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 左右から迫る黒い影を、一呼吸する合間に切断する。

微かに見える残像に合わせて斬り付けているだけなので、妖魔の腕は見えていない。



 大した痛みを感じていないのか、それすらも克服したのか、腕を切り落としても妖魔は怯まなくなった。それどころか、再生の速度が上がっているような気さえする。

早く仕留めてアランを治療しなければ、彼の身体はそう長くは持たないだろう。


 そう思っているのに、攻勢に転じる事が出来ないでいた。

この期に及んで、私は怯えている。村人が負った傷、アランが負っている怪我。剥き出しになった肉から飛び散る鮮血が脳裏を離れてくれない。



 私は臆病だ。弱い。情けない。


 息が苦しい。焦りだけが募っていく。

早く妖魔を殺さなければアランは死んでしまう。


 前に、前に出ろ!



「イース……クラ」


 アランの声が聞こえる。

弱り切った声が。


 ごめんなさい。


 すぐに倒すから、もう少しだけ耐えて。



「昨日……オレと『ずっと一緒に居たい』と、言っていたな……どういう意味だ」


「………………。」







――――は?



「あれは……オレへの求愛なのか? それとも、アルフレドに惚れてたのか……? 教えてくれ……よ」


 錯乱してる!? なんで今それを聞くの!? それどころじゃないよ! わっ! 危なっ! 

思いもよらない問い掛けに、意識が逸れて危うく当たりかけた! 睨みつけてやりたいけど、そんな余裕がない。



「アルフレドは……(つら)はいいもんな……実を言うと……昨日何人かに誘われたんだ……村の娘に」


「はぁ!?」


 振り向きはしなかったけど、思わず反応してしまう。

いきなり何を言い出すの!? 何がしたいの!? アルフレドに好意を持った事なんてない! じゃなくて、邪魔をしないで!



「昨日の……酔ったお前は、それは……無防備だったぜ……乳を揉んだのに……気付いたか?」


「――――! ちょっと! ちょっと待って! 後にして!」


「ははっ……その様子だと……気付かなかったみてぇ……だな」


 揉んだ!? 私の胸を!?

信じられない! えっ……!?

その場面を想像したせいで顔が熱い。今すぐにでも問い詰めてやりたい。


 あぁ……もう! 妖魔! 邪魔!



「随分と、慎ましい大きさだったが……安心しろ……乳よりも、大事なのは尻だ」


「ふふふふ、ふざけんな! 変態! スケベ!」


 堪らずに、妖魔の腕を斬るついでに身を(ひるがえ)しアランを睨む。

アランの顔は真剣そのもので、真面目な顔をしてあんなふざけた言葉を発していたのかと思考が止まる。



「前を、見ろ」


「――くっ!」


 妖魔の方に振り返ると、追撃の影が迫っていた。

それをなんとか打ち払うが、頭は混乱したままだ。

何だこれ? 何がしたいの? 何故邪魔をするの? 馬鹿なの? 死にたいの?


 どんな羞恥だ。沸々と怒りが込み上げて来る。

こんな男だとは思わなかった! 最低な男だ! この間の覗きもわざとだったんだ! 許せない!



「妖魔の……攻撃には、慣れたか?」


「あ゛あ゛!?」


「力み過ぎだ、少しは……冷静になれ」


「貴方が変な事を言い出すから!」


「嘘に決まってるだろ……アホ」


「うぅ~~!」


 ムカつく! ムカつくムカつく!

何! 何!? なんなの!?



「後でぶん殴ってやる!」


「ははっ、その意気だ。……恐怖に呑まれる……な」


「――――!?」


「あの……妖魔は、まるで……タコだな。タコって……知ってるか? 海で獲れるらしいんだが……気味の悪い見てくれをしてる……割には、焼いて食うと、中々……旨いんだ」


「今度は何!」


「あんなのは……タコと変わらん……お前が負ける……筈が、無い。実際……お前の……剣の方が……早い」


 アランの言葉を受けて、妖魔を見る。

相も変わらず、形容し難いおぞましい見た目をしていた。

嫌悪感は変わらない。でも、怒りに紛れたのか恐怖心は薄れている気がする。



「……自信を……持て、お前の方が……ずっと強い……普通に……やれば、倒せ……ぐっ」


「アラン!?」


 ふざけた話を、痛みに耐えてまで振る意味は?

この緊迫した状況で、私をからかう為に……違う、何か別の意図がある筈だ。



「オレが……保証する……お前は、強い」


「………………。」


「だから……そんな無茶をする必要は……ない。竜の力を……信じろ……」


 ふと、身体のこわばりが抜けていく。

タイミングが悪く、妖魔の腕に打たれて顔がのけぞる。




痛みはあった。


耐えられる程度の痛みが。



「イース……クラ……!」


「……アラン、後で話があるから」


「……ははは、そりゃ……恐ろしいな」


「だから、死んだら許さない」


「安心しろ……死なねーさ……お前が……いるからな」



前を見る。


私は火竜。


ルベルの力を宿す人間(りゅう)



おぼろげにしか見えなかった妖魔の振るう腕が、今は()()()()()

私の瞳は火竜の瞳。



全身の筋肉は疲弊し、立って居るだけで辛い。がむしゃらに力を振るったせいだ。


……それでも。





不思議なくらい、呼吸は落ち着いていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 イースクラが妖魔の腕を斬り刻みながら前へと進む。

振るわれる腕を、妖魔の動きを、完全に見切っていた。


 傍から見ると凄まじい応酬だが、まるで速度を緩めていない。

視界が霞んでいなくとも、その動きを目で追う事は出来なかっただろう。


 イースクラの残影である炎の軌跡が、辛うじて何が起きているかを教えてくれた。



 初め、イースクラがこの場に現れた時、極度の緊張状態である事は背中越しでもハッキリと見て取れた。

呼吸は乱れ、身体はこわばり、剣を振るう腕は常に渾身の力を込めていたからだ。


 竜を加護を使い、並外れた身体能力だけで妖魔の猛攻を凌ぐその姿は、今にも燃え尽きそうな命の灯にしか思えなかった。

だから、それを解す為に冗談を口にした。


 効果はてきめんで、逆にこの後の追及が怖くなる程だ。

戦いの場において、緊張する事は悪い事ではない。しかし、それが本来の力を発揮する邪魔をする事もある。

新兵によくみられる症状であり、オレも通った道だ。



 纏う炎は小さくなったが、動きは逆に鋭さを増している。

妖魔の成長速度を加味しても、今のイースクラには敵わないだろう。



 加勢はしたいが、這う様に歩くのがやっとな今の状況では足を引っ張るだけだ。

子供に任せる事しか出来ない現状に、もどかしさを感じる。

同時に、不可思議な自分の身体が気に掛かる。


 負った傷は深く、左腕はピクリとも動かせない。

多くの血が流れた。今も、その筈だ。

しかし、意識が遠のかない。死んでもおかしくない量の血を流した筈なのに。



 視線を落とし、傷付いた足を見る。

血が、止まっている様に見えた。

痛みはある。血が噴き出たという感覚も残っている。


 それなのに、今は血が流れていない。

妖魔の腕で貫かれた肩を見る。

服に隠れて傷口は見えないが、血は流れていない。


 流れ切ったと言うのであれば、どうしてオレは死なない?

そもそも、今、オレは生きているのか?



 身体はとうに死んでいて、乗り移ったオレの魂だけがそれを認識してないのだとすれば……。





 顔を上げると、イースクラが妖魔の首を刎ねるのが見えた。

咄嗟に叫ぶ。鋭い痛みが身体中に走るが気にしている場合ではない。



「ぐっ……妖魔から目を反らすな! 腕と同様に頭も生やす事が出来るかもしれん!」


 言うが早いか、切り口から燃え始める妖魔の身体。

炎が全身に広がったのを確認してから、イースクラが振り返った。



 深紅に輝いていた瞳は、竜の眼のような物に変わり、幽鬼のような足取りでこちらにゆっくりと歩いて来る。

正直、かなり怖い。


 戦いの空気に感化され、正気を失っていなければいいが……相当煽ったからな、小突かれただけで死ぬ気がする。

今となっては、死ぬ事が出来るのかどうかすらあやしいが。



 互いの距離が半分程まで縮まった時、イースクラの身体が糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。

兆候もなく、突然の出来事で、思わず身体を前のめりにしてしまい、足がもつれて無様に倒れ込む。



「イースクラ!」


 頭上を黒い影が覆い、上を見上げると同時に火竜が地上に降り立つ。

倒れて動かないイースクラの身体を包み込むように丸まると、こちらに顔を向けた。



『あら、スケベさん』


「……そんな汚名を被される謂れはない。イースクラは生きているのか?」


『生きているわよ、この子も無茶をしたけれど、貴方程ではないし』


「そうか……なら、いい」


 火竜はイースクラの感情を読むことが出来るらしい。

という事は、イースクラはあの場で吐いた冗談を真に受けたと言う訳だ。


 ……一ヵ月程度とは言え、共に旅をしてきてそういう男だと思われていた事が地味に悲しい。

いや……前科はあったな。


 まぁ、互いに生きていれば誤解を解く機会はあるだろうし……気にする必要はないか。



『随分と、派手にやられたみたいね』


「危うく死にかけた、助けに来るならもう少し早く来て貰いたかったな」


『助ける? 誰を?』


「……イースクラを、だ。あいつにも危険は及んでいた」


『あらあら、ふふふ。まるで、何も分かっていないのね』


「あぁ、分からない事だらけだな。聞けば教えてくれるのか?」


『馬に乗った兵がここに向かってる。そうね、彼らが来るまでの間なら質問に答えてあげるわ』


「……意外だな、そう返されるとは思わなかった」


『一応、感謝をしてはいるのよ? この子の為に動いてくれた事に関しては』


 皮肉交じりの要望を、火竜が応じてくれるとは思わなかったので面を食らう。

動いてくれたとは、旅の同行を許した事だろうか? 妖魔の危険から遠ざける様にはしたが、結果として救われたのはこちらの方だ。

なんにせよ、話が出来るのはありがたい。



「この村に現れた妖魔は何だ……突然現れたのもそうだし、見た事もない妖魔だった」


『巡り巡って、古い手に回帰したのかしらね。アレの元はただの人間。だから、突然湧いた様に感じたのでしょう』


「…………は?」


『貴方の家に憑いてる闇にでも聞きなさいな。私より詳しいわよ? なにせ当事者なんだから』


「……待て。という事は、この一件にはオスクリタが関わっているのか?」


『さぁ? 関係はないと思うけど。どうかしらね』


「………………。」


 アルソニア王国は、長い歴史の中で妖魔と戦い続けて来た。

妖魔の種類や特徴。その対処法に至るまでを後世に伝えながら……それがあったからこそ、オレの生きていた時代では妖魔の危険はそれ程高くは無かった。


 群れる事がない妖魔の多くは、集団で囲んで適切な指揮の元対処すればどうとでもなる。


 被害が全く出なかった訳じゃないが、膨大な先人達の知識がオレ達にはあった。

その長い歴史の中でも、人が妖魔に変異する等とは聞いた事が無い……何が起きている?



「今度は闇竜に聞け、か。まるでたらい回しだな」


『光が根絶やしにしたから、ここ数千年は現れていなかったの。誤解している様だけど、私達は全てを把握している訳ではないわ』


「剣を欲すれば鍛冶屋に行け……。すまない、失言をした様だ」


『そう考えれば、貴方の時代より今の方がずっと自然に近いとも言えるわね。あの頃は光が随分と勝手に動いていたし』


「……アルソニア王国には、初代女王陛下が御された後には光竜が現れていない筈だが?」


『あら? そういう認識なのね? まぁ、そのせいで肝心な時に存在が広がり過ぎて役にも立たなかったけど』


「どういう意味だ?」


『言葉の通り、光は常に貴方の国を見守っていた。独占していたと言ってもいいけど……子孫全てを守ろうだなんて、気に入られ過ぎじゃない? アルソニアちゃん』


「頭が痛くなってきた。話題を変えたい……イースクラには何が起きた? まるで瞳が……火竜の様になっていたが」


『段階を上げた弊害ね。まだ許容範囲だから、心配しなくても大丈夫』


「竜の力を使い過ぎれば、いずれは竜に成ると言うのか?」


『マナとの親和性がいくら高くても、マナそのものになれる程貴方達の器は大きく出来ていないの。過ぎた使い方をすれば、存在自体がマナの方へと引っ張られるのは当たり前でしょう?』


「反動か……恐ろしいな」


『元々は全てがマナで出来ているんだし、還ると言った方が正しいのかしら? この子を心配するのなら、貴方の姉の方が危ないわね』


「オスクリタが?」


『だって、際限なく力を振るっているでしょう? 責任は止めないあの馬鹿にあるけど、伝えてあげたら?』


「……機会があればな。オレにその資格があるとは思えん」


『歪んでるわねぇ』


「本当の姉弟じゃない。オスクリタが望んでそうしているのだとすれば、止められるのはアルフレドだけだ」


『一応、警告はしてあげたから。後悔しても知らないわよ?』


「気には掛けておくさ、教えてくれて感謝する」


『すぐ近くまで兵が来ているみたいね。さて、質問はもう終わりかしら?』


「光竜のアホは何をしているんだ? 死にかけたと言うのに、全く出てくる気配がない」


『あっはっはっは! アホ呼ばわりなんて、随分と嫌われたわね。何をしているのかは私も知らない。でも、貴方を見ているのは分かる。その傷、死なない程度に治してるみたいだし』


「……なっ――――」


『どうせなら完治させてあげればいいのに、まぁ何か考えがあるのでしょう。久しぶりに笑わせて貰ったわ』


 致命傷を負いながら、死には至らなかった理由。

まさか光竜が関与しているとは思わなかった……加護が回りくどいぞ……ありがたいが、そうならそうと伝えて欲しいものだ。



霊薬(エリクサー)……か」


 馬の蹄の音が、オレにも聞こえる程に大きくなって来た。

妖魔を仕留めた事は、すぐに村人に伝わるだろう。


 そして、それは公国の兵にも…………。



 危機を乗り越えた事に安堵をしつつ、それがどのような問題にまで発展するのかは分からない。

少なくとも、呑気に旅を続けられる風には収まらないだろう。



 聖地まで後一歩と言った所で、振り出しに戻される。

不思議と、徒労感は無かった。惜しい事に変わりはないが、得られた物もある。


地面に腰かけ、兵士が広場に辿り着く時を……ただじっと、待つ事にした。

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