4. 再臨する魔王
月日は流れ、サミギナが異世界に送られて一月が経った。
ただの人間であればとっくに息絶えている頃だろう。
だが、彼女の肉体は勇者となった時に特殊なものへと改造されてある。
軽い怪我程度ならば一瞬で治癒するし、たとえ飲み食いをしなくても一年弱は生存可能だ。
もっとも、治るのが早いというだけで傷つくと痛いし、食べなくても平気だがお腹は空く。
言わば最低限の生存保障でしかない。
サミギナにとって、空腹を満たすために汚らしい虫を食うしかなかったこの一月間は堪え難い屈辱の日々であった。
そんな日々の中、サミギナが想い続けていたものはただ一つ。
勇者たる自分をこんな目に合わせた愚か者達への復讐である。
もしかしたら私が悪かったのかも、という考えには一切至らなかったのは彼女が度を越えてクズだったからと言う他ないだろう。
そして今、サミギナは着々と進めてきた復讐の準備を終えた。
「ふっ、ふふふふ…ついに完成です!」
胸を張る彼女の前にあるのは六芒星の魔方陣である。
なぜこんなものを作ったのかと言うと、昔見た怪しい魔導書の一説を思い出したからだ。
『選ばれし血をもって大いなる陣を描きし時、汝、超常の存在を従えるであろう』
いわゆる悪魔召喚の儀式というやつだ。
当時は馬鹿馬鹿しいと一笑に付したが、もし本当なら最高だ。
せっかく取り戻した平和を再び悪魔に奪われるなんて、人々にとっては地獄以外のなにものでもない。
試す価値はあるだろう。
どうせ時間は無限にある。
そう思い立った彼女は直径50メートルにもなる超巨大な魔方陣を自らの血で描き上げたのだ。
ちなみに、ここまで大きくしたのは『でかい方が強い悪魔を呼べそう』という浅はかな考えによるものである。
幾度なく貧血でぶっ倒れたが、結果満足のいくものができたので良しとしよう。
少々形は歪んでいるが。
「よし、じゃあ始めますか…」
サミギナは頬をぱんぱんと叩いて気合いを入れ、かつての記憶を手繰り寄せる。
彼女の記憶力は異常に優れており、一度見たり聞いたりしたものは基本的に忘れない。
そのおかげで魔導書に載っていた複雑な詠唱も苦もなく思い出せた。
「敵対者よ。万象を嘲笑う砕かれし翼よ、今再び形を為せ」
紡がれた言葉に呼応し、鮮血の魔法陣が眩しく発光する。
召喚魔法は初めてなのでよくわからないが、おそらく上手くいっているのだろう。
そうでなくては困る。
「歪む眼は闇より黒く、連ねる呪詛は死より悍ましく。汝、大罪を従えしもの。全ての邪悪の祖なるもの」
視界が曇り、目眩がしてきた。
力が抜けていく感じもする。
だがこれは喜ぶべき自体だ。
召喚魔法の際にはこうした症状が表れることも記憶済みである。
「穢れし心に釘を打つ。その在り方を戒めるため。そうあれかしと導くために」
いつしか魔法陣が雷を発していた。
それが強くなっていくたびに、サミギナの表情も険しいものになっていく。
見捨てられ、貶められたあの日。
尽きぬ憎悪を願いに変えて、怒鳴るような口調で魔なる者へと謡い続ける。
「故に応えよ。我が元に跪き、永遠に贖罪の日々を生きよ。開かずの牢獄に刻み込む、汝の名はーーー」
ふと流れ込んで来たのは奴の最後の言葉。
『勇者の力を持つ者の手で復活する』
その言う通りになってしまったのは癪だが、今となっては些細なことだ。
これが最大の復讐であることに間違いないのだから。
至虐たっぷりに口角を歪ませて、サミギナは最後の一説を唱えた。
「ーーーディア·クローネ·アルタミーゴ」
次の瞬間だった。
まさに邪悪、と言った感じの竜巻が生まれたのは。
超巨大魔法陣をすっぽり覆う、暴力的な|漆黒の嵐。
吹き飛ばされそうになりながらもサミギナは正面を睨み据える。
そして気付いた。
竜巻の中心に、何かがいる。
「余を呼んだのはお前か」
囁き声。
だがそれは轟音をものともせずサミギナの脳髄に響いてきた。
それだけでも声の主がただ者でないことが伺える。
影が大地に降り立つと同時にあれほどいきり立っていた竜巻が爆ぜ、姿があらわになった。
それは間違いなく、かつて命を取り合った宿敵のものだ。
「聖なる身でありながら闇に縋るその心、そして十全なる才。気に入ったぞ」
マントで上半身を隠しているせいで顔はよく見えない。
かなり大物っぽい演出だが、二度目だとさすがに飽きてしまう。
溜めに溜めてマントを払いのけると、悪魔の少女はついに名乗りを上げようとする。
「さあ!我が威光を見よ!余は魔王ディア…」
そこで初めて、彼女は召喚主が知った顔であることに気づいたようだった。
「…そなた、勇者サミギナか?」
「相変わらずダッサイ自己紹介ですね。魔王」
面食らってポカンとする魔王に、元勇者はため息混じりの感想を述べた。