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最寄りの街から乗り合いの馬車に乗って三日。旅は順調で、早くもクランクライン家が有する領外へと出る事が出来た。
被っていた外套を外し、外を見る。
遠方には、イリスフォール家が有するプラハの街が見えていた。
地名や街に関しては、変わっている物の方が多かった。正確な年代は分からないが、調べた限りオレが居た時代から五百年程経過している様なので、それは仕方のない事だった。
プラハの街は、イリスフォール領で三番目に大きい街だ。
特筆する産物は無いが、大きな森に隣しているので林業が盛んと記されていた。他にも畑や牧場もあり、街単体で自給を賄っているそうだ。
主な輸出品は木材。プラハの街が輸出しているプラハウッドは、高級木材では無く極々普通の品質だが、それ故に需要も多く、他領との取引が街の収益を支えている。
街の発展には水が欠かせないので、近くには川も流れている。森から流れる川の水は透き通っていて住人の生活を支えていた。
街道から見える畑の様子から長閑な印象を受けるが、街全体は外壁によって覆われている。
妖魔の被害から街を守る為だ。流石に点在する集落の全てを外壁で覆う事は出来ないが、大きな街ではそれが基本だ。
「もうすぐ門へ辿り着きやす、入領税の準備をしておいてくだせぇ」
領から領へ渡る際には、入領税の納付が義務付けられていた。
それ程大きな額ではないが、一人一人に掛かる上に年齢によって税額が変わらないので領民が他領に家族で旅行に行くには少し負担が大きい。
基本的に領民は領外に出ない。その理由の一つだ。
他にも、移住するなら移民税が掛かるし、商売をするにも税を支払う必要がある。
領民や他領の商人は自領の収入に深く関わるので、領内の経済を守る為の方策だ。
入領するだけなら余程の事が無い限り身元を明かす必要がないので、この国が平和である事が伺えた。
「入領税は、五百デナリだったか」
デナリと言うのがこの時代の貨幣の呼称であり、一般的な宿の一泊の値段が二百五十デナリ。一食に掛かる値段は五十デナリが相場とされている。
オレの時代では、貨幣の単価はルクスと呼ばれ支払いに必要な価格も十分の一程度だったので、時代の流れを感じさせる。
ルクスの由来は、アルソニア・ソーリス・ルクス女王陛下の名にあやかった物で、国民に親しまれていた。それが廃れてしまった事に、少し寂しさを覚えた。
乗り合いの馬車には、他にも数名同席していた。
それぞれ事情は異なるが、単なる旅人なのはオレ一人だった。剣を腰に下げていたとはいえ、上等な服を身に着けていたので裕福な商家の道楽息子と思われている。
貴族だとバレて、正体が露見しなかったので一安心だ。身分を偽っているのは、余計なしがらみや対応を避ける為なので、幸先は良い。
程なくして門へと辿り着き、入領税を支払い中へと入る。向かった先は、街の広場にある掲示板だ。
それぞれの街には大きな掲示板が置かれており、情報発信の要となっている。
布告や宣伝の他に、街の住人同士の相互扶助としても使われており、様々な要望が張り出されていた。
「鍋が余っている方は譲って下さい……違う。他国から仕入れた珍しい品々は当店まで……これも違う」
探しているのは、日雇いの仕事だ。
様々な物資を工面してもらったが、金銭は極力持たない事にした。申し訳ないからでは無く、いらぬトラブルを避ける為に。
他の貴族家や軍の駐屯地で見せれば、クランクライン家の名義で援助を得られる家紋が彫られたブローチを持たされたが、使うつもりは無かった。
旅に掛かる費用は、自分で稼ぐ。手持ちにはまだまだ余裕があったが、資金が尽きてからでは先行かなくなる場合があるので、これまでに掛かった費用と次の街へ向かう為の旅費は稼ぐ必要がある。
「妻が子供と故郷に帰省したので働き手を募集します。条件は……悪くないな」
宿場の主人からの依頼があった。稼ぎにもなるし、宿代も浮きそうだ。主人の御眼鏡に叶えばだが。
場所を確認し、掲示板を離れようとすると一つの張り紙が目に入った。
その張り紙には、幼い子供が書いたであろうたどたどしい文字で、こう書かれていた。
【おかあさんがびょうきです ぽりんのみをわけてください】
ポリンの実には、薬効がある。煎じて飲めば、熱が下がり身体が楽になる。
広く自生しており安価で手に入り安いポリンの実は、効果が高い訳ではないが平民にとって貴重な薬の一つであった。
「坊主、その依頼ならやめとけ」
近くにいた恰幅のいい男に声を掛けられた。
「もうじき森に妖魔が出る。お陰で今は誰も森には近づかん、あぶねぇからな」
「ポリンの実は余ってないのか?」
「森に行きゃあ腐る程手に入る。わざわざ備えてる奴なんかいねぇ。それに、そのガキにゃあ悪いがポリンの実で治るんなら母親の病気も大したもんじゃねぇって事だ。寝とけばその内良くなるだろうよ」
時期が悪かったのだろう。入手が安易であるが故に、備えもない。
妖魔は、基本的には人気の無い場所で産まれるとされていた。実際その通りなのだが、妖魔が湧かない場所に人が街を築いて行ったという説もある。
昔の人は、闇のマナが溜まり辛い場所を開拓して行ったのだろう。時代が違っても、人の繁栄する場所は大きく変わらない。
「妖魔が出るのは、確かなのか?」
「まだ出ちゃいねぇ。森がざわつき始めただけだ。出てねぇから討伐も出来ねぇ、領主様に要請は出してあるから、出たらすぐに退治してくださる筈だ。それまで待つしかねぇ」
「教えてくれて助かった。この街には今日着いたばかりでな」
「そんなもん、見りゃ分かる。背負ってる荷物に入領の証をぶら下げてるからな。どこかのお坊ちゃんが仕事を探してる理由は知らねぇが、他の奴にしとけ」
「随分と親切にしてくれるんだな、感謝するよ」
「当たり前の事だろうが、お前の親はそんな事も教えてくれなかったのか?」
ぶっきら棒だが、温かみのある男に礼を述べると、子供が貼った依頼書を掲示板から剥がした。依頼を受けるという意思表示だ。
「坊主、人の話を聞いていなかったのか?」
「森に行って帰るのに、半日も掛からないさ。緊急じゃないのかも知れないが、親を想う子の気持ちを考えるとな。それに、アンタに受けた恩をこの街に返そうと思った」
「好きにしろ。忠告はしてやったからな」
恰幅のいい男はそう言い残すと、呆れて物も言えないといった様子でオレから離れて行った。
男の忠告は尤もであったし、その忠告を無下にしてしまった事に変わりはない。
幼子が出した依頼だ、報酬も得られる訳じゃない。ただそれでも、時代を越えても変わらない人の温かみに触れる事が出来て、嬉しかった。
幸先の良さに顔をほころばせながら、広場を後にする。
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「日が沈めば門も閉じる。門が閉じれば街には入れないからな」
守衛に入領証を見せて外に出た。
入領税は、一度支払えば領外に出るまでは有効だ。他領に移る際に交換される。
勿論、それを悪用して移民する事は出来ない。入領証には発行された日付が記されていて、様々な場面で提示を要求される。
あまりにも長期間滞在していれば身元の確認が行われ、本来所属している領の領官へと連絡が行く。
その際に不在期間の税がちゃんと納めているか調べられ、不法移民であると判断されれば重い罰則を与えられる。
本人と住む場所を提供した者、或いは雇い主に。
知らなかったでは済まされないので、家主や雇用主はその点に敏感だ。
貴族であるオレは、貴族として正規の手段を用いている訳ではないが、もしそうなっても罪に問われる事は無い。
家名は傷付くし、評判が下がるのでそんな不手際を起こすつもりは無いが。
太陽が一番高い所にある事から、今が丁度昼時である事が伺えた。
飯はもう済ませてあった。街中にあった屋台で、カッツァの実が入った穀物の煮込みを食べた。
カッツァの実は、齧れば独特な風味が口の中に広がる香辛料で、大陸の南部に位置するナハル公国では広く普及している庶民の味だ。
王都でも度々口にする機会があり、好みは分かれるがオレは好きだった。
川沿いを歩き、森へと向かう。
ポリンの実は水辺によく自生しているので、すぐに見つかる筈だ。
帰りも川に沿って歩けばいいので、迷う心配もない。職場にしようと思っていたので、宿は取っておらず荷物を背負ったままなのが気掛かりではあるが、鍛錬になると思えば苦では無かった。
森に入り、早速ポリンの群生を見つける。
だが、残念な事に実は獣に食べられたのか残って居なかった。更に奥地へと足を進める。
しばらくして、ようやく他の群生を見つけた。
他に必要としている住人が居るかも知れないので、持ち帰れるだけ実を採取すると荷物を下ろして休憩する事にした。
「街を出てから二時間程度か…………」
地面に寝転がり、周囲の音に耳を傾ける。
自然に馴染みがある訳ではないが、川のせせらぎや、木の葉が揺れる音を聞くと心が安らぐ。
森は危険を伴う場所で、野営をするには適してはいないのだが……。
「こうしていると長閑なもんだな」
時間にして五分も経っていないであろう平穏は、鳥の羽ばたきによって破られた。
起き上がり、剣を握る。
愚か。
そう表する他ない。親切な忠告を蔑ろにし、森に入った身の程知らず。
森の木々に遮られてはいたが、ソレはハッキリと目に映った。
こちらに向かって凄まじい勢いで近づいて来るのは────
────紛れも無い、よく見知った妖魔の姿だった。




