8.放課後のアクション映画
修学旅行が終わって日常が戻ってきた。
また、いつも通り、お弁当食べて、終わったらすぐ帰る、ちょっと退屈な日々。
休み時間に真奈ちゃんがわたしの席の前の席にどかっと座って手をパタパタさせる。
「和歌子、ぼけっとして何考えてんの」
「……ハンバーガーのこと、思い出してた……」
「恋かよ」
恋かもしれない。最近楽しいことが多かったから、すっかり日常に引き戻されて、何か切ない。
「ねえ、思い付いたことがあるんだけど」
真奈ちゃんが言って、悪戯に笑う。それからもったいぶるように、わざわざ耳打ちした。
「文化祭委員?」
なっていない。わたしは美化委員だ。
「文化祭委員だけは他の委員会とは関係なく、文化祭の前に決めるでしょ。だから、なっちゃったことにするの!」
「それで、どうするの?」
「放課後遊びにいくに決まってるべ!」
「ほぉう〜」
思わず変な声が出た。さすが真奈ちゃん、悪知恵が働く。確かに、文化祭委員は去年見ていても結構遅くなることが多いようだった。学校行事や仕事に関わることは、お母さんはそこまで厳しく言わないだろう。
「週に二日くらい、ちょっと遅くなるって言ってさ」
「うんうん」
「あんなとこやこんなとこに……」
「どこ?」
「どこがいい?」
「ハンバーガー! 映画館! カラオケ! ゲームセンター! ファミレス!」
「行くべ! 行くべ!」
大盛り上がりなところ、視界の端で浅間君が他のクラスの女子に呼ばれて出ていくのが見えた。なんかすごく告白とかの雰囲気。
「なんであんなやつがモテるんだろ……」
「浅間君人当たりいいからね……」
あと顔もいい。そりゃモテるだろう。
でもちょっと焦ってくる。
わたしの焦りを見透かしたように、真奈ちゃんが後ろからじっとりとした声で言う。
「今みたいな宙ぶらりんな関係は、浅間に彼女ができた時点ですぐに終わるんだよ……何しろ和歌子はキープだから……」
相変わらず容赦がないが事実だ。そうだ。わたしは直接言われなかったとしても、いつ振られてもおかしくない黒ひげ危機一髪状態なのだった。
遊びにいこうとはしゃいでいたのに、一気にテンションが急降下してしまった。
チャイムが鳴るギリギリで浅間君は教室に戻ってきたけれど、その表情には何もうかがえなかった。いつも通り。
放課後になって真奈ちゃんが鞄を持ってわたしの席まで来た。
「和歌子、今日どうする?」
「え、今日もう? でも、まだ家に言ってないよ……」
「なんのためにその旧式のガラケーがあるの! 今からかけなよ! なんなら代わるから!」
真奈ちゃんに言われて電話をかけた。
文化祭委員になったことと、今日は遅くなると伝える。お母さんはなんだか反応に抑揚がなくて、意外とあっさり了承してくれた。
「大丈夫だった?」
「うん……」
「どした?」
「お母さん……元気ないかも……」
「昼寝でもしてたんじゃない?」
「うーん」
「ね、どこ行きたい?」
言われて気を取り直す。
「とりあえず……映画行きたい!」
「おし! 何観る?」
「アクション映画!」
「おー! 爆発あり殴り合いあり! ちょいエロありの人がバンバン死んで事件が解決するようなの観よう!」
真奈ちゃん言い方……。
近くにいたテラ君が会話の切れっぱしを聞いて話しかけてくる。
「何、映画行くの?」
「うん、テラも一緒に行こうよ!」
「何観るの?」
わたしの顔を見て聞くので答える。
「殴り合い殺し合いの……アクション」
テラ君は「いいね」と言って「晃も行く?」と背後の郡司君に声をかける。
「殴り合い殺し合いなら、観る」
みんな、好きなんだ。殴り合い殺し合い……。
「浅間君も行かない? 映画」
テラ君が唐突に離れた席にいる浅間君に声をかけてあっけにとられる。真奈ちゃんが恨みがましい目でテラ君を見た。
「いいじゃん。僕の友達誘っても」
小声で言って、悪びれもせず真奈ちゃんを見る。テラ君は修学旅行以来割と本気で浅間君を気に入っていて、だから嘘じゃないのだと思う。半分わたしにかこつけてるけれど、わたしがいなくても誘っていたかもしれない。
「真奈ちゃん友達のことでまだ怒ってるの? 付き合いを了承してすぐ振ったのは悪いと思うけど……その子の話、僕はセーフだと思うな……キスでもしてればアウトな気もするけど……何もなかったんでしょ」
「……むう」
真奈ちゃんはすっかり不貞腐れた。
浅間君が来てテラ君に聞く。
「何観んの」
「白瀬さんの希望で殺し合いだって」
「いいよ」
いいんだ……。だいぶ簡略化されてたけど。
「浅間、あんた彼女はいいのかい?」
真奈ちゃんが唐突にカマをかけるのでドキッとした。
「彼女?」
「告られてたでしょ」
「断ったから、いないよ」
そうなんだ。ていうか、やっぱり告白だったんだ……。
「本当に〜? キープしてんじゃないの〜?」
「しないよ。俺断るときはかなりはっきり言うから。言い方きついから泣かれること多いけど……気をもたせても悪いし」
言った後で自分で言動の不一致に気付いたらしく、気まずそうにわたしを見て、目を逸らした。
そういえば、高橋さんも泣いていた。一体どんな言い方で振ってるのか気になる。他人事じゃない。明日は我が身。
真奈ちゃんはなんだか拍子抜けしたような顔をしていた。しばらく考えこんではぁと息を吐く。
「ほな行こか……」
鞄を持ってさっさと教室を出たので追いかける。小声で聞く。
「どうしたの? なんか急に」
「んー、今んとこ和歌子が唯一の名誉キープ会員てことはわかったし、イライラすっけど、なんとなくあいつの考えてることもわかったし……もういーかなって……」
「わかったって、何が?」
「和歌子が言われた通り、本当に和歌子と付き合って、あいつの悪い癖ですぐ振っちゃうかもしれないのが嫌なんだろ」
じゃあ、振らなきゃいいのに……。
思ったが言える立場じゃない。
「それに、別にあたしは本当に浅間のことが嫌いなわけでもないんだよね。ずっと怒ってんのも疲れるし。あたしも和歌子に任せるわ」
それから真奈ちゃんは「和歌子、今までごめんね」と謝った。
「わたしの方こそ、心配してくれてたのに、ごめん……」
*
映画館は全く入ったことがないわけではない。でも、子供向けアニメ映画だった。それはそれで面白かったけれど、実写だって観たい。
「ポップコーン食べる?」
浅間君に聞かれて首を横に振る。
「うーん、高いからいいや」
今日はまっすぐ帰宅するつもりだったからそんなに持ち合わせがない。
「俺買うから、一緒に食べない? 食べきれないし」
「え、いいの?」
「浅間君がまた白瀬さんに餌付けしてる……」
ポップコーンを買いにいった浅間君の背中を見ていると隣にきたテラ君がしみじみこぼす。
「そういえば白瀬さん、映画代は大丈夫なの?」
「お小遣いもらってるから」
「え、いくら?」
「月千円」
額を言うと大抵びっくりされる。どうも同世代の子と比べると格段に少ないらしい。
「あ、でも、あまり使ってないから、家帰れば結構あるんだよ!」
なんだか恥ずかしくなって慌てて弁解めいたことを口にしてるとテラ君は笑った。
「もらえてるだけいいじゃない。うちはお小遣いないよ」
「え、そうなんだ」
「その代わり、白瀬さんちと違ってバイトが許可されてるけどね」
「……あ、なるほど」
「……いろんな家があるから、そんなに気にすることないよ。大人になって家出たら、どうしたって、自由になるんだし」
淡々と言うテラ君を見て思う。彼はきっと、わたしよりずっと大人だ。
上映室の中に入って、並んで座る。わたしの両隣には真奈ちゃんと、浅間君。
浅間君が真ん中にポップコーンをおいてくれた。キャラメルのやつ。普通のはあるけど、実はこちらは食べたことがなかった。チラ見していたのを見られたんだろうか。浅間君はなぜだかわたしの食べたいものを知っている。
そして映画が始まって三十分頃のこと。
わたしは悶えていた。
唐突に入ったラブシーンが、思ったよりはっきりというか、くっきりしたものだったからだ。
頭の中で、映画のラブシーンは色々隠れててぼんやりしているはずだと侮っていたから、突然来たそれは強烈なパンチだった。
思わず隣の真奈ちゃんをチラ見した。
真奈ちゃんは真顔で普通に鑑賞していた。その隣にいるはずのテラ君の様子は見えないけれど、さらに奥にいるはずの郡司君……微動だにしていないので、よくわからない。
みんな、そんなに気にしていない。これ、もしかして大したことないんだろうか。 わたしの知らぬ間に、真奈ちゃんは……世の中は……。いや、わたしに免疫がなさすぎるだけかもしれない。
それから思い立ってそおっと浅間君を見る。
目が合った。
浅間君はわたしをずっと見て、ちょっと笑っていた。
さっきからわたしがキョロキョロしていたからだろうけれど、とんだところを見られた。
慌てて正面に顔を戻すと、ラブシーンは終わっていて人が一人撃たれて倒れていた。
誰だこれ。
*
「面白かったねー!」
「たくさん死んだね!」
「思ったよりね!」
真奈ちゃんと言い合ってる目の前ではテラ君がさっき観た映画をネットで調べて「この監督、これも撮ってるんだね」とか浅間君と話している。
「俺、全部観てるかも」
浅間君がテラ君のスマホを覗き込んで「あ、これだけ観てない」と告げている。
「これ多分日本で公開されてないよ」
「じゃあ他は全部観てる」
浅間君、殺し合いたくさん観てるのか。
いや、そうじゃなくて、映画を観るの好きなんだ。
「郡司君、もしかして寝てなかった?」
「あぁ、晃は映画観てる時微動だにしないから」
「そ、そうなんだ……」
どういう仕組みで動いているんだろう。郡司君。
映画館の外にあるカフェスペースみたいなところで、アイスティーを飲みながらしばらく映画の話をした。
映画自体も楽しかったけれど、わたしは何より明日、この話を真奈ちゃんとできるのが嬉しかった。