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村人の避難は、驚く程すんなりと終わった。
国境沿いにあるユリスカリア領の民は、古くから戦火に脅かされている。そのお陰で、緊急時における備えが他領と比べて洗練されていたからだ。
それに加え、貴族としては破天荒なきらいのあるアッシュ卿の存在。
彼は度々、自ら領内を巡っては領民に対し訓練を施していた。
避難経路の徹底や、近くの街に救援を求める狼煙の上げ方。家財を失った際の補填等。
賛否を招く彼の態度が、それらの事に裏打ちされた物であるとするならば、その多くは思い違いであったと言わざるを得ない。
そして、アラン。
彼が熟練の騎士である事は、最早疑い様のない事だ。
誰よりも早く状況を理解し、誰よりも早くそれを行動に移した。
彼が殿を務めているからこそ、死者を出す事も無く、妖魔に追われる事も無く、村人は避難する事が出来た。
初めて目にした妖魔の姿は――酷くおぞましいモノだった。
黒い靄の様な物に包まれハッキリとは見えなかったが、凡そこの世の物とは思えない造形をしており、私の知る言葉では形容する事すら出来ない。
思い出すだけで、全身に怖気が走る……騎士は、あんな物と戦っているのだろうか……。
妖魔に打たれた村人の傷は深く、皮膚はめくれ肉が露出している。それでも、死んではいなかった。酷い怪我で、治るまでには時間が掛かると思うけど。
アランの言葉が頭を過ぎる……。
【かすっただけで致命傷】
それは嘘でも、大げさな表現でも無かった。
私は……あんな化物と、戦う事が出来るのだろうか……。
「イーリス? ……そっか、心配だよね」
「……そう、だね」
妖魔の存在に怯えているだけの私を見て、アランを心配していると思った村人が話しかけてくる。
昨日のお祭りで話した子だ。思えば、昨日はとんでもない事を口に出してしまった。
同世代の恋愛話を聞いたせいなのか、酔いがそうさせたのか、今となっては後悔が残るだけ。
朝起きて、その恥ずかしさを取り繕うのに酷く苦労する事になった。
当のアランは気にする素振りすら見せず、それが少しだけ悲しく、腹立たしかった。
実を言うと、アランの事はそれ程心配していない。
彼は強く、負ける姿が想像出来ないから。
ルベルが未だにこの場に現れて居ないのは、そんな私の心情を察しての事だろう。
ルベルが来れば、旅はここで終わる。来ないで欲しいと願ってしまった。
どの道、妖魔の事は報告しなければならないので旅を続ける事が出来るのかはあやしい。それでも、大事にならなければ……アランとまだ一緒に過ごす事が出来る……そう、思ってしまった。
もしかして、既に妖魔を倒しているかも。
村からはそれなりに距離を取る事が出来たし、救援の狼煙も上げたので街に駐屯している兵もこちらに向かって来ている筈だ。
様子を見に戻ってもいいかも知れない……妖魔の姿を思い返すと脚がすくむけど、彼をいつまでも戦わせている訳にもいかない。
でも、村人の傍を離れる事を彼は望んでいるのだろうか。
「民を守れ」と彼は言った。私がこの場を離れて平気な状況なのかを判断するのは難しい。独断専行は最もしてはならない事と、学院でも教わっている。
駐屯兵と合流するまで待つべきなのだろうか……わからない。
「リコ! リコが居ないの! 誰か! 誰かリコを見てない!?」
声がした方に顔を向けると、狼狽する女性と慌てた様子の男性の姿が見えた。
「リコ! あぁ、どうして……」
「どうして一緒じゃないんだ!」
「あなたが連れてきていると思ったのよ! 私も外に居たから……!」
「あぁ……クソッ! もういい! オレが探しに行く!」
「村には妖魔が出てるのよ!? 私も行くわ……! リコを見捨てるなんて出来ない!」
「何を言い出すんだ! いいから大人しく待ってろ!」
「二人共落ち着け!」
周囲の人も止めに入り、場は騒然とする。
会話を聞く限り、逃げそびれた子供がまだ村に居るらしかった。
早朝、多くの村人は昨日の片付けの為外に出ていた。はしゃぎ過ぎたのか、夜更かしのせいか、子供はまだ家で寝ていたのだろう。
「私が行きます」
「……はぁ?」
私が声を上げると、言い合いをしていた夫婦を始め、多くの視線を集めた。
「いや……あんたには関係の無い事だ」
「無関係ではありません。それに、あなた方が向かうよりは私が行った方がいい」
「そもそも、お前は誰だ? いつから村に居た?」
「私は傭兵です。昨日村に着き、収穫祭に参加させて頂きました」
「……傭兵? どうして傭兵がこんな場所に」
「旅の途中なのです。村には私の仲間が残っています、私は彼に住人の避難が済んだ事を伝えに行くか悩んでいました。逃げ遅れた人は他にいませんか?」
「…………。」
ざわざわと、村の人がお互いの顔を見合わせる。
知っている顔が全員いるか確かめているのだろう。同時に、私達の存在を知っている村人が周りに説明をしていた。
「体力には自信がありますし、剣も使えます。私が行った方が、危険も少ない」
「イーリス、と言ったかのう」
村長が前に出て、私の名を呼ぶ。
「ここにおらんのは、その子だけじゃが……良いのか?」
「はい。一宿一飯の恩義もありますし、妖魔を食い止めているアランも心配ですので……」
「ふむ……」
「それに――」
荷物も村に置いてきましたから。そう笑って、返事を待たずに村へと駆ける。
問答している時間が惜しい。行動に移してしまえば、無理に止める者も居ないだろう。
背中から「娘をお願いします」と、母親の叫びが聞こえた。
大丈夫、村に居るのはかつての英雄だから。
大丈夫、彼は少し前に一人で妖魔を倒している。
大丈夫。
大丈夫。
――きっと、大丈夫。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
村の広場に近づくと、前から少女が走って来る。
酷く慌てた様子で、幼い顔は恐怖に歪められていた。
「あなたが、リコ?」
「う、うん……」
私を見て、警戒する少女。
膝を落として視線の高さを合わせる。
「大丈夫、落ち着いて。あなたのお母さんとお父さんに頼まれて、あなたを迎えに来たの」
「パパとママが……? ……お兄ちゃんが死んじゃう! 助けて!」
「大丈夫。あっちに行けばパパとママに会えるよ。一人で行ける?」
「……うん」
「転ばない様に気を付けて。さぁ、行って!」
少女の顔は、既に見ていなかった。
遠目に、アランの姿が見えたから。
「…………どうして」
右手に掴んだ剣を支えに、アランは立って居た。
左手はだらんと垂れ下がり、肩には穴が空いていた。
血に塗れ、よろめく姿を見て、私の心臓は握り潰されるような気がした。
「…………どうして」
どうして私は、彼なら大丈夫だと思っていたのだろう。
どうして私は、彼が無事だと思い込んでいたのだろう。
どうして。
どうして……。
私は、こんなにも愚かなのだろう。
ルベルは間に合わない。私が引き留めたから。
ルベルは間に合わない。私の我が儘のせいで。
ルベルは間に合わない。彼が死んでしまう。
彼が死ぬ。妖魔に殺されて。
彼が死ぬ。私のせいで。
彼が……。
死ぬ。
「あああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
妖魔への恐怖も忘れ、ただひたすらに前へと走る。
力を引き出して、前へと。
彼の元へと。
走る。走る。走る。
間に合って、彼を死なせないで。お願い、ルベル……。
私に、力を……!
全身が炎に包まれ、一歩踏み出す度に足が千切れそうな程の負荷が掛かる。
力を引き出す竜の加護は、普段は身体に負担が掛からない様に抑えられているから。
構わない。千切れたって構わない。
それで彼が助かるなら。それで彼が救えるなら。
――この身がどうなったって、構わない。
アランの横を走り抜き、彼に迫る妖魔の腕を切り落とす。
間に合った。間に合った! 間に合った! 間に合った!
「……イースクラ、何故……」
今にも消えてしまいそうなアランの声が、彼がまだ生きていると教えてくれる。
安心して、私が助けるから。
安心して、私が守るから。
いつからだろう、貴方の事が気になったのは。
いつからだろう、貴方に惹かれ始めたのは。
いつからだろう、貴方を好きになっていたのは。
貴方が、好き。
だから、死なせない。
絶対に、死なせない。
あの妖魔は、私が殺す。




