1.メロンパンの味
「和歌子、こっちだよ」
「待って。いま、行く」
わたしは高校二年生の今日に至るまで、幼馴染の中村真奈ちゃんの金魚のフンとして生きてきた。フン歴は長い。かなりベテラン。
彼女は社交的だ。だからその後ろにいつもくっついているわたしも色んな人と話すことになる。
二年生になって新しいクラスでもほぼ全員と顔を合わせて話した。正確には、話したのは真奈ちゃんだけだけれど。
夏休み明けの最近では他に真奈ちゃんが仲良くなった二人を加えて四人グループを形成していた。わたし以外は皆社交的だ。
だからその日もみんなで男子三人と昼食をとりながらおしゃべりしていた。見てると、高校生っぽいなって思う。
「げー、昼飯がケーキとか」
「悪い? 好きなんだもん」
真奈ちゃんちは今日はお弁当はお休みみたいだ。お昼代を渡されて、ここぞとばかりに好物のショートケーキを買って食べている。そこからみんなの好きな食べ物の話になった。ラーメン、ハンバーグ、カレー、オムライス、チョコレート、そんな名詞が頭上をぽんぽん飛びかう。
「白瀬は?」
その中でもノリの軽い浅間君が急にわたしに話題を向けてきた。他の男子もつられてわたしの方を見る。男子のひとりがわたしの手元のお弁当を覗き込んで言う。
「白瀬んちの弁当って、いつも真面目だよな」
お弁当が真面目。
言われて真四角でなんの柄もない簡素なグレーのお弁当箱を見つめる。わたしのお弁当箱にはいつもきっちり半分お米。上に胡麻がかかっている。おかずには玉子焼きと、ミニトマト。それから卯の花和え。茄子の煮浸し。
「玉子焼き、何味?」
「えっ」
本日のおかずのメインである玉子焼きが浅間君の手によってひとつ奪われた。
彼はそれを手づかみで半分ぱくりと食べて、不思議そうな顔で首を捻った。その様子を見て他の男子がその残り半分をぱくりと食べた。
「なにこれ、味がしねー」
周りが「ええっ」と小さくどよめく。
真奈ちゃんがそれを横目に解説をした。
「和歌子んちは、厳しいんだよね」
「厳しいって?」
「おやつも食べちゃいけないし、買い食いもダメ。テンカブツ、みたいのにも厳しいの」
「天下物?」
「そう、添加物」
「へー、よく分からないけど、お嬢様ってこと?」
「まぁ、そんな感じ。門限も六時だし」
周りが「うわぁ〜」「それどこも行けないじゃん」「あり得ない」「最悪」と引いた声をあげる。
「白瀬さんすごいお嬢様なんだね」
真奈ちゃん以外の女子二人はわたしのことを未だに名字で呼ぶ。真奈ちゃんのことは真奈って呼んでる。要するにわたしは馴染めて無かった。
実際わたしはお嬢様なんてものではない。もし本当にお金持ちなら公立のこの学校にはいない可能性が高いし、家だってもっと大きいはずだ。ただ、お母さんのこだわり、みたいなものが強いだけなのだ。
わたしはスマホは持たせてもらえないし、観る映画や番組、ネットも制限がある。遊びに行く場所もそう。食べるものも。
玉子焼きは、一応味はついている。ただ薄すぎて、普段濃い味に慣れてる人にはほとんど無いように感じられるかもしれない。
放課後に真奈ちゃん達が話しているところに行くと、会話が急に止まった。
「あ、みんなでカラオケ行こうって、話してたんだけど」
真奈ちゃんの言葉にかぶさるように「……白瀬さん、行けないよね」と聞かれて頷いた。
「……うん」
「ごめんねー」と背中に聞きながら帰宅した。
カラオケって、どんな感じだろう。
ゲームセンター、ライブハウス、ファミレス、わたしの頭の中には名前だけ知っている謎の遊園地みたいな施設がたくさんある。
*
今日はわたし以外の三人はお弁当じゃなかった。
「学食行こうよ」と田中さんが言ってそれに高橋さんも「行こう行こう」と返す。
「和歌子がお弁当だからさ、なんか買って教室で食うべ」
真奈ちゃんがそう言って、残りのふたりが「えー」と言ってわたしをじっと見た。
「わ、わたし、今日はちょっと前のクラスの子と約束あるから、みんなで行っていいよ」
とっさに嘘をついた。
真奈ちゃんが疑わしげな目で見たけれど、さっと立ち上がって教室を出た。
廊下をとぼとぼとあてどもなく歩く。
中庭にはカップルと、集団がたくさん。空き教室も同様。ベンチも埋まっている。
たどり着いたのは締め切られている屋上に続く階段だった。埃っぽいから、流石に人はいない。
そこに腰かけて、お弁当を横に置いた時人の気配がして顔を上げる。
「あれ、白瀬じゃん。なにしてんの」
浅間君だった。
「えっと……お弁当を食べようと」
「ひとり? 中村達は?」
「……」
「もしかして、ハブられてんの?」
言われた言葉に瞬間的にカッとなって大声で言う。
「違うよ!!」
わたしの勢いに浅間君が目を丸くした。
「違うの。そんなんじゃない。これは単に今日……わたしだけがお弁当だったから……!」
必死に弁解した。恥ずかしかったのだ。でも、必死になればなるほど、みっともなかった。
「……ごめん。わかってる、わかってるから……」
浅間君はそのままいなくなるかと思いきや、隣に腰かけた。
「浅間君は、何してるの」
「んー? 俺、たまにひとりで食いたくなるんだよね」
浅間君はわたしの見る限りクラスでもダントツで社交的だ。誰とでも話すし、すぐに仲良くなっちゃう。
「いつも人とわーわーしてるとさ、たまに静かにひとりの時間も欲しくなるわけよ」
「え、……あ、そうなんだ……」
ここで食べようとしてたのだろう。わたしがいては邪魔になるだろうと立ち上がる。
「あー、待って。待ってよ」
背中に声がかかり、振り返って立ち止まる。
「どこ行くの」
「だって、ひとりで食べるつもりだったんでしょう?」
「そうだけどさ、先にいたのは白瀬だろ。それに、こうして偶然会ったのにそれを避けてまでひとりで食いたいわけじゃない」
確かにわたしのしようとしたことは少し極端だったかもしれない。人慣れしていないっていうか、社交力がないからとっさにそんな思考になってしまうけれど、この流れで黙って場所を移すのは、まるで関わりたくないみたいだし。
「いいじゃん。一緒に食おうよ」
浅間君が人懐っこい顔で笑う。
「……うん」
結局元の位置に戻ってお弁当箱を開ける。
浅間君は手に持っていたビニールからメロンパンをとりだしてかじった。
「白瀬……たまには違うもの食いたくならないの?」
「……なるよ」
「なにが食べたい?」
「……ポテトチップスとか、コンビニの唐揚げとか、チョコレートとか、ショートケーキとか」
「食ったことはあるんだ?」
「真奈ちゃんち行ったとき、こっそりもらったりして」
「仲良いよな」
「うん、小学校の時真奈ちゃんが転校してきてから。いつもこっそりそういうのくれたり、わたしの知らない世界のことを教えてくれる。だけど無理強いはしないし、それにわたしのお母さんの前ではそんなのおくびにも出さないし、すごく真面目に振る舞うのが上手いんだよ」
「そっか」
浅間君は普段割と率先してペラペラしゃべる方だけれど、その時は黙ってわたしの話を聞いて笑うだけだった。
その後はまたパンを齧って黙っている。でも、全然嫌な感じじゃない。浅間君とふたりの空間は不思議と居心地が良い。わたしのペースに合わせてるのだとすると、相当にコミュ力が高い。
感心しながらメロンパンを食べている横顔を覗き込んで、なんとなく言う。
「メロンパンて、メロンの味する?」
「……は?」
「あ、ごめん! なんでもない」
「んー……」
浅間君がちょっと考えてから自分の持っているパンを黙って差し出してきた。そうしてわたしの顔をじっと見てくる。
これは……一口くれるということなんだろうか……。
「……冗談だよ、食いかけ……」
浅間君がそう言った時にはわたしの口の中にメロンパンがあった。浅間君があっけにとられた顔をしていたけれど、メロンパンに集中して味わう。お砂糖でざらついた甘い表面は少しさくさくしていて、中はふんわりやわらかなこれは……。
「メロンの味じゃない!!」
「……うん」
甘い不思議な風味はあったけれど、これはメロンじゃない。だからといって何かと聞かれるとわからない。これは、形状のことをメロンにたとえているだけかもしれない。でも……。
「でも、美味しい!」
嬉しくて笑いながら感想をもらすと浅間君がまた笑う。
「中村の気持ちが少しわかる……」
「真奈ちゃんの?」
聞き返したけれど、それに返事はなかった。
教室に戻ると真奈ちゃんがわたしの顔を見るなり駆け寄った。
「あれ、真奈ちゃんもう食べ終わったの?」
「うん。和歌子、どこで食べてたの? 約束って誰と?」
「えっと……」
真奈ちゃんはわたしが約束なんてないことは薄々勘付いていただろうから、心配をさせてしまっていたようだ。ああやって浅間君と話した今になって冷静になるとさっきのはちょっと過剰な遠慮だったかな、とも感じてきた。でもとりあえず、大丈夫だよ、とにっと笑ってみせる。
「メロンパン食べたんだ」
「ん?」
「楽しかったから、大丈夫だよ」
「んん?」
真奈ちゃんは眉根を寄せて顔をずずいと近付けてきた。背後から素知らぬ顔で浅間君が入ってくる。
「どこで? 誰にもらったの?」
けれど、そこでチャイムが鳴った。小さなわだかまりを残したまま席に戻る。
最近真奈ちゃんとわたしの間には、以前はなかった距離が少しだけある。
これはわたしの家の教育方針が影響している。
中学の時はみんなバイトもできないし、行動範囲も狭かった。だけど高校生になるとそうでもない。カラオケ、ファミレス、遊園地、映画館、ゲームセンター、休日や学校帰りにいろんな場所で遊ぶ。そのどれもにわたしは行けない。
真奈ちゃんは、わたしに合わせていると、色んなところに遊びにいけない。
真奈ちゃんは気を使ってくれるけれど、さすがに申し訳なくて何度か遠慮をするようになった。そうすると次の日とかには昨日の話をしていたりするので、自然その輪にも入れない。
「一緒に帰ろう」と言われても、これから遊びにいける彼女を帰宅させることに薄い罪悪感がわく。だけどそれを遠慮すると、ふたりだけで話す時間なんてのもなくなってくる。前はよく遊んでいた休日も彼女がバイトを始めてからは会いにくくなった。
もともと暇な時や顔を合わせた時にしゃべる気軽な関係だったのもあって予定をずらしてまで会う感じにはならなかった。わたしはスマホを持ってないので空き時間に都合をつけにくいのもある。
わたしは自分から距離を置いたくせに、なんとなく、寂しさを感じるようになってしまった。四人でいても、疎外感を感じてしまうことが増えた。
*
「今日は約束あるから、ごめん」
その日お昼に先に言って教室を出た。そうして屋上に続く階段に腰を下ろす。
そこまで嫌とかじゃないけれど、たまには人に気を使わずにひとりで落ち着いてご飯を食べる時間があってもいいんじゃないかって、思って。
みんなでいても、わたしはほとんどしゃべってはいないけれど、それでも気を使ってないわけじゃない。ひとりだけつまらなそうな顔をしてるわけにもいかないし、興味のない話をなるべくニコニコ聞いていなくちゃいけないのは地味に疲れる。
それに、ひとりで食べるのは別に恥ずかしいことじゃないなとか、この間浅間君を見ていて思ったんだ。
「あ、またいた。やっほー」
浅間君がわたしの前に立った。
多分偶然だし、そうじゃないとしたら教室でわたしがひとりで食べそうなのを見て気を使ってくれたんだろうから「なんでここに」とかは聞かない。浅間君と食べるの嫌じゃないし。
隣に腰かけた浅間君の持ってるビニール袋を覗き込む。
「今日は何食べるの?」
「えっとね、シュークリームとハムカツサンド」
「ハムカツ?」
「え、そっちに食いつくんだ」
「だって聞いたことなかったから」
「食べる?」
そう言って浅間君がまだ開けてないハムカツサンドを差し出してくる。
「ん、いいや。浅間君の食べるのなくなっちゃうし」
「ん」
頷いた浅間君がそれをぱくりと口に入れた。
「ど、どんな味?」
「ハムを揚げたものがパンに挟まってる」
「ふむ。美味しいんだ?」
「まぁまぁ」
「美味しいから買ったんじゃないの?」
「別に初めて食うわけじゃないし、二百円くらいの味だよ」
「ふうん」
「でも、食ったことない味がたくさんあるのって、ちょっといいよな」
「え、何が?」
「この歳になるとさ、大体の食えるものは食ってるから、感動とかないじゃない。たまに新しいもの食べてもだいたい“鶏肉みたいな味”とか“焼肉のタレみたいな味”とか、こう……知った味の組み合わせでしかないだろ」
「う、うん」
「でも、この間白瀬はメロンパンに感動してたじゃん」
「え、だって、初めての味で……」
「俺は小学生の時初めてわらび餅食った時、ちょっと感動したんだけど……他はあんまり覚えてない」
わたしも普段食べてるものは、もう感動なんてない。最初に味を認識した瞬間はあったはずだけれど、当然ながら覚えてはいない。
「そういえば真奈ちゃんも初めてエクレア食べた時感動したって言ってた……」
「もしかしたら誰でもひとつくらい、初めての記憶がある記念的な食べ物があるのかもしれないよね。こんな食べ物があるんだ、っていう。それは高価なものじゃなくて、ソフトクッキーとか、ポテトチップスとか、そんな感じの」
「じゃあ、わたしはメロンパン」
「まだたくさんあるんじゃない?」
「えっ」
「白瀬にはその、初めての味がまだたくさんあるんだよなーって思うと、ちょっと羨ましいし、興味ある」
「なるほど」
うちはジャンクなものやお菓子類が軒並み禁止されているから、その辺りで幾らでも感動できるかもしれない。
黙って座って前を向いていた浅間君がまた手の中のハムカツサンドを齧り、咀嚼して飲み込む。それから立ち上がって身体を軽く払った。こちらを向いて笑う。
「ねえ、白瀬」
「はい」
「俺と一緒に色々感動してみない?」




