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誤字報告ありがとうございました。嬉しかったです。
――――ソレは、何の前触れもなく訪れた。
収穫祭の夜が明け、家に泊めてくれた村長と少し話して外に出た。
昨夜の事は、イースクラは覚えていない様だった。覚えていないのか、表に出していないだけのかは分からない。
ただ、気まずさの様なものを感じさせない振る舞いだったので、オレの方から何かを言うのはしない事にした。
――――ソレは、何の前触れもなく現れた。
村長の家を出て、村の広場を通る。
村人の多くは昨日の片付けをしていた、その合間を通り抜け、次の街へ向けて歩む。
広場の中心。ひときわ大きな焚火が燃え尽きた跡に、ソレは立って居た。
――――妖魔。
村の住人は気付いていなかった。
妖魔を見た事が無いからかも知れない。焚火の跡に立つソレが、煤に塗れて黒く汚れているだけだと思っていたのかも知れない。
妖魔は、ヒトの形をしていた――――
「イーリス!」
そう叫ぶのと同時に、妖魔の腕がぶれるのが見えた。
ぶれたと思ったら、離れた場所に居た村人が吹き飛ばされて地面に転がる。
誰も、何が起きているか分かっていなかった。
少しの間を置いて、静まり返った広場に絶叫が響く。誰かが声を上げるのより早く、オレは妖魔に向かって走り出していた。
「(何故、村の中心に!? あり得ん……いや、それよりも……!)」
走りながら、困惑する思考を整理していく。
妖魔は何故突然現れた? その兆しすら無かった筈だ。
妖魔が何故村に現れた? 妖魔が湧く場所に村を拓く訳が無い。
妖魔は何故ヒトの形をしている? 初めて見る種類だ。アレは妖魔なのか?
走り、考える。妖魔との距離をおよそ半分程まで詰めた所で、妖魔の腕がぶれた。
咄嗟に剣を構えると、その刹那凄まじい衝撃を受けて元居た場所まで弾き飛ばされてしまった。
イースクラは、固まっていた。
突然の出来事に、理解が追い付いていないのだろう。
「イースクラ、剣を取れ。奴は妖魔だ」
手に残る痺れを確かめながら、イースクラに指示を出す。
剣を握るイースクラの手は震えていた。初めての実戦。覚悟を固める間も無く訪れた戦闘に、恐怖が戦意に勝ってしまったか。
横目で妖魔を見る。妖魔は、まるで自分の力を確認するかの様に腕を振っていた。その光景は異様としか思えず、目の前に現れた妖魔の気味の悪さが際立つが、イースクラと話す猶予があるのは有難かった。
「オレの目を見ろ」
震える剣先を妖魔に向けて、固まっているイースクラの頬を掴み顔をこちらに向けさせる。
「いいか、アレは妖魔だ。何故この場に現れたのかはオレにも分からない。分からない事は、今は考えるな」
「…………妖……魔」
「分かっている事は、このままだと民が死ぬという事だけだ。本分を思い出せ、お前は何だ?」
「……私……は」
「貴族であり、騎士だ。何をすればいいかは分かるな?」
「妖魔を……倒す」
少しだが、落ち着きを取り戻す事が出来た様だ。
震える手を上から握り、イースクラの目を見て言い聞かせる様に話す。
「オレが時間を稼ぐ、お前は民を守れ。村の者を集めて外へ誘導するんだ。出来るな?」
「私も、戦う」
「駄目だ。いいか? 為さねばならない事は民を守る事だ。見誤るな」
「アランは……どうするの?」
「妖魔の気を引く。どちらかがしなければならない事だ。避難はお前に任せる。頼んだぞ」
イースクラの背中を叩き、喝を入れる。
妖魔はこちらを見ていた。先程の攻撃が防がれた事で関心を持ったのだろう。都合がいい。
「行け! イースクラ! 騎士としての使命を果たせ!」
そう叫び、再び妖魔へと走り出す。
多少の逡巡の後に、イースクラは別の方向へ駆け出していた。
それでいい、イースクラがこの場に居てくれて良かった。オレ一人では出来ない事だ。
オレが時間を稼げば、多くの者が助かるだろう。焦る事無く、戦いに集中出来る。
妖魔の腕がぶれ、身体を捻じりそれを避ける。
あの妖魔の腕は鞭だ。鞭の様にしなり、凄まじい速度で離れた位置を打つ。
種が割れれば対処は出来る。少なくとも、妖魔が学習するまでは……。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
振るわれた妖魔の腕を剣で弾き返す。
これまでの旅を経て、そこまでの力が付いていたのは幸いだった。屋敷に居た時では、弾く事も叶わず剣を飛ばされていただろう。
同時に、戦況の悪さに頭を痛めていた。
身に纏っていたのが鉄で出来た鎧であれば、距離を詰めるのは容易ではないにせよ出来ていた筈だ。
アレに鉄を貫く程の威力は無い。せめて盾でもあれば、多少はマシになるんだが……。
妖魔には、近づけないでいた。
妖魔がオレを仕留められないのと同じように、オレも妖魔に対して有効な手が打てない。
防戦ではいずれこちらの体力が尽きる。焦っては居なかった。時間が稼げれば無理に倒す必要は無い。
妖魔の腕が、縮む。縮んだ直後に、黒い点の様な物が眼前に迫った。首を傾け、ギリギリでそれを躱す。
振るうだけでは効果が無いと学んだのか、槍の様に突き刺す攻撃をしてきた。
妖魔は学習している。少しづつだが、攻撃に多様性が生まれてきた。いつまで凌ぐ事が出来るのか……残された時間は少ない。
避難状況を把握する余裕は無かった。
妖魔は、オレを完全に敵とみなした様だ。脇目も振らずにこちらを攻撃してくる。目を反らせば被弾は免れないだろう。
妖魔の腕がかすった場所は、皮膚を削り取られた様にめくれていた。
まともに当たれば一たまりも無い。じわじわと削られる神経を研ぎ澄ませ、一秒でも長く持ちこたえる事に注力する。
不意に、小さな悲鳴が耳に入った。
目だけそちらに向けると、逃げ遅れた小さな少女が家から身を出していた。
妖魔の注意が、そちらに向いた気がした。
咄嗟に前に出る。それがいけなかった。
右から受ける衝撃に耐えきれず吹き飛ぶ。
幸いなのは、飛ばされた方向が少女が居た方向だった事だ。
背中に鋭い痛みが走る。痛みは一瞬で、すでに感覚が無い。それは、取り返しのつかない怪我を負った事を意味していた。
「……動ける……か……?」
庇う事が出来た少女にそう問いかける。
状況を把握したのか、コクコクと無言で頷く少女。
「逃げろ、振り返らずに、外へ走れ」
少女の背中を押して、妖魔に振り返る。
幼い足音が遠ざかっていく。腰が抜けていない様で良かった。
妖魔に打たれ、踏ん張りがきかずに地面に投げ出される。
左足に痛みが走る。もう、足も使えない。剣を支えになんとか立ち上がる。
少女は逃げる事が出来ただろうか。
村の避難はもう済んだだろうか。
イースクラは、無事に逃げる事が出来ただろうか。
目の前に、死の影が迫って来るのが見えた。
左肩を貫かれ、その勢いごと後ろに飛ばされる。
抜かれる前に、左手で肩を貫いている妖魔の腕を掴み、力を振り絞って右手の剣で斬り付ける。
伸び切った妖魔の腕を、切断する事が出来た。
耳障りな叫びと共に、妖魔の腕が元の位置に戻る。
「……化け物……め」
切った妖魔の腕は、それ程時間を掛けずに新しく生えていた。
打たれた背中が、ようやく痛みを取り戻した。血が噴き出ているのを感じる。
もう長くは持たないだろう。逃げる力も、すでに残されていない。
死を覚悟したオレの横を、一陣の炎が舞った。




