7. 最強の証明
サミギナの基本的な戦闘スタイルは打撃を主軸としたごり押しだが、それは決して魔法が苦手だからという理由からなるものではない。
ただ詠唱が面倒臭いから使いたくないだけだ。
才能だけなら他の魔法使いの追随を許さないほど高レベルの域にある。
昔はよく天才だの神童だのと持て囃されたものだ。
ただの自慢話になってしまったが、それだけサミギナは魔法力も優れているということである。
そんな彼女の完全詠唱の魔法だ。
いかに相手が魔王の側近といえど殺せるはず。
仮に重傷レベルにおさまったとしても、怯んだ隙に首を刎ねてやれば何の問題もない。
本気でそう考えていたからこそ、突如立ち塞がった岩の壁に炎が苦もなく弾かれたことは衝撃的であった。
「ぬん!」
がら空きになっていた背後をつかれ、地面まで殴り飛ばされる。
誰の仕業だ、などと聞くまでもない。
一度戦ったことのある相手の攻撃を間違えるものか。
「相変わらず目障りな奴ですね」
「貴様ほどではあるまい」
レオル・トランゼスタ。
魔王の城の門番を務めていた大悪魔だ。
「相変わらず牛みたいな体してますね。肉削ぎ落としてあげましょうか?」
「吠えるなよ。今の貴様にそんな力があると思うか」
ギリリ、と苛立ちで歯ぎしりする。
どいつもこいつも舐めやがって。
ぶっ殺してやる。
だが怒りのままに踏み込んだ足がそれ以上動くことはなかった。
ゴツゴツした巨大な手ががっちりと足を掴んでいたからである。
刹那、ふわりとした浮遊感。
サミギナの体は軽々と持ち上げられ、宙ぶらりんになっていた。
「大地がある限り、ここは私の独壇場だ」
<地核変動>。
物質の形と強度を自在に操るレオルの魔法だ。
それはつまり、この地上の全てが彼女の支配下であり、武器であるということ。
「貴様は魔王様に血を流させた。だから死ね!私が殺してやる!」
レオルが咆哮すると、大地がもぞりと蠢うごめく。
そして次の瞬間、サミギナの方へと針の波が押し寄せてきた。
ただ形を変えただけではない。
魔力を纏ったことで威力も格段に上昇している。
防御さえままならないこの状態では確実に致命傷になる。
それでもサミギナは極めて冷静に聖剣を構え直した。
狙いは自身を掴む巨大な腕だ。
「ーーーッ!」
ガアンと派手な爆発音。
強化されているとはいえ所詮元は土。
聖剣をもってすれば斬れない道理はない。
崩れる瓦礫を蹴って戦線離脱する。
魔法はレオルに防がれるし、突っ込めばイルフィードの発明とやらに引っ掛かってしまう。
ならば逃げるしかない。
逃げながら、何か策を…
「ぐ、うっ!?」
その時、ようやくサミギナは体の異変を自覚した。
手と足がうまく動かせない。
ひどい頭痛と吐き気がする。
二日酔いになっているような感覚だ。
この世界に来てから一口もお酒を飲んでいないのに。
一体、なぜ?
単純な性能だけで言えばレオルの魔法は最強クラスと断言できるが、致命的な欠点が一つある。
辺りの地形を大きく変えてしまうことだ。
現に先ほどまで平坦だった大地は凸凹の断崖絶壁がいくつも作られてしまっている。
「おっ、そろそろ効いてきたかな?」
その中でも一際高い崖の上で三人目の悪魔、ベルゼビュート・イビは千鳥足の勇者を見下ろしていた。
当然、ただ傍観している訳ではない。
サミギナの体が不調を訴えだしたのは何を隠そう、彼女の能力によるものなのである。
<安楽の呪毒>
猛毒により敵を弱らせ、じわじわと死に至らしめる魔法だ。
弱点は初動が遅いことと毒に耐性を持つ者には効きにくいことだが、前者は仲間達のフォローで、後者は毒の種類を複雑化することで突破した。
さすがに勇者も何か気づいたようだが、あまりにも手遅れだ。
この毒を解除できるのは術士であるベルゼビュートのみ。
逃げるのも無駄だ。
既にこの戦場の全土が瘴気に汚染されている。
後は勝手にくたばるのを待つだけでいい。
少しだけ可哀相ではあるが、同情する気は欠片もなかった。
「ベルとディアちゃんの時間を邪魔をしたんだもん、仕方ないよねっ」
結末がわかってしまった戦いはつまらない。
ベルゼビュートは戦闘が終わるまで小石を弾いて遊ぶことにした。
もはや息をするにも激痛が伴うほどサミギナの体は徹底的に毒に侵されていた。
策を考える暇なんて全くない。
ただ逃げ続けることだけで精一杯だ。
それができるだけでも十分な奇跡ではあったのだが。
ぬるりとしたものが喉に引っ掛かり、気持ち悪くて咳込む。
手に付着した大量の血をまじまじと眺め、ようやくサミギナは死期が近いことを悟り、恐怖した。
「冗談じゃ…ない、ですよッ」
別に死ぬこと自体は怖くない。
こんな奴らに殺される、ということがたまらなく嫌なのだ。
悪魔という糞みたいな種族に、ましてや自分が召喚した、言わば眷属に手を噛まれるなど間抜けでしかない。
サミギナは必死で腐りかけの脳を活性化させる。
何かあるはずだ。
この戦況を打破できる何かが。
考えろ、考えろ考えろ考えろーーー
「…っ!」
顔を上げたのは妙案が浮かんだからではない。
とてつもなく強い魔力の奔流を感じとったからだ。
魂さえ抜き取られてしまいそうな、ブラックホールの如き闇の力の渦。
これほどの力を扱えるのはこの場で一人しかいない。
「魔王…ッ!」
振り返ると、ディアが魔力を集束させた手の平をこちらに向けていた。
サミギナの顔に冷や汗が滲む。
あんなものを今の状態で喰らったら確実に死んでしまう。
距離を取らなければ。
少しでもいいから、距離を。
黒く変色した足に回復魔法をかけて、サミギナは這いずるように走り出す。
次の瞬間、サミギナの体はディアの目の前に移動していた。
「余の能力を忘れたか?」
嘲り笑うその声は、サミギナには聞こえなかった。
彼女の耳にしていたのは、轟々と煩い風の音だけ。
彼女が目にしていたのは、黒く輝く魔力弾だけ。
「光よ!我が怒りの炎にて、永久に地獄へ落ちよ!」
ゼロ距離で放たれた暗黒の波動はサミギナの体を粉々に破壊し、そして残さず蒸発させた。
ディアが全力で打った魔法がサミギナを飲み込むだけで消えるはずもなく、一切の威力の減衰なしに地面に衝突し、大爆発した。
砂煙のせいでよく見えないが、さぞ大きなクレーターができていることだろう。
「勇者、生命反応、消失、確認、しました」
「うむ」
イルフィードの報告にディアは簡単な返事を返す。
まあ、言われなくてもわかることだ。
万全の状態であれば何とかしていたかもしれないが、吹けば崩れるほど腐り落ちていた体である。
万が一にも生きている可能性はない。
「やったねディアちゃん!」
ベルゼビュートがぴょんと飛び跳ねる。
横ではレオルが静かに佇んでいる。
「ああ、よくやったベル。イルとレオルもな」
「いえ!当然のことをしたまでです!」
「右に、同じ」
それにしても、四対一とはいえなんとも呆気ない幕切れだった。
サミギナはかなり必死で戦っていたようだったが、結果はどうだ。
こちらは誰一人として大した傷を負っていない。
少しは足掻くかと思っていたのだが。
ふと、かつての最終決戦を思い出す。
魔王の力の全てを使っても届かなかった、完全無欠の勇者の姿を。
やはりあの力は神に頼ってのものでしかなかったということか。
ため息を吐いて、一度思考を停止させる。
過ぎたことに思いを馳せても仕方ない。
ディアは改めて雲一つない、がらんどうの空と大地を見渡した。
復活を果たしたのはいいが、ここがどこかさえわからない有様である。
まずこの場所の情報を仕入れて、それから元の世界に戻る方法を―――
その時、生温い風が吹いた。
別におかしなことではない。
風くらいどこにでも吹くに決まっている。
だがディアは何かを感じていた。
上手く言えないが、これからまた一悶着起こりそうな予感を。
そしてそれはすぐに的中することになる。
ヒュン、という空気を切り裂く音。
少し遅れてブシュッ、という肉を抉る音。
赤い液体がディアの服にまで飛んできた。
「うっ!?」
ベルゼビュートがうめき声を上げて体勢を崩した。
肩が裂けている。
ちぎれそうなほど深く。
「ベル!」
斬られたのだ。
だが、一体誰に?どうやって?
その疑問の答えはすぐに返ってきた。
「ちっ、失敗しましたか…首を落としたかったんですけどね」
この場にいる四人の誰のものでもない声。
それは砂煙の中から聞こえてきた。
「うそ…」
ベルゼビュートが顔色を悪くする。
「…ッ」
レオルが息を呑む。
「…理解、不能」
イルフィードさえ冷静を装えていなかった。
砂煙を掻き分けて歩いて来る人影。
それが先ほどの声の主ならば、正体は明らかだ。
だが、そんなことはありえない。
魔力反応も、生命反応も消えていた。
だったらアレは誰だ?
顔も、武器も、魔力も、全てが同じアレは誰なんだ?
「貴様は…何者だ…」
ディアですら、その光景を受け入れたくなかった。
だから『貴様』という二人称を使ったのだ。
―――奴は、余が『そなた』と呼ぶ者とは違う。
実際のところ、そうでなければ彼女らは諦めるしかなかった。
確定した『死』すらねじ曲げる力。
そんなものがあるのなら、勝ち目がない。
「誰?ああ、そういえば貴方達に私の能力を見せたことなかったですね」
そう、ディア達に勝ち目など最初からなかったのだ。
相手が誰であろうが、何人いようが自分は絶対負けない。
そんな確信があったからこそ、彼女は四対一という無茶苦茶な戦いに乗ったのだ。
「誰も私を倒すことなんてできないんです。だって―――」
聞けば聞くほど、その声はそっくりで。
見れば見るほど、その目は同じ輝きで。
だからもう受け入れるしかなかった。
「―――私、最強なんで」
彼女は偽りなく、勇者サミギナ・ジェニスヴァインなのだと。