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第8話 「ニッパチ屋」

 僕はジャス子を連れて、兜町〇番地にある自分のマンションのエントランスに来た。まだ学生だった頃は、有価証券報告書や企業記事のスクラップを読むために、よくこの辺りを通って、証券会館に通ったものだ。


「いい場所ですね」と、ジャス子が言った。

「ありがとう。ここは思い入れの深い場所でね。昔は株式新聞社のビルがあった場所なんだ」

「へー」

「今じゃ、ネットがあるから、家に居ながらにしてなんでも調べられるけど、昔はこの場所に来なくちゃ、株の情報はほとんど手に入らなかったんだよ」


 実際、いい場所だ。日本橋は目と鼻の先だし、その気になれば銀座にだって歩いて行ける。まだ素寒貧だった頃、「金を掴んだら、必ずこの町に住むんだ」と思っていた僕は、ライブドア・ショックの少し前に、まだ建築中のマンションの最上階に位置する最も良い部屋を業者のいい値で買った。手付けはその場で現金で打ち、ローンなんて組まなかった。


 受け渡しの日はあいにく雨だったが、家具一つないリビングのフローリングに寝転んで、ようやく掴んだ自分の成功を噛み締めたのをよく覚えている。相場で失敗した自分をゴミクズを見るような目で眺めてきた連中の顔を、何度も何度も思い出しながら、僕は歓喜の喜びに打ち震えていたのだ。


 郵便受けをチェックして、エレベーターを待つ。エレベーターで降りてきた住人の一人が僕に声を掛けた。元ニッパチ屋のおっさんだ。


「こんにちは。あれ、いつもの子と違うね。彼女?」

「違いますよ。昔、お世話になった方の娘さんです」

「お世話になった? 誰だい?」


 僕はジャス子に、「何もしゃべらなくて良い」という仕草をした後こう答えた。


「この町に住んでる人間なら、誰でも知ってる人です。おじさんも昔は、ずいぶん儲けさせてもらってたはずですよ」

「そんな大物の娘さんかい? すごく気になるが、あいにく急ぎでね。今度、飯でも食いながら、ゆっくり聞かせてくれ」


 おっさんは、そそくさと行ってしまった。


「あの人は誰ですか? 伊集院さん」

「元、ニッパチ屋の親父さ。今じゃ食えなくなって、不動産の売買がメインだけどね」

「にっぱち?」

「信用取引は分かるだろ?」

「はい、一応。証券会社からお金を借りて株を買う事ですよね」

「うん。信用口座はね、昔は、小っちゃい所でも500万。大手だと2000万は持ってないと開設できなかったんだ。勿論、お金を持ってるだけじゃなくて、現物取引で実績を積み重ねて、『やらかさない人間だ』っていう信用を築いてからじゃないと、作ってもらえない。まさに、【信用】口座だったんだよ」

「へー。今じゃ、30万円でも開設できますよね。面接もweb上だし」

「そうだね。投資家保護が聞いてあきれるよ」

「で、それが、あのにっぱち屋さんと、どんな関係があるんですか?」

「ニッパチ屋は、【信用取引みたいなもの】を商売にしてるんだ。購入代金の2割を現金で入金すれば、ニッパチ屋の口座で代わりに買ってくれるんだよ」

「へー、それ凄いじゃないですか! 私もやってみたい!」

「でも、本当は買ってないんだ」

「へっ?」

「買ったことになってるけど、実際は買ってないんだ。お手製の売買報告書は、ちゃんと来るんだけどね」と言って、僕は笑った。


「あの……。伊集院さんが、何を言ってるのかわかりません」

「ジャス子はピュアだなあ。要するに、ニッパチ屋っていうのは、入金されたお金を全部飲んじゃうんだよ」

「飲む?」

「お金を預かった後、危ない株をどんどん勧めて、客が全部すっ飛ばすまでそれを続けるんだ。勿論、実際には売買しないから、入金された金はそのまま手元に残る。勿論。表向きには買ったことにして、金利はちゃんととるんだけどね」

「ひどーい!」

「ひどくないさ。ニッパチ屋は銘柄を勧めるだけで、どのタイミングで売買するのかは、ちゃんと客の方で決めるんだから。自分でちゃんとチャートも見ないで、情報に飛びつく方が悪いんだよ」

「でも、売買を自分で決められるなら、勝つ人だってたまには居るんじゃないですか?」

「そりゃあ、たまにはそういう奴も居るよ。だけど、いくら勝ったって、絶対に返金はしない。『担当者が急にやめちゃった』とか、『大物本尊が玉仕込みしてる株があるから、今のうちに絶対買った方が良い』とか言ってね。飛ばさないまでも、ある程度、負けが込むまでは、絶対に金は返さないんだ」


「ひどーい!!」と、こんどは両手を大きく振り上げながら、ジャス子が言った。


「だからひどくないって。騙される方が悪いんだよ。結局、ちっちゃな金で一杯儲けたいから、ボンクラはそんな業者に手を出す。5倍のレバレッジで、フル借金で株を買う奴なんて、その時点で頭おかしいよ。ストップ安を一回喰らえばほとんどお金なくなっちゃうんだから」

「それはそうですね」

「仕手株でも買って、二連ストップでも食らえば、もう借金生活だ。飲まれるだけで済んだ奴はまだマシだよ。次の日からは、実際には買ってない株で借金をこさえて、ヤクザに追い込みかけられることになる」

「えー!」

「元々、入金された金は全部飲んでるんだから、別に回収できなくてもニッパチ屋は損しない。もし回収してきたら、半分ヤクザに渡したって大儲けだ。そういう阿漕あこぎな商売だよ」

「恐ろしい世界なんですねえ……」


「君のお父さんは、その恐ろしい世界のてっぺんにいたんやけどな。I氏銘柄で、一体何人のボンクラが首をくくった事か……」と言おうと思ったが、僕は黙っていた。そうこうしているうちに、エレベーターが最上階につく。


「この部屋です。どうぞ」

「お邪魔します」


 ちゃんと靴をそろえてから、ジャス子はリビングに進んだ。吉田さんとはずいぶん違うなと僕は思った。


「わー、良い眺望ですね!」

「そんなに高い場所じゃないけどね。目の前が永代通りで開けてるし、今はそこらじゅうで再開発してるから、解放感はあるよね。今しか見られない風景だから、目に焼き付けておくといい」

「はい」

「屋上にはウッドテラスもあって、自由に出入りできるよ。後でちょっと行ってみよう。東京タワーが、新旧どっちも見られるし、東証もすぐ近くだ」

「楽しみです」と言って、ジャスコは笑った。


 さてどうしよう。お父さんの事を聞きたいといわれても、I氏の話は、あらかた話してしまっている。勿論、えげつなくてダークな話ならいくらでもあるが、そんなモノ、実の娘であるジャス子には聞かせられない。


「さっきのお話ですけど……」

「さっき?」

「にっぱち屋さんのお話です。あの続きを聞かせてください」

「あんな話、君が聞いても面白くないだろう?」

「いえ、自分の知らない世界の話は聞いてて面白いです」

「そっか……」


「君の父ちゃんは、手下使って、ガンガンニッパチ屋にも情報流してたけどな」とは思ったが、今日は徹底的にI氏を持ち上げる日なので、僕は黙っていた。良い人を演じるのもなかなか疲れる。


「続きねえ……」


 まあいいか。僕にとっては恥ずかしい話だが、師匠との馴れ初めを話してしまおう。うるるにさえ、父親の事を話してなかったらジャス子なら、口止めしとけば外に漏らすことはないはずだ。


「実は僕も、駆け出しの時にニッパチ屋に騙されたことがある。バイトでためた100万を全部預けたんだ」

「ええっ!」

「勿論、向こうの勧める銘柄なんか買わなかったよ。僕は自分で探してきた銘柄で、順調に利益を上げた。で、儲けが50万を超えたあたりで、小遣い分くらいは出金しておこうと思ったんだ。ところがさっきも言ったように、向こうは1万円だって出金させてくれない」

「それでどうなったんですか?」

「恥ずかしい話なんだけど、色々調べてから、ニッパチ屋の仕組みを知った。おまけにその会社のバックにいるメンバーは皆、札付きの悪ばかりだとわかった。君は貸金業登録番号っていうのを知ってるかい?」

「知りません」


 まあ、知らないなって思ってたから、もはや何とも思わなかった。念のため聞いてみただけだ。素直な事はいい事である。


「関東財務局とか、東京都知事の文言の後に、( )書きされている番号の事だ。上に大手がついてる訳でもないのに、これが(1)で、しかも広告打ちまくってる業者は大抵ヤバい」

「何故ですか?」

「登録許可証は3年ごとに更新されるんだけど、その度に、数字が増えていくのさ。つまり、(1)は登録したばっかりってこと。問題を起こした業者は当然更新されないから、この数字が大きければ大きいほど、基本的には信用できる。不動産仲介なんかも同じだ」

「なるほど」

「で、(1)で登録して、広告だしまくってる業者は、バカを広告で釣って、クソ株を嵌めまくって、悪い噂が広まりだしたら、入金された金を持ってトンズラするんだよ。で、ほとぼりが冷めた頃、表向きには堅気の人間を用意して、また貸金業を立ち上げる。僕もそんな煽り広告に騙された、ボンクラの一人だったって訳さ」

「伊集院さんにも、そんな時代があったんですねえ……」

「そりゃあね」


 たかが100万とはいえ、当時の僕にとっては大金だ。まったく遊ばずに、8か月も塾講師を続けてようやく溜めた金である。勉強代として勝ち分は諦めるとしても、元本だけはどうしても回収したかった。


「勿論、警察に相談もしたけれど、たかだか100万の話だし、向こうが実際には買ってないことを証明できないから、まるで相手にされなかった。僕は必死になって、いろんな人に相談したよ。当時の僕にとっては、大金だったからね」

「それはそうでしょうね。で、それからどうなったんですか?」

「僕が困ってる話が周りに回って、僕の大学の先輩である人が、仲介に入ってくれることになった。なんでも、相場の裏の世界では、随分名の通った人らしい」

「へー」

「それが僕とK氏。つまり、僕の師匠との最初の出会いさ……」


 そういえば、この話を誰かにするのは初めてだなと僕は思った。


(続く)

いよいよ師匠の話です。

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