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────ザッ ────ザッ ────ザッ 


妖魔が、木々の合間をすり抜ける様に迫る。

速度を落とさず、まるで液体の様なしなやかさで身体を捻り跳躍する姿を見て確信に至る。



「……影狼か!」


直後、こちらを食い破らんと跳躍した妖魔を横に飛んで避けた。

そのまま転がる様に起き上がると、すぐに身体を妖魔に向ける。


後悔、恥、焦燥、軽蔑、嫌悪。この事態を招いた愚かな自分に湧く感情を、深い息と共に全て吐き出した。



「ふうううぅぅぅ………………」


戦場に置いて、それ等(・・・)は全て不要。

捨てろ、捨てろ、捨てろ、捨てろ、捨てろ捨てろ捨てろ────


刹那、予備動作も無しに飛び掛かる妖魔を、すれ違いざまに斬る。

想定より身体の反応が鈍く、妖魔の爪に撫でられた腕から血が噴き出した。



グルゥゥゥゥゥ……


「浅い……!」


唸り声を上げる妖魔を見て、その傷の浅さに辟易する。

絶対的に力が足りていない。相手の速度を利用し、その勢い毎斬り付けたつもりであったが、剣先を維持する力が足りずに振り切れなかった。



妖魔は死を恐れない、闇より這い出た異形であり生物ではないからだ。

妖魔は機を伺わない、奴等にあるのは殺戮本能だけだからだ。

だが決して、知能が無い訳では無い(・・・・・・・・・・)


同じ手が何度も通用する相手ではない。力任せの直線的な攻撃はもうして来ないだろう。

長期戦は不利。奴が学習する前に仕留めなければ勝ち目は無い。

長期戦は不利。削り合いではこちらの体力が先に尽きる。


長期戦は不利。狙いは────



妖魔が跳躍し、木を蹴る事で軌道を変えこちらの意表を突く。



重心を落とし、身体を捻じらせ頭上を飛び越える妖魔の腹ばいに剣を突き立てる。

剣は刺さらず、はじき返された衝撃で地面に倒れ込む。



「がっ……ぐ!」


勢い余った妖魔は川まで吹き飛ぶと、水しぶきを上げながら転がって行った。



素早く起き上がり、森の中へと逃げ込む。葉が生い茂り、太陽の光さえ届かない薄暗い空間で妖魔を待ち受ける。



「はぁ……はぁ……」


ガサ……ガササササ…………


木の上に生い茂る葉に紛れ、こちらに迫りくる妖魔の音が見て取れる(・・・・・)

荒れた呼吸を必死に整えるが、先程強打した背中に走る鈍い痛みが邪魔をする。



「(やはり体力が持たない。数度のやり取りでこれとは……)」


恐らく、まともに剣を振れるのは後数回だろう。不気味に揺れる木の葉の音が止み。



「………………。」





────静寂。時が凝縮したような感覚の中、両手で剣を握りその瞬間を待つ。




張り詰めた空気に一滴(ひとしずく)…………頭上に水滴がすべり落ちた。











ガッ……ゴガ…………


背後(・・)に突き出した剣は、こちらに噛み付こうと大口を開けていた妖魔の口内に深々と突き刺さり、妖魔の身体を貫いていた。



「があああああぁぁぁぁぁぁ!」


雄叫びを上げて剣を握る腕を捻じる。妖魔の体内を引き裂き、確実に殺す為に。

腕を回す度に、妖魔が藻掻く(もがく)度に、妖魔の牙が腕に食い込み肉が裂ける。それでも力は緩めない。



程なくすると、妖魔の身体から力の抜けるのを感じた。深々と突き刺さった剣を手放すと、同時に妖魔の身体も地に崩れ落ちた。



「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」


勝利を確信し、安堵した途端に冷や汗が噴き出し、力を込めていた両の腕が震え始める。

そのまま倒れ込む様に近くの木に身体を委ねると、体勢を調節し何とか持ち上がった右手の袖口を噛み締める。



「ん゛! ん゛ん゛────!」


木に身体を押し付け、外れた(・・・)左肩を強引に嵌めなおしその場に崩れ落ちる。

目の前で息絶えている妖魔の姿を見ても、何一つ喜びは感じ無かった。

今こうして、命を拾えたのは奇跡と呼ぶ他ない。十中八九、殺されていただろう。


最後の突きは、完全に賭けでしかなかった。

正面と頭上から襲って来ない様に誘導はしたが、それも確実では無かった。

左右後ろの三方向に至っては、可能性としてはどれも同じ。偶々(・・)三分の一を引き当てたに過ぎない。


そもそも、妖魔相手に一人で立ち向かう事自体が無謀なのだ。

そうなった時点で、己の軽率さを恥じる他無かった。



「…………くそっ!」


だが、悔やむ事はおろか休んでいる暇も無かった。

ここは森の奥深くであり、今の状況で”助かった”等言える筈が無い。



「う…………ぐっ……」


全身に走る痛みに耐え、どうにか立ち上がる。

湧いた妖魔が影狼で良かった。影狼は、妖魔の中でも比較的小型の個体であり、もし大型の妖魔が湧いていれば万に一つも勝ち目は無かっただろう。


湧いた直後だったのも幸いした。妖魔は、周囲の生き物を捕食すればするだけその力を増す。



今にも倒れそうな身体を奮起し、覚束ない足取りで荷物を置いた川の所まで向かう。





※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「────~~~っっ!」


 川まで辿り着き、傷口を流水に晒す。

その後、ポリンの実を幾つか磨り潰すと傷口に刷り込んだ。これが剥き出しになった神経に酷く滲みる。


 応急手当とは言え、ポリンの実を採取に来ていた事が幸いした。

このまま放って置こう物なら、傷口が化膿し最悪の結果を招きかねない。


 妖魔は、その異形とも呼べる禍々しい姿に反し毒や病気を持ち合わせては居なかった。

それは、妖魔の身体を構成するのが闇のマナであり、生物で無い事に由来する。


 野ざらしにした死体も、時間と共にマナへと還り消え去るだろう。


 剣は、妖魔に突き刺さったままだった。

握力を使い果たした今では、抜き取る事が出来なかった。

ポリンの実を磨り潰す事でさえ容易では無かったのだから、諦めるしかない。



 荷物から綺麗な布を取り出し、処置をした傷口に巻き付ける。

空気と遮断したお陰か、幾らか痛みもマシになった。


 ポリンの実を何個か口に放り込むと、荷物を背負って歩き始める。

全身の筋肉は疲労し、外れていた方の肩が悲鳴を上げるが、留まる訳にはいかない。



 手持ちの武器は短いナイフ一本。振る力はおろか、握る力すら残ってはいない。

流した血の匂いに引かれ、獣が集まってくる可能性が高い。


 尤も、そんな心配をしなくても良いと気が付いたのは、随分と後になっての事だったのだが……。






「はぁ……はぁ…………あぁ……」


 引きずる様に歩みを進め、どうにか森の出口まで辿り着く頃には、既に日が落ちかけていた。

街の外壁が目に入り、気が緩むのと同時に心身の限界を迎えた。


 薄れゆく意識を留める事が出来ずに、その場に倒れ込む。

屋敷の使用人達の事が頭に過るが、指先一つ動かせない。



誰でもいい。オレの存在に気が付いてくれ。

そんな都合の良い偶然に祈りを捧げながら、意識は闇へと落ちて行った。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 目を覚ますと、小屋の中だった。

壁には動物の毛皮や角が飾られており、弓矢が立てかけれていた。


 両の腕に巻かれている包帯から、誰かが自分を治療してくれたのだと分かる。

命を拾った事を実感し、安堵の息が漏れた。



「よぉ、目ぇ覚ましたみてぇだな、坊主」


 声がした方に視線を向けると、街で出会った恰幅のいい男が扉の傍に立っていた。



「……アンタが、助けてくれたのか?」


「人の忠告を聞かねぇからだ。ほら、腕ぇ見せてみろ」


 そう言うと、乱暴にオレの腕を握る。



「いでででで!」


「痛てぇのは当然だろうが、うし! 化膿はしてねぇみてぇだな」


「……恩に着るよ、すまない」


「ガキが無茶するからだ。ったく、ちょっと待ってろ食いモン持ってきてやる」


「いや! 流石にそこまでは……痛っ!」


 遠慮しようと手を動かすと激痛が走る。怪我の痛みに加えて、筋肉痛にもなっているようだった。



「今更遠慮なんざするんじゃねぇ、良いから寝てろ」


 そう言い残し、男は小屋から出て行った。程なくして戻ってくると、手にはスープが入った木の皿と木のスプーンを持っていた。



「ほれ。腹減ってんだろ」


「それは……」


 湯気が立つスープからは、それはそれは旨そうな香りが漂って来て食欲を刺激される。



「いいから食えって。それともあれか? 自分じゃ食えねぇか? ……流石にそこまではしたかねぇんだが」


「ち、ちがっ! ……頂くよ、何から何まで……本当に済まない」


「持てるか? 溢すなよ……そうだ、それでいい」


 左手を足の上に置いて、手のひらにスープが入った皿を置いてもらう。

スプーンで掬い持ち上げると、それだけの動作なのに右手がプルプルと震えて上手く口まで運べなかった。

 食べさせて貰うのは流石に情けなさ過ぎるので、気合で右手を操る。



「…………旨い」


「当たり前だ、オレが作ったんだからな」


 スープには、トロトロになるまで煮込まれた鹿肉がたっぷりと入っていた。

野菜は溶けてしまったのか、姿が見えないのに味わいを感じる。それが、肉の脂と交わって身体に染み込んでくる。喉元を通り、胃に入ってもじんわりと温かく身体の芯から全身へ熱が伝わって行くのが分かる。


 旨そうに食べるオレを、満足そうに眺める男。

思えば、この人には街に入ってから世話になりっぱなしだった。見ず知らずのオレに、森へは入るなと忠告してくれ、その忠告に従わなかったオレの世話までしてくれる。・・・返せる物があればいいのだが。



「そういえば、貴方の名前を聞いていなかったな」


「あなただぁ? 気持ち悪りぃ喋り方すんなよ! さっきまで見てぇにクソ生意気な喋り方してろっての」


「クソ生意気って……」


「アンタ呼ばわりしてたじゃねぇか」


「うぐっ……それは、申し訳ない」


「ったく。それで、森で何があった?」


 誤魔化すべきか思案したが、正直に話すべきだと自分を律した。

ここまで世話になって、嘘を吐くのは義に欠けると思ったからだ。信じて貰えるかどうかは別として。



「ポリンの実を探して森の奥まで進んだ、そこで妖魔に襲われたんだ」


「妖魔ぁ!?」


「あぁ、湧くのはまだ先だろうと思っていたが、考えが甘かった。貴方に言われた通りだった」


「……で、どうした?」


「逃げ切れるとは思わなかったら抗戦した。湧いたばかりだったのと、種類が影狼だった事が幸いしてどうにか倒す事が出来たんだ」


「たお……は? 妖魔を!?」


 頭を乱雑に掻きながら、男は考え込んでいる様子だった。

一人で妖魔に立ち向かい、あまつさえ討伐した等とは信じがたい事だと思う。

 嘘だと笑われるなら、それはそれでよかった。



「……で、殺したのは確かなのか?」


 意外な事に、その話は受け入れられた。



「それは間違いないが……信じるのか?」


「その傷を見りゃあ、何かに襲われたってのは分かる。それが妖魔なのかどうかは知らねぇが、あの森には獣は出ねぇ。特に今はな」


「獣が?」


「森がざわついてるって言っただろ。人間でも分かるんだ、とっくに逃げるか隠れちまってるんだよ。元々森に住んでるヤツは」


 妖魔は見境がない。あらゆる生き物にとって脅威となる存在だ。野生の獣は人間よりも感覚が鋭い、妖魔の出現を察知出来ても不思議ではない。男の話には信憑性があった。



「偶に逃げそびれるマヌケも居るが、そうだとしたらおかしい話だ。普通、獣相手にそこまで深手を負わされりゃあ傷口が腐る。だが、そうならねぇ」


「詳しいんだな」


「猟師だからな、そんな奴らはごまんと見て来た。ナニカに襲われたのは確かで、それは獣じゃねぇ。獣じゃねぇのに獣に負わされたような傷を負ってやがる……じゃあソレは何だ?」


 男は、猟師だった。壁に掛けられた弓は、この男の商売道具なのだろう。

毛皮や角が狩りの成果だとするならば、合点のいく話だ。



「妖魔を相手にしたんだとすりゃあ、その傷にも納得がいく。殺したってのもな、妖魔って奴はしつこいんだろう? それこそ、殺すか殺されるまで追い回されるって話だ。殺してないなら、治療なんて出来ねぇよな?」


 治療とは、オレが自分でした応急処置の事だろう。

命からがら逃げ帰ったのだとしたら、怪我の手当てをする余裕は無い。



「お前は森で襲われて、深手を負ったがそれを倒した。本人が妖魔だっつってんなら、別におかしな話じゃねぇ。他に考えられる事もねぇしな」


「……改めて礼を言いたい。助けてくれてありがとう」


「よせよ、こっぱずかしい。それにしても、まさか街で会った坊主が貴族だったとは思いもしなかったぜ」


 そう言われて、咄嗟に荷物の方を見る。荷物の中にはクランクライン家の所縁の者である事が分かる物がいくつか入っていた。



「荷物は漁ってねぇし、言いたくないなら別に言わなくていい。オレが勝手にそう思っただけだ」


「理由を……聞いてもいいか?」


 貴族である事は、隠しておきたいと思った事だ。それが露見してしまうのであれば、その原因を知って置きたかった。



「別に大した理由じゃねぇよ。その妙に気取った喋り方と、妖魔とやり合ったって言う事実。最初はどこかの商家の坊ちゃんだと思ったがそれじゃ戦える事の理由にはならねぇ。その歳で腕に自信があるんなら、残すは貴族しかねぇって訳だ」


「なるほどな……って、オレの言葉使いってそんなにおかしいのか!?」


「ただの平民の十五六のガキが、そんな喋り方をするかよ。そんな奴が広場の掲示板で仕事を探してたんなら、それなりの理由があるんだろ? だから言わなくていいし、オレも貴族としては扱わねぇ。畏まった喋り方をすんのは疲れるからな」


 豪快に笑いながらオレから食べ終わった皿を回収すると、男は小屋を出ようとした。

中身は違っても、周りから見れば十六歳の子供……か、気を付けなければ。



「どうして、森の近くまで?」


「夕方気になって、坊主の依頼人がいる家に行ったんだよ。そしたら森からまだ戻ってねぇと分かった。心配になって様子を見にいきゃあ、お前が森の入り口で倒れてた。それだけだ」


「そうだ! ポリンの実!」


「もう渡してある。あぁ、そういう意味じゃ荷物を漁ってたな。悪りぃ悪りぃ」


「いや、それなら良かった。すまないな、それで母親は大丈夫なのか?」


「言ったろ? ポリンの実で治る様なら大した病気じゃねぇって。持って行った時にはもう元気に動いてたぜ? 残念だったな、命を懸けて取りに行ったってのによ」


それを聞いて、男と一緒にオレも笑った。

身の程知らずが危険を顧みずに起こした行動の、なんともしょうもない結末に。


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