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6 バスケ

「今日は休め」


 利樹が俺の体操服が入った袋を取り上げる。


「大丈夫だって」

「お前、鏡見てみろよ。その顔色で」

「いいから、返せよ」 


 声を荒げるが、利樹は返そうとしない。


「調子悪くてイライラしてるのはわかるけど、落ち着けって。保健室で寝てこいとは言わないから、見学しとけよ。今、バスケとかしたら絶対お前倒れるよ」

「……体動かしてないと、起きてられないんだ」

「…………」

「……頼むよ、今は絶対寝たくない」


 俺が体操服を乱暴に取り返しても、利樹は何も言わなかった。

 あの日から、少しだけ変化があった。

 悪夢の内容は全く変わらない。だが、痛覚と空腹感が現実にも及ぼすようになった。

 それはフラッシュバックのように、前触れもなく、きっかけもなく、突然訪れた。のたうち回るほどの目の痛み、内臓を焼くような飢餓感。

 いずれも一・二分程度のもので、幸いにも生活に差し障りはなかったが、思い出したかのように襲うそれらに精神はどんどん疲労していった。

 実験と称して、昼間に寝ることを何度か試してみた。

 昼寝で見る夢では、すぐに目を抉られるということはなかった。しかし、目を覆われて冷たい床に寝転がっている状況なのは変わらない。

 いや一つだけ変わった。以前目を覆っていたのは布だったのに、あれから頑丈な硬いものになった。床の板の継ぎ目で外すことは、もはやできなくなった。

 何も見えない。何もできない。そうなるとあとは――あれを待つことしかできなくなる。

 いつ来るのかと、怯えながらただただ待つことは、苦痛でしかなかった。

 目覚めろ、起きろと叱咤しても、目を抉られるまで絶対に悪夢は終わらなかった。

 早く寝れば寝るほど、待つ時間が長くなることが分かった時から、実験は打ち止めになった。幸紀は何度も慰めてくれて、利樹は俺が寝る前、起きた後どちらでも賑やかに騒ぎ立てて気を紛らわしてくれたけど、限界だった。

 それ以来、できる限り寝ない日を続けている。睡眠不足から頭痛がして、足元もふらつく。

 それでも一時間目の、朝一番のこの時間に眠りたくはない。

 ――ヨウ! 

 誰かが俺にパスを出したのが分かった。

 ボールを受け取り、足を一歩踏み出し――。

 

 目の前が真っ暗になった。


 扉が開くまで、どれくらいの時が過ぎただろう。ただ待つだけ、何もできず怯えて震え続けるのは耐えられない。

 早く、終わらせてくれ。

 もう、やめてくれ。

 扉の開く音に、体が竦む。

 木の床を打つ、靴音が無慈悲に響いた。


「ごめんなさい……」


 初めて、それにすがった。


「ごめんなさい……。ごめんなさい……」


 自分は、何に謝っているのだろうか。

 近づいてきていたそれは、足を止めていた。

 俺は残されたわずかな体力を振り絞って、必死に懇願する。


「ごめんなさい……」


 ぐっと胸倉をつかまれ、薄い体はあっさりと持ち上げられる。喉が絞まり、呼吸が止まる。それは言った。


『謝るくらいなら、生まれてこなければよかったんだ』


 また目に硬くて鋭いものが刺しこまれた。

 でも、今日は叫べない。

 ただ痛いだけ。


 目を開いた。

 白い天井が見えて、混乱する。痛みで頭ががんがんして、思考がまとまらない。


「おっ、起きたな」


 シャッとカーテンを開く音がして、にやにやした顔が俺をのぞき込む。


「俺の言うことを聞かないからだぞ」


 ほれ、と手渡されたのはコーンスープの缶だ。


「今、祝嶺が菓子パン買いに行ってるから、ひとまずこれで我慢しろ」


 ぼうっとした頭で、受け取る。

 カリカリと力が入らない指でしばらくプルタブに爪をかけていると、彼は俺の手から缶を奪い、かちりと開けた。


「こぼすなよ」


 そう言って、再び俺の手の中に戻す。じわりと温かいそれを感じて、恐る恐る口に持って行った。

 ゆっくり飲み込むと、温かい熱が喉を通り、空腹だった腹に染み渡るように広がる。ゆっくりと、ただ黙々とそれを飲み切る。


「落ち着いたか」

「……ありがと」

「どういたしまして」


 空になった空き缶を利樹は受け取る。


「今、何時だ?」

「もうそろそろ三時。喜べ、数学の小テストを回避できたのだと」

「どうせ再テストがあるんだろ」

「それはもちろん。学生の仕事は勉学ですから」


 わざとらしく、眼鏡をくいっと指で上げる。かっちりとした優等生然とした身なりは、俺の家での崩れきった姿と同一人物とはとても思えない。


「本当は救急車でも呼ぼうかってなったんだ。頭打ってるかもしれないし、お前は全然起きないし」


 ベッドの近くにあった椅子を引き寄せて、利樹はそれに座る。


「とりあえず、ヨウのおばちゃんに先生が電話した。そしたら仕事を早退して迎えに来るっていうから、じゃあ寝かせて置こうってなって」

「この時間まで来ないってことか」

「そういうこと。タイミング悪く、電車が止まったんだよ。やっと、さっき動き出したみたいだからそろそろ来るだろう」


 利樹はスマホを取り出し、画面を確認する。


「やっぱり、おばちゃんからメッセ来てるわ。あと二十分後だって」

「スマホ預けてなくていいのか」


 この高校は、朝の登校時に先生にスマホを預けて、放課後返してもらうシステムになっている。預けていなかった場合、親に連絡が行き、繰り返せば停学の恐れもある。


「お前のおかげで、おばちゃんと連絡とる名目で特別に許可もらえたんだよ」


 スマホの画面を見ると、ちゃっかりゲームを起動してログボをもらっていた。まぁ、そうだろうとは思っていた。利樹がルールに逆らうことはないのだから。

 ガラリとドアが開く音がした。


「よう君、起きたの?」


 幸紀がビニール袋を手に入ってきた。俺の様子を見ると、心の底から安堵した様子で、息をついた。


「無理しないでって言ったのに」


 その瞳はわずかにうるんでいる。


「ごめん」


 素直に謝ると、彼女は首を振った。


「いや、私のほうこそ力になれなくてごめんね」

「そんなこと」

「そんなことないよなぁ? 親友の言うことを聞かなかった、ヨウが悪いんだよなぁ」


 こいつ……根に持ってる。


「ほら、祝嶺。そこで突っ立ってないで、さっさとこいつに恵んでやれよ」

「あっ、うん」


 さっと利樹が、椅子を幸紀に譲る。幸紀は軽く頭を下げて、椅子に座るとビニール袋にがさがさと手を入れ、飲み物や食べ物を出す。

 そういえば、昼ご飯食べ損ねていたということを思い出す。夢の中でも空腹に襲われていたため、今感じている飢餓感はそのせいだと思っていたが、本当に俺の腹は減っているらしい。

 焼きそばパンとコロッケパンとコーヒー牛乳のペットボトル。どれも購買で俺がいつも買っている品だ。

 もぐもぐと口にしていたら、「あとこれも」とそっとくるまれたハンカチを俺の目に押し当てた。

 ハンカチは保冷剤を包んでいるようで、ほどよくひんやりしていた。


「やっぱり少し腫れてるね」


 また泣きでもしたのだろうか。気恥ずかしくなるが、素直に甘えて目を冷やされながら、もぐもぐと飯を腹に収めていった。


「気が利くねぇ。さすが女子って感じ」


 利樹の軽口に、少しだけ幸紀の目が伏せられた。


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