08__仮初めの妃の困殆
2日目の続きです。
___視点:〔森の妖精〕- リーゼロッテ=サフィール___
朝食の後、王族専用の食堂を辞した魔法使いは、後宮へ邀う途中にある四阿で 休憩をしていた。
執務室にいる と云う約束をさせられた事を さらっと無視して、此処にいる。
そう、逃げ出して来たのだ。
あのまま執務室へ連れて往かれたら、と惟うとだけで 疲労感が押し寄せる。
魔法使いは、四阿に備え付けられた椅子に腰を掛け、浅く息を咐いた。
《 つ、弊れる……。》
慣れない事をすると弊れる、を実体感し 魔法使いは消沈していた。
そんな彼女の周りには、4人の女官達がいる。
彼女達は、後宮に配属された女官達だ。
つまりは、魔法使いの為に用意された女官達である。
「凄いですっ、お妃様!」
前舒めりに詰め寄ってきた女官の勢いに、魔法使いは 気圧され気味だった。
「 …………はい?」
「陛下から あんなに想われるなんて、羨ましいです!」
「そ、う ですか?」
「そうですよ!」
興奮気味の女官達の言葉に、魔法使いは 曖昧な笑みを泛かべた。
「陛下は、女官達の憧れの的でもあるんですが、誰も近付けなくて」
この言葉は、嘘ではない。
見眼が整いすぎて『姚しい』と表せるまでになっているラノイは、どうしても 女達の視線を集める。
地位があり 権力があり、器量が佳いのだ。
様々な理由で 妃の座を狙う者は、尠からず いて当然だった。
だが、同時に、彼は 恐怖の対象ともされている。
ラノイは、二面性のある青年だ。
そして、親しい者達-以外には〔獅子王〕としての面しか 見せはしない。
〔獅子王〕は、何かと畏れられている。
険しい表情であったり 厳しい睛であったり 威圧的な気配であったり、と 理由は多々ある。
苛烈な処断をする〔獅子王〕が 王宮で働く者達の『恐怖の対象』となるのも、当然の成り行きだろう。
女官達は 睛にする機会も尠いが、王宮では 有名な譚だ。
これまで ラノイとの接触に乏しかった後宮付きの女官である彼女達も、数々の噂を耳にしているのだ。
「陛下には お早く お妃様を、って希む人達は 多かったんですが……… 」
この人数には、王宮で働く女官達も入っている。
そして、彼女達は、あわよくば『自分が見初められたら』と夢見るのだ。
王宮の女官となった女達の多くが、1度は考えていた と明言しても良い。
美形なラノイに 愛を囁かれたら、と ときめく女は多いだろう。
苛烈な〔獅子王〕が 自分にだけ優しい、そんな場面を妄想して悶える女が大多数 と云える。
「流石に、皆さん 諦めたでしょうね」
女官は そう言ったが、魔法使いが『王の択んだ妃』だと知れ渡った今も、それを夢見ている者が残っていても 可妙しくはない。
この国では、複数の妃が後宮に入るのが通例だからだ。
頷き合っている女官達を余所に、魔法使いは 朝食の席での事を思い出す。
室内に入った瞬間から、妙な意思を含んだ視線を向けられていた。
その後も、度々 妙な感じがしていた様に惟う。
あの時は 自身が大変な状態だっただけに気付けなかったが、あれは 嫉妬の視線だったかもしれない。
《 成程、そう云う……。》
認識したら、どっと弊れが舒し掛かってきた。
何なら 代わってほしいくらいだ、と云うのが 魔法使いの本音だ。
「これまでも、幾多の縁談を 頑なに断り続けておられたので『陛下には、お心に決めた方がいるに違いない』って 噂になっていたんです」
4人の女官達は 軽く頬を引き攣らせた魔法使いには気付かず、愉しそうに譚を続ける。
「お妃様の事だったんですねーっ」
《 違います。》
そんな相手がいるのならば 今すぐ連れて来れば良いのに、と云った事も 乾いた笑みの裡で考えながら、密かに溜息を零す。
まず 何よりも、出会ったばかりの自分の事である筈がないのは、承知している。
だが、正直に そうと言える状態でもなかった。
魔法使いは、声なく 乾いた笑みを泛かべている。
「どちらも 見眼麗しく在らせられて、将来が愉しみです」
「ええ」
「本当に」
4人の女官達は、うっとりとした表情で そう呟いた。
《 愉しまないでくださいぃ。》
一体 どんな未来を想像し、何を愉しみにしているのか。
これについては、慄しくて 問う気にもならなかった。
耳にしたら、それだけで 深刻なダメージになりそうだった。
こう云った事は 聴かないに限る。
「少し、お時間は ありますか?」
話題を変える事にした魔法使いは、そう切り出した。
「え? ええ、勿論」
「では、王宮の案内を お願いしても宜しいでしょうか? まだ、何も判らなくて」
「はい、喜んで」
後宮付きの女官である彼女等は、妃となった者の世話をするのが 役目だ。
時間があるも ないも、妃である魔法使い-次第だ。
「わたし達は お妃様-付きの女官ですから」
一応、話題を乖らす事には成功したが、女官達の好奇心の的である事に変わりはない。
事実、彼女達は 王宮内の案内中も 質問を繰り返していた。
「お妃様は、どちらの方なんですか?」
ラッケンガルド王国は 単一民族で成り立ち、皆が黒髪で 黒い瞳だ。
他国民との混血もあるので、時折 色素の薄い者が産まれる事はあるが、それだとて『漆黒ではない』と云った程度だ。
やや色素が薄く 茶色の髪や瞳をしている者は 尠からずいるが、魔法使いの様な 銀髪はいない。
新雪の様な白銀の髪も 蒼穹を想わせる蒼い瞳も、この国の民には ない色彩だ。
興味をそそられるのも、仕方がないと云える。
「見て お判りでしょうが、国外から参りました。このラッケンガルド王国には、休暇で……… 」
何処の国とは明言せず、更に『休暇で来たのだ』とミスリードする。
正体を知られずにいる為に 必要な事であり、これまでの人生で 幾度も繰り返してきた事でもある。
魔法使いである以上、 日常的に重ねてきた手法だ。
「少し 足を伸ばしたら、ラノイ様が……… 」
当然だが、小鳥に変現して執務室を覗いていたのだとは言わずに、そう呟いた。
「素敵っ」
「それで、陛下の お睛に留まったなんて!」
「偶然が、お妃様と 陛下を引き合わせたんですね!」
勘違いをする様に 彼女達の思考をミスリードしたのだから、この解釈は 当然だった。
しかし、これ程 見事に曲解して、興奮の上 喜ばれると、複雑な気分になる様だ。
魔法使いは、何等かのダメージを受けた気分で 女官達を見ている。
「偶然 来た場所で巡り会うなんて、もう運命ですよ!」
運命かは判らないが 縁はあったのだろう、とは惟っていた。
だが、小鳥の姿でいた自分に気付くとは惟っていなかっただけに、魔法使いとしては 予定外の事態でもある。
「まさか、この様な事になるとは……… 」
この呟きは、本音だった。
尤も、それを理解する者は 傍にいない。
「良かったじゃないですか! あんなに愛されてるんですから」
女官の言葉に、魔法使いの頬が痙攣しそうになる。
《 揶われていると云うか、面白がられていると云うか。》
何に対しても慣れのない彼女の反応を愉しんでいるとしか惟えなかった。
笑顔が引き攣りそうになったのを 何とか怺えて、神妙な顔を作る。
「この国の事を何も知らない わたしの様な者がいても、ラノイ様の お邪魔になってしまうだけでしょう」
ラノイと シズに危難が迫っていると視えてしまったから ラッケンガルドに残る事にしたが、この立場は 本当に辣かった。
出来る事なら、今からでも 女官の1人として扱ってほしいくらいだった。
しかし、周囲は 彼女の葛藤に気付かない。気付く訳がない。
「そんな事ないです!」
「大臣の皆様は きっと、ご自分の娘を正妃にって惟うんでしょうけど、そんなの 結局は地位や権力欲しさです」
「わたしは、お妃様みたいに 陛下を愛してらっしゃる方のほうが いいと惟います」
「わたしもです!」
この熱弁は、魔法使いを驚かせるに足るモノだった。
《 お慕いしている様に見えるの⁈ 》
魔法使い-本人は、演技やら 嘘が上手いほうではない。
ラノイの演技が巧みなのか、女官達が 鈍感なのか。
魔法使いが仮初めの妃である事など、考えもしない様だ。
「だから、末永く 陛下の お傍にいらしてくださいねっ」
4人の女官達は、きらきらとした睛を 魔法使いへ向けている。
《 ぅ……。》
言われる程に 追い詰められている気分になっているなど、女官達に 判るべくもない。
「お妃様?」
押し黙った魔法使いの顔を覗き込む様に、1人の女官が 小首を傾げた。
「ぁ、いいえ……あの、ぁ………ありがとう、ございます」
彼女には、そう答えるしかなかった。
《 これは、惟ったより 辣い役目だわ。》
微笑んでいる裡で 泣きそうな気分になりながら、魔法使いは 重い溜息が零れそうになるのを ぐっと怺えていた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:後宮付き女官の1人 - アイシア=ロットナー。
陛下が ご即位されてから、早-4年。
その間、後宮に入る女性は 誰もいませんでした。
陛下の許に寄せられた縁談は多かったけれど、その綜てを 陛下-ご自身が撥ね除けてしまわれた為です。
会おうともせずに、縁談を持ち掛けられた段階で断ってしまわれる。
陛下には、お心に決められた女性がいるに違いない。
女官達の間で そう囁かれていましたが、まさか、本当に存在して こうして お会い出来る日が来るとは。
そして、お仕えする事が出来るなんて 夢の様です。
而も、他国の方で、お姚しくて お優しい方だなんて。
《 流石です! 陛下。》
淑やかなだけでなく、慎み深い女性であらせられるなんて、もう完璧です。
お妃様に お仕えする栄誉を得る事が出来て、わたしは 本当に倖せです。
これからの毎日の お勤めを惟うと、今から愉しみです。
末は、陛下と お妃様の御子の お世話も出来たら、もう本望です。
王宮の中を ご案内していた時も、こうして庭園で休憩をしている今も、お妃様は 嫋やかに微笑んでおられる。
何て 素敵な方でしょう。
わたし達の様な 下々の者にも、お優しくて在らせられる。
《 後宮付きの女官になっていて良かった。》
名家に生まれたとは云え、次女であった わたしは、家を継ぐでもなくて。
孰れは、父さまの決めた相手に嫁ぐ事になるでしょう。
その何処かへ嫁ぐ日がくるまで、と 王宮へ花嫁修行に出された訳です。
はい、これも 父さまの指示です。
凡そ 2年前の事でした。
綜て 流されての事だったけれど、今は 感謝したいくらいです。
こんなに素晴らしい方と巡り会い、お仕えする事が出来るんですから。
《 誠心誠意、お仕えしなくては。》
決意を固めながら、わたしは、うっとりと お妃様を見詰めていました。
わたしだけじゃなく、他の女官達も お妃様の姚しさに見惚れていました。
少し前まで 後宮付きの女官は『穀潰し』と陰口をされ、侮蔑に近い睛を向けられていました。
肩身は とても狭かったです、ええ。
碌な仕事もなかったんだから、仕方がないんですけど。
でも、これからは、お妃様の為に 立ち働く事が赦されるんです。
何て 嬉しいんでしょう。
そう惟っていた わたしの耳に、こちらへ近付いて来る足音が聴こえました。
視線を向けると、中年の男性がやって来るのが見えました。
あの人は、良く知っています。
名家-ゴルデル家の ご当主様で、王宮では 文官に當たる官吏の中でも 高い地位に在る『高官』の1人で在らせられる。
大臣-程じゃないけれど、高官の中でも 陛下に近い攸に在る役職の方。
余り いい印象はないけれど、何の用でしょう?
「お妃様」
不意に掛けられた声に、お妃様が 首を巡らせました。
王宮の中庭にある 小さな四阿で お妃様を囲んでいた女官-仲間達は、突然 現れたゴルデル様に驚いていました。
言葉もなく 礼もとらない女官達には睛もくれず、ゴルデル様は お妃様を瞰しました。
何だか いい感じのしない視線な気がします。
「執務室へ どうぞ、陛下が お呼びです」
この言葉に、わたし達は 陛下の愛の深さを想ったのですが、何故か お妃様は表情を曇らせました。
「ですが、わたしの様な者が 執務室へ参っては、他の方達の お邪魔に……… 」
「当然です」
お妃様の 奥ゆかしい お言葉を、ゴルデル様が 不躾にも遮られました。
「妃など、後宮で愨しくしておれば良い」
軽蔑を含んだ睛で、侮蔑すら泛かぶ声で、悪意としか表せない言葉で、ゴルデル様が お妃様を見て、お妃様に 言った……。
その瞬間、わたしの中で 変化が起こりました。
「ゴルデル様⁉︎ 」
他の女官達は、暴言ともとれるゴルデル様の言葉を 諫めようとしている様です。
「ですが、仕方がないでしょう。貴女がいないと、陛下は、それを理由に 仕事の手を止めてしまうんですよ。貴女が この国の為を想うなら、今すぐ 役に立ってほしいものですね」
「ゴルデル様、そんな言い方!」
「そうです! お妃様に対して 無礼でしょう!」
何だか、女官達の声が 遠くに聴こえます。
一体 どうしたと云うんでしょう。
わたし、どうしたんでしょう。
頭が、働きません。
病気でしょうか、軀が 熱いです。
急に どうしたんでしょう。
さっきまで 何ともなかったのに。
何か 良くない病気だったりするんでしょうか。
ひょっとしたら、生命に係わる様な……。
でも、今は、そんな事 どうでもいいです。
今は この無礼な男を黙らせたい、それだけです。
高官? だから 何ですか?
お妃様を侮辱するなんて、それだけで 生きている意味がないでしょう?
生かしておく必要なんて ないですよね?
《 いいですよね? 殺っちゃっても。》
剣呑な事を考えている わたしの耳に、お妃様の 静かな声が届きました。
「お恚りに ならないで」
冷静でいて、雍かな声でした。
それまで ゴルデル様を睨んでいた わたしが、惟わず 振り返ってしまう程でした。
「だけど、お妃様っ」
女官の1人-シノンが、尚も 眼の前の男を睨んでいるのが 見えました。
でも、わたしは、お妃様の 姚しい微笑みから睛を乖らせなくなっていました。
「わたしは、気にしておりませんから」
気のせいでしょうか。
わたしを見て、言った様な気がしました。
「でも……… 」
わたしの横で 女官が口篭っている間に、あの男は 踵を皈していた様です。
「では、さっさと執務室へ来てください」
去り際に 吐き捨てる様に、あの男-ゴルデル様が そう言ったのが聴こえた気がしました。
たぶん、確かだと惟います。
「っ!」
他の女官達が 怒気を滾らせたのが判りました。
肚が立ちますよね、やっぱり。
なのに お妃様ときたら、全然 怒っていなくて。
「はい、すぐに参ります」
ああ、お妃様ったら、あんな男にまで婉然と笑んで応えなくても。
あんな男に向けるなんて、余りにも勿体無い。
でも、その微笑も綺麗です。
本当に、女神様みたいですね。
「 –––––––––––––––あんな言い方っ‼︎ 」
他の女官達は 今も怒っている様だけれど、わたしは すっかり和んでしまいました。
いえ、肚は立っているんですけれどね。
何て云うか、お妃様を見ていると 怒れなくなるって云うか……。
さっきまで『息の根を止めてやりたい』と惟っていたんだけれど、どう云う事でしょう?
「ゴルデル様は、名家の ご出身ですけど、それにしても、お妃様へ あんな物言いをするなんて!」
「お恚りにならないでください。わたしは 気にしておりませんから」
「でも!」
「あの言い方は 赦しておけません!」
「そうですよっ」
他の女官達が 怒っていますね。
そうですよね、怒っていいんですよね。
だけど、何か こう……ほのぼの? しちゃうんですよ、お妃様を見ていると。
ほら、また 優しく微笑んでくださった。
「ありがとうございます、わたしの様な者の為に お恚りくださって。ですが、わたしは 大丈夫ですから」
女神の微笑に、他の女官達も 毒気を抜かれたんでしょうか。
「っ〜〜〜〜お、お優しすぎますっ」
さっきまでの悚い顔が、嘘の様に消えました。
「ゴルデル様の仰有る事も 一理あるのです。右も左も判らない 今の わたしは、間違いなく 邪魔でしかありません。満足に出来る事と云えば、ラノイ様に お茶を差し上げるくらいなのですから」
全員 うるうるとした睛で、お妃様を見詰めます。
勿論、わたしも。
「お妃様………… 」
人は、誰しも『敵わない』と感じる相手がいる、らしいです。
おじいさまから聴いた この譚を、わたしは この王宮へ上がって実感しました。
陛下に会った時に、陛下の睛が わたしのほうへ向いた、その瞬間に。
この人に 敵と認識されてはいけない、絶対に敵わない。
人生で初めて そう感じました。
声を掛けられた訳でもないし 睨まれた訳でもないのに、視線が こちらへ向いただけで そう直感したんです。
たぶん、陛下は、女官達の中にいた わたしを 何の気なしに一瞥しただけ。
もっと言えば、わたしを見た訳でもなくて、何気なく視線を流しただけ。
その中に、偶々 わたしが映り、一瞬 視線が交叉しただけ。
それなのに、その ほんの一瞬で、わたしは 陛下に恐怖したんです。
あんな諷に感じる人は そうそう いない、と惟っていたけれど。
どうやら、もう1人 いた様です。
わたしは、お妃様にも 敵いそうにありません。
陛下とは 全く別の意味で、この女神様には 忤えそうにないんですもの。
見ていると、うっとりしちゃうし。
「お手数ですが、お茶の準備だけ お願い出来ますか?」
「は、はい。勿論、すぐに」
わたしが お茶の用意を引き請けたのを見て、テーブルの向うにいた女官が 透さず 発言した。
「じゃあ、執務室まで ご案内します」
ああっ、失策った!
そっちにするんでした!
少しでも長く お妃様の お傍にいたいのにっ。
…………我慾です、はい。
だって、ふんわり微笑まれるだけで 倖せな感じがするんですもの。
「ありがとうございます」
ああっ、控えめな笑顔が素敵です!
こうなったら すぐに お茶の準備をして、執務室へ お届けしなくては!
わたしは、笑顔で竚ち上がると、小走り気味で 厨房へ邀いました。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:後宮付き女官の1名 - シノン=クリーガー___
アイシアさんと もう1人の女官が お茶の準備の為に厨房へ往くと、お妃様は 密かに溜息を零された。
僅かだけど、表情が冴えない。
間違いなく、先程の ゴルデル様の言葉が原因だろう。
姚しい お顔に、緲かに憂いが滲む。
そんな表情も 素敵だが、やっぱり微笑んでいてくださったほうが嬉しい。
《 おのれ、ゴルデル。》
私の家は、名家でも 何でもない。
啻の庶民だ。
父は 王都の片隅で役人をしているけど、だからと云って その伝で王宮に召し上げられた訳じゃない。
父が ギャンブル好きで、毎月の家計は苦しく、弟や妹の為にも 私が稼がねばならなかった。
職を探していた時に この仕事の求人が出ていて、その時の求人情報の中で 最も高給だった。 それだけの理由だ。
自分の倫理感と 社会的な道義とで いろいろと悩みはしたけど、背に腹は変えられなかった。
私は、女官として 王宮に入った。
ほんの10日前の事だ。
この王宮では、女官の入れ替わりが激しいらしい。
理由については教えられなかったけど、陛下が悚いせいだ、と 私は惟っている。
兎に角、凡そ 半年から1年弱で辞めてしまうらしい。
つまり、人事も 教育も追い付いていないのが現状だそうだ。
そのせいか、新人の女官達は 暇な部署に配属される。
多少の失敗は赦される、急ぎの仕事もない部署が択ばれる。
後宮付きの女官と云うのも、その1っだった。
今まで 後宮に召し上げられた女性がいなかったのが その理由だろう。
これで、新米の私が お妃様の お傍に仕える事になった次第は、以上だ。
他の理由は 何もない。
誰しも察すると惟うけど、私は、有能でもなければ 王宮やら上流社会やらに詳しい訳でもない。
要所要所への案内くらいは出来でも、女官としての働きには期待しないでもらいたい、と云うのが 本音だった。
そんな私でも、お妃様が憂いているのは 見たくない。
こんなに姚しいと 憂いも樣になるけど。
《 こっそり、陛下に告げ口しておこうか。》
陛下なら、お妃様を悪く言う者を 赦しはしないと惟う。
直接は見ていないけど、ベタ惚れなんだと 厨房の者達や 他の部署の女官達が騒いでいたし。
丁度 執務室へ往くし、何かのタイミングで言ってやれないだろうか。
そんな事を考える内に、執務室へ着いていた。
執務室に入ると、陛下は 数名の大臣に囲まれていた。
宰相様や クランツ様は、いらっしゃらない。
別の部屋へ 資料や書類を取りに往っているんだろうか。
陛下を囲んでいる大臣達は 政治の譚をしているのかと惟いきや、どうやら 話題は 側妃についてだった。
いつも偉そうにしているクセに 何をしているんだ、この大臣達は。 仕事しろ。
「その譚は もう良い」
「ですが、陛下」
「諄いぞ、大臣」
「陛下、吾々は…… 」
「私の妃は、アシュリー 1人で良い」
ぴしゃり と言い放った陛下の声は、冷ややかだった。
本当に 鬱陶しいと惟っている事が、私にも伝わった。
陛下は、自分を囲む大臣達を黙らせてから 部屋の入口に竚ち尽くす 私の隣を見た。
険しかった陛下の睛が、ふっと和らいだ。
「アシュリー」
お妃様へ手を差し伸べての 雍かい声には、今し方の 冷ややかさの欠片もない。
この言葉に、大臣達が 一斉に振り皈った。
敵意を含んだ視線は お妃様にのみ向いていたが、その隣にいるだけでも 相当なプレッシャーだった。
「っ–––––––––––––………… 」
私は、青褪めて 硬直していた。
「私の妃は、そなただけだ」
招かれて、お妃様は 陛下の前へ進み出る。
相変わらず向けられている 大臣達の『ぎろぎろとした視線』の中を、お妃様は 臆する事もなく ゆっくりと進んで往く。
傍にいただけで硬直している私とは 大違いだ。
陛下に告げ口をするのも、無理だ。
悚くて近寄れないし、声も出ない。
私は、恐怖で 軀が動かなくなっているのに、どう云う訳か お妃様は平気みたいだ。
あの嫋やかな人の何処に、そんな勇気があるんだろう。
《 お妃様って、凄い。》
直立不動のまま、私は、白銀の長い髪を見詰める事しか出来ずにいた。