この素晴らしき世界 《震電改》1
時系列としては割と終盤の物語となります。
脚注は「後書き」をご覧ください。
■あらすじ
楽~に地球を手に入れるなら、やっぱ地元産の武器と人材を使うのが安上がりだよね。星海を越えてもってくるとなったらメッチャ経費かかるしさ。あ~どっかに資源もあって科学力もあって兵隊も多い何かとチートな大国ないかなぁ…ってあったw。こうして異星人の手に落ちたアメリカと、そうはさせじとがんばる統一人類連合軍の戦いは始まったのだった!。
1946年10月
日本本土では心地よい秋風の吹く季節となっていたが、太平洋の島嶼を巡る航空戦に参加している身では暑さ寒さを気にする余裕はあまりなかった。
いや、愛機がその持てる性能を発揮するためには…「あまり温かい大気はよろしくない。」だったか。
そう教えてくれたのは機種変更訓練のため内地に戻っていた際に知り合いになったイギリス軍の技術士官だった。
ようやく実戦に投入して問題ないレベルのジェットエンジンが完成したのと時を同じくして彼は日本へとやってきた。大日本帝国への技術移転と製造に関する細かな指導のためだった。
なかなかに仕事熱心な男だったが、開戦前からの飛行兵に新兵でも知ってることを殊更にレクチャーしてくるという分かりづらいジョークを得意としていた。
また、担当するエンジンがドイツで開発されたものだとかで、飲むといつもその事でブツブツ愚痴をこぼす(注1)愛国者でもあった。
隊長機から数えて4番目に離陸した私は決められた集合地点へ急ぐため少しスロットルを開いて加速した。この機の加速性能はレシプロ機では味わえない素晴らしいものであるが、一気にスロットルレバーを押し込みすぎると肝心のジェットエンジンが消火する危険(注2)があるので注意が必要となる。しかしその欠点を差し引いても余りある魅力がこの機体にはあった。
大日本帝国海軍の誇る最新鋭のジェット乙戦(注3)。噴進式局地戦闘機J7W2“震電改”それが本日初陣を迎える我が愛機の名である。
震電改の元となるJ7W1震電は先尾翼式に設計された戦闘機である。世界にあまり類例の無い形式であるが、設計者は小口径大馬力のレシプロエンジンが使えるようになった際、それを推進式に積み込むことで戦闘機として「いける」と閃いたのだという。
先尾翼と言われてもいまいちピンとこない方のために簡単に説明すると、一般的な戦闘機、分かりやすいところで我が海軍のA6M5“零式艦上戦闘機52型”いわゆる「零戦」を思い描いてもらえるだろうか。そしてそのコックピットに『後ろ向き』に腰掛ける。つまり通常は後ろになる尾翼の方を前にして、背後にあるプロペラに押されながら飛んでいく(注4)。そういう機体構造なのだった。
と、ここで勘違いされないようにさらに一言申し添えておく。尾翼と垂直尾翼は別物である。「後ろ向きに腰掛ける」と説明すると何故か垂直尾翼が邪魔になるんじゃないか?と気にする方がいるが、垂直尾翼は腰掛けた状態で後ろに取り付ける形になるので安心されたい。
先尾翼式の機体は機首にエンジンが無いことにより大きく2つのメリットが生まれる。
まずはその空いたスペースに多くの(または大型の)機銃を詰み込むことができるという点。これは打撃力ひいては撃墜火力の面から歓迎される。
そしてもうひとつが、機首部を絞り込んで空気抵抗を下げることにより高速向きの設計にできるという点だ。通常のレシプロエンジン機では胴体断面の最大面積が機体の最前面辺りになっているためその空気抵抗は馬鹿にならず最高速度には限界があった。しかし先尾翼ならばそれも越えられる。
一方ジェットエンジンとは、空気をパンパンに入れたゴム風船が噴き出す空気の反作用で飛んでいくのと同じ様に、後方へ高温高圧のガスを吹き出して飛んでいくエンジンのことで、帝国では噴進式エンジンと呼ばれていた。理屈では音速を越えることも可能だというまさにこの機体には打ってつけのエンジンだった。
エンテ式機体とジェットエンジン。2つの工業的な成功例が出会ったとき画期的な戦闘機が誕生した。試作段階で既にそれまでに存在したどの戦闘機をも上回る上昇力と速度を見せつけた震電改は、それ故に統一人類連合軍で大量生産される統合兵器としても選ばれたが、実戦証明の無い試作機での選定はかなり異例なことだった。
12機の僚機とともに飛ぶこと暫し、もう少しで見えてくると思った矢先に隊長機が翼を上下に振った。敵機発見の合図だが…いつもながらどういう目をしてるんだと思う。
「おっし、モタより全機、モタより全機。11時方向ちょい左、高度差200に敵機約15。それぞれ小隊ごとに編隊を組め。おあつらえ向きに太陽は背中だ。俺が増槽を落としたらそれを合図に突っ込め。」
高度10,000m、これだけ高いと無線もクリアに聞こえてくる。
「イヌ1番了解。」咽頭式マイクに軽く手を触れ返事を返すと私は2機の僚機(注5)を引き連れ右方へ遷移する。
見ると他のキジ、サルの各小隊もそれぞれの決められた位置へと移動を開始していた。ちなみに隊長機の呼出し符丁“モタ”とは…、いや、それは野暮というものか。
その時、青空の先にキラッと光るものが見えたような気が…いや、見えた。敵だ。
ボーイングスーパーフォートレスB-29
全長30.18m、全幅43.04m。4発の大出力エンジンをブン回し、5t近くの爆弾を積載して高度10,000m以上の高空域を650km/hで飛んで行く。ある意味人類の科学力の到達点といっても過言ではない航空機だ。
正直なところ我ら連合軍はこの爆撃機に多いに悩まされていた。せっかくレーダーで機影を捉えてもそこらの戦闘機では(注6)同じ高度に上がるだけで一苦労。とても戦闘行動などとれやしない。何とか水メタノール噴射装置とターボチャージャー付エンジンの機体で上空に占位して待ち構えても、攻撃を仕掛ければすぐに高度が下がってしまう。再度攻撃をとヨタヨタと近づこうものなら20㎜機関銃×1を始め12.7㎜機関銃×10や連装機銃という重武装が待ち構えるという寸法だった。
もちろん我らもただ手をこまねいていた訳ではないが、決定的な手段に欠けていたのは否定できない事実だった。
休息と訓練、出撃をルーチンワークとして繰り返す中で戦死者はどうしても出ていた。連合軍が押し気味になってその数は徐々に減っていたのだが、戦場にB-29が現れてからは元に戻ってしまっていた。なにより、迎撃に失敗する事態が増えていた。
同じ基地を根城としていたドイツ空軍(注7)でも似たようなものだったらしい。もっとも高空迎撃戦闘に特化したような機体を持っていた彼らの焦りはこちら以上だったらしいが…。
機種転換命令が出たのはそんな時だった。噂ではドエライ戦闘機だという話だった。
そしてそれは紛うことなき事実だった。
「モタから全機。モタから全機。よっしゃ、やるぞっ!震電改のお披露目だ締めてかかれ!。」
命令のような掛け声のような隊長の声が無線より聞こえてきた。増槽が隊長機から離れクルクルと回りながら落ちていく。
「イヌ小隊、イヌ小隊。イヌ1番。お待ちかねの猟の時間だ、付いてこい!」
わたしは自分の小隊に指示を出しながら増槽を投擲した。
「2番!」「3番!」
小隊員の応答を聞きながらスロットルを徐々に押し込む。背後から伝わる音が少し遅れて大きくなっていく。どこまでもどこまでも大きく。
そして…震電改は加速する!。
(その2)へつづく
■(注1)愚痴をこぼしていた。
※最初期のターボジェットエンジンの開発はイギリスとドイツで行われた。連合軍ではどちらを量産するか競作にかけられドイツ式が採用された。
■(注2)エンジンが消火する危険
※後に、ある一定以上の力に対抗するような油圧装置が組み込まれた。
■(注3)乙戦
※帝国海軍の戦闘機分類で「局地戦闘機(迎撃機)」を指す。火力と上昇力に秀でている。
■(注4)押されながら飛んでいく
※通常の航空機はエンジン及びプロペラが機体前に付けられ、回転により後ろのものを引っ張る(牽引)が、震電は機体後方にプロペラがあり、通常とは逆回転するプロペラによって前にあるものを押す(推力)ように設計されていた。
■(注5)2機の僚機
※この時期の帝国海軍航空隊は他の同盟国と共同して作戦を行う必要性から戦闘機隊の1小隊を2機で編成していたが、より火力の必要な迎撃任務においては従来通りの1小隊3機で運用していた。ちなみに3機編成の方が攻撃力は上がるがその分パイロットの練度が必要となる。
■(注6)同じ高度に上がるだけでも一苦労
※高度が上がると酸素が薄くなるためエンジンの出力が落ちる。また、翼の揚力も弱くなる。
■(注7)ドイツ空軍(Luftwaffeルフトバッフェ)、この前線基地ではドイツと日本の航空隊が1週間交代で迎撃任務に当たった。任務に就かない飛行隊はその間に休息と訓練、そして部隊の再編制を行っていた。