舞う姿は美しく
「可愛くなりたいぃぃぃ!」
いつかの君の言葉。まだ幼くて、大人になりきれない心があった頃。
「大丈夫、可愛いよ」
「ほんと⁉︎」
「うん、ほんと」
「信じるよ⁉︎」
「うん、信じて」
「分かった。…… えへへ」
彼女と同じように。僕の中の幼い恋は、前に進むことを躊躇っていて。この距離が心地よくて、壊れることを恐れて。付かず離れず、そして傷つけないように。優しさを君に与えるかわりに、僕の心は苦しみを覚える。
感情が。すぐに出るよね、本当に嬉しいんだって分かる笑顔。
心配しなくても、そのままで可愛いよ。少なくとも、今の君に恋する人がここにはいるんだから。
♦︎
「やっべ!今こっち見て笑ってくれたぜ!」
「俺も見た。まじ眼福だわ」
「……… 」
この人たちは知らない。あれが作り笑いだってことを。外側についてる、誰にでも向ける顔。僕からしたら、マネキンと変わらない。
「まさにこの学校に舞い降りた天使!」
「エンジェルあざす!」
これが君の選んだ結果。否定する気はないよ、肯定もしないけれど。君がそうなりたいと望んだんだから、それを止める権利は誰にもないのだと思う。もし、あるのだとしても。それはおそらく僕ではない。
「いいよなぁ。お前、小学校から一緒なんだろ?」
「マジかよ! あんな美人と⁉︎ うっわぁぁ…… ないわぁ……」
そんな大層な関係じゃない。ただ、少しだけ彼女に恋をしていただけだ。無論、今の彼女にそんな感情はないけれど。
人は単純で残酷だ。勝手に好きになって、勝手にどうでもよくなる。今の彼女のことなど、今の僕にはどうでも良いことだ。
「あんな天使がずっと一緒の学校にとか……」
「天使よりはさ」
「うん?」
「蝶のほうが、似合ってるかな」
「蝶…… 分からなくもないな。ヒラヒラと飛んでて、手が届く距離なのに捕まえられない! 意外と合ってるかもな!」
「えぇ…… 天使だろ」
「まぁぶっちゃけどっちでもいい。とりあえず綺麗だってことを表現出来てればいいだろ!」
…… 友人たちには、どうやら伝わらなかったらしい。
♦︎
「…… はぁ」
レベルに合わない授業は覚悟していたけれど。一年経ってもまだ補習を受けているようじゃ僕が馬鹿だと言うことは否定出来そうにない。担任も呆れていた、一応毎日復習はしてるんだけどな。課題も忘れたことはないし。…… そんなことを言っても信じてはもらえないだろうけど。物事の経過なんてただの自己満足、他人は見た結果だけでしか捉えないのだから。
「……… プリント、終わらせよう」
あれこれ考えても仕方ない。まずは目の前の課題に集中しよう。
気持ちの切り替えを拒むように、教室の扉が開く音。視線を少しだけそちらに向けて、僕は再びプリントを見た。
「あ、まだいたんだ。補習?」
「うん」
「大変だね」
「…… 君ほどじゃない。毎日ご苦労様」
「ふふっ、気分は悪くないけどねぇ。今日の人もなんか違う気がして断っちゃった」
嬉しそうに笑うのだ。誰かが伝えた自分への気持ちを、いらないからとゴミ箱に捨てるように。そこに躊躇いも同情もない。いらないから捨てた。酷く正論で、僕の知る君には似合わない行動。
「…… 良かったね」
「うん? 何が?」
「昔の君が望んでた結果でしょ」
…… 難しいな、この問題は。シャーペンで机を叩く音が、僕の苛立ちを表現するようで。
「まぁね。でも足りない」
それでもまだ足りないのか。向上心が高いのか、貪欲なのか。どちらにしても、僕には理解出来ない。…… ダメだな。ここじゃ集中出来ない。
僕はプリントと鞄を持って、席を立つ。
「あれ? 帰るの?」
「図書室にでも行こうかなって」
「ふーん…… ねぇねぇ、そういえばさ」
「なに?」
扉を開く手を止めて、君を見る。
「あんたさ、意外と人気あるんだけど。連絡先知りたがってる子がいるんだけどさ、どう?」
「…… 大丈夫。そういうの、興味ない」
「えぇーー! つまんないよそれ!」
…… 人の抱いた感情を、面白いかどうかで判断するのか。
「むぅ…… 分かった。でも気をつけなよ? あんた女子と話さないからさ、男のほうが好きとか思われるよ?」
「…… いるよ。好きな女の子」
「え⁉︎ マジで⁉︎ だれだれ⁉︎」
…… 可愛くなりたいって、本気で思って。怒ったり、落ち込んだり、笑ったり。ころころと、表情が変わって。
「…… 君とは正反対の子だよ」
そう伝えて、振り向きもせずに扉を閉めた。
♦︎
綺麗だと思って触れたら手につく鱗粉が嫌いだ。なかなか取れないし、気持ち悪い。
離れまいと引っかかる脚も、痛くて気持ち悪い。全てを見逃さないと言うような大きな眼が嫌いだ。奇妙に動く長い口が嫌いだ。
舞う姿は美しい。でも、何だコレ。
気色悪い。僕はいったい、何が好きだったんだろう。
「…… 嫌いだ」
そう呟いて。心に何か引っかかるのは。 君が蝶ではなく、人であるからだろう。
この気持ちが叶うことはない。 一度、空を舞うことを覚えたのなら。
きっと尽きるまで。飛ぶことをやめないのだから。
終