第2話 帰路で…
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「ですがロラン様。いくら私が別の殿方とこっそり逢引きをしていると誤解したとはいえ、私に確かめもせずに『婚約はき』を持ちかけるのは納得致しかねます」
元より「婚約はき」が何なのかもまだ分かっていないけれど、先程からのロラン様の威圧的な態度から、おそらく私にとって良くないことなのだとは理解することができた。
「……厳格な貴族社会において、婚約者を差し置いて別の男と逢引きをしていた時点で、充分に婚約破棄を提案する要因となり得る」
「確かに、貴族間に噂が広がるのはあっという間ですし、社交界中に広まってしまえば両家の、特に我が家の評判は瞬く間に下がってしまう可能性が高いですね」
「……ああ」
ロラン様は私の目を真っ直ぐに見ると、神妙な表情を浮かべながら手を口元に当てた。
何か予想外と言ったような表情をしているので、的を外れた受け答えをしてしまったのかもしれない。
何しろこちらは「婚約はき」が何なのかが分からないので、純粋に理解ができる情報を元に、思い浮かんだ言葉を伝えることしかできないのだ。
「……マリア嬢の様子や言動から察するに、そのような愚かな行いをする可能性は低いな……」
呟くような小さな声だったので聞き逃しそうになったけれど、その言葉は純粋に解釈しても良い……のかしら……?
「……どうも手紙を受け取った時から頭に血が上ったような感覚がし、更に文面を読んだ後は完全に冷静な判断を欠いてしまったようだ。マリア嬢の言葉通り、あなたに直接確認もせずに一方的に婚約破棄を持ちかけたことを謝罪したい。申し訳なかった」
ロラン様は綺麗な立ち姿勢から、お手本とも言えるくらい静かで完璧な角度で頭を下げた。
「い、いえ。誰しもこのような手紙を読んでしまったら、冷静を保つのは難しいかと思いますので」
「マリア嬢……」
私が慌てて頭をあげるように促すと、ロラン様は少し間を置いてからゆっくりと姿勢を直して背筋を伸ばした。
そして、今日のところはこれ以上手掛かりもないので、屋敷に戻っても良いこととなった。
しばらく便箋を眺め香りを確認し、何かに納得をしたのか小さく頷く様子のロラン様を目にした。
その詳細を訊ねたくなったけれど、ふと先程凄まれたことを思い出しそれは憚られた。
そして、玄関ホールまで見送りに来ていただいたロラン様に対して、先程に応接間で会話をしていた時よりは、今は冷静な気持ちで辞儀をすることができている。
「それでは、ロラン様。私はこれで失礼をいたします」
「ああ。………………マリア嬢」
「はい、如何なされましたか?」
「いや……、気をつけて帰るように」
「はい。お気遣いをいただきまして、ありがとうございます」
そうしてロラン様のエスコートで我が家の馬車に乗り込み、帰路についた。
「なんだかどっと疲れた……」
いつもは冷静な物言いをするロラン様が、あそこまで捲し立てるところは初めて見たので、より恐ろしさが引き立ったように感じる。
今でも鼓動が鳴り響いて、中々収まってくれそうになかった。
思えばロラン様と私は、周囲から見ても当人たちからも、熱烈や純愛とはほど遠く淡白な関係だった。
と言うのも、普段手紙でのやり取りは必要最低限しか行わないし、ロラン様は王宮勤めで宰相閣下の補佐をする有能な法官なので、日々多忙を極めており、お会いするのはほぼ月に一度に街のレストランで食事をする機会しかなかった。
それもどこにも寄り道をせずに屋敷に送っていただくのみなので、この三年の間あまり親交を深めてきたとは言えないのかもしれない。
ただ、贈り物は誕生日や夜会の時にドレスを数着贈っていただいて、この間の食事の際には特になんの記念日でも無かったのだけれど、私の好みそうだからと「サシェ」を贈っていただいたのだ。
それは手のひら程の大きさで、ローズやレモングラス、ラベンダーといったハーブが、ピンク色の可愛らしい袋に入っている物だ。
いただいた瞬間からその心地の良い香りが気に入って、毎日ドレスのポケットに入れて香りを楽しんでいる。ロラン様は私の好みを良く知ってくれていたのだと思い、あの時はとても嬉しかったのだけれど……。
現在私は十九歳になり、ロラン様は五歳歳上なので二十四歳だ。
二人とも年齢的にも良い頃合いと言うことで、来年の春に結婚を控えているのだけれど、先程のやりとりを思い出すと一抹の不安を抱いた。
ガタゴトと街路を音を立てて走っている馬車に揺られていると、先程の侯爵邸での出来事が自分の胸中で充分に飲み込まれて消化していくようだった。
何しろ、急に呼び出されて険しい剣幕で「婚約はき」を迫られたのですもの。物事を呑み込むのに時間がかかるのは仕方がないわ。
それに、「はき」が何なのだかよく分からないのに、一方的にあのように言われたら精神がすり減るような心中にもなるわ。
「ともかく、帰宅したら直ぐに食事にしましょう」
今は「お腹が空いていたら良い考えが浮かばないので、ともかく食事をしてから考えなさい」という日頃からのお母様の教えを忠実に守るべきだと、馬車の窓から薄暗い街の様子を見ながらぼんやりと思った。
お読みいただき、ありがとうございました。
次話もお読みいただけると幸いです。
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