5.修学旅行【前編】
修学旅行の直前、真奈ちゃんの口添えもあって、わたしは携帯電話を手に入れた。はぐれたときに連絡手段があった方が良いとの理由だ。とは言ってもスマホではない。
「まさかガラケーとはね……」
「使い方よくわかんないんだけど……」
「メールだけ使えるようになって。どーせ他たいしたことできないから」
バスの中で真奈ちゃんにレクチャーを受ける。よくわからない。ガラケーうんぬんの問題ではないかもしれない。幼い頃からその類に全く触れてなかったので、スマホを与えられていたところで全くわからなかっただろう。
「こんな酷い機械オンチ初めて見たわ……うちのひいばあちゃんかよ」
「そう言わないでよ……生まれて初めて入手したメカなんだから……」
「あたしは最初からなんとなくでわかったよ?」
「電話のかけかたはなんとなくわかるよ。 電話番号を押して……あれ? あ、このマーク押すんだよね!」
「あー、……あたしの番号は登録してあるから、番号押す必要はないよ」
「え、登録? どこに?」
「ここに」
「すごい!」
「すごくない。すごいのはあんたのアホさ」
一段落してから前の方の座席で騒いでいる浅間君に視線をやる。
わたしの悪いところではあるけれど、前は話していたのに見てるだけが普通になってきて、それに慣れつつある。元々その方が性分に合う。
寝ていたと思った真奈ちゃんが半目でこちらを見て小声で話しかけてくる。
「まだ浅間やめてないの?」
「なにそれ……」
「郡司にしときなって、推すよー」
「郡司君だってわたしのことどうも思ってないよ……」
同じ報われない片想いなら、せめて好きな人にさせてくれと思う。
*
目的地に着いた時はもうだいぶ時間が経過していた。今日は大したことはできない。それでもぞろぞろと全員で移動して有名なお寺を見た。そのあとはすぐに今夜の宿に移動。
部屋は六人部屋だった。幸い田中高橋コンビとは違う部屋だ。お風呂に入って寝巻きであるジャージをそろって着て、おのおの荷物整理をしていた。
「あ、真奈ちゃん、なんか携帯動いた!」
「あー……ここ押して」
「押してどうすんの?」
「出るんだよ! お前んちからだよ!」
「えっ、お母さん?」
慌てて言われたボタンを押して耳にあてた。ちょっと緊張する。
「もしもし白瀬です」
背後で「アホか。向こうも白瀬だろ」と聞こえてくる。
「うん、大丈夫だよ。……うん……食べてない」
通話が切れて溜め息を吐く。
「なんだって?」
「お菓子とか、食べてないか、だって……あと、」
「ほーら、あまーいチョコボールだよ」
真奈ちゃんがわたしの口に甘くて素敵なやつを放り込んでくるので思わず食べた。
甘い。幸せ。口の中でとろける背徳の味。カカオ万歳。お母さんの作ってくれるお菓子は美味しいけれど、いつも甘味が控えめだ。これは、悪魔的。楽園のように甘い。
荷物整理が終わるとみんなでお布団を敷いた。とりあえずみんなでそこに横になってお布団心地を確かめる。ごろんごろん転がって遊ぶ。
ころころ転がった先で隣にいた村山さんが聞いてくる。
「ねえ、白瀬さんて郡司と付き合ってるの?」
「……付き合ってないよ」
「えー、みんなそうだと思ってるよ。じゃあいつ付き合うの?」
「和歌子は浅間が好きなんだってさー」
反対端から転がってきた真奈ちゃんがつまらなそうに口を挟む。サラッと暴露された。
「あー浅間ねー、人気だもんねー」
「白瀬さんもそこ行くかー」
何か珍しさもないようで、周りにうんうんと納得される。浅間君はモテるんだろう。
「浅間は恋愛初心者が引っかかりやすい罠だよねー。顔が良くてどんな子相手にも話してくれちゃうから」
「……郡司君は?」
「誰にでもそっけないから自分にだけ話してくれると思っちゃう中級者が引っかかりやすい罠」
「そうかー、テラ君は?」
「んんー……番外編」
「番外って何よ! 失礼な!」
怒りの真奈ちゃんを無視して周りは浅間談義に戻った。
「あれ、でも浅間彼女いなかったっけ?」
「誰? 高橋さん?」
「うん、そう思ってたけど……まぁ、ちゃんと聞いたわけじゃないけど……」
「高橋さんの方は絶対浅間が好きだよね。じゃあやっぱり付き合うんじゃん?」
「オッケーするだろうね。浅間あんまり断らないし」
「またすぐ終わるんじゃない?」
真奈ちゃんがその会話を苦々しい顔で聞いていた。
「だから嫌なんだよあいつ……」
わたしと目が合うと吐き捨てるような口調で真奈ちゃんが言う。
「何が?」
真奈ちゃんの方にずりずり近寄って小声で聞く。嫌そうな顔はしていたけれど、さらににじり寄ると教えてくれた。
「浅間って一年の時ちょっと彼女が多くて……」
「多いって? 同時に?」
「同時じゃないけど……すぐ付き合って、すぐ別れる。の繰り返し」
「あれ付き合った人数を勲章にしてるタイプだよねーきっと」
脇から他の子も口を挟む。
真奈ちゃんがわたしの方に向き直り顔をしかめて聞く。
「嫌じゃない?」
「なんか、浅間君には浅間君の考えがあったんじゃないかな……」
一年の時に浅間君が何を考えてそうしていたのかはわからないけれど、わたしには彼が遊び半分で人を傷付けるようなことをする人には思えない。
「うわー……」
「本当に好きなんだねー。なんか……心配になるー……」
村山さんの声に真奈ちゃんが「だろ? だろ?」と同意を求める。
なんとなく最初から真奈ちゃんの浅間君へのあたりが強いと思っていたけれど、そういうことだったのか。
*
二日目は班行動。
最初はみんなでバスで移動して、降りてからはあらかじめ組んであったスケジュールを元に班ごとに観光名所を巡る。そして、集合時間には違う場所に移動しているバスに集合して今夜の宿へ辿り着く。
「ねえ真奈ちゃん、わたし、今日のスケジュールの紙をバスに置いてきちゃったかも……」
なるべく身軽な方が良いと思って大きな鞄に色々詰めて、持ち歩くのは最小限にしようとしたため、色々抜けがあった。
「あたしが持ってるよ。財布だけ持ってりゃいいだろ」
「そうかなぁ」
「それより和歌子、今日何食べたい?」
ニヤニヤ顔で真奈ちゃんが聞いてくる。彼女は修学旅行に来てからここぞとばかりにお菓子をくれる。今日のお昼は班でそれぞれ食べるから、好きなものが食べれる。
「何が美味しいかな」
「んー、それは店によるな」
「じゃあわかんないじゃん」
お昼は観光地のお蕎麦屋さんになった。
お蕎麦はもちろん食べたことはあるけれど、こっそりデザートにあんみつなど食べたので幸せを感じる。
その店のそれは、生クリームとあんことアイスと、甘さの三種の神器が揃っていて、脳に痺れる快楽であった。見た目も可愛い。名前も可愛い気がする。とにかく素晴らしい食べ物だ。産み出した人に感謝を捧げたくなる。
しかし、お腹は重かった。
うちの班は比較的緩いスケジュールで組んでいたので、のんびり歩く。
「あ〜胃の中のものがこなれていく」
「和歌子すんごい勢いで食べてたもんね」
真奈ちゃんは面白がって写真まで撮っていた。
満面の笑みで生クリームたっぷりのあんみつを頬張っている写真なんてお母さんに見られたら、さながら浮気現場の証拠写真みたいだからやめてほしい。
「あ、浅間君だ……」
「んん?」
真奈ちゃんが目を細めてそちらを見る。
「和歌子この距離でよく見つけるな……確かに浅間の班だね。コースが被ってんだな」
「ほ」
「何それ」
「嬉しい」
ちょっと前まで話していたのに、少し前まで話しかけようとしていたのに、だんだん省エネになっている。
今日まわるところはだいたいすませて、夕方最後に観光地でお土産屋さんに寄ることになった。後はバスに戻るだけだ。
観光地のお土産屋さんて、独特だ。謎のご当地マスコットがたくさん並び、巨大なスナック菓子が鎮座している。
謎の木製のヘビに夢中になって、顔を上げた時、真奈ちゃんの姿が見えなかった。
この辺りはお土産屋さんが密集している。近くの他の店にいるのかもしれないと、向かいのお店に入ってみた。そこにもいなかったのでもうひとつ隣に入って探した。真奈ちゃんじゃなくても、同じ班の人でもいるかと。
また元の店に戻ったけれど、やっぱり見つからない。
はぐれた。
そのことに気付いた時にはだいぶ時間が経っていた。周りにちらほらいた同じ制服の人すら見当たらなくて、焦る。
どうしよう。心臓が急にばくばくと音を立て始める。
ひとりで行くべきか。行き違わないよう待つべきか。
そもそもわたしは集合場所が書いてある紙を、バスに置いてきてしまっている。ちらりと見た時の記憶を手繰るけれど、場所にも全然自信が持てない。ひとりで辿り着ける気がしなかった。もし、見当違いな方向に行ってしまったら、そう思うと怖くて動けない。
どうしよう。
そうだ、携帯。真奈ちゃんになんとかして連絡しよう。取り出して操作するけれど、画面は真っ暗なままだった。なんで? 昨日はちゃんと、押したら光ったのに……。
すがるような気持ちでもう少しだけ探してみようと走りまわる。
数分後、わたしは日の暮れかかったお土産屋さんの片隅で、息を切らしていた。
集合時間が近付いている。どうにかしなくちゃ。みんなに迷惑がかかる。
何か他に方法はあるはずだ。どうするか考えなくちゃいけない。
しかし、冷静さを欠いた頭は焦りと「どうしよう」ばかりを紡ぎ出してろくに動こうとしない。一日の疲れも手伝ってどうしたらいいのか分からず、呆然と立ち尽くす。
周りにどんどん暗闇が増していくのを見て、ひとり心細さで泣きそうになる。もう高校生だというのに、こんなにも何も対応できないことに情けなくなる。いつも人についていってばかりだったから、こんな時にちゃんとできないんだ。
涙がぽろぽろ出てきた。
「白瀬!」
声がしてそちらを向くと浅間君がこちらに走ってくるのが見えた。
「あ、浅間君!」
確かに、浅間君だった。神に見えた。
浅間君が目の前まで来てスマホを操作して耳に当てる。
「いたよ……うん…………うん……いいよ。俺が責任持って連れてくから」
それからようやくスマホをポケットに戻してわたしを見た。
「ありがとう……。でも、どうして浅間君が?」
「バスに戻る途中で中村たちの班に会ったんだよ。白瀬がはぐれたって聞いて……探してた」
「うん。めんぼくない……」
「中村なんて真っ青になってたよ。話に夢中になって移動してたらいなかったって、自分のせいだって気にしてた……」
「そうなんだ……申し訳ない」
浅間君が心配して探してくれたのも、真奈ちゃんが真っ青になってしまったのも、わたしが周りと比べて段違いに世間知らずで頼りないからだろう。他の人なら、ちょっとはぐれたぐらい、なんとでもなるから騒ぐほどのことでもない。
落ち込んでいると浅間君が笑って優しい声を出す。
「大丈夫、急げばギリ間に合うよ」
「わたし、携帯あったんだけど……つかなくて……」
「え、見せて」
取り出して渡すと、彼がそれをちょっと触って「充電切れ」と戻された。そうか。そういえば、そういうあれだった。それにしても他の電化製品に比べて異常に電池切れが早い。せめて半年くらい持って欲しい。
鞄に携帯を戻して顔をあげると浅間君の姿が見えなかった。
「浅間君! ……浅間君?」
周りをぐるりと見回すとすぐ近くの自動販売機のところにいた。さっきはぐれたばかりだから焦って駆け寄る。
「ごめんごめん。飲む?」
「炭酸?」
「違うよ」
「……いただきます」
手を出して缶を受け取る。フルーツミックスジュースみたいなやつ。これなら飲める。似たのを飲んだこともある。ひとくちだけもらって喉の渇きを癒して、缶を戻す。それから残りを浅間君がひといきに飲み干した。
「でもよかった……またはぐれたかと思った……」
大きな安堵の息を吐き出すと浅間君が笑って、わたしの手を取って歩きだす。
「ありがとう……ほんと、駄目でごめん……」
「白瀬が悪いんじゃないよ」
「じゃあ何が悪いの」
「育った環境と、状況のミスマッチ?」
薄闇の中、またはぐれたらと思うと心細くて、その手にぎゅっと捕まるように力をこめる。
辺りは暗くなって、すっかり夜が来ていた。