2. 私は悪くないのに
「何を…言ってるんですか…」
サミギナはわなわなと震えながらも静かに告げた。
本当は目の前の女神を口汚く罵って唾でも吐いてやりたかったが、大衆が見守る中でそれはマズイことくらいさすがにわかる。
だが抑えても抑えても、怒りの炎はおさまらない。
追放?
何を言っているんだこいつは。
悪戯にしては度が過ぎているだろう。
それとも無駄に長生きし過ぎたせいでボケたか?
状況を理解できず心の中で罵倒を続けるサミギナに対し、ルシアンはわざと大きくため息をついてみせた。
「本当に心当たりはないんですか?」
「ありません」
即答だった。
それを聞いた人々がまたザワザワと騒ぎはじめる。
うるさいので黙らせるべく魔法を使おうとするが、何も出てこない。
どうやら体に巻付けられている鎖は頑丈なだけでなく魔力を封じ込める効果もあるようだ。
ならば適当に謝って許してもらうしかあるまい、とサミギナはルシアンへ謝罪を口にした。
「あの…よくわからないけどすみません。許して下さい」
「駄目です」
今度はルシアンが即答する。
簡単には許せない理由があるのだろう。
しかし何の心当たりもないサミギナにとってそれは心底人を舐め腐った態度にしか映らず、ついに自制の糸がぷちっと切れた。
「ふざけんな!許せっつってんだろこのアバズレ!殺されたくなかったらはやくこれ解きやがれ!!」
勇者とは思えない汚い言葉をぶちまけ、溜め込んだ怒りを爆発させる。
封魔の鎖を持ってしても抑えきれなくなった魔力が雷状になって放出され、乱立する木々を消し炭にする。
人々は叫び声を上げて逃げ惑ったが、ルシアンは少しも動じずにサミギナを見つめていた。
「私が何をした!?言ってみろ!」
「…貴方、他人の家に侵入して盗みを繰り返していましたよね」
その一言でサミギナは「あっ」と声を漏らして急に静かになった。
なぜなら言い訳のできない事実だったからである。
彼女は前から自分の気に入った物や高価そうな物を奪って身につけたり、売って金に変えたりしていた。
前は盗みを働いても悪魔のせいにすることができたが、今はそれができない。
他ならぬ自分が全悪魔を封印してしまったせいだ。
これはしまった。
「あっ、あれは魔が差してつい…」
「まだありますよ。貴方、4日前に町をめちゃくちゃに破壊しましたよね」
「うっ」
またしても事実を突きつけられてしまった。
サミギナはカジノで財布を空にしてしまった腹いせに暴れ周り、町を瓦礫の山に変えてしまったのだ。
運よく死者こそ出なかったものの、復興には3年もかかるらしい。
実は5回ほど同じことをしているのは内緒である。
物に当たってしまうのは彼女の昔からの悪い癖だ。
「でも追放なんて酷すぎます!罪なら刑務所でいくらでも償いますからぁー!」
万策尽きたサミギナは泣いて許しを乞うことにした。
それほど追放は嫌なのだ。
追放とは更正の余地なし、もしくは手に負えないとされた大罪人を異空間に捨てる刑罰である。
どこにたどり着くかは誰にもわからないが、ろくな所じゃないということだけは確かだ。
当然サミギナの好きな物などあるわけがない。
ギャンブルも酒もない空間に閉じ込められるなど考えるだけで気が狂ってしまいそうだ。
「お願いです!許して下さいルシアン!」
サミギナは謝りながら滂沱の涙を流してみせる。
それは心からの謝罪ではなく、お優しい女神様はこうすれば許すだろうという下衆な思惑の元に行われたものでしかない。
「やめなさい見苦しい」
本気でそう思っていただけに、ルシアンの冷たい声はより絶望的に聞こえた。
はっと顔を上げると、そこにあったのはゴミを見下すような白い目。
なんだよその目は。
私は勇者だぞ。
こんだけ謝ってんだから許せよ!
「刑務所?昨日入ったじゃないですか。それなのに貴方は脱走した…刑務所を破壊して」
「…えっ?」
今回ばかりはサミギナの記憶にはなかった。
無理もない。
記憶が飛ぶレベルに酔っていたからだ。
泥酔状態でカジノで暴れて捕まり、刑務所に入れられたが魔力で全壊させて逃げたことなど覚えているわけがない。
「ちょっと待って下さい!私そんなことやってません!本当にやってないんです!」
その叫びは彼女にとっては真実だったが、それ以外からすると酔っ払いの戯言でしかなかった。
庇ってくれる人など誰もいない。
それほど信頼が地に落ちていたということだろう。
「残念です。貴方をこんな形で罰せねばならないなんて…本当に残念です」
ルシアンが杖を掲げると、地面に巨大な穴が出現した。
それは底無し沼の如く、縛り付けている十字架ごとサミギナの体を奥底へと引きずりこんでいく。
追放が始まった。
始まってしまった。
「待って下さい!私は勇者ですよ!?こんなことをしていいと思っているんですか!?」
顔面蒼白で訴えるサミギナの声は誰の心にも響かなかったようだ。
大衆も、目の前の女神も、何も言わずただ見つめている。
かつての羨望の眼差しではなく、ひたすらに冷たい呆れ果てた目で。
経緯を考えれば仕方のないことだが、彼女は許せなかった。
あれだけ私を利用して、あれだけ私に頼っておいて。
全部終わったらこの仕打ちか。
許せない、許さない。
「クッソオオォォふざけるな!ふざけるなクソ野郎共!簡単に恩を忘れやがってェェッ!」
髪を振り乱し、鬼の形相で剥きだしの感情をぶちまける。
そんな女がかつて勇者であったなど、一体誰が信じられようか。
「私は必ず戻って来る!てめえら全員皆殺しにしてやる!私の名を忘れるな!私はーーーッ」
暗黒に身体全てを飲まれても、吐き出された不条理な怒りは、理不尽な憎しみはこの場に留まり続けていた。
大罪人の追放が成功したにもかかわらず、歓喜に沸く者は一人もいない。
人々は残された言葉にただ震えていた。
『必ず戻って来る』
追放から帰ってきた事例は過去にない。
だが負け惜しみだとは誰も思わなかった。
それだけの気迫があったからである。
彼女の言った通り、人々は永遠に忘れないだろう。
堕ちし英雄、サミギナ・ジェニスヴァインの名を。
「うぎゃっ」
かくして異世界に送り付けられたサミギナはかなりの高さから固い地面に叩きつけられた。
普段なら受け身をとってダメージをほぼ0に抑えることなど容易いが、今は縛りつけられているのでそんなことはできない。
全身にビリビリと振動が伝わってくる。
かなり痛かったが、幸いだったのは衝撃で鎖が緩んだことだ。
彼女はイモムシのようにモゾモゾと捕縛から抜け出した。
「ぐううぅっ…屈辱です…」
まさか英雄たる私が地面を這うことになろうとは。
未だにそんなことを考えながら立ち上がる。
そして彼女はどんな世界に来てしまったのかを把握すべく、辺りを見渡した。
「…なんですか…ここ」
そこには何もなかった。
壮大な海も、雄大な山も、朽ち果てた建物も、何一つ見当たらない。
地平線の彼方まで真っ黒な空とカサカサの大地が広がるばかりだ。
植物もなく、生き物もいない。
こんな虚無の中で人生を終えるとは何と絶望的なのだろう。
「…うっ…うう…」
サミギナはついに耐え切れなくなり、膝をついた。
「うええぇぇ…っ気持ち悪いです…」
彼女はショックとぶり返してきた酔いに苛まれ、一人ぽつんと泣いていた。