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第7話 「堅気の涙と欠陥品」

うるるから回収したお金をジャス子に渡すアケミ。父への感謝の気持ちを述べるアケミにジャス子は涙をこらえきれなくなる。だが、アケミは、「自分は悪党の片棒を担いでるだけじゃないのか」と思い悩む。彼女のようなまともな人間と、自分たちのような欠陥品は、一体何が違うのだろうか……。 

「ところで、もう一つ、お願いがあるんだけど」

「なんですか?」

「君が、大永だいえ氏の娘であることも含めて、今回の件については、一切他言無用でお願いしたいんだ」

「何故ですか?」

「君のお父さんは、過去に色々あった人だからね。中には恨みを持つ人もいる。うるるの立場的に、色々あるんだよ」

「それなら大丈夫です。お爺様からも、『父親の話は、絶対に外ではするな』ときつく言われてました。うるるさんにも、このことは話してません」

「そっか……」


 普通に考えて、100億もの業務上横領を犯した前科者の娘であることを公言したところで、何も得することはない。おまけにその男は、ガチの仕手筋だ。I氏の娘であることを評価する人間なんて、僕のような兜町の変わり者だけだろう。


「全力さんには、何故か話しちゃいましたけどね。まあ、私も来年には20歳になりますから、お爺様も許してくれると思います。勿論、今後も公言することはないです」

「それがいいよ」


 ジャス子の言葉は、信じていい。信じていいんだけど、うるるは多分、それじゃ納得しないだろうと思った。


「非常に申し訳ないんだけど……」

「なんですか?」

「君がお金を受け取ったことと、大永氏の実子であるってことを、一切他言無用とする旨の書面を作るから、それにサインをしてもらえないかな?」

「あっ、はい。それは、別に構いませんが……」

「ごめんね。うるるはああ見えて、結構臆病なとこもあるんだよ」

「うるるさんにご迷惑はかけたくないですから、それくらい大丈夫です。気になさらないでください」

「ありがとう」


 第二の関門も超えた。悪党の片棒を担いでるのは、本当は僕の方かもしれないなと思いながら、僕は愛用のsurface-Book2で簡単な覚書を作る。モニター部分を切り離し、ジャス子に見せた。


【覚書】

 今回の投資顧問契約に係る諸問題の解決金として、120万円を受け取りました。私自身の個人的事情も含めて、今回の件については一切他言しないことを、誓約いたします。


「こんな感じでどうだい?」


 うるるの名前が入ってないから法的には微妙だけど、これならジャス子もサインもしやすいだろう。そして何より、万一、この書面が流出したとしても、うるるの所に人が殺到することはない。ジャス子は約束をたがえないんだから、要は、うるるが納得すればいいのである。


「特に問題はないと思います」

「そうか。じゃあ、これで書面を作ろう。あと、これは少ないけど、僕の気持ちです」


 そういって僕は、熨斗紙に包んだ20万円をジャス子に手渡した。部屋に戻る前に、コンシェルジュさんに用意して貰っていたのだ。「これはなんですか?」と、ジャス子が不思議そうな顔で尋ねた。


「昔のお礼だよ。I氏の相場じゃ、結構儲けさせてもらったからね。I氏の娘さんがわざわざ尋ねて来てくれたのに、無碍には出来ないさ」

「そんな……。いただけません」

「収めておいてくれ。それが君の手元にあれば、I氏に感謝してる人間が、少なくとも一人、ここに存在することを証明できる」

 

 僕はその熨斗紙の裏面に、こう添え書きした。


【今は亡き、美学を持った相場師に哀惜の念を込めて 伊集院アケミ】


「伊集院さん……」

「さっきも言ったけど、君の父さんは、一度は兜町を救った男なんだ。感謝してる人間は、僕以外にも沢山いる。お爺さんに何と言われたか知らないけど、そういう男を父に持ったことを娘として誇りに思って欲しい」

「わかりました。そういう事であれば、お預かりします。一生大切に保管しておきます。本当にありがとう……」


 ジャス子は少し涙を浮かべてそう言い、熨斗袋を受け取った。相当、父の悪口を聞かされて育ったのだろう。言われても仕方ないことをI氏はしているし、それを吹き込んだ周囲の人間の気持ちはよく分かるが、だからと言って、年端も行かぬ少女の気持ちを傷つけていい訳でもない。


「大丈夫、もう二度と相場を張らないことで、お爺さんへの義理は立つさ」

「そうですね。まさかこんな事になるとは思ってもみなかったけど、今日はここに来て本当に良かったです。ずっと胸につかえていたものが、スッと取れたような気がします」

「それは良かった」


 彼女は溢れ出る涙をこらえきれなくなったのか、目元をハンカチで抑えながらこう言った。


「すみません、少しだけ泣いてもいいですか?」

「どうぞ」


 ジャス子の嗚咽を聞きながら、僕は彼女が落ち着くのを静かに待った。気まずくないと言ったら嘘になる。だが、実の娘とはいえ、I氏のためにこれだけ泣いてくれる人がいる事実は、正直嬉しかった。彼は相場師としては敗北者だが、人間としては勝ったのかもしれない。


 I氏の全盛期の運用資金は300億円を軽く超えていた。そして彼は、その全てを相場で失っただけでなく、100億近いマイナスを抱えこみ、業務上横領の罪で、9年間も刑務所にぶち込まれたのだ。


 もし僕が彼と同じ立場だったら、やはりどんなに危険な筋の金であろうとそれを引っ張り、復権をかけてもう一度勝負したはずだ。そして彼と同じく、ひっそりとこの世を去っただろう。もし死体が上がったとして、ジャス子みたいに泣いてくれる人がいるだろうか? 


「いないだろうな……」と、思わず気持ちが口に出た。

「えっ?」

「いや、何でもない。こっちの事」


 吉田さんは、墓くらいは建ててくれるかもしれないが、軽蔑のまなざしで墓石を見つめそうな気がする。DJ君も多分、「伊集院さんらしいな」と言って笑うだけだろう。僕の人生をモチーフとし、作品に仕上げることはあるかもしれないが、僕の死そのものを悼むことはない。彼は物語の中に生きる男であり、彼が同情する相手もまた、物語の世界にしか救いのない非リアだけだ。そういう男だからこそ、僕は彼と組もうと思った。


 だが、ジャス子は僕らみたいな欠陥品とは違う。前科者の親のために泣くことが出来、僕やうるるのようなクズを疑うことすらしない、優しい子だ。そして僕は、僕自身は何の得もしていないとはいえ、結果として悪党の片棒をかついでいる。


「こんな子まで騙さないと生きていけないこの世界は、やっぱりどこか狂ってるよな」と、僕は少しだけ心が痛んだ。


「あの……」


 少しばかり落ち着いたジャス子が、僕に声を掛ける。


「なんだい?」

「全力さん……。いや、伊集院さんのおうちに、少しだけお邪魔させていただけませんか?」

「何故?」

「父の話をもう少し聞きたいんです。それにもう、ここは時間みたい」


 ジャス子が僕の後ろを指さす。振り返ると、コンシェルジュさんが少しバツの悪そうな顔で立っていた。


「申し訳ありません。一応、ノックはしたんですが返事がありませんでしたので。お連れ様も中で泣いているようでしたし……」

「それは、気づかなくて失礼しました。何かありましたか?」

「大変申し訳ないのですが、VIPルームの利用希望者が重なりまして、現在順番待ちが生じています。もし宜しければ、一旦利用を終了していただけると助かるのですが……」


 ジャス子とこの部屋に入ってから、既に2時間近くが経過していることに僕は気づいた。おまけに僕は、うるると話すときに、別の部屋まで使わせてもらっている。申し出は断りにくい。


「わかりました。すぐに出ます。行こう、怒野さん」

「はい」


 僕は部屋を出て、ジャス子を連れて自分の事務所に向かった。まさか、吉田さんが今日に限って、居残りとかしてないよなと震えながら……。


(続く)















次からは何とかコメディに戻そうと思ってます。


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