それぞれの場所(2)
四月の終わり、自治会館での展示会を終えて、真紀子は自分で作った器を段ボール箱に詰めていた。何人かの生徒も自分の作品を片付け、それぞれに
「それではまた、よろしく」
などと言いながら帰って行った。
真紀子は二年前から人にも陶芸を教え始めている。展示会の企画も真紀子が整えたものだった。
「パパに会って来たわよ」
よその人が帰ったのを見極めて、真紀子と二人その会議室に残って手伝いをしていた佐由美が言った。
「そう」
と、真紀子がそっけなく言った。
「信じられない。純菜さんって…、若くて、あんな…、あたしと同じ年頃の娘みたいな人と…、あのパパが…、なんでそんな気になったのかしらね」
「さあね」
ちょうど同じころ、純菜もどこかで器の展示会をしていたらしい。都内のしゃれたアトリエ。カフェかなんかが併設されているような場所で…。しゃあしゃあとその展示会の知らせを真紀子の所に送ってきたのだ。
もし、佐由美がいなかったら、その葉書を真紀子が郵便受けから取り出すことになっただろう。そうなっていたら、真紀子は即座に破り捨てていただろう。
「信じられない。純菜さんって…、あんなおじいさんと一緒にいて、何かいいことでもあるのかしら」
「さあね」
「けっこう、コーヒーカップとかね、買っている人がいたのよ」
「そう」
「まあ、センスはいいと思ったわ。そんなにすごい芸術作品って感じじゃなくて、どこにでもありそうでいて、一品ものって感じもあるしさ。お値段は少し高めだけど高すぎずってとこだし」
真紀子の中には不快感が溜まってきていた。
「ねえ、ママも、展示即売みたいなことをやってみたら? そうだ、慎太郎に言ってネットで売ってみたら? ただこんな風に並べて近所の人に見てもらっても、なんだかつまらないんじゃない?」
慎太郎とは学生結婚した佐由美の夫で、エンジニアをしている。
「いいのよ。これはこれで!」
真紀子の声は荒くなっていた。なにか無性に腹立たしかった。
「あ、怒ったの?」
「別に…」
「あたし、なんだか悔しくて。パパったら浮世離れしたような、ふわふわしたような顔してたわよ。自分の知っている人にも声かけたりして客集めしているみたいで、へこへこ挨拶して回って…」
「いいじゃない、それで」
「ママ、悔しくないの?」
「ああ、もうどうだっていいわ、そんなこと」
段ボールを置く手に力が入って、中の陶器が音を立てた。
「信じられない。あたし…」
佐由美の方ではその話題を逸らす気はないらしく、重ねるように言った。
「あたしだって信じられないわよ。だけど、そいうこともあるってことよ」
「こんなこと言ったらママに悪いんだけど、これからの慎太郎とあたしの行く先ってものも考えちゃったわよ。男の人ってそんな簡単に相手を変えることができるものなのか? って」
「もう、いいわよ。その話は…」
そこに、ふと「すみません」と人が入って来た。
真紀子と佐由美はお互い顔を見合わせ、肩をすくめた。
「すみません、お取り込み中に」
とその女性が入り口で話し出した。紬の着物を着こんでいる。
「わたし、この近所に住んでいる東野と申します」
「あ、はい」
と真紀子が応対した。
「あの、陶芸教室を開いていらっしゃるということで…」
「あ、お教室に興味をお持ちですか?」
「はい。ちょっと習ってみたいな、と以前から思っていたものですから…」
「ああそれなら、どうぞ、いらして下さい」と真紀子はプリントしてあった教室のパンフレットを差し出しながら
「大きい窯はここにはないのですが、泥をこねて、形を作る所までは自宅の工房でできるようにはなっております」
それから月謝の話などをして、とりあえずお名前を、と差し出された訪問帳に名前を書きながら、富貴はクシュンと、くしゃみをして「失礼しました」と言った。
「良かったわ。こんな近くにお教室があるなんて、知りませんでした」
と富貴が笑った。
「まだ教室を始めて二年なんです。あたしもただ習っていただけなんですけれど…。先生が教えたらどうかとおっしゃって下さって。先生の所の窯を使えるということだったので、茨城の方なんですけれど…、それじゃあと、始めてみたところなのです。あら?」
と真紀子は富貴の住所を見て続けた。
「たぶん…、東野さんって、だんな様、うちの主人と同級だわ」
「あら。そうですか?」
「ええ…、と言っても、元主人なんですけど…。あたしは二年後輩なんですよ」
「あら、やはり狭いわね。ここいらですとね」
と富貴が笑い
「そうなんですよ。今習っている方は八人しかいないのですけど…、なにかしら東中と関係あるんですよ。ご主人が東中出身という方も三人いらっしゃるし、私の後輩ってことですけれど。あとは、お子さんが通っているとか、いたとか」
「あ、東野は三年前に亡くなりまして、今は義理の母と猫と暮らしております。そういうことでは、東野も元主人となるのかしら…」
と富貴が笑ったので、真紀子はあわてて、
「あら、そうだったんですか。それは…。いえ…、東野さんとは高校も一緒なんです。生徒会長とかなさっていたし、とても優秀な方だったから、記憶に残っているんです」
「あら、そうですか。わたしは、生まれがこちらではないし、東野とは八歳も年が離れていたもので、お近くでもちっとも誰が誰だかわからないわ」
と二人でたわいもない話をしている間、佐由美は机の上を覆っていたクロスをたたみ、机を元の位置に戻し、おおかたの片づけを終えていた。
会話を続けていた真紀子と富貴は、同級生や町内の話から猫の話になっていた。
「あら、そうですか、ヒマラヤンって、大きいでしょ?」
「ええ、もう、外に出さないものですから、家のなかでぬくぬくといい気になっちゃって、タヌキみたいになっちゃって」
などと話が続きそうなところに「ママ…、もうそろそろ…」と佐由美に促され
「あら、これ、うちの娘なんですよ。孫が…、男の子が二人いて…。今一緒に暮らしております」
そう言うと、真紀子は何かふっきれて、胸を張れるような晴れがましい気分になっていた。
「まあ、それはお賑やかでうらやましいです」
それでは失礼します、と富貴が帰った後で、佐由美がふと言った。
「今時珍しいような、奥様って方ね。着物なんか着ていらして」
「ほんとね。だってね、東野さんって、もてた方だもの。うちとは大違いね」
「ね、パパって、そういう華やかな経験がなかったから、免疫がなかったのかもね。純菜さんって、まあ、悪い人じゃあなさそうだったけど、思いつめるような純粋さみたいな感じがちょっとこわかったから」
「だから、いいんだってば、もう、その話は!」
そう言いながらも真紀子の中でなにか蟠りがほどけていくような感覚があった。
「ね、お父さんが純菜さんに捨てられて行く所がなくなって、こっちに帰って来たらどうするの?」
佐由美はいたずらっ子のように真紀子に言い
「だからいいんだってば! そんなこと、今考えたってしょうがないでしょ!」
二人は笑い、会議室の扉を閉めた。




