侍女は見た
ミシェルは人知れず日記をつけていると思っているが、実はそうではない。
ミシェルの異変に最初に気付いたのは侍女のメアリーだ。
メアリーはリンベール家の遠縁にあたる男爵令嬢である。
彼女が生まれたころ、生家の男爵家とリンベール家にほとんど繋がりが無いほどの縁だった。
男爵家の小さい領地は、その税で生きていくのは辛いほど貧しかった。
それでもメアリーの父は領民のためにと農地の改革や特産品を輩出しようと試行錯誤を繰り返していた。
彼女や家族はそんな男爵を誇りに思い、貧しいながらも彼を精一杯支えて生きてきた。
しかしそんな生活は一変する。
男爵が農地改革のためにと品種改良と農具の開発の共同開発を進めていた男が開発資金をもって行方をくらませた。
綿密に練られた詐欺であったが、気づいた頃には男の手掛かりは掴めなくなっていた。
災難は続き、過労がたたって男爵が儚くなり、男爵位を親せきに奪われた。
後に分かるが、詐欺自体が爵位を奪った男のたてた計画だった。
いきなり父親も家も財産の全ても奪われたメアリーの家族は、親せきの家を頼ろうした旅の最中に人さらいに襲われ、逃げ切れなかったメアリーが人さらいに捕まった。
人さらいにどこかに運ばれている最中、その一瞬の隙をついてメアリーは逃げだした。
逃げ出した先はどこかの街中で、町人や商人は人さらいの男たちにおわれているメアリーを見ているだけで助けてはくれなかった。
余計なことに首を突っ込みたくないのだろう。
走って走って走ったが、少女の足だ。
追いつかれ、もうここまでかと思ったとき、一人の少女がメアリーの前に立ったのである。
少女は平民と同じ服を着ていてまだ10歳にも満たない。
町の大人たちでさえ見捨てたのだ。
ただの子供に何とかできる状況ではない。
このままでは、この少女までさらわれてしまう。
「だめ、逃げて!!」
そう言うのが精いっぱいだった。
自分の無力さに涙があふれた。
その時少女がメアリーを庇うように抱き着くと、それを合図に男たちに次々と石が投げつけられた。
男たちが反撃しようにも数が多い、男達が防戦一方になり逃げだした所で少女が叫ぶ。
「今よ!!」
少女はメアリーの手を取って走りだした。
そのまま無我夢中で走り続け、たどり着いた先はこの町で一番立派であろう邸だった。
気づくと周りをたくさんの平民の子供達に囲まれている。
皆、口々にメアリーを気遣う言葉をかけてくれた。
さっき石を投げて助けてくれたのは彼らだと言う。
男爵領を追われてから、人の善意など感じることのなかった日々に摩耗していたメアリーは泣き続けた。
そしていつの間にか意識を手放した。
メアリーが意識を取り戻した時ベッドの上だった。
助けてくれた少女は、先ほどと違い簡素であるが上等なワンピースを身に着けて傍に座っていた。
そこからは目まぐるしい時間が過ぎていった。
少女は現在メアリーが仕えている、ミシェル・リンベールであり、彼女の願いによってメアリー一家はリンベール侯爵家によって助けられたのだ。
人さらいたちは侯爵領の兵によってとらえられた。
男爵家を奪った男は、詐欺を手伝った男と一緒に裁判にかけられ有罪となった。
男爵領はメアリー一家の元に戻り、今は弟が男爵を継ぎ、領民のために身をささげている。
遠縁であったこともあり、今はリンベール家の力を借り領地改革も行っている。
あの時からメアリーは、ミシェルとその両親のリンベール侯爵夫妻、およびリンベール領にその身をささげると決めている。
そんなメアリーの主人ミシェルの様子がおかしいのだ。
最近、イングラム王国の貴族子女が通う王立学園に入学してからだ。
寝起きの良かったお嬢様が朝起きるのが辛そうで、薄っすらと目の下にクマが出来ている。
思春期の少女だ、そんなこともあるだろうと思う。
でも1週間、2週間と続けば心配せずにはいられない。
何かありましたかと尋ねてみても、微笑みながら何でもないと言われればそれ以上聞き出すことは出来ない。
一人娘のミシェルを溺愛している侯爵夫妻は最近、屋敷に不在であることが多かった。
普段であれば、ミシェルの様子にすぐに気づくはずの夫妻は、リンベール家で経営している商会の新商品を売り込むため、茶会や夜会に参加が増え、販路の見直しのための視察や売り込みの戦略会議が増えたのだ。
そこでメアリーはミシェルをいつも以上にお助けすると決めた。
ミシェルを隙なく観察する。
日が出ている間は特に問題ない。
学園内に付いていければ良いが、学園は生徒のみ入ることが許される。
であれば夜にと、屋敷内の人間が寝静まった後ミシェルの部屋を見張ることにする。
はじめて見たときメアリーは慄いた。
部屋の扉をほんの少しだけ開けて覗くと、普段穏やかで屈託のない性格のミシェルが取りつかれたように日記を書き、ぶつぶつと呟き、何もない空中をぼんやりと見つめ、部屋を徘徊している。
「やだ・・・お嬢様っ、一体どうしてしまわれたの。」
メアリーが青ざめ、思わず小さく声をあげてしまったところで、背後から肩に手が伸びてかかる。
深夜の人が誰も歩いていない屋敷内だ、お嬢様の憑りつかれたような様子を見た後でもある。
これは人では無いかもしれないと思い、ひゅっと息を呑む。
と同時に口を手で塞がれ、くぐもった悲鳴をあげる。
とっさの事にじたばたと暴れながら振り向くと、そこにはよく知った顔がある。
この屋敷で長年執事を務めるデイビスが顔色一つ変えず立っている。
メアリーが落ち着いたタイミングで手を離すと、デイビスは微笑みを浮かべながら自分の口元の前で人差し指をたて「しー。」と静かに囁く。
「深夜ですよ、お静かに。」
メアリーは、はぁーと息を整えた。
「驚かさないでくださいよ。」
「メアリー、声を静めてください。お嬢様に気づかれますよ。お嬢様を見張っていたのでしょう?」
「見張っているなんて・・・私はただお嬢様が心配で。」
「ええ、こちらに気付きもしないで。お労しい。」
デイビスも最近ミシェルが沈んでいることには気づいていたが、まさかこんなにも深刻化しているとは思っておらず、侯爵夫妻のいない屋敷で起こった事態に青ざめた。
ミシェルの祖父の代から使えている執事にとっては、ミシェルは自分の孫も同然であった。
デイビスはハンカチを目元にあてて涙ぐむ。
「明日、旦那様たちに手紙でご連絡いたしましょう。」
二人は、ミシェルの部屋を後にした。