馬車の道程
「出発のお時間です、お嬢様」
侍女のコレットに促されて馬車に乗る。貴族学院に連れていける従者の数は実家の爵位で決まるという規則があり、子爵令嬢である私が連れていける従者はふたり、ということになる。
今回連れて行く従者は二人とも私の気の置けない友人だ。
コレットは黒髪の女の子だ。黒髪を見ているとなんとなく落ち着く。
実母の実家の縁続きらしく、幼い頃に行儀見習いとして我が家にやってきた。そのまま私と仲良くなり、正式に侍女として住み込んだ変わり者である。私としては愛憎渦巻く貴族学院になんて連れて行きたくなかったのだが、押し切られる形でOKした。
もうひとりは騎士のフランソワ。王子様のような見た目とは裏腹に正直言ってヘタレで役に立たないが誰よりも優しい。だが弱い。実は第二次性徴までコレットに敵わなかった。
そんな彼だが、癒やし系なのだ。そこが気に入って側にいてもらっている。
養母様の虚栄心をそのまま反映したような仰々しい馬車に護衛のフランソワ、侍女のコレットと乗り込むと馬車は動き出した。
ちなみに我が子爵家は領内の巡礼地から上がる収益と諸々の産業でかなり潤っている。そのお陰でこんな馬車隊を用意できたのだ。運び込む荷物もあるとはいえ、大した大名行列である。
ちなみにこの世界の宗教はアブラハムの宗教らしい。
色々とご都合主義だが、作中で触れられていない行間なんてこんなものだろう。
「お嬢様、貴族学院ってどんなところでしょう」
「愛憎渦巻く危険な場所だよ。うう……今から胃が痛い」
私の口調は平民宛らで貴族のご令嬢とは言い難いが、これが一番しっくりくるのだ。といっても、許してくれるのはコレットとフランソワだけだが。外ではちゃんと猫被るもん。
「今は王子様がご在学なんですよね。見初められたらどうします?」
洒落にならない。笑顔が微妙に引き攣る。
「ないんじゃないかな……わたしは田舎者だし、ゆっくり過ごすよ」
「お嬢様はお綺麗ですから!あ、でも望まぬ縁談やら愛妾の口やらを持ってこられたらわたしが追い払ってみせますから!」
敢然と宣言するコレットに頼りになるなぁ、と言うとコレットがフランソワにも発破を掛け始めた。この二人、かなり仲がいい。デキてるんじゃないかな。
二人を後目に車窓に視線を向けると、そこにはコレットが言った通りの美少女が映っていた。
そう、わたしはかなり可愛い。これは自惚れでも乱心でもなく、公式設定である。
薄紅色のストレートヘアーを未婚女性の仕来りで結い上げずに下ろし、深い色合いの碧眼は色素の薄い睫毛に縁取られてくっきりと大きい。小さく整輪郭と品のよい小さい鼻、薄めの唇はお人形さんみたいだと思う。
肌は真っ白なのに瞼はうっすらピンク色だし、唇も頬も紅を差したように儚く色付いている。
体も華奢で小柄、ついでに胸は慎ましやか。ドレスを着せれば明日から人形店の店先に並べられても違和感がない完璧な美少女だ。
この仔犬ちゃんみたいに可愛らしいベビーフェイスと青い瞳は母譲りだ。髪の色は母より少し薄いピンク。そして、クロエ様は豪華なブロンド。遺伝の法則的に何ら問題もない正常な交配結果である。
ピンク色の髪が若干頭軽そう感を与える事に目を瞑れば、否、瞑らなくても帳消しになって多額のお釣りが来るくらいの可愛らしい顔は王子とその他攻略対象の好みにぶっ刺さったらしい。わかるよ。
クロエ様は出るべきところがちゃんと出ていて、背が高くて、髪を最新式の鏝で巻いたゴージャスな美女である。
そして、通常宮廷では皆が王妃を真似するものだ。そうやって流行が形作られていく。
王妃様が身罷られて久しく、次期王の婚約者であるところのクロエ様は流行の最先端。とみに貴族学院ではその権威は絶大だ。
つまり当座の貴族学院ではクロエ様風、厚い唇にキャットラインで睫毛をくるんとカールさせる豪華なメイクが大流行中。しかしそのお相手となる世の殿方は、揃いも揃って儚げ美少女好みらしい。わたしが無双できたのもなんとなくわかる。
貴族学院に着く前に、わたしに関わってくるであろう人間を頭の中で整理しておこう。
まず貴族学院というのは、次世代の国を担う優秀な人材を教育する場所である。
女性は結婚してしまえば通う義務を免れるが、半ば義務教育のようなものだ。三年制で入学は春。ヨーロッパっぽいのになんで四月入学なのかなんて考えない、ここは小説の世界だから。
そして現在、第一王子──ルイ・シャルル王太子殿下が私の二つ上の学年に在学中だ。外面が良くて、軽薄で、先を見通せない性格らしい。金髪碧眼の文字通り王子様フェイスで趣味特技は狩り。サッカー部の陽キャみたいなキャラ付けだろか。
他に警戒しないといけない人物の筆頭として、クロエ様の弟君のアルベール様。
姉君とは二歳違い、軽佻で明るい性格。女遊びが激しいが主人公にはベタ惚れ、という筋書きだ。姉君と同じ金髪赤目だがずいぶんと印象が違う。
それから王子の護衛騎士のアラン様も。黒髪に藍色の瞳の偉丈夫だが、主君の想い人に横恋慕し忠誠心と恋心の間で懊悩する騎士になるらしい。わたしのせいでとんだ悩みを抱え込んだ被害者ではなかろうか。ごめんなさい、近づかないようにするので許してください……
他にも攻略対象はいたはずだが、十五年も前に読んだ小説の登場人物なんてあまり思い出せない。気づいた時も読んでからゆうに五年だ。覚えていることすべてを書き留めたが、大筋と主要人物くらいしか思い出せなかった。
……えぇと、確かレオナールとかニコラとか、そんな名前だった気がしないでもない。思い出せないということはきっと大した役割は果たさないのだろう。
「お嬢様、考え事ですか?」
「うぅん、なんでもない」
──これ以上のことは着いてから考えよう。
そう決めて、わたしはコレットとのお喋りに精を出すのであった。