10.カラオケ
「カラオケは、行かない」
まるで座右の銘のようにテラ君が言い放った。
「一度くらい、行くべき」
力強く真奈ちゃんが返す。テラ君は地蔵のような顔で首を横に振った。
「行こうよ〜テラと行きたい!」
「そういうのは、女の子同士で行けば?」
「いつもそうやって頑固なこと言って! たまにはあたしのお願い聞いてくれてもいいじゃん」
真奈ちゃんが珍しく必死になっている。
「行ったことがないわけじゃないでしょ?」
「うん……前一回だけ、クラスの打ち上げで行ったよ」
「じゃあ、なんであたしとは行けないの?」
「うーん……わかったよ」
嫌がっていた割にテラ君はあっさり折れた。彼はこういうところが大人だと思う。
「晃も来るよね」
「ん? あ?」
郡司君……歌っていうような顔じゃないけど。
カラオケは人数が多い方が歌わずにすむ。
近くにいて、帰ろうと鞄を持ち上げた浅間君も地蔵の顔のテラ君によって強制連行された。まぁ、浅間君は、得意というか、慣れてそう。
*
初めて入ったカラオケは、不思議な、機械みたいな匂いがした。
中には黒い革のソファと、テーブル。それから壁に電話。変な色のライト。色んな意味で亜空間だった。
「よーし! 歌うぞー」
さっそく真奈ちゃんが一番手で、手元のやたらでかいスマホみたいなメカを手慣れた様子で操作して、マイクを持った。そして歌う。すごい、歌手みたいに見える。
わたしの見たことのない真奈ちゃんがそこにいた。
「真奈ちゃん、格好いい!」
真奈ちゃんが気取った仕草でふっと髪をかきあげて笑う。
「じゃあ次和歌子……」
ぽんとマイクを渡される。
「うわー、マイク持つの照れる」
「なんかしゃべってみ」
「こ……こんちには……」
マイクで自分の声が大きくなる。不思議な感じ。
「ところで真奈ちゃん……これどうやって……」
「見た通りに押してけばわかるよ」
浅間君が隣に座って選曲メカの操作のしかたを教えてくれる。顔が近くて、マイクを持った時より緊張した。
「あれ、画面戻っちゃったよ……浅間君」
「なんか押しちゃったかな」
わたしが操作を間違ったのか、謎の曲が始まってしまった。
てけてん、てん、てん、と前奏が流れて『愛憎恨み節』とタイトルが出た。こんな曲誰も知るよしもない。
真奈ちゃんがそれに合わせてデタラメに歌い出したのでその曲はそのまま、浅間君が画面をまたいじって、教えてくれる。
「ごめんね……時間かかっちゃって……もしよかったら、他の人先に……」
「ほんとに、全然ゆっくりで構わないよ」
テラ君が言ってくれる。
わたしの入れた『愛憎恨み節』は何故か二回連続になっていて、選んでいるうちにまたてけてん、てん、てん、と始まる。さすがに真奈ちゃんがわたしの手元のメカを覗き込んでその演奏を止めた。
時間はかかったけれど、なんとか知ってる曲を選んだ。ドキドキする。
わたしの知ってる前奏と同じメロディだけど、どことなく安っぽいものが流れて、歌詞が表示された。
「……」
「和歌子、始まってるよ」
「……えっ、なんか、入りそこねて……」
途中からだと音が取りにくい。
「真奈ちゃーん……!」
「マイクで人の名を呼ぶな! うるさい!」
結局真奈ちゃんが補助輪のように歌うのに合わせて、なんとなく歌い出した。
途中から真奈ちゃんがはーと息を吐いてそこから抜けて烏龍茶を飲んだ。
歌い終わって息を吐く。周りを見ると何か生暖かい、ほんのり笑いをこらえているような顔をしていた。
「な、なんか変だった?」
真奈ちゃんが背中をバンバン叩いて言う。
「和歌子の……ちょい下手さが……ちょう可愛い……」
なんて正直に言うんだ。自分でも上手いとは思わなかったけれど、そこそこ音を外さず歌ったつもりだったのに。
浅間君がフォローなのか口を挟む。
「白瀬、別に下手じゃないよ」
「ほ、ほんと?」
真奈ちゃんが頷きながら浅間君の言葉を興奮気味に継ぐ。
「うんうん、ごめん! 下手っていうより、合唱の授業を思い出すっていうか……幼児が懸命に歌ってるみたいで微笑ましいっていうか……あたし大好き!」
酷いフォローを入れてくれたけれど、フォローになっているかは怪しい。その酷いフォローのフォローをさらにテラ君が入れる。
「真奈ちゃん口は悪いけど、悪い意味じゃないと思うよ。なんかなごむっていうような意味で……」
「う、うん」
真奈ちゃんに全く悪気がないのはわかっている。そういう性格なのを誰よりも知っている。なので、他の人に言われるのと違って傷付きはしない。彼女は割と本気で興奮して気に入っているようで、そこも困惑する。
「浅間、なんか歌えば」
「そだね」
真奈ちゃんが言って浅間君が慣れた仕草で選曲メカを操作した。
イントロが流れて真奈ちゃんが「はい和歌子」と言ってマラカスを渡してくる。こんなもの、どこにあったのかと思えば、タンバリンまであった。
よく分からないけど、これは応援しろということなんだろうか。両手に持ってリズムに合わせてシャンシャンしてみる。
シャンシャンシャン。
シャン、シャシャシャン。
わたしのリズムの取り方なのか、表情なのか、動きなのか。何がいけなかったのか、浅間君は歌おうと口を開けたはいいが、わたしを見て盛大に吹き出した。
曲の続きが流れる中、浅間君はすっかりツボに入ってしまって笑い止まなかった。
浅間君は少し落ち着いたと思うとまたわたしを見て笑い出し、結局、曲が終わるまで笑っていた。つられて途中から真奈ちゃんまで笑うから、結局わたしも一緒になって笑ってしまった。笑いは伝染する。テラ君も、郡司君まで下を向いて震えているのを見た。
不思議だなと思う。
カラオケで下手なのを笑われても、マラカスの動きで笑われても、このメンバーだとちっとも嫌な気持ちにならない。それどころか楽しくなる。これがクラスの大して仲良くないメンバーだったなら、一週間くらい落ち込んでいただろうと思う。笑いの中に嘲りを感じるかどうかなのかもしれない。
それから郡司君のところに選曲メカがまわり、みんながじっと見守る中、普通に曲を入れた。
それから彼がおもむろに謎の曲を謎の歌唱力で歌い上げたのでびっくりした。
テラ君以外の全員がまた半笑いになった。
曲が終わって「んだよ」と郡司君が呟く。
「いや……思ったより上手くてひいたわ……」
浅間君が素直に言う。同じ気持ちだった。
真奈ちゃんは「ていうか、なんだよその渋い曲……」とツッコミを入れて苦しそうに笑う。確かに、数十年前の香りのする非常に渋い曲で、それがまた彼に似合っていた。
テラ君は知っていたのか、それでも周りの様子を見てくすくす笑っている。
郡司君、上手いのに笑われるとは……。本人は照れてるような顔でむすっとして座る。
「テラは?」
「僕はまだいい。なんか食べない?」
テラ君と浅間君は軽食メニューを覗き込んでいる。
「白瀬、どれ食べたい?」
浅間君がメニューを見せてくれるので覗き込む。結構色々ある。小さいサイズのピザ。焼きおにぎり。ハンバーガー。唐揚げ。どれもお母さんが見たら目を剥きそうなものばかりだ。
「わぁ、迷う。あ……ポテトだ。ハンバーガー屋のとかたちが違うね」
「んじゃ、これ。なんか盛り合わせっぽいやつにしよ」
やがて、ポテトが来て一旦ブレイクになった。
そのカラオケのポテトは前食べたものより分厚くて、皮がついている。お皿の端にケチャップの山。パーティ用メニューみたいで大きなお皿にはポテトの他にウィンナーとか、唐揚げも乗っていた。レモンも端にあって彩りも豊かだ。
小学校の頃、真奈ちゃんのお誕生日会でこんなの出たかも。
「よし和歌子、いけ」
「え、いいの?」
周りが頷いたので「いきます!」と言ってプラスチックの楊枝を持って手を伸ばす。
口の中に塩気と油、思ったより重量感のあるポテトが入ってくる。ほっくりした歯ごたえ。ほんのり皮の風味。
前も思ったけれど、フライドポテトって、肉じゃがとかに入っているジャガイモと同一人物には思えない。もっとカジュアルでおやつみたいで、楽しい。
「美味しいね!」
ハンバーガー屋のとはちがうけれど、これはこれで、また別の美味しさがある。ごはんとおやつの中間。いや、ジャガイモなのにおやつ寄りのそこに感動する。
真奈ちゃんが「よかったねえ」と浅間君が何故か「いいなぁ」と言ってそれぞれ手を伸ばし出す。誰かこの時間に歌ってもよかったけれど、気がつくとみんな食べていた。
「テラ君は歌うの嫌いなの? 恥ずかしいとか?」
「……うーん。カラオケ、嫌な思い出があって」
「そっかあ」
テラ君は自尊心が高いので、割と色々気にしてしまうたちだと、以前真奈ちゃんが言っていた。
無理して歌うことないとは思う。お金はもったいない気がするけど。
「歌えよ」
郡司君が珍しくテラ君に意見した。
「え……」
「このメンツで、何歌おうが誰もなんも言わねえよ」
確かに。わたしも上手じゃないし、ちょっと笑われたけど、嫌な気持ちには全然ならなかったし。郡司君なんて、上手かったのに笑われた。でもなんだかそんなひとつひとつが楽しい。
テラ君はちょっとだけ黙って考えた。
「あのね、僕、あんまり邦楽聴いてなくて……知ってるのが外国のバンドばっかりなんだ」
「そうなんだ。でも、日本の歌でも郡司君の歌ったやつ、わたし知らなかったけど、楽しかったよ」
「そんな理由かよ!」
真奈ちゃんが溜め息を吐いた。ちょっとムスッとしている。
テラ君は「……うん。じゃあ」と言って浅間君が差し出したメカとマイクを受け取った。
*
帰り道。ぞろぞろと駅までの道を歩く。
「ねえ、テラ君の歌ってたの、なんてバンドだっけ」
「え、白瀬さん聴く?」
「うん。知らない曲だったけど……いい曲だなあって思って」
「じゃあ今度学校に持ってくね。白瀬さんはデータじゃない方がいいよね? CDなら聴ける?」
「わぁ! ありがとう!」
あの後真奈ちゃんと一緒にふたりで歌ったり、タンバリンを叩いたり、みんながうろ覚えの曲をかけて、マイクを回してワンフレーズずつ適当に歌ったりして遊んだけれど、最後の方はおしゃべりしたりして、歌っていない時間もあった。
「じゃあ、あたしと和歌子はこっちだから」
テラ君が「送ってく?」と聞いて真奈ちゃんが首を横に振る。
「まだそんなに暗くないし、いいよ。ふたり一緒だし。ありがとう」
「うん。おつかれさま」
「ばいばーい」
みんなと別れた後真奈ちゃんとふたりで歩く。
「あー、楽しかったー」
「カラオケも、いいもんだろ和歌子」
「うん! でも……」
「ん?」
「このメンバーだったからで、あまり親しくない人達と行くと、全然違うかも……」
真奈ちゃんは「あぁー」と頷いた。
「そうかもね。仲良くないと、意外と気いつかうしなぁ。テラじゃないけど、みんなが知らない曲入れにくかったり……前に人が歌ってるときにずっとスマホいじってて陰口言われた子もいたし……」
「そんなのもあるんだ……」
真奈ちゃんと浅間君は、割といろんな人と行ってる方だろうから、そこら辺の暗黙のルールは心得たものなんだろう。そもそも人前で歌を歌うのって、ちょっと恥ずかしい。親しい人には一緒に笑って欲しいけれど、親しくない人には笑われたくないし。
「また今度、ふたりでも行こうよ!」
「うん!」
それも絶対楽しそうだ。




