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8 カウンセリング

 病院は好きではない。

 独特の臭いと静寂。待合室に置いてある本でも読んで紛らわせようかと思ったが、あまり人がいなかったため、選んでいる最中に名前を呼ばれてしまった。


「久しぶりだね。定期的に来るように言ったのに、あれからもう四年も経っているよ」

「そんなに……経ちますか」

「そうだよ。カルテ見る?」


 机に置かれたカルテを、佐潟先生はペンでたたいた。先生の特徴的なメトロノームのように一定の調子を刻む話し方は、相変わらずだった。

 アロハシャツに加えてスキンヘッド。唯一医者らしいのは白衣だけの五十代中年。白衣を脱いで、サングラスを掛けたら、どこかの組員みたいにしか見えない。眠たげなジトッとこちらを見る目つきも昔のままだ。


「まぁ、僕もそろそろ君は大丈夫かなーと思ってたから、放っておいたけど。また来たってことは、またなんでしょ? ちゃんと治療を最後までしないからこういうことになるんだよ。迷惑なんだよ、ほんと君みたいな患者は」


 精神科の医者のセリフではないと思う。

 この単調で感情がない話し方のくせに、物の言い方はずけずけと鋭い。ちぐはぐで噛み合ってなくて、苦手だ。 

 怒っていいのか、笑えばいいのかわからずに、顔が引きつる。


「どう反応していいのかわからないなら、何も反応しなければいいんだよ。嫌っている相手に、そこまで頑張って気に入られようとしなくてもいい。まぁ、人間というサルはコミュニケーションが必須だから、表情を作ってしまうのは生存本能の一部だ。仕方ないね」


 じゃあ、何も言うな。

 この医者の淡白な調子が合う人もいるらしく、佐潟先生の務めるこのみどりココロクリニックはそこそこ評判がいい。

 もちろん合わない人はクリニックの口コミに「あの医者、最悪!」とか、書き込んでいる。

 俺も合わない方だ。イライラして、落ち着かない。


「あと数年経てば君も成人だ。親の庇護を離れたら、自分に合う医者を探しに行きなさい。僕だって合わない患者と関わるのはストレスだ。医者の不養生になっちゃうから、積極的にお断りしたいところだが、仕事だ。大人は大変だなぁ」

「……俺は何も言ってません」

「君は態度にすぐ出るから、わかりやすいって前にも言ったでしょ。もう少し飾ることを覚えなさい」


 確かに、前の時もこうやって心を見抜かれたみたいに、ずばずば言われた。

 そういえば。


「君が来なくなる前の診察記録見たら、好きな子ができた様子って書かれていたよ。それで来なくなるなんて、青くない?」


 そうだった……。

 思わず羞恥に顔を覆う。


「……うぉう……死にたい」

「止めてよね。死ぬなら僕の責任の範囲外で死んでよ」


 しっしっと手を払われる。こいつ。


「さて、眠れないんだっけ?」


 佐潟先生はそう言って、カルテを手に取る。どうやら雑談タイムは終了らしい。

 散々人を辱めておいて、あっさりと本題に移すところも嫌いだ。


「はい……そうですが」

「いつから?」

「えっと……」


 気が付いたら悪夢を見るようになっていたという感覚だったが、初めはいつだったのだろうと記憶を探る。

 確か文化祭の準備の時期ではあったはずだから……、


「一か月くらいだと思うんですけど、正確にはわからなくて」

「そう。眠れないっていうのは、寝つきが悪いってこと?」

「いや、寝ることは出来るんですけど、必ず悪夢を見て。だから……眠れなくて」

「ふんふん。悪夢を見るのが怖いから寝れないと」


 そうだけど。そう言われると子供っぽくていやだ。


「どんな内容なの」

「えっとそれは」

「隠すことはないよ。僕は君が小六にもなっておねしょしたことも知っているんだから」


 殴りたい。

 あぁ、殴りたい。

 拳を握りしめて震わせながら、俺は努めて冷静に悪夢の内容を話した。話し終えて手のひらを開いたら、爪が刺さったせいで真っ赤になっていた。


「目、ねぇ……」

 佐潟先生が考えこむようにして、眼鏡をペンでたたく。


「昔のあれ、幻覚は、最近どう?」

「あれは……もう見てませんよ」


 少し思い出してしまって、目を伏せる。

 六年前、初めてクリニックを訪れた原因はそれだった。クリニックに通いだして一年も経たずして、それはほとんど見えなくなった。しかしフラッシュバックの可能性があるからといわれ、もう一年余分に月一でこのクリニックには通っていた。


「まぁ、今の夢の内容を聞いているだけでも、あれとは関係なさそうな気がするね。あの時は、事件があってすぐに君をカウンセリング出来たから治療にも万全に取り組めたし。お母さんの迅速な判断に感謝しなよ」

「はい……」


 昨日の母の様子を思い出して、少し胸が痛んだ。


「昔、目を怪我したことはある?」

「ものもらいになったことはあるけど、怪我とかは特になかったかと思います」

「視力はいくつ?」

「両目一・二です」

「うらやましいね。じゃあ……」


 そういった質疑応答が五分ほど繰り返された。佐潟先生は絶えずカルテにペンを走らせていた。


「なるほどねー、わからない」


 その果てに出た答えに、俺はガクッとなる。


「はい?」

「そう簡単にわかるものじゃないでしょ。医者が神だとでも?」


 思っていませんが、その言い方はむかつきます。


「まぁ、この夢の中で着目したいことは目だね。君が夢を語るときに一番感情が入っていたのは、目を抉られる下りのときだったから」 

「そりゃあ、目を抉られるって一番インパクト大きくないですか?」

「でも監禁されてて、空腹で、自分を害する人間がいるっていう要素がたくさん他にもあったのに、それでも君が一番長く語ったのは目に関する情報だった。見えないっていうのも含めてね。きっとそこに糸口はあるんだろう。そういえば、夢占いってあるでしょ?」


 佐潟先生はカルテを机に置いた。


「えっと、ネットで見たことは」


 幸紀が最初に調べてくれたことだ。


「ネットに落ちている夢占いはサイトによって解釈がかけ離れているものも多い。所詮、娯楽の要素が多い遊び程度のものがほとんどだろう。精神科医としては、使わない。だけど、趣味としてそれらを冷やかすのは好きでね。目を抉るっていう行為について、こういう解釈があったよ」


 とんとんと、また眼鏡をペンでたたく。


「現実を見たくないことの象徴」

「……現実?」

「そう。直視したい出来事から、目を逸らそうとしているってことさ」

「……思い当たりませんが」

「だよね。君の最近の生活について、聞いた限りではそういう原因は考えられなかった。だから、これは雑談だよ。僕としては現実は見るものじゃない、あるものだ。見なくたって、その他の感覚で否応なしに実感してしまうものだ。逃げられないから、みんな病むのさ」


 精神科医として彼もいろいろな人間と関わっているのだろう。言葉の端々から疲れを感じた。


「さて、とりあえず君にはいくつか薬を処方しよう。寝起きと、寝る前に飲むやつね。今回は漢方を試してみよう。効かなかったら、少しきつめのやつに変える」


 また仕事モードに戻った先生はカルテにさらさらと追記する。


「ありがとうございます」

「来週また来なさい。気長に様子を見よう」

「……はい」

「もっと嫌そうに言ってくれてもいいよ。まぁ、君は嫌々ながらも来てくれるから、合わない患者の中でもやりやすいほうだよ。最初の一回だけで来なくなる患者も多いからね。特に子供はゆっくり時間をかけてケアしたいのに、親が邪魔してくるケースも多いから。君はよかったね」


 それじゃあ、お大事に。

 佐潟先生はおまけのように、定型句で締めた。


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