第3話 食事中なのに…
ご覧いただき、ありがとうございます。
屋敷に到着するとすぐに自室へと戻り、紺色の室内用のイブニングドレスに着替え身支度を整えてから、食堂へと入室した。
既に時刻は二十時を過ぎていて、我が家の晩餐は毎晩三十分程前には終わっているので、既に食堂に家族の姿はなかった。
「マリアお嬢様、お帰りなさいませ。あちらで、ご夕食はお召し上がりにはなられなかったとのことでしたので、普段通り品数を減らさずにお持ち致しました」
「ありがとう」
ロラン様に晩餐を共にしないかと誘ってはいただいたのだけれど、あのような空気では碌に食事も喉を通らないだろうから遠慮をしたのだ。
そう思い返していると、給仕のアンナが朗らかな笑みを浮かべて、目前の白地のプレースマットの上に次々とお皿を並べ始めた。
我が国の食卓では、どの階級の家庭でも各々の席のプレースマットの上に一度に全てを提供するので、どの料理も少しずつ味わいながら食することができるのだ。
まずは手前のスープをスプーンで掬って一口食す。
ホロホロとバケットが口の中でとろけて、チーズと玉ねぎの爽やかさがヤサグレた心を温めてくれるようだった。
「ああ、美味しい……」
思わず呟いてしまったけれど、傍で控えるアンナは朗らかな表情で私を見ていた。
食事中に独り言を呟く行為は品に欠くので、家族と同席だと必ず咎められるのだけれど、食事に癒しを求めている今だけはどうか見逃して欲しいわ。
その思いが通じたのか、アンナはただ朗らかに私を眺めるだけだった。
その様子に安堵感を抱きながら、隣のお皿のテリーヌをナイフとフォークで切り分けて口に運ぶ。
根菜類と獣肉が見事に調和していて、とても美味しい。芳醇な香りのお陰なのか、より食欲が湧いてきたわ。
自然と口元を綻ばせ目前のお皿の上の焼きたてのパンに手を伸ばそうとしていると、急に食堂の扉が開かれた。
「お姉様！」
食堂内に急に高い声が響いて、静寂が打ち消されてしまった。正直に言って食事中は静かにしていてもらいたい。
「メアリー、今は食事中よ」
可憐なストロベリーブロンドをなびかせて、妹のメアリーは何も悪びれることもなく食堂内の自席に座った。
「ごめんなさい。ただお姉様が急にロラン様に呼び出されたと聞いて、気が気でなくて……」
「そう……」
食事中に急に割り込まれた上に、妙に鼻につく香水の匂いに苛立ちを覚えたけれど、心配そうに覗き込んでいるその淡紫色の瞳を見ていると、嫌な気持ちはこれ以上は湧かなかった。
「お姉様、それでロラン様はなんと仰っていたのかしら」
メアリーは何故かロラン様とのやり取りが気に掛かるようね。
普段から私が侯爵家に嫁ぐことを心配しているようだから、もしかしたら普段とは異なる事態が起きていることで不安にさせてしまっているのかもしれない。
そうだわ。今この場でメアリーに「婚約はき」が何のことなのかを訊いてみようかしら。
「実は侯爵邸を訪れたら、ロラン様から開口一番に『婚約はき』をしたいと申し出があったの。それで……」
「まあ！ それは本当？」
メアリーの表情は一瞬笑みを含んだように見えたけれど、すぐに悲痛なものに変わった。
それにしても、紡ごうと思っていた言葉を遮られてしまったので、どうにも切り出しづらくなってしまったわ。
「何故、ロラン様はそのようなことを言い出したのかしら。本当に酷いわ！」
メアリーの反応を見るからに、やはり「婚約はき」は良くないことなのね。
「そうね。私も急に捲し立てられたので驚いたわ。何せ全く身に覚えがないのだもの」
その言葉に、取り乱していた様子のメアリーの動きがピタリと止まった。
「全く身に覚えがないの？」
「え、ええ。勿論そうだけれど……」
「おかしいわ……。もしかして認識の上書きが上手くなされていないのかしら……」
何か小声でそう呟いたけれど、「認識の上書き」とは何のことかしら……。
「メアリー、認識の上書きって……」
「そういえば、お姉様はまだお食事中だったわね。それではお姉様ごゆっくりお食事を楽しんでね」
「あら、話はまだ……」
終わっていないわ、と伝えようとしたけれど、既に一歩遅く言葉を紡ぐ前にメアリーは扉を閉じて退室してしまった。
「どうかしたのかしら……、何か焦っているようだったけれど……」
妹のメアリーは私よりも三歳年下で、幼い頃から何と言うか、とても要領の良い子だった。
常に自分にとって、得になるのはどちらなのかと考えて行動しているところがあるのだ。
甘え上手でもあるメアリーを両親は溺愛し、わがままを言っても咎めず、これまでその殆どを受け入れてきてしまったのだ。
それを咎める私の方が、この家では「妹に厳しくあたる姉」と言われ、両親からの風当たりも強く、両親から笑顔で接してもらったことはこの数年の間殆ど無かった。
「そう言えば……、メアリーは香水の調香も自分で行っていたわね……」
何かに思いあたりそうだったけれど、それ以上考えていても残念ながら糸口は掴めそうに無かったので、残りの料理を食することにした。
目前のパンを小さくちぎって口に入れると、既に冷めて固くなっていて中々噛み砕けなかった。
焼きたてで美味しそうだったのに……。
「メアリー……、どうして食事が終わるまで待てなかったのかしら……」
メアリーの身勝手さに頭を抱えそうになりながら、残りの冷めきった料理を完食したのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。
次話もお読みいただけると幸いです。
ブクマ登録、↓広告欄の下にある⭐︎でのご評価をいただけたら嬉しいです！
