一難去って
「なかなか良いデザインになったわね。じゃあ、今からこれを刺繍していきましょう。」
刺繍とクッキーのお礼が決まってからトントンと準備は進み、今ミシェルは母カトリアーナと一緒に刺繍のデザイン画を描き終えた所だ。
借りたハンカチにも施してあった家紋を刺繍することにした。
家紋にバラの花を添える形のデザインにしたのだが、女々しくならないようにバラは青バラ、家紋は黒とグレイを基調にする予定だ。
アランの実家フェイズ家は、先祖の薬草栽培の知識を活かして今でも薬草や薬、珍しい草花の製造が盛んである。
中でも最近になって開発された青バラは、世界的にも有名になっている。
「いたっ。」
「あらあら、ミシェル大丈夫? このままだと出来上がるころには指先が穴だらけね。」
一時期、淑女の嗜みだからと刺繍を習いはしたが、ミシェルにとっては趣味にするほど得意でも好きでもなかった。
最近では滅多に刺繍をすることもなかったため、思った以上に一針一針が進まない。
面白いものを見るようにカトリアーナはミシェルの刺繍を見ているが、かけてくれる言葉は心配しているのか呆れているのか分からなかった。
元はと言えば、カトリアーナが勝手に決めてしまったからなのにと、少しばかり拗ねた気持ちになるミシェルは指先をメアリーに手当てされながらカトリアーナの手元を覗く。
「・・・ほんとに同じものですか?」
「ふふふ。ミシェルは精進が足りないわね。」
カトリアーナは、ミシェルの横で暇つぶしにと自分も全く同じデザイン、素材で刺繍を刺していた。
その出来栄えは、同じものとは思えないほどの出来である。
社交界の華と謳われる所以は、何も見た目の華やかさや会話の巧みさだけではない。
淑女の鏡と言われるほどの所作や教養を身に着けていることが前提としてある。
夫が身に着けているハンカチの刺繍一つであっても夫人の名を左右することだって起こりうる。
足を引っ張られる出来事は少ないに限るのだ。
そんな社交界を生き抜いてきたカトリアーナの刺繍の腕前は見事としか言いようがない。
商会のお針子が刺したと言ってもバレないだろう。
「もうお母さまのハンカチをお送りしたほうが良いのでは?」
「おバカなこと言ってないで、真面目におやりなさい。あと数枚刺せば、贈っても問題ない物に仕上げられるでしょう。」
「・・・・・・!!」
「あらあら、今のままじゃ流石にお礼とは言い難いわよ。」
にっこり笑ってはいるが、カトリアーナの目は笑っていない。
ミシェルに淑女教育をしたのはカトリアーナである。
自分が教えた時よりも落ちた腕前に怒り心頭な様子のカトリアーナにミシェルが逆らえるわけもなく、このまま十枚程度の刺繍を刺す羽目になるのであった。
やっとカトリアーナに及第点を頂いた刺繍を刺したハンカチは、メアリーの手によって綺麗な箱に包まれていく。
窓の外を見ると既に日が暮れ始めていた。
「もうそろそろ夕餉のお時間ですね。お嬢様の夕餉はどこにご用意いたしましょうか?」
「そうねぇ。ミシェル、起き上がることは出来るのかしら。」
「起き上がったり、歩いたりは出来ます。ただ、動くと体が痛むのでスムーズとは言えませんが・・・。」
「そう。じゃあ今日は自室で済ませましょう。無理をしてはいけないわ。それに明日は学園もお休みしましょうね。」
貴族子女の集まる学園で、体をぎこちなく揺らしながら歩くわけにはいかない。
美しい所作を保てないのならば、たとえ学園であっても貴族の集まる場所に出向かない方が良い。
今後、社交界で生きていこうと思うのなら。
「そうですね、みっともない姿で歩くわけにはいきませんから。」
「それもあるけど、今日は刺繍で時間が潰れてしまったから明日はクッキーを作らなくてはいけないでしょう。」
そっちですか、とミシェルは思ったがカトリアーナの後ろにいるメアリーはうんうんと首を縦に振っている。
刺繍を作るのに時間がかかりすぎたこともあって、クッキー作りは有耶無耶になるのではと思っていたミシェルは、ほんの少し落胆した。
別にクッキー作りが嫌なわけでは無かったが、作ったこともない物を人に--それも貴族令息に渡すのは些かハードルが高い。
どのみちこのまま二人に押し切られて明日もクッキーを作ることになるのだろうな、とミシェルはぼんやりと窓の外の風景を眺めた




