争いは、似た者同士でしか発生しない
「き、挟叉されました……」
「狼狽えるな。守りではこちらが優位、先手くらいくれてやれ」
上ずった声で報告する部下に、戦艦『ハレルヤ』の野辺山艦長は鷹揚な口調で言った。
超光速航行を達成し銀河へと飛び出した西暦2XXX年の人類は、恒星間戦争の真っただ中。亜光速の反物質ミサイルが飛び交っては星となり、ガンマ線レーザーが分厚い複合装甲を蒸発させる。戦局に利あらざれば、走馬灯を巡らせる間もなく原子の塵と化す無慈悲な戦場にて、太陽系連邦軍の将兵達は果敢に敵に挑んでいた。
艦首の遥か遠方、数光秒の彼方には、トーグンレ同盟の恐るべきバーュニダ級巡航戦艦。
互いに軌道と推進軸を合致させ、強烈なる光線兵器を照射し合う。鋼鉄の艨艟が撃ち合った時代とよく似た同航戦だ。ランダム加減速のため噴射されたガスがオーロラのように眩く煌き、幾筋もの光帯が徐々に狭まっていく。
恐ろしく長い数秒の後、ささやかに感じられこそすれ恐るべき衝撃が、重厚長大なる艦体から伝わってきた。
「被弾! 正面装甲、第17区画まで融解!」
「すぐに斉射が来るぞ、装甲再生急げ。我が方はどうだ?」
「は……あッ、敵艦を挟叉しました!」
「よし。ノーガードの殴り合いならこちらが有利、撃ちまくれ」
野辺山は拳を握り、大いに意気込んだ。
僅かな差で先手を取られはしたが、十分巻き返しは図れるに違いない。戦艦『ハレルヤ』の大口径レーザー主砲が旋回し、最新鋭の素粒子コンピュータが弾き出した敵艦の未来位置に向け、冷却を半ば無視した斉射を開始する。単位面積当たりの威力であれば、ガンマ線バーストが児戯と思える威力だ。
無論、その間にも『ハレルヤ』は何度となく被弾した。幾人かのあらた将兵が文字通り散った。
それでも四つに組んでの戦なら、彼女に軍配が上がるのも当然だろう。不利を悟ったバーュニダ級巡航戦艦は反物質パルス加速で離脱を試みたが、寸でのところで討ち取った。乱打の末、主機に致命傷を負わせることに成功したのだ。
「敵艦、沈黙」
「警戒を厳とせよ。擬態かもしれぬ」
油断大敵との言葉を噛み締めつつも、野辺山は勝利を確信してはいた。
センサ情報を食んだ艦の人工知能は、9という数字を幾つも並べている。実際、主機を失った艦にできることなどほとんどない。かつては鹵獲を試み、自爆に巻き込まれるという事例もありはしたが、人類は失敗から学ぶことのできる生命なのだ。
「敵艦から発光信号、総員退艦の模様。救命カプセルの射出が始まりました」
「ふむ……また生き残ることができたな」
野辺山は胸を撫で下ろし、
「それで、どちらに向けてだ?」
「こちらに向けて、です。救助なさいますか?」
「言うまでもあるまい。仕える星は違えど、同じく勇敢なる宇宙の戦士達だ。最大限の敬意をもって遇してやろうじゃないか。カッターを降ろし、カプセルの回収に向かわせろ」
「了解いたしました」
弾んだ声で命令は受領され、復唱されていく。
程なく戦艦『ハレルヤ』からカッター、つまるところ短距離移動用シャトルが無人で射出され、ゆっくりと漂ってくる救命カプセルの搭乗者の収容に向かった。救命カプセル群の中に反物質爆弾が混ざっている可能性もあるから、主砲の照準はつけてあるが、それが無駄になることを誰もが心から祈っていた。
そして敵艦が自爆プロセスに入った頃、カッターは無事、元乗組員全員を収容して戻ってきた。
武運拙く敗れこそしたものの、異星系の戦士達に敗色を感じさせぬような気配はない。広々としたエアロックに乱れなく整列した彼等を出迎えた野辺山は、何とも嬉しい気分になった。
「戦艦『ハレルヤ』艦長の野辺山です。ようこそ我が艦へ」
死力を尽くして戦った相手とは、誰よりもよく知っている相手でもある。
だからこそ、色々と知りたくなるものだ。それは何十光年という距離を隔てても変わらぬ真理であるようで、敵艦の艦長であったミマタ大佐と、野辺山はすぐに打ち解けることができた。
むしろ打ち解け過ぎたかもしれない。野辺山はぼんやりと思った。
その理由は傍らに目をやれば明白だった。ミマタは明らかに女性であって――視線が合致した瞬間に好意に気付く、そんな大昔の歌詞を直截に再現したような現象にお互い見舞われ、まあそれから色々あったという訳だ。宇宙軍はあまりいい顔をしないかもしれないが、一応軍規に反するという訳でもないし、異星系人との交際とはある種の宇宙社会学的実験にすらなる。
まあそんな難しいことを言わなくとも――やってしまったことは仕方ないのだ。
だが……
「考えてみれば、どうにもおかしい」
「あら、どうかなさって?」
「いや、実のところ何もかもおかしくはないか?」
ミマタの美貌を見やりつつ、野辺山は賢者めいて考え込む。
彼女は自身の好みを具象化したような存在に違いなかったが――まずそこからして訳が分からない。例えば全宇宙美雌鶏コンテストの栄冠に輝いたニワトリがいたとして、それに欲情する人間がいたら、ただの困った変態以外の何者でもあるまい。異星系の生命といえば人間とニワトリより遥かにかけ離れていて当然なのに、何故自分はそれと恋などできているのだろうか。
それに調べてみれば、トーグンレ同盟の人々と地球発祥の人類は、生物学的に交配可能だという。こんなことってあり得るだろうか?
更に言うなら、戦争が成立してしまっている理由もまた、さっぱり分からなかった。
例えば降下師団の強化外骨格兵と剣や槍で武装した兵隊では、戦争という表現がまるで似合わぬ殺戮にしかならないだろう。農地を開拓するに際し、野生動物を追い払うのとほとんど変わらない。宇宙文明は開闢の時期や規模、成長曲線などが当然バラバラであるはずだから、それくらい一方的な関係ばかりになるはずだし、そもそも各星系の知的生命体が文明を持つ時期が重なること自体、奇跡のような現象のはずなのだ。
だというのに、接触して間もない恒星間文明同士が、ほぼ同一の技術水準と案外似通った価値観に基づいて戦争をしている。こんなことってあり得るだろうか?
「確かに言われてみれば、分からないわね」
「だろう? 本来、宇宙戦争なんてのはまず成立しないはずだ」
「現実は創作よりも不思議と言うけど……」
「そんな諺、トーグンレにもあるのか。まあともかく、長らく軍人として生きてきた自分が言うのも変な話だが……何かもう戦争どころでない気がしてきたよ」
彼と同じことを思う人間、あるいはトーグンレの人々は、やはり大勢いたらしい。
考えてみれば何故始まったのかよく分からない恒星間戦争は、そんな理由から、あっという間に終結してしまった。宇宙に平和が訪れ、太陽系連邦とトーグンレ同盟の間を大勢が行き来するようになり、野辺山とミマタのような者達も随分と増えた。インターステラーな赤ん坊もすくすく元気に育ち、多少の社会的な緊張を経はしたものの、それぞれの星系に溶け込んでいった。結局のところ、見た目で区別がつかなかったのだ。
ただそれでも、謎は謎のままだった。
人類が存在するだけでもあり得ない確率だというのは有名な話だが、トーグンレの人々を存在を踏まえると、単純計算すればその2乗になってしまう。前者が1兆分の1ならば、後者は秭とかいう見慣れぬ漢字を使わねばらならない。ついでにこれでもウルトラ級に甘い確率に違いなく、実際は1那由他分の1だか1無量大数分の1だか分からない。
「やっぱこれ、絶対偶然ではないだろう」
「ええ。それだけは間違いないわね」
軍を退役した後、揃って科学者となった野辺山夫妻は、いつもそんな話で盛り上がっていた。
「困ったな……結局全然分からないまま死にそうだよ」
「そうですねえ、お爺さん」
ヨボヨボになった野辺山夫妻は、熱い茶を飲みながら過ごす。
戦争終結から100年。相変わらず宇宙は平和そのもので、文明も加速度的に進歩して全てが豊かになり、この間はシリウス星系のダイソン球が完成した。宇宙探査も順調で、太陽・トーグンレ連合の知る宇宙はどんどん広がっている。
だがやはり――謎は解けそうになかった。
結局のところ西暦2YYY年のファーストコンタクト以前に、お互いの文明の接点などこれっぽっちもなかったのだ。生命の発生過程もそっくりなのに、共通の始祖など存在しなかったのだ。91光年も離れているのだから当然といえば当然だ。それ故、本当に偶然こうなっただけであるとか、何処にいるんだか分からない神の存在を言い出すとか、あるいは細かいことはいいんだよと放り出すとか、まあそんな具合になっていた。
無論のこと成果が挙がらない研究など誰もやりたくないから、科学者は次から次へと脱落していった。今では野辺山夫妻以外に探究を続けている者がいない始末である。
「そのうち、お天道様が教えてくれるんだろうかなあ」
「なぁに、お天道様って?」
「ああ、太陽のことだよ。遥か昔から、人に準えるような表現をするもんなんだ」
野辺山は耄碌した声で言い、それに変な反応をした人工知能が、関連ニュースを適当に並べる。
別段、目を引くものはない。視界に浮かんだそれらを消去しようとした時、奇妙奇天烈な報告が目に付いた。このところ定期的に太陽フレアが観測されており、それに伴ってどうしてか、地球で反トーグンレ運動が盛り上がるという。盛り上がるといっても、1日やそこらで参加者が正気に戻ってしまうから、すぐ消沈しはするのだが――不可解ではあった。
「ううん、変な話もあるもんだ」
「それ、私の故郷でもそうみたいですよ、お爺さん」
「おお婆さんや、そうなのか」
野辺山は皺くちゃな顔を少し傾けながら、インターステラーネットで調べてみる。
確かに事実だった。トーグンレを照らす恒星ソーンツァも、最近フレアが活発で、何故か反太陽系運動が盛り上がるという。やはりこちらも1日――トーグンレの1日は地球のそれより15分ほど長いが―ーやそこらで終わってしまうというのも一緒だ。
「何だか、お天道様に唆されているみたいですね」
「婆さん、それかもしれんよ」
脳裏に浮かんだとてつもない発想に、野辺山は慄然とした。
太陽にしてもソーンツァにしても、人間にはあまりにも理解し難い構造ではあるが、超越的な知性を有する存在なのではないか? 核融合の結果生じる光に情報を畳み込み、91光年先にすら届け、それどころか恒星同士でコミュニケーションを取ることすらできていたのではないか?
大胆不敵というか、誇大妄想に近い仮説。しかし諸々の辻褄が合う気がした。
「婆さんや、儂らの最後の共同作業とせんか」
「ええ、それが私達の天命というものね」
こうして野辺山夫妻は論文の執筆に入った。
数年してプロキオン星系の宇宙情報学会で発表されたそれが、とんでもない反響を呼んだのは言うまでもない。
「ねえ見てよ、うちの第三惑星で生命が誕生したんだ」
「あ、いいなぁ。僕も真似してみていい? やり方教えてくれない?」
「いいよ。まず光をちょっと加減してね……」
今から38億年くらい昔から、あるいはもうちょっと前から、太陽とソーンツァはお喋りをしていた。
故に2つの星系の惑星でほぼ同時に、古細菌が真核生物へと進化を遂げたり、光合成をする生物が生まれたりした。一見極まりなく孤独に見える恒星も、そうやって自らの庭で遊び、自慢し合ったりするものなのだ。
「やば、全球凍結しちゃった……どうしよ、このままだと凍ったままだ」
「大丈夫だよ。火山活動の温室効果ガスでそのうち解けるから」
「あ、本当だ。それに見てよ、氷が解けて光が差し込んだら凄い進化だ!」
そんな調子で植物や昆虫が陸に上がり、手足を持った魚が川辺を這い回り、恐竜が闊歩するようになった。
何とも豪快なダイナスティック中生代も、隕石の軌道予測ミスで唐突に終わってしまったりしたが、「哺乳類の時代になったからヨシ!」「大量絶滅はよくあるからヨシ!」と雑に考えることにした。
多分それは、結果的には正解だったのだろう。
ソーンツァ星系での哺乳類の進歩を見て、地球にも隕石が落ち、ちょっとの冬の後に哺乳類の時代がやってきた。それが6000万年だか過ぎた頃、遂に恒星が待ち望んでいたものが誕生した。
言うまでもない――知的生命体たる人類やトーグンレ人の先祖たる類人猿である。
ただ問題は、その頃から太陽とソーンツァが何故か喧嘩をし始めたことだ。
「知的生命体の起源は太陽系ですし。そちらは二流のパチモノですね」
「は? 本家はうちに決まってるだろ。誰が類人猿に道具を作らせるやり方教えたと思ってんの?」
「そちらこそ火の利用なんて思いつかなかった癖に生意気」
「何だと!? 農耕社会はこっちが先だ。やんのかコラ!」
「上等よ、顔を洗って待ってなさい!」
恒星の顏というのが何処なのかよく分からないが、91光年を隔てた大喧嘩である。インターステラーならぬインターレスバーである。
なお恒星同士の喧嘩というのは、これまたちょっと不思議な形態となる。星系で発生した知的生命体を発展させ、宇宙に至る文明を築かせ、それでもって相手の星系を攻めさせるのだ。何とも迂遠ではあるが、元々100億年の寿命を持つ主系列星からすれば、ほんの一瞬でしかない。
そうして勇躍宇宙へと飛び出した人類やトーグンレ人は、恒星に煽られるまま、戦争状態に突入したのだ。
なお"戦争"になったのは、恒星に隠し事をするという発想がなかったためである。煽り合いの過程でお互いの情報が平滑化し、結果として人類とトーグンレ人の技術水準がほぼ同一の水準に帰着してしまったのだ。
そして予想に反して人類とトーグンレ人が和平を結んでしまったので、「早く戦を再開してあのクソ恒星系を潰せ!」と、太陽とソーンツァが怒鳴り合っていたという訳である。
急に反トーグンレ/反太陽系運動が盛り上がったのは、実のところその影響だった。ただ人類もトーグンレ人も賢いので、原因のよく分からない怒りに身を任せなかったのだ。またその因果関係を証明する過程で、恒星同士が用いていた通信プロトコルの解析にも成功し――何千億人という人々が呆れ果てた。
「いい加減に星!」
2つの星系にて、そんなメッセージが大出力で発信された。
ずっと喧嘩してばかりだった太陽とソーンツァは、ようやく冷静さを取り戻した。ただこの低レベルな喧嘩がなければ文明の発展もなかったかと思うと、全く心底複雑である。
登場人物や国名などからすぐ分かるかもしれませんが、『火の鳥』未来編が概ね元ネタです。
あれに登場するコンピュータ『ハレルヤ』と『ダニューバ』の口喧嘩(最終的に超水爆を仕掛けあって人類が滅亡しちゃいますが)を見ていて、恒星同士で下らない口喧嘩してたら面白いな、と思って書いてみました。
恒星同士の下らない口喧嘩の結果、人類が誕生したと分かったら、どんな気分になるのでしょうね?




