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「────っ!?」
起き上がり辺りを見渡すと、そこは見知らぬ屋敷の一室だった。
寝心地の良いベットと部屋に置かれている高そうな調度品から、ここが上等な部屋である事が伺える。
「オレは……」
先程まで自分が置かれていた状況が今でも鮮明に思い浮かぶ。
闇竜のブレスに呑まれ確かに死んだ筈……。
いや、死んだという実感はない。
なにせ痛みを感じる暇もなく、ただ闇に呑まれたという感覚だけが残っていたからだ。
「だが……アレを食らって……」
ただ、間違いなく自分は死んだ筈だ。
あの状況で生きて居る訳がない。そういう確信があった。
だからこそ、今の状況が理解出来ない。
「…………ふぅ……」
思わずため息がこぼれる。
痛みはないが、五体の無事を確かめる為に身体を動かす。
「……くそっ」
目覚めた時から感じていた違和感は、気のせいではなかった。
目に映った腕は小枝の様に細く、鍛え上げた自慢の筋肉の面影一つ感じさせない。
「どれほどの時間……意識を失っていたんだ……?」
筋肉は使わなければ衰えていく。
それが寝たきりであったと言うならばなおさらだ。
豪華な造りのベットから這い出るように抜け出し、立ち上がる。
「立って、歩けないほどではないか……」
幸いにも、歩行に支障をきたす程筋力は衰えてはいないようだった。
ただそれでも、身体が妙に重たく感じる。
このままでは突撃槍を持つどころか、飛竜に跨る事も出来ないだろう。
「また、一から鍛えなおさないとな……」
自分で口に出して置きながら、思わず失笑する。
そんな事を考える前に明らかにしなければならない事は山程ある。
ここは何処なのか、あの戦いはどうなったのか、他にも生き残りはいるのか。
生き残った実感こそ無かったが、現状こうして意識があり五体が揃っているという事は、つまりは”そう”なのだろうと自分を納得させた。
「家主に会って礼を言わねぇと……しかし、どうしたものか」
恐らく、いや間違いなく、大怪我を負った自分を助け、看護し、命を繋ぎ止めてくれた者達がいる。
命を救ってくれた恩義に報いなければならない。そして、今の自分が置かれている状況を教えて貰う必要もある。
「王都の……それも位ある貴族様だとは思うが……」
自分がいる部屋を見るに、大貴族の屋敷である事は容易に予想が付いた。
それに、古傷すら綺麗に完治している身体を見て察するに、治療には霊薬が用いられている可能性も高い。
霊薬はとても貴重で、光のマナが長い年月を掛けて凝縮した物だと聞く。
実物を目にした事はなく、王族の重篤な怪我や病の時にしか用いられない至宝だと聞いた。
「……貴族様ではなく、王家が……?」
顔から血の気が引いていく気がした。
王が自分如きの為に……至宝とも呼ばれる霊薬を下賜された…………?
緊張と畏れで身体が震えだす。
我が剣を捧げし王は稀代の名君。市井にもその名声は轟き、万民に愛されるお方。
そのような高貴たるお方が、幾らでも替えの利く”自分如きに”……!?
「王に万が一があった際にどうする!? この命を取り留めたせいで、王の治療が出来なくなったとしたら……!」
自分の情けなさに、怒りが込み上がる。
命を賭して守ると誓った王の、あるいは王族の、遥か未来まで続く王家の血筋の
”命を取り留めるかも知れない霊薬”を
「オレが……!?」
到底、受け入れない事実だ。
王と自分、天秤にすら掛けられぬ貴き命。
想像しただけで胃に穴が開く気がした。
いや、吐く、気持ち悪い……。
ふらふらとベットに倒れ込む。
これほどの罪をどう償えばいいのか……。
「いっそ命を絶つか……? いや、それでは王の温情に泥を……!」
すぐにでも王の元へと馳せ参じ、地に頭を擦り付け、自らの不徳を表したい気持ちで胸が満たされたが、許可も無く部屋を抜け出し更なる無礼を働く訳にはいかないと自分にいい聞かせる。
産まれてこなければ良かったのに。と、自らの出生すら呪い始めた頃、扉を叩く音が聞こえた。
「ひゃ、ひゃい!」
近い内に、誰かがこの部屋を訪ねて来る事は十分に予測出来ていた。
それなのに、喉から出たのは情けないほどに上擦った声だった。
「失礼致します。おはようございます」
部屋に入って来たのは若い女の使用人であった。
「お、おはよう……ございます」
女に慣れていない訳ではなかったが、王に仕える使用人に取る態度なんて知る訳もなく、緊張を隠せないまま挨拶を返す。
「…………?」
別段おかしな所があったとも思えないが、目の前の使用人は得体の知れない何かを見るような眼差しをこちらに向けた。
「な、何か?」
「……いえ、失礼いたしました。湯浴みの準備が出来ておりますので、どうぞ」
「お心遣い、感謝致します」
王と会う前に身を清めよという訳か。と、一人納得していると
「…………?」
再び、珍獣を見る様な視線の使用人と目が合った。
「………………こちらに」
精一杯、丁寧な態度を心掛けたつもりであったが、使用人の態度に気恥ずかしさが込み上げてくる。
貴族じゃねぇし、貴族らしい振る舞いとか知らねぇよ……。
所詮、平民上がりの騎士だ。最低限の礼節は叩き込まれたが、貴族らしい立ち振る舞いなんて出来る訳がない。
もっと真面目に勉強していれば良かったと、王への謁見の場を想像してまた痛み出した胃を抑えつつ使用人の後を追った。
叙勲式の時もそうだが、任務で何度か王宮に足を運んだ事はあった。
だから分かる。ここは王宮ではない。手入れの行き届いた綺麗な廊下と、敷き詰められた絨毯を眺めながら辺りを見渡すに、恐らくは離宮、もしくは別宅だろう。
使用人の後ろを五分ほど黙って歩いていたが、未だに目的地には辿り着かない。
ただ歩いているだけなのもつまらないので、使用人に声を掛ける。
「すみません、幾つかお伺いしてもよろしいでしょうか?」
オレの声に気付くと、前を歩いていた使用人はピタリと足を止め、こちらに振り向き
「……それは、どのような戯れなのですか?」
と、極めて平静を装いつつも、疑惑が混じったような声で答えた。
「(戯れって……こっちは真面目だっつーのに……)」
現状を皆までとは言わずとも把握しておきたい。
だが、目の前に居るのが使用人だとしてもここは王の館。
聞く所によれば身分の高い者の屋敷に勤める者は、それよりも身分の低い貴族である事もあるらしい。
目の前のお方が貴族様だとすれば、気安く話しかけるのは無礼に当たるのだろうか……そうでなくても、勤務中は私語を慎めと厳しく躾けられているのかもしれない。
「いえ、お答え出来ないのであれば無理にとは言いませんが……」
分からんだらけで腹が立ってきた。オレの事聞いてないのかな! 騎士だぞ騎士! 平民上がりの泥臭い騎士! 少しくらい大目に見てくれてもいいだろ!
とは流石に声には出さないが、多少なりとも苛立ちは伝わったらしい。
「……失礼いたしました、なんなりと」
「……取りあえず、王がご健在なのは察しがついておりますが……街や国軍、それに国民の被害はいかほどなのですか?」
先んじて知りたいのは、妖魔によってもたらされた被害の大きさであった。
館の状態を見るに、メルキアの中まで攻め込まれはしなかったようだが、被害が全くないとは考え辛い。
そもそも、ここは何処だ? 西の都であるメルキアなのか、王都なのかすらも分からない。
「………………は?」
帰って来たのは困惑だった。
「ですから、妖魔による被害はいかほどなのか尋ねているのです!」
「おっしゃってる意味が……良く分かりませんが…………」
どこまで人をコケにすれば気が済むのだろう、いくら相手が平民上がりの騎士とはいえ馬鹿にするのも限度がある。
「ふざけるのも大概にしていただきたい!」
思わず、怒号を発してしまった。
自分の歳からすれば年端もいかぬ娘相手に。
「ひっ、ひぃ…………」
先程まで気丈に振舞っていた娘は、腰を抜かし倒れ込んでしまう。
その顔は恐怖に染められ、歯がカチカチと音を立てる。
その姿を見て怒りは瞬時に身を潜めた、同時に罪悪感が込み上げてくる。
今、オレは何をした? 多少からかわれたからと言って腹を立てて怒鳴り散らすなど、およそ騎士たる者のする事ではない。
「……失礼。気が立っていた様で……申し訳────」
「お許しを……お許しくださいませ…………お許しを……」
謝罪の言葉を遮るように、恐怖に顔を歪ませた使用人は這うようにこちらに背を向け、どうにか立ち上がると覚束ない駆け足で離れていった。
「オレは……何をしているんだ……」
その姿をただ呆然と眺める事しか出来ず、己の未熟さを悔やむ。
手をこめかみに当て、息を吐く。使用人が廊下の角を曲がり姿が見えなくなった頃、首を左右に振り思案する。
「彼女には……後で改めて謝罪をしよう」
王家に仕える者に働いた無礼。謝罪を受け取って貰えるかもあやしいが、それを決めるのは受け手であってオレではない。
目が覚めてからという物、碌な立ち振る舞いが出来ていない事に頭を痛めつつ、今後の行動を考える。
「……部屋に、戻るべきか……無事に戻れる気もしないが」
ここに至るまでの道中、使用人の後ろをただ付いて歩いていただけで土地勘は全く付いていない。
目に見える扉はどれも同じ造りに見えるし、何度か廊下を曲がった記憶さえある。
自業自得だ……と、自分を野次し来た道を戻る。
その時、ふと窓に目をやると、ガラスに反射された自分の顔が鮮明に写し出されていた。
「────お前は……誰だ……?」