背後にはご注意ください
その日、日が沈み屋敷の人々が寝静まった頃、ミシェルはまた日記を書く。
『日記さん
今日はカフェテリアで殿下に遭遇しました。
例のごとく、それはもう鋭いまなざしでこちらを見ていらしたの。
耐え切れずカフェテリアを出てきてしまい、お昼を食べ損ねましたわ。
恥ずかしながら私、授業中にお腹がなってしまいそうで。
お腹に力を入れれば音が鳴らないかもしれないだとか、
いっそのことお腹を鳴らしてしまい、その後
隣の人の方から音がしたふりをして見てみれば
気づかれないんじゃないかとか考えていたら
午後の授業はあまり集中できませんでしたの。
こんな私を日記さんは情けなく思うかしら。』
ミシェルの日記は、日記さんをお友達に擬人化させて手紙を書くように語り掛けるスタイルだ。
因みに日記さんは、一つ年上のお姉さん的存在の友人で、これにたどり着くまでに、幼馴染、妹、兄、母親、年配の女性と様々にスタイルを変えて今に落ち着いた。
別にどれでも一緒ではないかと人は思うかもしれないが、気持ちが違うと筆の進みが格段に違い、普段人には言えない内容でも書けるようになるのが、この一つ年上のお姉さん的友人だった。
一人っ子のミシェルには兄弟がいない。
兄弟に甘えたり、甘えられたりするのは夢だった。
とりわけ、お姉さんへ甘えると言う憧れがそうさせたのかもしれない。
いつものごとく、日記の内容や今日の反省などを呟きながら、筆は進んだ。
その姿を見ている人間がいるとも思わずに。
「ミシェルったらどうしちゃったのかしら。憑りつかれてるみたい。」
「本当だな。こんなことなら新商品など放っておけばよかった。」
扉の隙間を覗きながら、ひそひそと話す人影は4つに増えている。
執事から手紙をもらってすぐにリンベール侯爵夫妻は戻ってきた。
扉の一番下の位置に執事が膝をつき、その上にメアリーが中腰で、夫人と侯爵は身長差があるためほぼ立ったまま部屋の中を覗き込む。
中腰のメアリーだけは予想以上に態勢がきつい。
真上に夫人たちがいるため身動きできない。
頑張ってはみたが、プルプルと震えつい扉に当たり、こつんと物音をたててしまう。
「「しーっ!!」」
「申し訳ありません、ですがこの態勢もう限界です!」
「しょうがない。場所を変えよう。」
4人は執務室へと場所を変えようと動き出したが、やはりミシェルは日記に集中していて気づかなかった。
執務室では遠慮するデイビスとメアリーを侯爵夫妻はソファに座らせ、4人は向かい合わせの形をとっていた。
侯爵夫妻はデイビスとメアリーから受け取った手紙の内容を思い出し、口を開いた。
「屋敷の中では特に問題なさそうだという話だったな。であれば、やはり学園か。本来、学園は子供達自身で解決をさせる場ではあるが、時に子供では手に余ることがあそこでは起こる。まずは知人に手を回し現状を把握するよう手を打とう。」
「こんな時すぐにミシェルの様子を教えてくれるお知り合いがいればよかったのに。・・・私のせいですわ。お友達を作ってから学園に入学させてあげるべきでした。」
淑女教育を優先して、社交を後回しにしたことが仇となっていた。
リンベール家では、結婚相手も恋愛を優先させていた為、ミシェルには婚約者もいない。
宮中での要職を持たず領内の経営も安定している為、絶対的な政略婚を必要としていないのだ。
子供の頃、少しやんちゃだったミシェルの淑女教育を優先させることは、妻のカトリアーナの要望だった。
「そんなことはない。君のしっかりした教育と愛情でミシェルは立派なレディーになった。何処へ出しても恥ずかしくない。僕たちの自慢の娘だよ。」
ウィリアムは心からそう思っていた。
ミシェルは好奇心旺盛で少しお転婆な所があるが、思いやりがあり淑女の振舞いのできる大人への階段を上り始めた。
貴族には珍しい恋愛結婚が多いリンベール家で、ウィリアム達もまた恋愛結婚だった。
そんな愛する妻によく似たミシェルが一人前になっていく姿を心から誇らしく思っている。
ウィリアムはカトリアーナの手を握り締めて優しく微笑む。
カトリアーナもまたウィリアムの手を握り返し、うっとりとした瞳で見つめ返す。
二人はもはや自分たちの世界だ。
代々、恋愛結婚の多いリンベール家の当主夫妻は、情熱的な人間が多い。
先代の当主夫妻もそうであった。
慣れているデイビスでさえ当主達の睦まじさは目に痛い。
独身のメアリーなどは直視できずに顔を赤らめて俯いている。
そして思うのだ。
早くこちらの世界に帰ってきてほしいなと・・・。