7.修学旅行【後編】
修学旅行三日目。
今日は自由行動。明日は午前中にまた全体行動をして午後には帰宅だから、気持ち的には最終日。みんなこの日をメインに考えていると言っていいだろう。
ホテルのロビーで全員で集まって朝礼が行われていたけれど皆気もそぞろでざわついていた。
わたしは真奈ちゃんとまわる予定だったので、必然的にテラ君と郡司君と一緒になる。
まだざわついているロビーで今日こそ忘れ物はないか何度も確認する。
「和歌子、ケータイかして」
「ん」
片手で渡して鞄の中身の確認を続ける。財布。あるよね。お金、入ってるよね。お母さんにお土産買わなくちゃ。
「ん? 真奈ちゃん何やってるの?」
「メールうってる……むー、さすがにこれじゃ色気ないかな。ハートでもつけた方がいいと思う?」
画面を覗き込むと「今日ふたりで一緒にまわろう」と書いてあった。送信先は、浅間君。ぎゃああ。
「わぁあ! やめて! やめてよ」
「いーじゃんかよ。ほら送信ボタンをぽちと……」
「駄目だってばー! そういうの、プライバシーの侵害だよ!」
慌てて真奈ちゃんの腕から携帯を奪おうとする。彼女は腕を上にあげてなんとかわたしの邪魔をかいくぐり送信ボタンを押そうとする。軽い肉弾戦になった。
「おはよ。何やってるの」
テラ君が来てわたしに半分はがい締めにされてる真奈ちゃんを見てぽかんとした顔をする。
「いーじゃんよ。試しに誘ってみれば! それで断られたらそういうことでスッキリするでしょ! あたし、白黒つかないの気持ち悪いんだよ!」
「いやだ! まだメールは早い! わた、わたしはそんな大それた……ひえぇ! やめてやめてくだされー!」
大騒ぎの中、郡司君が来て何ごとかと冷めた目でペットボトルのお茶を飲んでいる。
「晃、取り返してあげてよ」
「ん? おぉ」
すんでのところで郡司君が携帯を真奈ちゃんの手からひょいと奪ってくれた。真奈ちゃんがいくら手を伸ばそうとも長身の郡司君に敵うよしもない。
危機一髪だった。ぜえぜえと息を整える。もうわたしの携帯は郡司君に持っていてもらいたい。
真奈ちゃんは口を尖らせた不満気な顔でテラ君を見た。
「今から聞いたって可能性薄いのに……。真奈ちゃん、本当は浅間君が嫌いだからって白瀬さんが振られればいいと思ってない?」
「……」
「白瀬さんの気持ちは無視して、酷いね」
「……っ、悪かったよ!」
テラ君は怒ったりしないけど、結構はっきりものを言う。郡司君もだけど。
「でも……じゃあ、浅間は酷くないの? 今日だって、あんなやって、たくさんの女の子とまわる気なんだよ」
確かに浅間君は男子女子混ざった八人くらいで集まっているのが見えた。でも、男子の方がひとり多い。真奈ちゃんはことさら意地の悪い言いかたをして浅間君を悪者にしようとする。よっぽど嫌いなんだろう。
「んー……」
テラ君が少し考えていたけれど、わたしの方に向き直った。
「白瀬さん、断られても白瀬さんのせいじゃないから気にすることないよ」
そう言うが早いか「浅間君」と声をかけて彼を手招きした。浅間君がなんだろと言う顔でこちらに来る。
「今日、僕達とまわらない?」
浅間君が目をちょっと開いた。ちらりとメンバーを確認する。
「いーよお」
「えぇっ」
わたしと真奈ちゃんがびっくりして悲鳴をあげる。
「俺ちょっと、あっちに言ってくるね」
気軽な調子で戻っていった。
確かに、みんなでまわろう、との誘いを断られてもわたしのせいとは思わないかもしれない。しかし、その代わりオーケーでもわたしがオーケーされたわけではない。嬉しいけど……。
「真奈ちゃん、喧嘩とかしないでね」
テラ君が念を押す。
「わかってるよ。わたしは、べつに浅間が嫌いなわけじゃないし……ただ……」
「ただ?」
テラ君がまん丸な目で真奈ちゃんを覗き込む。
「ただ、あたしの友達を傷付けられるのが、嫌なの! 和歌子に関わらなければ、べつに嫌いでもないよ!」
「真奈ちゃん……」
気持ちはわかる。真奈ちゃんは前に友達が浅間君に傷付けられたから、それはもう嫌なんだろう。でも。
「ごめんね。わたしが浅間君を好きなんだ」
「……わかってるよ……」
真奈ちゃんが少し困った顔をした。
「おまたせ」
浅間君が笑いながら戻ってきた。割と時間がかかったところを見ると引き止められたんじゃないだろうか。
「あっち、よかったの?」
心配になって聞くと笑って首を横に振る。
「大丈夫だよ。俺どこでもうっすい付き合いしかしてないからさ」
それからテラ君の方に向き直って「ねえ、今日どこに行く予定だった?」と聞いた。
テラ君がマップを広げて、浅間君がそれを覗き込む。
「一応……真奈ちゃんが絶対行きたいっていうここと……僕はここと、ここが観たいんだよね」
「他のふたりは?」
「晃はこういうの興味がないから、どこでもいいって」
確かに、郡司君は旅行中も「だりい」「ねみい」ばかり言って非常にかったるそうにしている。観光とか、アミューズメントとか、興味がなさそうだった。
「白瀬さんは?」
「わたしは……いいや。特にない」
本当はひとつ、行きたいところがあったけれど、たぶんそこはわたし以外の全員が興味ない。修学旅行中じゃなくても行けるところだし。
「浅間君は?」
テラ君に聞かれて浅間君がマップを前に考える。
「んー、どうしよっかなー、このルートだと……」
それから、あ、と言う顔をしてから頷いた。
「俺はここ。行きたいな。でも周りに食うとこあんまないんだけど……ここくらいしか」
「あ、本当だ。近くにあるね」
マップを後ろから覗き込むと有名ハンバーガーチェーンのお店のマークがあった。ちょっと、ドキっとした。
テラ君が「ここでいいよね」言って郡司君が「俺は、なんでもいい」とやる気なさそうに答える。
「真奈ちゃんは?」
真奈ちゃんはわたしの顔を見てニッと笑って「もちろん、いーよ」と答えた。
普段から食べられるから、旅行に来た時は土地の名物とか、違うのが食べたいだろうと思うのに。小声で「楽しみだね」と言ってくれる。
*
「和歌子、ベーコンチーズバーガーにしなって、ベーコンチーズ」
「普通のハンバーガーがいいんじゃないの? だって白瀬さん……」
「普通のなんてつまんないじゃん、じゃあダブルチーズバーガー!」
「それチーズバーガーふたつ買った方が安いよ」
「まじか!」
店の前でクーポンを見てひとしきり騒いだあと、レジに向かう。
結局、わたしはチーズバーガーのセットに落ち着いた。お昼を少し過ぎていたので店内はそう混み合ってなかった。窓際のテーブル席にみんなで座る。広めの席だったけど、男子は三人並んで少しだけ窮屈そう。
包装紙を剥がして構えると、なぜかみんながわたしを見ていた。訂正。郡司君以外。彼はさっさと食べ始めていた。
「いただきます」
郡司君を見て真似するように思い切ってかぶりつく。口の中がいっぱいになる。しょっぱい肉の味、柔らかなパン、ほんのり甘いケチャップ、酸っぱいピクルスの味。そんなのがまとめて口の中で混ざり合う。
「美味しい!」
真奈ちゃんと浅間君がにこにこして見ていた。
「和歌子、わたしのチキンカツバーガーもひとくち食べなよ」
「俺のテリヤキも、まだ口つけてないから」
満面の笑みで言われて満面の笑みで頷いた。
「ふたりとも、好きだねえ……」
テラ君がこぼして自分のハンバーガーを口に入れる。
テーブルには「この辺は適当につまもう」と言って浅間君が買ったポテト。アップルパイ。チキンナゲット。サラダ。なんだかたくさんある。パーティみたいだった。
浅間君は自分はあんまり食べてなくて、頬杖をついてわたしが食べるのをぼんやり見ている。
「羨ましいな。白瀬は、まだ食べたことのないものが身近にたくさんある」
真奈ちゃんがとんでもない、と言う顔で浅間君を睨んだけど笑って言う。
「うん……いいでしょ」
浅間君は割と本気でそう思ってくれている気がする。だから素直によかったと思ってしまう。だってわたしは今日初めて食べたハンバーガーに感動した。この歳で、こんな感じじゃなければ、初めて食べた時の記憶もなく、こんなに嬉しくもないだろう。
浅間君は、前向きに言ってくれる。真奈ちゃんはわたしの不自由さに怒ってくれる。結局どっちでもいい。わたしは幸せ者だ。
「浅間君、いつもより静かだね」
テラ君が浅間君に言う。
「そう?」
「確かに……あんたいつももっとうるさい」
「このメンツじゃ騒ぎようがねえだろ……」
郡司君がボソリと言う。
確かに、穏和なテラ君と無口な郡司君とわたし。真奈ちゃんともう少し仲が良ければ騒いでいたのかもしれないけれど。メンバーによってテンションを合わせてるんじゃないかな、と思っていた。
浅間君が口を開いてぽつりと言う。
「白瀬がいるからかな」
「は?」
真奈ちゃんが珍妙な顔をした。
「白瀬がいると……なんか気が抜けるんだよねえ」
「へえ……でも僕、こんくらいの落ち着いたテンションの浅間君の方が好きだな」
テラ君がさほど興味なさそうな顔でポテトを摘んで言い、それ以上その話は続かなかった。
その後も予定通り、目的の場所をいくつか見てまわったけれど、真奈ちゃんは、今日はわたしを見逃すまいと常に横にいた。
「真奈ちゃんテラ君と、全然ふたりになれないね。ごめん」
テラ君は浅間君にしきりに話しかけて何か趣味の話をしていた。郡司君は、まぁいつも通り。
「ぜーんぜん。テラとは放課後とかいつも一緒にいれるけど、和歌子とはなかなかできないからね」
「そか」
「それに、旅行中も結構マメに連絡とりあってるし、こう見えてラブラブなんよ」
「そうなの?」
「人前でベタベタするのは好きじゃないけどね」
真奈ちゃんが臆面もなく惚気るので、わたしはなんだか嬉しくなった。
そうして修学旅行の一日がまた終わっていく。
旅行中って、長いようで過ぎてしまえばあっという間だ。
多分文集かなにかに書くことがあったら、こんな風。
思ったより大変だったけれど、後から思い出すとどれも良い思い出です。