権力者はだれだ
いつもより早く邸に帰り着いたミシェルに、予想通り邸の者たちは大騒ぎした。
「お嬢様、一体どうされたのですか? お怪我なさっているじゃありませんか!!」
心配してやたらと医者を呼ぼうとするメアリーを宥めながら、ミシェルは今日起こった事を説明した。
もちろんカレンについては話せないので、自分で派手に転んで怪我をしたので校医に帰るように指示されたと説明したが、言っていて何とも言えない情けない気持ちになった。
『自分で決めたこととは言え、この年で自分で転んで大けがする設定とか恥ずかしいわね。』
ふうと一息はいたミシェルに、メアリーは気づかわし気に見つめた。
「やっぱり何かあったのではないですか?」
「そんなことないわよ。・・・それより、転んだ時にフェイズ伯爵家の令息に助けていただいたの。ハンカチで手当てしてもらったんだけど、すこし血が着いてしまって、取れるかしら?」
「まあ素敵、紳士がいらっしゃったのですね。ハンカチのシミはメイド長に相談いたしますね。」
いつもより、事情を突っ込んでくるメアリーに、焦って話を変えようとハンカチの件を話してしまったが、メアリーのキラキラとした瞳はミシェルが考えているのとは違う方向の厄介事を連れてきそうな嫌な予感がする。
「えっ、ちょっと、違うからね。メアリー、聞いてる? そういうロマンス的なやつじゃないからねっ!」
ミシェルの支度を終えたメアリーは、ハンカチをしげしげと見つめながら瞳は未だにキラキラとしている。
ミシェルに何かあったときは、当主に侍女や執事から連絡があがる。
当然、今日のように娘がケガをして帰って来たら報告があがるだろう。
伯爵令息のことをあらぬ方向で報告してしまうのではないかと、ミシェルはメアリーに否定をしてみるが返事がない。
すでに自分の世界に入ったのだろうとミシェルは諦めた。
部屋を出て行ったメアリーを今から追いかけても、痛む体では追いつけない。
『父さまと母さまがきっと来るわね。』
しょうがないと、別の侍女に図書室から植物図鑑を持ってくるように指示して、ミシェルは自室でくつろぐことに決めた。
それから程なくしてミシェルの部屋の扉を叩く音が響いた。
「「ミシェル!」」
リンベール夫妻はメアリーから報告を受けてすぐにミシェルの部屋を訪ねてきたのだろう。
父はともかく母はわずかながら肩で息をしている。
両親は足早にミシェルに駆け寄った。
「ミシェル、一体何があったんだ。」
「体は、大丈夫なの?」
もともとミシェルの不注意ではないのであるが、両親の心配そうな顔を見ると申し訳ない気持にさせた。
「うっかり転んでしまいました。でもケガは数日で治ると校医に言っていただきました。」
「そうか、辛くないか?」
「はい、多少体は怠いですが大したことありません。」
「ゆっくり休みなさい。もし辛いなら食事は部屋で取ってもいいのよ、学園も当分休めばいいわ。」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。」
ベッドに腰かけていたミシェルの具合を探るように夫妻はミシェルの両隣りに腰を下ろして手を握りながら尋ねている。
「メアリーから報告を受けたときは心臓が止まるかと思ったわ。」
ミシェルのケガをした方の手を見つめながら、辛そうに顔を歪めカトリアーナはミシェルの手をさすった。
ミシェル越しにカトリアーナの方に手を置いたウィリアムも労しいものを見るように眉を寄せている。
「数日で治るケガというのが不幸中の幸いだったな。」
「このような年にもなって、転んで父さまと母さまにご迷惑をお掛けするなんて情けないです。次からはもっと気を付けて過ごします。」
「誰にでも転ぶこと位ある。そんなに自分を責める必要はないんだよ。」
だますつもりはなかったが結果、両親をだますことになっている。
励ましたつもりが、逆にしゅんとしてしまった娘に、どうしたものかと視線を彷徨わせたウィリアムは、娘の後ろに置いてあった植物図鑑が目に留まった。
「植物図鑑を見ていたのかい?」
「ええ、今日保健室でお世話になった際に校医の方から面白いお茶をいただいたのです。少し癖はありますがおいしかった物ですから、うちの商会でも取り扱えないかと思って、その茶葉の原料を調べていました。」
「へえ、一体何と言うお茶なの?」
「お茶自体に名前があるのかはわかりませんが、原料の木の名前はパロビウムと言うそうです。どこかで嗅いだことのある匂いがしたので街中で原料の調達可能かと思ったのですが、どうも山の寒暖のある気候が木を成長させるらしくて。」
「そうか、ではうちの商会や植木店、食料品店で取り扱いが無いか私から調べておこう。」
「ありがとうございます。漢方の原料にもなっているらしくて、もしかしたら薬草店にあるかもしれません。」
「分かった。・・・所でミシェル、私達に何か言うことは無いか?」
やっぱり来たな、とミシェルは思う。しかも尋問形式。
ありません、と言ったらそのまま流してくれるのだろうか、と考えてないなと結論付けた。
両親ともに、目がギラついている。
それにいつの間にか戻ってきているメアリーは、胸の前で手を握り合わせて期待いっぱいの瞳でこちらを見ている。
「何かとは、ハンカチの件でしょうか?」
呆れの混じった瞳でメアリーを見た後、念のためにとばかりにミシェルは敢えてこの質問をした。
「まあ、そうでもある。」
本題はハンカチではなく持ち主の方だとミシェルも分かっている。
事実としては助けてもらった、それだけである。
しかしメアリーの伝え方なのか両親の気質なのか、あるいは両方か。
すでに両親は、ありきたりな返答をを是としていないのがありありと浮かんでいる。
「今日転んだ時にフェイズ伯爵令息のアラン様に助けていただきました。とても助かりました。」
「そうなのね。フェイズ家の令息だったのね。ふふ、どんな方だったのかしら。」
少し顔を顰めているウィリアムとは逆に、カトリアーナは年頃の娘のように恋愛話に目をきらめかせている。
女性とは、いくつになっても恋愛話に目がないのだなとミシェルは思った。
ミシェルだって、この話が自分のものでなければ同じ気持ちだっただろうと思う。
「助けていただいただけで、お話も何もしておりませんでしたので。ただ紳士的な方だったとしかわかりませんでした。」
相手のいることであるし、嘘をつくことは出来ない。
それに言った所で特別な話ともミシェルには思えなかった。
ただこれ以上何かあると思われるのは嫌なので、出来るだけ冷静に普通のことだと言う熱量で話した。
「そうか、ミシェル。では私から礼をしておくので、あとは何も気にしなくていいぞ。」
「そんなわけにはいきませんわ、あなた。きちんとお礼をいたしませんと。ね、ミシェル。」
ウィリアムの提案は別段おかしな所はない。
当主から代表として連絡をした方が、家としてはもしかしたら繋がりが出来て喜ばしいことかもしれなかった。
ただ、カトリアーナのいつも以上に勢いのある言葉にミシェルは圧された。
家長として、しっかりと実権を握っているのは紛れもなくウィリアムである。
だが、ウィリアムはカトリアーナには弱かったし、こういう時の母の押しの強さを娘のミシェルはよく分かっている。
何が、ね、ミシェルなのか分からず、そうですねと返事をしてみたが、カトリアーナの隣でウィリアムは膝に手を置き、がっくりとうなだれている。
「そうと決まれば、さっそくお礼の準備に取り掛かりましょう。」
それはそれは美しい笑みを作って笑った母に、嫌な予感しかしないミシェルは曖昧に笑った。




