1 夢占い
最初に聞こえるのは物音だ。
カシャンと鍵を外す音、ぎぃっと扉が開かれる音。
その音に、はっと顔を向けるが、何も見えない。
目は布か何かで覆われていて、視界は暗闇。ただ音が聞こえる。コツコツと靴の音がこちらに近づく。
その音から逃げようとする。
手を後ろに縛られ、鎖で足を繋がれて、逃げられるわけもないのに、必死に後ずさりしてその音から離れようとする。
でも、すぐに背が、冷たい壁に当たって。
気配が、俺の前に立って。上からのぞき込んでくる。見えないのに、じっと上から俺を見下ろしている。
顔をそれに向けることなんてできない。俯いて、黙って、歯がかちかちと鳴っていて、あぁ俺は震えているんだなとわかる。怖くて怖くて仕方がないのに、乱暴に顎をつかまれて、顔を上に向けさせられる。
次に聞こえるのは――絶叫。
自分の声のはずだ。でも聞きなれない少し甲高い、子供の声が狭い空間に響く。
布を巻かれたままの目に、刃物が突き立てられている。
突き立てられた刃は目に深々と沈んでいき、目の奥にある骨にがつっと刺さる。そのままぐりぐりと骨ごと目を抉られ、痛みと感覚に脳を焼かれる。そして片方の空いている目にもぐずっと刃物が刺さる。
暴れたくても、体を押さえつけられていて動けない。
ただ叫ぶだけ。
ぐちゃぐちゃと、頭を通して響く音までが耐え難い。
段々叫び声が遠くなってくる。
あぁ、やっと――目が覚める
「……っていう、悪夢なんだけど」
「うっげぇ。えっぐぅ」
俺の話に、利樹は顔をしかめる。その横で幸紀が顔を真っ青にしている。
「わ、わりぃ。ほらな、だから話したくなかったんだよ」
「だっ、大丈夫だよ! 私が話してって言ったんだから」
そう言い、幸紀は笑おうとしているが顔は引きつったままだ。
「んで、その夢の他には? 他にも悪夢のレパートリーはあるんだろう?」
「いや……」
「え?」
言いよどむ俺に、利樹は目を丸くする。
「まさか、毎晩これってわけないよな」
「……」
「それは、きついね」
察してくれたようで、幸紀は不安げだった顔をますます曇らせた。
「いつから見てるの?」
「いや、いつからって言うのは正直よくわからなくて。でも、気づいた時には」
気づいた時には、毎晩同じ悪夢を見ていた。
あまりにも同じ夢の繰り返しで、そのうち慣れるのではないかと思ったが。
「妙にリアルなんだよ。感覚も匂いも痛みもあって」
夢から覚めてすぐは、こちらが現実だっていうことがわからなくなるほど。
「夢ってここまでリアルだっけ」
「まぁ、感覚がある夢ってないでもないらしいけど。結局、夢ってのは脳が記憶を整理するときに発生させるバグみたいなもんだから、うっかり感覚を呼び起こすこともあるんだろうけど」
「ほんとかそれ」
「俺のライトノベルには全ての知識が含まれている」
「はいはい」
確か、夢をなぜ見るかということはまだ解明されてなかったはずだ。でも利樹が言っていた記憶の整理という言葉に何か引っかかった。
「俺、なんかトラウマになるようなことあったのかなぁ。子供の時とか」
「前世の記憶とか!?」
「急にテンション上げてはしゃぐな。こら、俺の机叩くな」
ヒートアップし始めた利樹にため息をついて、ちらりとみると幸紀がスマホを真剣に見つめている。
「幸紀、どうした?」
「あ、えっとね。夢占いってのを見てみようと思って」
「おぉっと、女子らしい発想!」
利樹の発言に、幸紀の顔が一瞬曇るが、スマホをいじる指は止まらず、目的の文章を見つけて読み上げる。
「えっとね……目に関係する夢はあなたの精神状態を表します。目が見えない夢は精神状態が非常に不安定であることを示しています」
「それはそうだよ。悪夢のせいで、寝れてないんだから」
「他には……目が見えないということは盲目的な恋愛をしているため、直ちに止めろということを」
「あーそれだ!!」
利樹がにまりと意地が悪そうに笑う。
「お前ら、いちゃいちゃしすぎだぞ。彼女なしの俺に見せつけやがって」
利樹は体をくねくねする。
「そ、そんなこと」
幸紀は顔を赤くして、スマホで隠そうとする。
「ほーら、そういうところだぞー」
「はやし立てるな。小学生か」
利樹の様子に俺は心底呆れてしまう。
「残念だが、十分にいちゃつけてないぞ。お前が幸紀を文化祭準備で呼び出すから」
「しょうがねぇだろ。祝嶺のクラス、男のほうのクラス委員が出てこないんだから。可哀そうな祝嶺を俺が手伝ってやっているんだ」
「確かに助かってるけど、別に佐久真君に手伝ってもらわなくても大丈夫だったんだから」
幸紀は利樹に精一杯歯向かおうとするが、声には躊躇いがある。助かったと本気で思っているんだろう。
少しイラっとする。
その時、タイミングよく完全下校時刻を告げるチャイムが学校に鳴り響いた。
「それじゃあ、帰るか。悪かったな、変な話に突き合わせて」
鞄を手に持ち立ち上がると、「そうだった!」と利樹が間抜けな声を出す。
「お前の問題、何も解決してなかった!」
「簡単に解決できるもんでもないだろ……夢なんだし」
「確かにそうだけど……眠れないっていうのは心配だよ」
廊下を俺を挟んで三人で歩く。右にいる幸紀がスマホでまた検索をかけている。
「今度は何を調べているんだ?」
「悪夢を見てしまう原因。……ストレスや生活習慣の乱れってあるよ」
「ストレス感じてるのも、生活リズムぐちゃぐちゃなのも全部悪夢のせいなんだが……」
「まさしく、悪循環!だな」
それは面白いと思って言っているんだろうか。どや顔を止めろ。
「枕が合ってないとか?」
「小学生のころから使ってるんだけど」
「うーん」
よい解決案が見つからないのか、幸紀はずっとスマホを指でスライドさせる。
「まぁ、ちょっと前まで期末テストと文化祭の準備が重なっていたし、その疲れも出ているのかもな。よっし! ストレス解消に今日はお前の家で朝までゲームしてやるぞ!」
「また来るのかよ」
「明日、休みだしな。新作買えたし、今日は朝まで寝かせねぇぞ」
「新作ね……」
確かに新作は気になる。
それに悪夢のせいで、今は眠たいけど寝たくない気分なのだし、徹夜というのはいいかもしれない。
一度限界まで起きて寝たら、改善しているのではないかという淡い期待を抱く。
それに
「今回の新作、隠しステージ多いって聞いたぞ。やばい」
「だろー!」
利樹のうざいテンションに、俺もこの時ばかりは気分が乗る。よっしゃ! 徹夜でクリアだ。
「……私も、明日朝から行っていい?」
利樹と俺が盛り上がっている様子に、幸紀が不満げに口を挟む。
「もちろん。来いよ、幸紀」
「うん。お菓子持っていくね」
「楽しみにしてる」
「うん」
俺を見上げて、幸紀が柔らかくと笑う。
「うわー、激あまー」
利樹が舌を出して、うげぇと汚い声を出す。そんな利樹を俺は鼻で笑う。
「うらやましいんだろ」
「うるせぇ、バカップル! おい、ヨウ。俺を捕まえてみろ」
突然意味不明なことを言い出し、利樹は突然走り出す。その姿は廊下を曲がり、すぐに見えなくなった。
二人でぽかんとしていると、すぐに騒がしい音ともに、利樹が駆け戻ってきた。
「乗れよ。おれが馬鹿みたいだろ」
「いや、どう考えてもお前は馬鹿だ」
どこの星から来たんだ、お前は。
「佐久真君って、いつも意味わからないことするよね」
幸紀はまだぽかんとしている。
「そうだ、俺のことを常人が理解できると思ったか!」
「あほがうつる。行こう、幸紀」
俺は幸紀の手を引いて、利樹を置いてすたすたと歩き始める。
「うおー、見せつけやがって、このー」
馬鹿がやってくる音がするが、聞こえない。聞こえない。
「よう君」
幸紀が躊躇いがちに、でもぎゅっと強く手を握る。
「楽しいね」
恥ずかしそうに、でも頑張って声を弾ませている。
「だからきっと、今日はいい夢を見れるよ」
幸紀はそう言って、頑張って笑っていた。俺を励ますように。
あぁ、と答えた。
でも、やっぱり悪夢は変わらず訪れる。