第6話 「イ○ン・グローバル」
うるるが勧めた銘柄は、クソ株界のキング・オブ・キングス、「プライム産業の杜」だった。ヤクザの箱企業だった同社は、東証の逆鱗に触れて監理ポスト行きになり、役員の資金持ち逃げによって破産する。ジャス子はうるるに言われるがまま、プライム株を購入していたのだ。事情は分かったが、それで問題が解決するわけでもない。うるるから、いくらかでも金を取り戻し、ジャス子にこの世界から足を洗わせようとするアケミの戦いが今、幕を開ける……。
勿論、相場は嵌められる方が悪い。「稼ぐ」っていうのは、「奪う」事と殆ど同義なんだから、奪われたからって文句を言う資格は誰にもない。だけど、金を奪う事と、他人の信頼を裏切ることは話が別だ。
悪党には悪党なりの、絶対に守らなきゃいけない仁義が2つある。一つは、「親・兄弟の盃を交わした相手は、絶対に裏切らない」こと。そしてもう一つは、「真っ当な人間には、極力迷惑をかけないこと」だ。
相手が同じ悪党だからこそ、どんな卑怯なやり方をしても許される。奪われてなお、うるるの事を信奉してるジャス子相手に、4000万はやりすぎだ。
「おい、うるる。少しはジャス子に金を返してやれよ。そしたら、僕が上手くやっとくからさ」
「えー。お金なんて全然持ってないよー。私がホントは火の車なの、全力さんだって知ってるでしょ?」
金がないのは本当だろうが、このままじゃ埒が明かない。
僕は最後の切り札を切ることにした。
「うるる……お前、I氏を覚えてるか? 僕らがまだ駆け出しの頃、兜町で鳴らした大物本尊だ」
「勿論、覚えてるよ。会社に100億の負債をかぶらせて、ムショに行った人でしょ?」
「そうだ。ジャス子は、そのI氏の娘らしい」
「えっ、マジ?」
「マジだ。僕もついさっき気づいたんだけど、イ○ン・グローバルの前身となった物流会社3社のうちの一社が、怒野通運だ。ジャス子って名前も、どうやら本名らしい」
「うっそだー!」
「信じられないのは分かるけど、本当だ。怒野運輸の最大の取引先はジャ○コで、ジャ○コがユ○ーと合併して物流網を再構築する時に、イ○ン・グローバル(E・G)に吸収された。でも、今のE・Gは、イ○ンの名前は付いてるけど、子会社じゃない」
「なんで?」
「イ○ンは傘下に収めた三社に、金じゃなくて株を配ったからさ。だから今のE・Gは、イ○ンが40%を保有する持ち分法適用会社だ、残りの60%は、吸収された三社が等分に持ってる。吸収された怒野運輸の創業者は、怒野 玄一郎。ジャス子の爺さんだ」
「その爺さんは、ついこの前死んだ。ジャス子はその遺産を受け取ったんだ」
「なるほどー。それであの子、4000万も持ってたのか―」
玄一郎の持ってたE・G株は、残りの二社か、イ○ンに買い上げられたんだろう。そもそも、怒野の100億の穴が表ざたになったのも、その三社合併が原因だった。怒野通運は堅実経営で好財務だったが、100億もの使い込みは、流石にごまかしきれなかったのだろう。
「で、その話が、私と何の関係があるのさ? まさか今更、『嵌め込みはよくない!』なんていわないよね?」
「おいおい、僕が心配してるのは、ジャス子じゃなくてお前の事だよ」
「へっ?」
「I氏……つまり、ジャス子の父である怒野 大永に恩義を感じていたり、恨みに思ってる人間は、今でも沢山いるだろ?」
「そうだね」
「もし、ジャス子がI氏の娘であることが表沙汰になったら、どうなる? そいつらは、彼女から4000万も巻き上げたお前の所に殺到するに決まってるさ」
「ええっ!?」
「お前が今、金を持っていようがいまいが、恩のある奴はジャス子のために動こうとするし、I氏に金を踏み倒された連中は、お前から金を奪おうとするだろう。相当、面倒なことになると思うよ」
「……」
うるるは黙り込んでいた。ようやく自分が、嵌めちゃいけないタイプの人間を嵌めちゃったことに、気づいたらしい。
「一体どうしたらいいの、全力さん?」
「もしお前に、少しでもジャス子に詫びる気持ちがあるなら、この件は僕の胸のうちだけに収めといてやる。勿論、ジャス子にもこのことは口外させない」
「本当に?」
「ああ、このまましらばっくれるか、なんとかここで事を収めるか。僕はどっちでも構わないけどね」
「あの……。100万位なら、何とかなると思うんだけど……」
「なあ、うるる……。お前、ジャス子の分だけでも300万は抜いてるだろ? 今日のところは僕が立て替えといてやるから、もう少し頑張れよ」
「じゃあ、120万。マジでこれがギリギリ……」
まあ、そんなところだろう。うるるは入ってくる額もデカいが、出ていく額もかなりデカい。業界内でのしがらみが、滅茶苦茶多いからだ。ない袖は振れないことは、長年の付き合いである僕が一番よく分かってる。
「うるる……。月末までに、兜町のマ○クにその金持ってこれるか?」
「うん」
「交渉成立だ。後は僕に任せとけ。お前に悪いようにはしないからさ」
「ありがとう。ところで全力さんには、いくら払ったらいいの?」
「いらないよ、そんな金。僕に口止め料払うつもりがあるなら、ジャス子に返す金に、その分上乗せしてやれ」
そう言って、僕は電話を切った。次はジャス子の説得だ。僕は部屋を出て、コンシェルジュさんに120万を渡し、見栄え良く包んでもらった。いつ何があってもいいように、100万円の束2つ分くらいは、いつもカバンに忍ばせてある。
「それとこれを、別口で。あと筆ペンを一本貸していただけますか? 直ぐにお返ししますので」
「承知いたしました。こちらでいかがでしょう?」
「全く問題ないです。ありがとう」
僕は僕は駆け足で120万と別口の品を受け取り、ジャス子の待つ部屋に戻った。
「ごめん、またせたね」
「あっ、全力さん、お帰りなさい。用事は済みましたか?」
「うん、無事に済んだよ。……っていうか、ついさっきまで、うるるとしゃべってたんだ」
「うるるさんと!」
「うん、そう。それで、君と会ってることを話したんだけど、うるるは、君に損させたことに、すごく心を痛めてるみたいなんだ」
「そうなんですか。株は自己責任なんだから、そんなこと気にしなくていいのに……」
「それでね、せめてものお詫びとして、君に少しお金を渡したいらしい」
「ええっ!」
ジャス子にとって、うるるはまだ憧れの存在のはずだ。
付き合いはここでキッパリと断たせるが、思い出は汚さない方がいい。
「まあ、たったの120万だけど、向こうがくれるっていうんだから貰っておきなよ」
「120万!」
「君が損した金額に比べたら、微々たる額さ」
「それはそうですけど、私はうるるさんには、3万円しか会費をお支払いしてないんです。そんな大金、頂く訳にはいきません」
「AAA・VIPコース100万円を3万でいいって奴だろ? それ、奴の常套手段だから、全然気にしなくていいよ」
「えっ、そうなんですか……?」
少しでもお金を払ってしまうと、ほとんどの人間はそれを取り返そうと思ってムキになる。『3万しか払ってないけど、本当は100万円の情報なんだ』と思って、信用全力で行っちゃったりする。それが奴の手だ。僕から言わせれば、3万もとられた挙句、嵌め込み先に使われる頭の弱い人たちである。
本当の儲け話なら、3万はおろか100万円払ったって、一般人には降りてこない。本物の投資顧問がゼロとは言わないが、それに当たるのは、砂浜でダイヤを見つけるくらいの確率だ。本当にこの世界で食っていきたいなら、「情報さえあれば儲かる」なんてバカな考えは、さっさと捨てた方がいい。
勿論、ジャス子は、うるるが本当に好意で自分に株を教えてくれてると思ったんだろう。だから今でも、うるるの事を信奉してる。だが、そういう人ピュアな人は、むしろ少数派だ。美味そうな話でバカを釣り、バカを嵌め込む。うるるのやってることがそこで終わるなら、僕はわざわざ口を挟んだりしない。
「君がこの話を断ってしまうと、間に入った僕の顔がたたない。何とか曲げて受け取ってくれよ。うるるに頼まれると、僕も弱いんだ」
「そういう事なら、受け取ります。うるるさんや全力さんに、ご迷惑はかけたくありませんし……」
「ありがとう。うるるも喜ぶよ」
第一関門はこれで突破だ。余りにもキャラが違い過ぎて、普通の人なら噴飯物の言葉ばかり並べてきたけど、これで少しは、ジャス子に金を戻せる。勿論、120万が戻ってきたところで大損には違いないけど、何も戻らないよりはいい。
それに結局、僕のこの行為は、二人を守ることにも繋がるはずだ。もし、ジャス子がI氏の遺児であることが分かったら、神輿として担ぎ上げる奴らが必ず出てくるだろう。穏便に事を収め、ジャス子をこの薄汚れた世界から引き離す。今となっては、それがベストだ。
人が金の力で、無理やり株価をカチ上げる時代はもう終わった。大相場を自らの手で作りだそうと、美しいチャートを描く職人たちも絶滅した。I氏の亡霊を、今更よみがえらせたって仕方ない。
(続く)