやましいことをしていると誤解したのだろうか。
そうだとしたら……、「婚約をはき」されてしまうかもしれない……。
婚約はき……? 婚約はきって……もしかして……「乗り換えること」……なのかしら……。
ロラン様はメアリーに乗り換えてしまうのだろうか。
まさか、このパーティーはそれを公式に発表するために設けられたのでは……。
けれど、私はそれで良いの……? 侯爵家に嫁入りするために、この三年間絶え間なく努力して来たのに……。
……いいえ、そうじゃないわ。私はロラン様に対して何の未練もないの? 何の感情も持ち合わせていないのかしら……。
以前にサシェをいただいた時、私の好みを知ってくれていたことがとても嬉しかった。
食事の際の、彼の見識の広い話が好きだった。私の日常の話もよく耳を傾けてくれて……。
それに先日会った時に謂れのない追求を受けたけれど、すぐに自分の非を認め謝罪をしてくださったのだ。
思いを巡らせていると、ふと心地の良い香りが漂ったので思わず顔を上げた。
「ロラン様……」
ロラン様は責めるような視線を向けているかと思っていたけれど、予想に反してとても力強い瞳で真っ直ぐ私を見て小さく頷いた。
「私は……婚約をはき、したくはありません」
「お姉様、この期に及んで何を言っているの?」
メアリーは眉を顰めて私にハンカチを差し出した。思わず受け取りそうになるけれど、ロラン様が代わりにそれを受け取ったので私が受け取ることはなかった。
「メアリー嬢。随分香りの強いハンカチのようだが、……記憶操作の香水はあまり多用してはならない。過度な摂取は毒となり害を及ぼすこともあるらしい」
メアリーの顔色が一気に青ざめた。それからロラン様が話しかけても、黙して顔を背けるばかりだ。
それからロバーツ卿にはホールに残るよう一言伝えてから、私たち三人は人気の無い中庭へと移動したのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。
次話で最終話となります。次話もお読みいただけると幸いです。
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